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2013-05-08

【考察】四月になれば・・・カノジョがカレのもとに戻ったワケ


「四月になれば」という歌がある。映画「卒業」の劇中歌として映画と同名のサントラ盤に収められていた。

 四月になれば 彼女はやってくる
 川の流れは勢いづき 雨でその強さを増してゆく
 五月になれば 彼女はここに留まり
 再び僕の腕で眠りに就く

と始まり、「六月、彼女は気分を変え、七月、彼女は別れを告げることなく彼のもとを去った」と続く。

劇中のカレとカノジョとは正反対に、この歌詞は、カノジョは「旅」でありカレは「巣」として描かいている。実際にこの歌が挿入されたシーンは、「カノジョ」の母親との不倫のシーンで、ダブルミーニングとして捕らえることもできたからなお興味深かった。

The Graduate - April Come She Will


さて、今回考察してみたのは、カノジョがカレのもとへ再び戻ったそもそもの理由は何であったということだ。

まず、女性が、一度別れた男のもとに戻る理由はそもそも必要なのか。女はメスの本能から、絶えず一定の安全と安心とが必要なだけで、そのときリストに挙がった誰かであれば改めて吟味や躊躇は必要なく戻ることができるのではないか。歌では、カノジョは結局カレを去って行くのだから、なおのこと然したる理由など必要とせず気まぐれにも近い感情でカレを訪れただけだったのかもしれない。その方が自然なのかもしれない。しかし、男はそう考える訳にはいかない。

昔の恋人が懐かしくなったのか、カレの優しさにまた触れたくなったのか、以前の自分に戻ろうとした…のか。なにがしかの理由はあったであろうと考える。いや、考えたい。
まず考えるべきは、カノジョがカレと離れていたあいだ、カノジョにはどんな出来事があっただろうか、どんな男に出会ったのだろうかということだ。

初めは、大方の男がそうであるように愛想がよく耳に心地よい言葉を並べ立て、カノジョに気を配り決して苛立たせることなくカノジョを舞い上がらせた。カノジョも心地良さのあまりその男に心も躯も許してしまったことだろう。

しかし、恋というやつは愛へ昇華せぬかぎり必ず終わりを迎える。
食事のしかたが気に入らない、いつも自分の股間に手を持って行く、おならをよくする、嫌いな言い回しがある、あるスペルがどうしても読めない、貧乏を自慢する、自分の嫌いなブリトニー・スピアーズ(この時代にはまだ生まれてもいない)が大好き、コカコーラよりペプシが旨いことを長々と説明する…。
些細な諍いが亀裂を生み、その裂け目はやがて埋まりようもないほど大きなものとなり、二人の心は急速に冷めていく。お決まりの道筋である。

それでも暫く二人は一緒に留まったであろう。互いが本物の終わりを確信するに至るには時間がかかる。「好き」というシンプルな感情が相手を慕う気持ちに変わるまで、それに確信を持つまで心の距離を保ったまま熟すのを待っている時間と同じように。「好き」から始まる時間の流れは、互いの距離を縮める時間だから、物理の法則を持ち出すまでもなく過ぎ去るのが速い。少なくとも速いと感じる。苦しさは痛痒さに変わり、辛さは想いが本物であるがこそと自分に言い聞かせることができる。幸せを感じることができる。

それに対し、「終わり」を迎える時の流れには絶えずブレーキを踏むがごとくゆっくりと苛々したものとなる。望ましからぬ結論を自らに納得させなければならない。相手の言葉や態度から、わざわざ「終わり」を裏付ける要素を選び出し、結論を補強しなければならない。つまらなく苦しい、そして徒労としった上での理論武装。重くなるばかりで晴れやかさはない。速く過ぎ去ってほしいという思いが時の流れを遅くする。待っているのは不幸な瞬間だからだ。

蜜月の終わりの瞬間が曖昧であるのに対し、離別の瞬間が明確であるのは、この重々しく苦しい時間に苛まれることを拒否する意思が明確である必要があるためだ。意識しなければ止めたことにならないからだ。だから、人は失恋から何かを学んだと錯覚する。

最終的に、どちらかが動きようのない鉄板の結論を得たと確信した瞬間、それまでの二人の関係性は、海中へ沈み込む氷河の突端のような勢いと速さで崩れ去る。一度沈んだ氷塊は二度と浮上することなく海底へ落ちていく。「なかったことにしましょう」

ここで歌のカノジョは、カレを選択し何かを求めた。何だったか。例に挙げたような類いの男との失恋であれば、理由はなんでもよい。もう少しマシな男が自分を幸せにしてくれる。思い込みでも何でもない、それは正解だ。しかし、その場合カノジョが再びカレを袖にする理由が希薄になる。幸せな家庭を作ればよいではないか。では、何であったのか?

この歌のカノジョが、この歌のカレのもとへ戻った理由のもう一つの仮説は、その間カノジョには何も起こらなかったというものだ。
何も起こらない日々に、人々は人恋しさを増す。ダイエットのため食事制限する者が、とにかく食べ物を欲するのと同じだ。そしてダイエットと同様に、「そんなのヤメー」と一度決めてしまえば、何でもよいから(誰でもよいから)目の前に現れた食料(男)を貪る。この際我が儘は抑え込んで、とにかく食らいつく。

こんな女性を都合よく頂戴する、俗に言うスケコマシという輩もいる。スケコマシは、こういった女性の隙を見逃さない。そして、この類いは、イージーマネーとイージーラバーを引きずらない。終わったらポイ。カノジョに何も起こらなかったというのは、この類いのスケコマシにも遭遇しなかったということだ。カノジョの寂しさは極限にまで達する。そうなればごく自然に、一度通過した男のリストからそのとき適当と思しき名をピックアップすることは自然であろう。しかし、これでは先に挙げた後半の歌詞との繋がりを見いだしにくい。カノジョは、ほんの二ヶ月ほどでカレを再び去ってしまうのだから。「旅」を続ける決心をするのだから。

一度カノジョを横に置き、カレの存在も考察してみる。
男は基本的に一度恋した女を嫌いになることはできないから、袖にされた相手であっても余程苦い水を飲ませられたわけでなければ、再び受け入れることができる。もちろん、抵抗や躊躇はあるが、結局受け入れてしまう弱さから男は逃げることができない。
だが、ここで問題なのは、何故このカレがカノジョによってピックアップされたかということだ。何故カレでなければならなかったかということだ。カノジョの心中にあったものは何であったかということだ。カレについての説明は、この歌詞にはほとんどない。言い換えればどこにでもいる平凡で普通の男と解釈できる。平凡で普通の男が、何らかの体験のうえ舞い戻った女性に与えることができるもの。それはいったい何なのか?

カノジョがカレとのあいだに新たな何かを生み出そうとは考えにくい。その何かの可能性は、前回ある程度想像ができていたはずだからだ。
それでは、カノジョはカレを媒体に「男と女」に関する何かを取り戻そうと考えたのか。置き忘れた何かがあったのか。元カレとわざわざ顔を合わせ時間を共にすることでとり戻すことのできる何か。優しさに触れる感触か、そこに生まれる安心感といった癒やしの要素なのか、それとも逞しさや強靱さといった雄が持つプロテクション機能か、初めて感じた胸の高鳴りといった初心か?

カノジョが再びカレを去るのは、それが何であったにせよ、充分にそれを得たと感じたからだろう。次に続く旅に必要なエネルギー補給を完了したと思えたからだろう。ほんの一二ヶ月で充分にとり戻ることのできる何か。いったい何だろう。
カノジョははじめからカレを去ることを決めていた。別れを告げずに去るぐらいだから、その時のカノジョは非常に自己チュー、よく言えば完全に自立できている。少なくとも旅に臨む覚悟ができている。次に求めたものは何だったのだろう。それまでに得ることができなかったものなのか、それとも更なる深淵を追求する価値のある既に手にしていたもののひとつなのか。

結論を出すことができない。きっとこれからも出ないだろう。

あの時代、この時代。男と女のあいだには、いつも似たような物語が生み出される。そして結末はあっても、結論が語られることはない。男が常に女に選択され捨てられる存在であることは数万年ものあいだ変わらぬ事実であるけれど、その理由に一つとして納得できるものではなく、また納得したいとも思わない。男であることから逃げられない私は、女の事が知りたい。マーケティング的もしくは兵法的にはまず自らを知ることが肝要であるけれど、それはまた男と女のあいだを理解するほどに難儀なことでもある。永遠に分からないのかもしれない。

歌はこう締めくくられている。

 八月、カノジョは死んでしまったに違いない
 秋風が寒々と冷たく吹き
 九月、かつて初々しかった恋は今、年老いた

男は所詮、こう結論づけるしかない。

2011-04-18

2011-04-08

オヤジの復活

オヤジというものの評価のし直しが必要だと感じている。東北大震災による被害が、膨大な犠牲者被災者のみならずあらゆる分野で日本全土全国民に及び始めてきた。加えて東電と政府によるこの1ヶ月に及ぶ失策により、国際的にこの国が孤立するのではないかという危惧を持つに至ったからだ。何も大袈裟なことではない、今後の人生や生活や身の回りの状況に対し、一個人として漠然とした不安を持っているというまでのことだ。それは、おそらく大多数の市井の人々が持つ不安と同様だ。だから、その不安解消のためには、愛憎ごっちゃの感情の矛先であった「オヤジ」なる存在が必要だと考えるのだ。

結論を記せば、この社会には腹を括る気のあるリーダーが必要だということだ。なんだ、そんなことかと思うだろうが、そんなことだ。信頼のおける国のリーダーが長いこと不在だったことは国際的にも周知の事実。しかし、東電をはじめとするこの国有数の大企業においても、巨大な影響力を行使するに相応しい人物がリーダーの座にあったとは言い難い。数年前にもトヨタの新社長に就任したばかりの創業者の孫が、アメリカ人のいちゃもんにも似た突き上げに涙を流す映像が配信された。同情はかったかもしれないが、従業員や関連企業は「この人で大丈夫なのか」と思ったに違いない。そうかと思えば、後継者を探しあぐねたソニーはアメリカ人を社長に据え、既に月日の経過した話ではあるがニッサンは経営そのものの仕方をフランス人に託してしまった。「本当にオレ達のこと考えてくれているのか」と思う従業員や関連会社は少なくないだろう。持論を公表した自衛隊の司令官は有無を言わさずクビにされた。「田母神さんの意見は議論した方がよいのではないか」と感じているのは自衛官ばかりではないはずだ。最近では県知事の椅子は県民のためより国政に近づくための踏み石として利用されるようになった。「ワールドカップは世界市場へ自分を高く売り込むためのステップ」と同じになってしまったというのか。そして、見渡した先に頼れるオヤジが果たしているのか。

民主主義社会と、親分(オヤジ)の存在しない社会は同意義ではない。民主主義社会とは自らの手で親分を育て担ぎ上げる社会だと思っている。自分の親分だから大事に育てたいし、自分達で担いだのだからそれには責任を持つというのが正しいありかたである。もっといえば、自分達に最も恩恵をもたらす親分であればそれでよい。農業の占める割合の多い県では、百姓の生活や価値観を理解しそれに向けた施策を講じてくれる知事をもてばよろしいし、それによって工業や商業が他と見劣りしても甘んじるべきである。クルマを作る会社であれば、クルマそのものの社会的価値を理解した人間が陣頭指揮を執るべきであるし、原発を運営する会社であればマスコミや政治家の接待上手な経営者よりも、原子炉の構造や放射性物質の影響に詳しい者を社長として持つべきである。各省庁の官僚もしかり、自衛隊もしかりである。つまり、それぞれの社会や企業や組織が、本来為すべき事の上においてそれぞれのオヤジを持つべきなのだ。当然それらオヤジ達の上には、爺様がいる。爺様が頷くことで、オヤジ達は納得しなければならない。何故なら、その爺様は偶々生き残ったから在るのではなく、今この時代に生き残っていて欲しいから命を永らえているからだ。そしてこの爺様はわれわれの中にも生きている(はずだ)。オヤジ達は互いに侃々諤々を経た後、爺様の前に跪く。

かつてのこの国がそうであったように、すべての分野で奇跡のような成長を遂げていた時期には、政治経済界はおろか文化面においてまでも、後のあらゆる可能性に対応すべく「ジェネラリスト」養成に躍起になったことは正解であったに違いない。私自身も当時はそう信じていたのであり、目指そうとしていた。可能性は無限に思えたのだから、わざわざオヤジになどなりたくはなかったし格好の良いお兄さんでいたかった。そのほうが、人生も社会も楽しく幸福に思えた。しかし、その可能性は既に二十年も前に萎んでしまったのであり、当時持て囃されたジェネラリスト達はなんら具体的な打開策を打ち出すことができずにいつのまにか新手のスペシャリスト達の手によって隅へ追いやられてしまったように見える。しかし、今度は「グローバリゼイション」なるインチキ臭い米国への利益誘導型ムーブメントの台頭により「マネージメント」だけに精通した(つまり既得権益者や株主の顔色を窺うことに長けた連中)が多くの組織を牛耳る社会になってしまった。既に強大な実行力を持っている官僚達が、たいした株(実力)も持っていないのに大きな顔をする民主党政権に従わないのは至極当然の現象である。賢い彼らは国民から直接的な評価を得る場には姿を現さないように努めながら密かに復活の日を夢見ていたに違いない。なぜなら、彼らもまたインチキ臭い新手のスペシャリスト世界推進の片棒を担いでいたからだ。現在、われわれの中に爺様は存在しているか?

そしてこの震災と原発事故である。官僚組織は脈々と受け継がれる人的な資産を有している。良きオヤジが方々に在った時代の人間達だ。勿論現役の人的資産も数多有しているだろうが、かつて輝きを放った日本の成長を支えたオヤジ達の才覚を再活用する時がきたのである。ところが災いに遭遇した菅さんは、俺こそが親分であり今こそがそれを証明すべき時であると、使い慣れぬ脳みそと権力を謂わば悪用し始め、自分にとっての福に転じようとしている。この1ヶ月余りの失策と言おうか無策と言おうか、アメリカから強要されてようやく窒素を入れるなどという様をみていると益々そう思わざるを得ない。こんなときこそ「餅は餅屋だから各省庁のエリートさん方よろしくお願いします」と発すれば、事は速やかだったはずだ。経産省からは元佐賀大学学長の上村春男氏への打診がいったであろうし、外務省では米国やフランスに対する原発技術や人的な要請ができたはずだし、防衛省は当然米軍とタッグを組んだであろう。農水省がガイガーカウンターを揃えた可能性もあったであろうし、文科省は被災地の子供対策、厚労相は当然のように国境なき医師団と手を結んだはずである。首相はその権限を与え承認すればよかったのだし、更には非常事態宣言のもと福島原発をさっさと国の預かりとしてしまえばよかったのだ。「待った!をかけられているから手が下せない」阪神淡路大震災で批判を受けた一県知事と同様の非難を、国家の最終責任者が浴びせられているありさまだ。

そんなオヤジをわれわれ国民は担いでしまった。間接的であるなどと言い訳をすることは許されない。今、われわれは猛烈に反省しなければならない。私は猛烈に反省している。その片棒を担いでしまった事に対しては勿論、気づいていながらもその後個人としてできることをしてこなかった事実に対してである。悔しいが未曾有の国難ともいえる大惨事に際しようやく本気で認識するに至った。私の世代は、正しいオヤジを選択する目を持ち監視し続け、いざとなればそのオヤジと喧嘩してでも間違いを正すことにできる若い世代を育てなかった。嘘くさい幸福や美しさや洗練や屁理屈やちょいワルさなどに現をぬかし、若い世代と向き合う事をしてこなかった。おまけに、正しい情報がないと右往左往するばかりで、自らの目や耳を鍛え直すことを怠っている。三無主義などと揶揄された世代が私などより少し上にはあったが、こうして年を嵩ねれば実生活で無関心など装える事はないし、無気力で生き続けることはできない。社会に対する責任が小さいとも思わない。だが実際は、「底」といわれながらも豊かな経済状況や平穏な生活に、最も重要な爺様の姿を見失っていた。爺様が在るのだという事を若い世代に伝えて来なかった。

幸いにしてこの国は民主主義の様を呈している。沢山の我が儘オヤジが出現しても、担いでる者たちが間違いのない目を持っていれば暴走や狂走を制することができる。沢山の中には、いや沢山いればこそ冷静さを失わずにいるオヤジも必ず出現する。殊更現在は国際的にもオヤジの力量を発揮せざるを得ない。オヤジと慕ってくれる連中のために、国の内外を問わず侃々諤々やってくれるオヤジが必要だ。もう、空気を読んだり顔色を窺ったりするオヤジは必要ない。ましてや順番で回ってくるオヤジなど誰も従わない。一方、トモダチである米国は若いオバマを自分達のオヤジとして選出した。若さは厳しい現実を乗り切る上で重要なファクターかもしれない。しかし、その若いオバマでさえ就任演説の冒頭では、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。見習うべきオヤジ達がアメリカには存在したのだと語ったのだ。そしてそれらがアメリカ人一人ひとりの爺様だと語ったのだ。

われわれ日本国民には、国家の最終責任者を直接選出する術がない。しかし、そこへ至る過程に関与する術は持っている。間近に迫った都知事選は、われわれ都民にとって意志を反映させる絶好の機会であるし、また東北を除いて実施されている他の知事選や自治体の選挙も同様だ。公職選挙に限らず、様々な組織の理事や代表者の選出、果ては企業の経営者の選出にしても限界はあるにしてもそこに属する者達の意志反映を働きかけることが無駄になることはないはずだ。原発に関する政府発表に近い言い方になるが、この国においてリビやや周辺の国々のように暴動や革命といったかたちで国民の行動が爆発することにはならない。しかし、われわれ国民の不満や不安、そしてこの国の未来への恐れが臨界点に近づいていることは間違いないだろう。上杉隆のように「海洋汚染テロ国家に成り下がった」とは言わないまでも、この国から発信されるあらゆる者や人に厳しい視線が向けられることは必須だ。爆発もせず斜に構えることもせずどうすべきなのか。素直に襟を正さなければならない。臍に塩をしなければならない。一人一人が爺様の声に耳を傾け、自ら考え判断し、胸を張るオヤジにならなければならない。まずは、自分と自分の周りに対しオヤジで在らなければならない。

2010-11-24

屋台のオジサン

去年は在った家が今年はもう無い。
屋台のオジサンは帰りがけに「どうもお疲れ様です」と言ってくれた。その夜俺は昔の仲間と会って酒を何杯か飲んで意味の分からない音楽に耳を傾けてきただけだ。その俺にオジサンはお疲れ様ですと言ってくれた。来年はこの場所にいるだろうか。

俺と入れ替わるように席に着いた年配の男性が「大将も一杯」と頼んだお酒を、オジサンは苦しそうに飲み干す。数百円の売上のためだものオジサンは歯を食いしばってそれを飲み干す。オジサンは来年もこの場所に立っていられるだろうか。

もう腕を通すことのなくなったダウンベストのことを思い出す。このオジサンにあのダウンベストをあげようか。寒い冬を乗り切ってもらうために、あのダウンベストをあげようか。果たしてそれがオジサンにとって有り難いことかどうかは分からない。けれども俺にはそれしか思いつかない。何のためか、本当にこのオジサンのためかは分からないけれど、俺にはそんなことしか思いつかない。

2010-08-28

説教、自尊心、情熱

「最近世界経済に対する興味が強くなったのですか?」という問いを投げかけられて「ん?」と思ってしまった。思った途端に私は話を止めた。関心があるのはこの国の明日についてだ。それはいつもそうだ。こんなオヤジとため口で杯を交わしてくれている君たち若い世代のことも、未だ小学生のわが子らのことも含めて、最重要関心事はこの国で移り変わっていく日々の事柄なのだ。だって、君たちや可愛い彼奴ら(息子達)が、いずれこの国を背負うのだから。この国の民としての誇りを担うのだから。萎び始めた俺たちだって、この国の状況を少しでも良い方向へ導くためには、我々が息を継ぐことができている最も重要な環境のひとつとしての世界経済へだって関心を持たないわけにはいかないだろう。

別に日本経済の現状を憂いているのではない。真意を伝えるのことの難しさを改めて感じたのだ。同じ内容を発しても立場や世代や職業その他によって受け取られ方は異なる。当たり前のことだし全てを相手の意のままに受け取るとのできる人間などいるはずもない。「人は見たいものだけを見、聴きたいことだけに耳を傾けているのだ」とはジュリアス・シーザーの言葉だ。彼の時代でもそうだったし、実質的に世界で最も権力を有した人間にしてもそうなのだ。伝えたい事と伝えられたと感じる事には常にギャップが生じる。これはキリストもムハメッドとブッダも同様に感じていたはずだ。

前出の質問者は、周囲の雰囲気が暗くなるのを嫌う。職業柄当然だし、性格的にも物事に執着するタイプではない。手っ取り早く結論を導き一旦終止符を打ちたがる。それはそれで悪いことではない。しかし、質問の端となった発言を「暗くなるから」ということで打ち切られれば、(打ち切られたわけではないのだが、そうした)こちらもすっきりできない。すっきりできなくとも良いが、彼に本来の意図が伝えられなかったことに忸怩たる思いが募る。嫌いな連中に罵声を浴びせるだけの無礼者だったとは思わないし、客の立場を利用して憤懣を吐き散らかそうというのでもなかった。「考えてみようよ」と伝えたかったのだ。たったそれだけ。むしろ生産的な意図だった。それが伝わらなかった。

ひょっとして彼はその時、説教を垂れられていると感じたのだろうか。仮にそうなら、こちらの非だ。勿論そんなつもりは全くなかったし、自身説教はするのもされるのも嫌いだ。誰かに説教されていると感じた途端、見えない煉瓦壁が瞬時に積み上げられ周囲を取り囲み、その中で目を閉じ耳と口を塞いだサルに変身していく自分がいる。説教は相手の自尊心を傷つける。活力や動機を生むどころか、せっかく進みかけている一歩を数十歩も後退させてしまう。だから、先の話が説教に聞こえていたのなら、それはこちらのコミュニケーションスキル不足およびコンテキスト構成能力の欠如が原因だ。

ほぼ同じ話を同年代にしたところ、こちらは驚くことに無反応だった。無反応と言ってよいほどリアクションがなかった。「ウム」と頷いて、ハイボールをぐっと煽っただけで続く言葉も質問もなかった。分かってくれたのか、諦めが進行したのかは定かでないが、やはり話を止めざるを得なかった。彼らは既に同じ年月だけ社会で闘ってきた連中だ。バブル崩壊以降のこの二十年も、「しんどい」「きつい」「もう無理」を何百回も吐きながら諦めることなく生きてきた連中だ。だから、こちらの意図などお見通しだ。「皆まで言うな」それがハイボールを傾けた時の無言のメッセージであった。彼は、一度は火の通りが不足だと店員に突き返した枝豆を一つちぎって口に放り込んで、次の話題に進んでいった。

「何時までも青臭いことを言いやがって」というのが彼の感想だったかもしれない。自尊心は傷ついたか。指折り数えて四十年を超える付き合いの相手が、この程度で傷はつくか?活力や動機を失うか、数十歩の後退をみるか。いや、おそらく彼は利のある内容だけを刻んで何処かにしまっておく。それ以外の膨大なブルシット(Bullshit!)は、店を出た途端にコンビニの燃えるゴミの箱に捨ててしまう。そしてすっかり忘れて眠りにつく。こちらも、それを知っているから安心して翌朝を迎えることができる。そうして数十年の「変わらぬ」付き合いが成立してきた。

ここまで進んで、何だ!俺の結論は年数のはなしだったか、ということに気がつき落胆した。仮に前出の質問者との付き合いが数十年にも及べば、先に記した危惧は無用で無意味だったということか。それではこのブログの結論がお粗末すぎる。きっと書き始めの意図は異なっていたはずだと一服して冷静さを取り戻す。

数年前に書いた物語の感想を思い出した。「いつもの説教臭さが感じられて、なんだかな」というのがあった。今では自分の道でキャリアを積み重ねるその女性も、学生だったその頃は毛の生えた少女のようであったから、親程も年の離れた者が創った物語などはその程度にしか理解できないのだろうとたかを括っていた。物語は、私自身がこれまで訪れた国々で耳にした寓話や言い伝えを詰め込んだもので、幾つかの経験を通して若者が少し大人に近づくといった内容のものだった。しかし今にして思えば、肝心の「大人に近づく」プロセスで喘ぎ脱皮する主人公の心の描写よりも、物珍しい諸国のエピソードを連ねただけの自慢話の押し売りにしか過ぎなかった。自尊心を傷つけたり活力を奪いはしなかっただろうが、メッセージは伝わらなかった。やはり何かが不足していた。技術や能力ではない、他の何かだ。

つい最近、韓国人の知人がやけに高揚して口を開いてきた。一念発起して北京へ移住するという。その日彼は辞表を提出してきたのだ。不安はあるが、ワクワクすると言っていた。数ヶ月に一度は戻ってくるから、その時は是非あなたの知恵をお借りしたいと社交辞令を口にした。「いや、私にできることなど」とこちらも謙遜したが、彼は彼で「私には必要な能力ですから」と返してきた。実は彼とは一度も仕事を共にしたことなどないし、交わした話しの内容に私のプロフェッションに関し何ら具体性を伴った情報を伝えた覚えもない。しかし一方、何故だか彼との話には、漠としていながらも互いの思いが込められていた。祖国や日本、仲間や旧友、互いの文化やその優劣。そして自らにとっての意義や思い。毎度そんな終わり方で杯を置いていたという記憶がある。その晩彼は、「きっと戻ります。その時は是非」と繰り返し口にし帰っていった。

数年前の物語には無くて、北京へ旅立つ知人との付き合いに在ったものは明白だ。ひょっとしたら、前出の質問者との会話にもそれは不足していたかもしれない。情熱だ。青臭いが情熱だ。人に伝えるべきは意図かもしれない。それを支援するのは会話の技術や能力かもしれない。しかし、伝達の目的を達成させるのは熱量だ。一過性のものではなく、何時触れても感じることのできる同じ種類の熱。「まだやっているんですか」と嘲笑気味の言葉を投げかけられても「はい、おかげさまで」と返すことのできる熱。決して失うことはないだろうと思わせる熱。染み着いた熱。

「熱中症にはお気を付け下さい」と繰り返されるこの夏だが、ときに太陽に顔を向けることが重要だ。エアコンの効いた部屋の中で思案に耽ってばかりいては自分の強さに気づかない。環境の厳しさを感じることはできない。それを乗り越える胆力が身につかない。肌身に受けた熱を感じて自分のものとし、それを伝えていくことが重要なのだ。繰り返せば、それは思想と化していく。やがて誇りとなる。それは人に伝わる。暑っつい(汗)

2010-01-29

開高

長い時を経て開高と再会した。呆と彷徨っていた私の目に、古本屋のワゴンに山積みされた薄黄色くなったカバーの中から開高の人懐こい目が笑いかけていた。1990年に出版された、週刊プレイボーイ「男になるための教養講座」の特別編集版だ。

開高健は、格好の良いオヤジだった。もう随分昔の人だから比べるのもなんだが、今時のチョイワル著名人など足下にも及ばない男っぽさがあった。小説家だが小説なんか書かないでアマゾンでピラクルなんかを釣っていた。ベトナム戦争へ出かけて行ってるのに、酒と食い物の話しかしない。パリを歩けば雲古と万古にしか目がいかない。

村上龍が就任する前に偉い文学賞の審査員を長いことやっていた。そういえば、村上の週刊プレイボーイの連載は開高の後を継いだものだ(と思う)。偉い小説家なのに、のっけから下ネタ全開の「男講座」だった。だから、幼さが抜けきらない高校生や大学生、勿論とうに抜けきった連中も喫茶店でニヤニヤしながら夢中で読んだ。

説教臭い話しはあまりない。ニヤニヤしながらスッゲーと思っていた。しかし、その頃の若いモン達は若いモンで、「そんなのどうってこうとないさ」っていう素振りを装った。ニヤニヤで誤魔化していた。中には凄さが分からずに本当にニヤニヤしていたたけの馬鹿も当然いた。当然、馬鹿は馬鹿で何かは感じていたと思う。でも、それが何なのかを確かめるためには、時代が拙すぎた。術がなかった。だから、馬鹿なヤツは鵜呑みにして国を飛び出した。

一方で、植草甚一がいた。今にしてみればサブカルの元祖のような人で、彼も面白かった。単行で出版されたソフトカバーの植草シリーズには、馬鹿な若いモン達が嵌らずにいられないキラキラした話題が満載された。「カトマンズでLSDを一服」なんて来られたらもう堪らなかった。植草の文章は最も新しい情報だった。どんどん出てきた。しかし、情報でしかなかったのも事実だ。「スッゲー」そのものの情報だった。インターネットだった。

開高は、ニヤニヤの中にそれを籠めた。ほんのり漂うスッゲーの素を練り込んだ。だから覚えている。覚えているから考える。考えるから、悶々とする。悶々とするから動き出す。術なんて分からないからとにかく動いてみる。そうしてみんな殻を破っていった。お利口さんは無駄なことはしないから、きちんと別の殻の中に自分を嵌め込んだ。馬鹿はそんな器用な真似ができずにはみ出した。

バブルが過ぎて、開高は死んで、村上は二人とも教祖になって、老けただけの馬鹿は未だに馬鹿のままだ。「男になるための教養講座」に収録された「小さな死」というエッセイの最後の一行を引用して、この駄文を終えよう。
「といいながら小生は立ちもせず、死にもせず、ただ座っている」

2009-12-04

植柳

東西の本願寺に挟まれた植柳(しょくりゅう)という地域がある。少し西寄りに古びた小学校がある。交通指導の老人に尋ねると、植柳という地名そのものが、小学校から生じたものらしい。明治以来この地に立ち続けるという由緒あるこの植柳小学校も、在校生が80名足らずとなり、来年か再来年には廃校となる予定だ。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。

師走

12月1日。師走に入った。初日から高速列車で西へ移動した。

ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。

昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。

いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。

御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。

通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。

ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。

京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。

通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。

たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。

2009-11-18

だいちょう V

目が覚めても床から出たくなかった。空腹も感じなかった。多少の緊張があったのかもしれない。

指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。

折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。

普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。

ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。

ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。

「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。

覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。

※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。

2009-10-29

長い長い、カツ丼の話し

たいした距離でもないのに序ででもなければ立ち寄らない場所というのはあるものだ。そのひとつが日本橋人形町界隈。十五年ほど前までは数年間毎日通った場所でもある。今日はその序でがあった。今は消滅してしまった小さな事務所に毎日朝から晩まで居ったのだから、当然昼飯はその界隈で済ませた。人形町には名だたる食い物屋が軒を並べているんだ。

交差点の主ともいえる洋食のキラク、ビーフステーキ2700円は立派なお値段。見かけはほんの数坪の、通り過ぎそうなお店だが歴史は古いんだ。一時は行列が途切れることのなかった親子丼の玉姫。俺は正直、一度も喰ったことがないのだけれどね。すき焼きの今半だって筋ひとつ入った場所に構えている。ランチのお値段は、ほんの少しだがキラクよりお安いんだ。キラクより気楽よ、なんて。しかし、夜は恐ろしい値段に化けるのさ。甘酒横町まで足を延ばせば、よく行ったもんだよ、やきとり久助。見渡せば、どうやらその頃より気の利いたラーメン屋が増えたし、たこ焼きやなんかも進出している。とにかく、食べ物の豊富さでは負けていないんだ、この界隈。

しかし、今日のお目当てはそんな有名でもメジャーでも今風でも何でもない、ただの中華屋。その名も、玉龍亭。名前だけはご立派だが、掘留公園で遊ぶ園児達の声にかき消されてしまうほどの、小さな、それこそ何処にでもある中華屋さんだ。昼時にはダッサイネクタイしめたサラリーマンが雪崩れ込み、半チャーハンとラーメンなんかをかき込むような、そんな昼飯屋だ。黄色の庇に赤い明朝体で「玉龍亭」。どうしても、そこへ行きたくなった。

なにせ十五年も前、当時既に充分にお年を召された父ちゃん母ちゃんがやっていた店。ひょっとしたら、危なっかしい連中に追い立てられて店をたたんでしまっただろうか。それとも、お父ちゃんのほうは逝っちまったんじゃないだろうかと、胸をドキドキさせながら辿り着いた。辿り着いたら、昔のまんまにそこにあった。昔の通りダッサイネクタイが暖簾をくぐり抜けていく。ちょっとしたタイムスリップだ。こっちも今よりずっと若くてダッサイネクタイを気取って締めていたりしたっけ。

前置きが長くなったが、何を隠そうこの玉龍はカツ丼の名店なんだ。って、俺が勝手に決めつけているだけなんだけど。いや、当時同じ事務所に通ったヤツも未だに「玉龍のカツ丼が無性に食いたくなる」と言っていたことがあるから、まんざらでもないんだ、玉龍のカツ丼。トンと置かれた丼の中で、少し残った半熟がプルるんと揺れるあの感じ、たった今揚げたての湯気を立ててるカツそのものだって、端っこにカリッとした衣の歯ごたえが残る職人技で、たいした肉でもないのに若さが求める「肉」の食感をきちんと満たしてくれる歯ごたえもほどよかった。隠れファンは確かに存在するんだ。今日は、その「無性に」が俺に訪れたわけだ。いやいや嘘はいけませんぜ、旦那さん。実は何日も前から楽しみにしていたくせに。そ、そうなんだ。iPhoneのスケジューラーに、わざわざ「カツ丼」なんて入力までして、打合せの相手に昼を誘われた時の用心に、「いや、今日は予定が立て込んでましてね」なんて白々しい台詞まで用意して、おまけに練習までして、向かったわけなのさ。

「へい、いらっしゃい」
昔のまんまだ。六人掛けが一つと、四人がけテーブルが二つ。時間が早いからテーブルは全部空いているのに、カウンターは満席。何故だかみんなカウンターから着くのがこの店の特徴だ。奧の14インチテレビでは、野茂のメジャーでの活躍もセナの事故死も知ったけ。年老いたはずの父ちゃん母ちゃんは、あれから一日も月日が過ぎていないかのように同じ姿形と元気でいっぱいだ。父ちゃんは、注文を復唱する時も挨拶をする時も、背中を丸めた格好で始終身体を揺らしながら中華鍋を振っていた。まるでカンフーサッカーのやけに頭突きの凄いオッさんみたいな風貌だ。額から汗が噴き出ている。カウンターの席に着くと、その元気と一緒に昼飯が腹を満たしてくれたんだ。

俺は正直十五年ぶりの、今となっては一見さんだから、大人しくテーブルに着いたよ。一人ぽつんとね。それで、これも昔と変わらぬプラスチックのメニュー立てを摘み上げた。やけに、スカスカなんだ、そのメニュー。老眼の次は、かすみ目か? いや、当時は裏も表も、麺類から飯類から、もやし炒めだ、ニラレバだ、酢豚だってあるんだぜと、ビッシリと両面を埋めていたメニューは、今や本当にスカスカなんだ。これでもかって程のボリュームが堪らなかったカツカレーも見あたらない。そんな物はどうだっていいんだ、今日はカツ丼よ。って、そのカツ丼の「カ」の字が見つからない。

そんなはずは無いんだよ。玉龍はカツ丼なんだ。カツ丼のない玉龍なんか、荒野のないアメリカ大陸みたいなもんだ。
「あのぉ、カツ丼は?」
「何年も前に止めちゃったのよ」と、元気いっぱいの母ちゃんは、そう言いながら何だか嬉しそうにしている。そんな顔で見つめないでおくれよ。俺はその時、一昼夜かけたグレイハウンドのバス旅の果てにフラれた少年のような情けない表情で母ちゃんを見返していた(に違いない)。

十五年の歳月を経て漸く辿り着いた日本橋堀留町の隠れカツ丼名店玉龍亭で、俺はカツ丼にフラれた。「こんなに長いこと放ったらかしで、どうしてもっと早く迎えに来てくれなかったのよ」という声が何処かでこだまする。どうすればよかったって言うんだ! 

カウンターに並んだ背中は、忙しなく右手を動かしエクスタシーに身悶えしながらワンタン麺やら湯麺やらチャーハンをかき込んでいる。そうだよ。フラれた時だって空は青かったさ。その空に向かって「あばよ」と言って、俺はまた旅を続けたんだ。
「広東麺ください」
「はーい、広東麺。広東麺入ったよ」と父ちゃんは悪びれもせず母ちゃんに注文を伝えている。父ちゃんは自分で請けていながら、必ずそうやって母ちゃんに伝える。何年も何年も、仲良くやり続けている。二人でこの小さな店を元気いっぱい生きている。母ちゃん似の、容姿より心よってタイプの娘さんも、今では立派なお母さんになっているに違いない。俺だって立派かどうかは別にして親にもなった。思えば、随分と月日は経ったのだ。

バブルが弾けてもなお、横文字のタイトルや人より少しだけ高額なギャラに踊らされてチャラチャラ途を驀進していた俺たちに関係なく、ずっとずっとこうして地道にこの店を続けてきた父ちゃんと母ちゃんは、今でもこうして二人仲良くダッサイネクタイ達に熱々の昼飯と元気を分け与えている。俺も広東麺で汗だくになった。次の目的地へのエネルギー補給が完了した。

勘定に立つと母ちゃんは、「カツ丼ごめんね。昔のお客さんだね」とニコニコの目つきで言ってきた。「十五年ぶりです」
「あら、このお客さん、十五年ぶりだって。ちょっと、ねえ」と小さな店いっぱいに響き渡る元気な声で父ちゃんに叫んだ。店の客が何事だとばかりに振り返る。俺は恥ずかしくなって、小さな声で「元気でね」と言って背中を向けた。あやうく声が詰まりそうだったよ。

2009-10-20

神戸 夕闇に

19日夕暮れどき。仕事を片付け三ノ宮へ戻ると、明石焼のたちばなへ向かった。これも恒例となった。これまでは、賑やかな街並みとどこか余裕のある人々に触れたくて、散歩がてら元町の店まで足を伸ばしていた。疲れが癒される。今日は五時間に及ぶ移動のため、流石にその気力さえ失せてしまった。駅の目の前、阪神ビルの地下一階にある支店にやってきた。

神戸在住の知人に教えてもらってからだから、はや五年になる。年に一度か二度の客でしかないのだが、こちらはすっかり常連の気でいる。焼きのオバチャンから掛かる「一枚ですか?」の声に、ひょいと人差し指をたてただけで返したりする。その気になっている。

この店を紹介してくれた知人がいうには、「明石焼はオヤツ。ご飯はまたべつです」 大振りのフワフワの明石焼きが10個。しかも、この時刻(五時過ぎ)のものとしては、少々多すぎはしはいか。隣のテーブルに着いた女性二人はペチャクチャと四方山話に花を咲かせながら、ひとつまたひとつと口に放り込んでいる。所謂別腹なのだ。

ところで中年オヤジがこんな場所に一人というのも、と思う間もなくもう一人更なるオヤジが目の前のテーブルについた。ガタイもよろしく、私などよりよほどこの場に似つかわしくない。焼きのオバチャンの声に、やはり頷くだけで答えた。彼も常連なのだ。

オヤジ二人のテーブルを挟むように先ほどの女性達と奥のカップルの話が盛り上がり、負けじと焼きのオバチャンは板さん風の男性相手に携帯電話の話が止まらない。

「184(いやよ)て、頭に付ければ相手に番号はみえへんから」
「いやよってか」
「そう、いやよ」
「なんか、怖いわ」

オヤジ二人は黙黙と明石焼を口にはこぶ。ハフハフしながら、黙って食べる。我々べつに怖い人ではないのだけれど、何故か眉間に皺を寄せ、伏せ目がちの姿勢を保って浮気調査の探偵よろしく食べ続ける。彼の関心事は何だろう。こっちは夕飯の事が頭を過ぎり出した。神戸の街がとっぷりと闇に包まれた。

2009-10-19

無題

車掌が、発車時刻に狂いが生じた理由を駆け込み乗車客がいたためと弁解している。25分間に四度めだ。俺たちはきちんと仕事をしている。問題が起きるのはいつもお前たちのせいだ。
空は気持ちよく晴れている。3時間のあいだにたった6分の遅れを取り戻してくれれば、誰も気にも止めない。

隣に席した男は倍ほどの体格で、きちんと自分のスペースに収まっているにもかかわらず、圧力を感じさせる。脳がそう感じる。その圧力の有無を実証はできない。客観的なものではないからだ。しかし、論証はできるかもしれないと、脳は考える。論証とは自己の内部で為される行為だから必ずしも客観性を伴うわけではない。隣の座席から感じるだけの無言の圧力の有無などという、世界の回転にとっては実にどうでもよろしい論証だから、きっとできたところで至極主観的なものだ。要は、彼の登場が理由のない居心地の悪さを感じただけなのだ。人というものは、いや私は我が儘なのだ。

そんなことを考えているうちに、隣の男がポケットからタバコを取り出して火を点けた。見れば私と同じ銘柄だ。たいへんメジャーなそのブランドの商品のなかにあって、常に継子扱いされるアイテムだ。関西の出張ではいつも入手に苦労するほどのマイナーな商品だ。
男を見れば私と同じような髭も蓄えている。体の威圧感に対して、目尻には人懐こい笑みも浮かんでいる。まんざら厭な人物ではないのかもしれない。

肘掛から取り外された灰皿が、テーブルの上に置かれている。男はタバコを押し付け火を消すと、缶コーヒーを飲み干す前に寝息を立て始めた。そうなのだ、腰掛けているだけとは言っても電車の長旅は意外に疲れる。仕事の前にしばしの休養は有効だ。見ればしっかり腕組みをして、他人のスペースを侵さぬ配慮もある。

それほど厭な人物でははさそうだ。言うほど圧力など感じもしない。私は乗車してから二本目のタバコに火を点けた。男の眠りを妨げぬように窓に向って煙を吐いた。

空は気持ちよく晴れ渡っている。あとは、列車が時刻どおりに到着してくれれば、きっといい日になるに違いない。

2009-10-14

ここは梅田地下

今日も仕事を終えて、新幹線までの時間を愉しもうとふらり。
梅田の地下街には、間違いなく故郷にあるあらゆる商店を足した数より多くの店が並んでいるのに、足が向くのはここだけなんだな。別に特長があるわけではないのに。

鳥の巣。
コの字のカウンターは、時間が早いせいで数える程しか客はいない。二月にいた大連出身の女性の顔も覚えていない。目の前には福建省出のふっくらしたお嬢が立つ。豚カツと烏賊とキスの串揚げを一本づつ。それと生中。
キャベツをタレに浸して頬張りはじめると、一つ空けた席の年配が福建省お嬢をたどたどしい中国語で食事に誘い始めた。離れたところから先輩のドッカの省出身者がチャチャを入れてくる。お嬢がすかさず、「ツパラ(お腹いっぱいなんです)」

コの字の角の向こうでは、サングラスの男とポニーテールの男が雇用拡大政策を論じている。反対側の二つ離れた席では、痩せこけた老人が一つづつ薬を口に運んでいる。アサヒの大瓶は半分を過ぎたところから減る気配がない。それを認めた日本人の年配ウエイトレスが言葉を掛ける。
私だけが無言でキスの串揚げを頬張っている。何故だか至福の時。ホント、何故なんだろう。ナンパオヤジは、「時間が」と言い残して立ち去った。政策論議は未だ続いている。クスリの老人は「帰る」と告げた後も水を舐めなめ居座っている。

2009-09-24

チェリー達へ

ここ数日メディアに登場するのは、民主党政権に対する不安懸念疑問、ノリピーの今後、熊に襲われた九人、クレヨンしんちゃんはどうなるの、巨人の三連覇、朝青龍の復活、シルバーウイークの事故、鳩山ファーストレディの奇行、自民党総裁選、オバマ大統領の国連総会スピーチというところか。押尾はすっかり話題に上らなくなり、数ヶ月も宇宙滞在した若田さんも過去の人、岡田ジャパンのネタはすっかり萎んで、政治に関する話題が急増だ。気がついたら「官僚達の夏」は終了し、「白州次郎」も半年のインターバルを挟んで漸く完結した。

政治への関心が高まったことは喜ばしいことだと思う。なんたって国を動かしているのは政治だ。経済だと言って憚らない似非インテリも今は小さくなるしかない。「なら盛り返してみやがれ」の叱咤をかわそうとクネクネ踊りを続けている。隣国の再建計画が功を奏し、対照的に我が国の旧政権ばらまき政策は徒花に終わった。今度は政治主導で経済も盛り返してもらいたい。

鳩ちゃん(藤井財務大臣は鳩山親子三代に仕え、現首相をそう呼ぶらしい)は、腐った鯛が残していった負の遺産を抱えて、政権奪取後未だ一月にも満たないというのにメディアから評論家からその辺のオバチャンから、「どうすんのよ」「ホントなんでしょうネ」てな具合に突かれまくって、選挙前とは180度の態度豹変振りに少なからず表情が強ばっている。強ばっているのは閣僚達だけか。ご本人は幸夫人の掌の上でけっこう気分よろしく踊っているのかも。

それにしても自民党が半世紀も牛耳ってしまった影響なのであろう、ここ一月の間に顔をあわせた隣人知人インテリ達に見る、変化への畏れと拒絶と無理解、政治観の歪み、地底人並の愚鈍さには驚かされる。この国が以前鎖国封建制度の上に成立しているかのようだ。これでは本当に細石も巌となって苔生し現在の素性が分からなくなる。彼らは今という時代に対し完全に目を瞑り耳を塞ぎの状態で、口から化石化した借り物の言葉を吐きまくっている。落胆するしかないのか。

いや、いや冗談じゃない。時代は進んでいくし、好むと好まざるを得ず変化し続ける。「変えればいいのか」と似非インテリは言う。「ゼロと100以外に数字は読めないのか」と返したい。変えるべきか否か、変えるのであれば何をどう、何時どのようなタイミングで、それでも再考して最善策をと、私たちが手本にできる材料は山ほどある。二千年も前からのものがある。政治も経済も文化も空気も水も、生きるものが幸福になるために存在する。どう活用しようかを、考えようじゃないか。そう言いたいだけだ。あんた達を罵っているわけじゃない。その黴臭い考え方を否定しようとも思わない。唯、様々な考え方と選択があるのだということを伝えたいだけだ。

「だって、こうなんだから」と言いたい気持ちはよく分かる。「仕方がないのさ」と自棄になることだってたまにはあるさ。「俺に何ができるっていうんだ」と、それに対してだけはチョットマッタ。俺だって、ハジメテの時は怖かったさ。誰だってそうさ。上手くできるだろうか。相手は喜んでくれるだろうか。もう一回できるだろうかと悩むのは健全だ。だからこそ、健全な悩みは試してみるべきなのだ。畏れていてばかりで何時までもチェリーボーイでいちゃ、本当の気持ちよさを知ることはできないのさ。失敗したって早すぎたって、時を経ればそれも良い思い出になるよ、きっと。思い出に生きる必要もないし、生きてなんかいないさ。知れば今がもっと楽しくなるのさ。なっ、チェリー!

2009-07-25

従業員の悪質な行為はなかった

アメリカはいろんな意味で凄い。いろんな人間が居るからなのだろう。いろんな人間が、いろんな事に対していろんな受け取り方をする。そこから、いろんな物事が生まれていく。そういうダイヴァーシティは、本当に凄い。そんな例になるかどうかは知らねども、ちょっと腹を抱えたニュースがあったので紹介。加州サンタアナのレストランでの出来事 → ここをクリック サンタ、アナというところがオジサン的にはなんとも・・・。それにしても、いくら「従業員の悪質な行為はなかった」と言われても、誰が納得するかね。

さて、、、、
先日ルビコンの決断という番組で、プリウスの開発をドラマ化して放送した。私自身、プリウスが市場に投入されたあとの調査に携わったことがあるので興味も大きかった。一番驚いたのは開発期間の短さだった。ハイブリッドの研究はぞれ以前から進められていたとはいえ、技術的に量産は難しく独自の開発を要する部分も多かった。それを実質的には2年程度で市場に投入した。こういう集中力は、日本人が誇れる能力だと思う。

この二つ、実は何の関連も見いだせないのだが、両方同時にふっと浮かんでしまったのだ。読者の期待を裏切ろうなどという悪意はなかったのだが。

2009-07-13

Gundam 2009 お台場

ガンダムが、ゆっくり空を見上げる。
その先を雲が流れて行く。初めて現実の世界を目にし、勇者は何を思ったか。

2009-07-07

再びMJ


今日もマイケル。
マイケルには三人の子どもがいるが、妻はいない。最初の二人の母親とは結婚していたが後に離婚し、三人目は代理母に生ませた。女を愛し、娶り、子を持ったという一般的な家庭像とは趣が異なる。一般人から遠くかけ離れた世界に生きていたのだから当然ではあろうが、それにしても単に子が欲しかったようにも感じられる。子どもというより遺伝子の継承者が欲しかったのかもしれない。本当のところは分からないが、そう感じる。

ニーチェは、男の愛というものについて、「人が心底から愛するのは、彼の子供と仕事だけである」と語ったが、マイケルはそれを実践したかのように見受けられる。マイケルが彼の子供達に向けた愛とは如何なるものであったか。

凡庸もしくはそれ以下なる私個人の愛情は、生前マイケルが彼の子供達に注いでいたものとは大きく異なるだろうと想像した。私の場合、子供達には、健康に生きて、私より後に死んでくれればそれでよいと思っている。要は彼らの人生を彼らなりに生きてくれればそれでいい。様々な制約はあるにせよ成人まではできうる限り子供らの成長を手助けしたいといった、非常に曖昧なものだ。そんなもので愛情かと問われれば、それも愛情だというしかない。所詮、親の愛情は、それをそうなのだと子が認識しないかぎり影も形もない。レスのないラブレターを送り続けるようなものだ。それを行い続けることのできるのが子への愛情と呼べるのかもしれないと考えている。

一方マイケルの場合は、桁外れな金額を遺産として残していった。(遺産の処理のされ方については脇に置いておき、)普通に考えても考えなくても、三人の子供が一生を送るに余りある金額だ。子供達の望みが金銭で適うものであれば大方のものは適えられるであろう。立派な愛情のかたちだ。再びニーチェの言葉を借りると、「偉大な人間において最も偉大なものは母性的なものだ ーー 父 ーー それは常に一つの偶然に過ぎない」とも言っている。その通りだ。父は偶然にしか過ぎないのだ。「できたみたいよ」と告げられるまで父親には何一つ分からないし、告げられたところで何一つ肉体的な変化があるわけではない。母親が文字通り心血を注ぐ愛情とは完全に別物の、父親の愛情というものがあるはずだ。充分な経済力は父親の愛情のひとつの形だ。(勿論、経済力を愛情のかたちとする女性も大勢いる) 

マイケルが残した莫大な財産は愛情のかたちだったのか?

では、マイケルが財産の他に子供達に与えたかったものがあるとしたら、それは何だろう。カネ目当てに群がる連中が子供達を翻弄することは察していただろう。その中で、子供達が自分達の人生を生きたいように生きるための何かを与えたいとは考えなかっただろうか。奇行ばかりが取りざたされるマイケルだったが、そういった当たり前の感情は持たなかったのだろうか。とはいえ、市井の人々の人生を知ることができなかったマイケルに、私の言葉を期待しても無理があるだろう。しかし、それなら尚更、彼がカネの他に示したかった親としての愛情は如何なるものだったのか。

「愛情から悲しみが生じ、愛情から恐れが生じる。愛情から解放されている人に悲しみは存在しない。どうして恐れることがあろうか」
これは、ブッダが残したとされる言葉だ。ブッダは、子をもうけたその時に妻と子を捨てホームレスの生活を始めた。そこで、この考えに辿り着く。周囲との絆を断ち切って孤独となることに恐れを抱く必要はない。それが自由という状態であることに気がついた。

何かの番組で出演者の一人が言った。「マイケルさんは五十歳だったんですね。年齢などからかけ離れている人でした」 
年齢に限らずあらゆる面で常人とはかけ離れていたマイケルには、もしかしたら一般的な愛情という概念が存在しなかったのかもしれない。それどころか、その面でも超越していたに違いない。マイケルはニーチェに加えブッダの言葉をも実践していたのではないだろうか。

貧しい人々や病に苦しむ人々、肌の色に悩まされる人々のことを数多く歌い続けたマイケルは、自ら周囲の一切を断ち切って、望むように生きようとした。「愛情」などという俗っぽい言葉は捨てて、苦しむのを止めて、自分が生きたいように生きようじゃないかとメッセージを送り続けた。そうやって世界中を激励し続けた彼は、自らの生き方でもそれを実践した。児童に対する性的虐待問題は正直何だったか分からない。しかし、奇行のひとつとされる様々な施設を借り切っての独りアソビやショッピングは、「誰も相手にしたくはないし、されたくもない」という意志から生じた行為ではなかっただろうか。ネバーランドもその延長に違いない。結局のところ、マイケルは周囲に手を差し延べようとはしても差し延べられることは拒んだ。悲しみや恐れや憎しみというものを遠ざけるために、孤高の存在を目指したのだ。

「カネは心配しなくてよい。周囲のことなど気にかけなくてもよいから、自分の生きたいように生きなさい。孤独になっても私の遺伝子を授けたのだから耐えられるはず。あとは、わたしの生き様を学びなさい。世界中の人が教えてくれるはずだ」 きっと、マイケルはこう言いたかったのだ。
お金の部分は除くとして、それ以外については凡庸な私にも頷ける部分が多い。生きたいように生きるためには孤独を恐れてはならない。愛情は結果として届くもので、その証を求めてはならない。生きる姿勢を示すことが、男の仕事なのだ。マイケルは意外に普通っぽいお父さんだったということが分かった気がする。

※前回の「Farewell MJ」に、「びっくりするほど滅茶苦茶な英語ですね」とのコメントが寄せられた。匿名というところが情けないが今時の人間にはこういう類が多い。英語の質なんかどうだってかまわないから、マイケルの死に少しでも感じたことがあるのなら自分の意見を言ってほしいな。それがないなら、マスでもかいてれば。

2009-06-30

Farewell, MJ

マイケルの死は悲しかった。

Micheal's death was so sad.

私と彼は年齢もほぼ同じだが、市井の人である私に対して彼は幼い頃から超のつく有名人。彼が私のことなど知らなくてもこちらはメディアを通じて彼の生涯を知った気分でいる。彼はいつしか超ガンバッテるダチのような存在になっていた。そして、勇気やパワーを与えてくれたのはいつも彼の方だった。

He is almost same age as me and he was super popular since his youth although I have been super ordinary. Although he, of course, never had known me, his life seemed very familiar to me through all the media. Moreover it was him to encourage me and give all kinds of power to me.

おかしな考えではあるが、仮にMJの死が二十代で訪れていたなら、私にとってどこか遠くの一アイドルの死で処理できたのかもしれない。しかし、それは齢五十を数えた男に訪れたものであり、三人の男の子もあり離婚も経験しているとなれば、とてもスクリーンの向こう側の出来事として片付けることができないのである。しかも、職業上の様々なストレスや事故の末に陥った、薬に頼らざるを得ない衰弱した肉体が原因となれば尚更だ。

His death might has been just one pop star's death to me if it had occurred to his twenties. I know it sounds a bit strange, though. As a matter of fact, he was a 50 years old man and he was a father of three kids after divorce. I can not handle his circumstances as one gossip from the other side of world. It is even heavier that the accidents and tremendous stress with job led the end of his exhausted body relied on drugs. Such death often occurs to the same age working men in my country.

その意味で、マイケルの死は酷く悲しかった。

His death is very tragic and sad in that way.

書き始めたばかりの物語は、アポトーシスをテーマにしている。アポトーシスとは、役目を終えたり異常を来した細胞が、自らスイッチを入れ自死するプログラムとその行為をいう。細胞は部位によって生まれ変わるサイクルが異なる。絶えず大きなダメージを受ける皮膚の入れ替わりは早く、外的刺激にさらされることなく且つ必要に応じてしか働かない内臓はそのサイクルが長い。しかし、いずれも最後の時を知り自ら死に向かうことでは変わりがない。それができないのが癌細胞で、これは薬や外科的な処置といった人為的対応でしか消去することができない。

The new theme on my story treats "Apoptosis". Apoptosis is a program taht the each single cell has inside of our body kills the cell itself. And a cell turns on the switch of program "Apoptosis" by itself. A cell has its own life span and the life span is different where it belongs in the body. For example, skin has a short life span with a lot of continuous damage by environment such as UV, compared with that internal organ has a longer span with less damage and no necessity of continuous activity. No matter what kind of cell, a cell turns on the switch and go forward to death knowing its time to die. Only exception of apoptosis is cancer cell. It has to be taken out by surgical treatment or killed by drugs.

マイケルは自らスイッチを入れたのだろうか。かつて周囲が彼を排除しようとしたことはないし、彼の場合はゴシップも含め益々の活躍が望まれていたのだ。となれば、市井の人が一生涯に為し得る数倍数百倍の活動を強いられ刺激に曝されたマイケルが、自らその役目の終わりを悟り、彼の肉体が死へのプログラムを起動したのだろうか。確かに彼の生涯は通常の何倍もの密度があった。見た目はどうあれ彼も自然の摂理に従って生きる人間であることには変わりがない。激しく炎を上げれば、蝋燭の寿命はそれだけ短くなる。そういう事だったのか。周囲が更なる彼の進化や生涯を目にしたいと願ったところで、彼の命にその願いを受け入れる余力は残されていなかったということなのか。周囲の願いを適えることのできない肉体を数多のチューブと人工心肺によって生き存えさせることより、フッと息を吹きかけ自らの炎を吹き消したのだろうか。

Did Micheal turn on switch by himself?
No one ever has put Micheal away, moreover every one was always looking forward to hearing and watching him including his gossip. Then again, did Micheal's body activate his program by himself knowing the time had come after his life long activity and stress thousands times harder and stronger than ordinary people? As fact, his life was too condensed to spend peacefully. Even though he looked like artificial, he was one of ordinary man living according to the nature providence. The candle burning twice brighter lives half longer of its life. Was that it? No matter how people wished to see his life and his evolution on works, nothing had been left in his life neither his body for people's wish. Was that it? Did he chose to blow his light off by himself rather than longer life with tubes and life extension system?

人生の終焉に悲鳴は上げただろうか?

Did he scream at the moment of his end?

一方、彼の子ども達にとっての彼の役割はまだまだ最後を迎えるべき時ではなかった。彼はそれをどう感じていただろうか。子ども達のために、たとえそれまでとは異なったとしてもライフスタイルを変えようとは考えなかっただろうか。顔の形を昔に戻そうとは思わなかったか。父という存在に悩むことはなかったか。天と地の両方を知るマイケルだからこそ、人生の本質を伝えたいとは望まなかったか。見ず知らずの乗客と一緒に狭いエコノミーシートで旅することや、順番を待たなければスプラッシュマウンテンには乗れないことや、欲しい家電製品を手に入れるためには雑踏を掻き分けなければならないことを伝えて上げたいとは思わなかったか。

On the other hand, Micheal as a father should not have had the end yet. I wonder how he felt about dying as a father of small kids. I wonder if he ever though about the change of his life style. I wonder if he ever wish to show his original smile to his kids. I wonder if he confused being a father. I wonder if he hoped his kids would know the meanings of life someday, because he is one of few man who knew both of heaven and hell. Travel in a small economy class seat with strangers, ride a splash mountain after waiting on a long line, walk in a crowded aisle in a electric store for a iPod. I wonder if he wanted to tell his kids that was a life.

最後の瞬間に無念の涙は溢れなかったか。

Did he drop tears of regret in heaven?

今後MJがスクリーンの向こうから私にパワーを分け与えてくれることはなくなった。しかし、会ったこともない赤の他人であるアイドルMJが、これまで一緒に人生を歩んできてくれたことは忘れないだろう。きっと思い出すだろう。これからは、まだ幼い彼の息子達がそれぞれの人生を自らの意志と勇気で歩んでいけるように祈ることにしよう。小さな恩返しだ。いや、同年代の一人として当たり前の感情のはずだ。

There is no more chance that MJ send us any messages nor encouragement. He was an idol whom I was never personally close to, still I will remember him lived in the same era and breathed the same air. Yes, I will. And from now on, I pray for his kids become strong enough to walk on their foot with will and courage. A little pay back. No, its just natural feeling of 50 years old ordinary man.

2009-04-13

もっと「それってどういう意味?」と発しよう

携帯はどちらかの手の一部になってしまっている。視界にあろうとなかろうと、ワンアクションで掴むことのできる距離に携帯を置いている人が殆どだ。
携帯は、インターネットで世界と繋がっている。キャリアやモデルによっては、勝手に世界中のニュースがディスプレイされるものもある。時々刻々と最新の情報が入ってくる。
携帯は勿論コミュニケーションツールだ。そしてそのコミュニケーションの多くはメールになった。音声のコミュニケーションと異なり、後から見直す事もできる。おまけに、メールにはほとんどの場合絵文字がついてくる。まるでたった今コミュニケーションなされたかのような臨場感をともなっている。
しかし、携帯が提供できる情報は多くはない。実際には無限に可能だが、多くの場合ニュースも数行、メールも数行。そして、あとはさほど意味深くはないGIFFアニメーションのアイコンや絵文字だ。

「今の人たちは自己完結しすぎる」と知人が言った。届けられた情報量の少ないメッセージから、相手や出来事との関係性や状況を読み取り、事象を簡単に結論づけてしまう。
一度結論づけてしまえば、再度掘り返して思慮する必要がなく、全てを軽い状態に置いておけるし、そのほうが人生の重荷が減る。だから入手した情報は、さっと処理するほうがいい。と、先へ進めることなくピリオドを打ってしまうのだ。

みな、人生をサクサク前進させたい。

いいのか、それで?

今年は天皇陛下と美智子様が、金婚式を迎えた。朝のワイドショーでも結婚生活50年を迎えた数組のカップルを取り上げ、長続きする秘訣を紹介したりしている。秘訣は独自のものだから秘訣なので、マニュアルのようには機能しないのだから正直無意味である。しかし、50年は50年だ。サクサク過ぎていったはずはない。
人との関係は唯単に長ければ善いというものではないし、一定期間後終焉する。そして期間には各々の関係性により長短がある。しかし、期間に拘わらず関係の密度や質というものが多少なりとも重要視されるのであれば、そこそこの山谷があり奮起が必要だ。

人間関係において最も重要なのは相互理解であろう。理解を深めるためにギクシャクしたり頑張ったりする。確かめ合うのだ。

確かめ合うには勇気と忍耐が要る。無用とも感じられる波風を敢えて起こしてみる必要がある。
「それって、どういう意味?」
情報の量と質を増やすのだ。本当の理解と納得が得られるまで自らの手で情報を得るのだ。

出会わなければよい出会いはない。出会った人は、出会わなかった事にはできない。だから、理解し合う努力が欠かせない。勇気を奮い起こして理解の更なる一歩を進めなければならない。人生の重荷が増えることに畏れをなすことなく、涙に濡れ洟水を舐める姿を格好悪いと思うことなく、「それって、どういう意味」を発しなければならない。

オジサンの役目は、後に続く者達にそのことを伝えることだと思っています。身を以て伝える事だと思っています。

2009-03-17

会いたい少女

一度、生の彼女に出会ってみたいと思っている。
その時自分の口からどんな声が出るのかが想像できないのだよ。




それにしてもフランス人というやつは、狂気の人々です。
それがとても魅力的に思えます。