2009-06-30

Farewell, MJ

マイケルの死は悲しかった。

Micheal's death was so sad.

私と彼は年齢もほぼ同じだが、市井の人である私に対して彼は幼い頃から超のつく有名人。彼が私のことなど知らなくてもこちらはメディアを通じて彼の生涯を知った気分でいる。彼はいつしか超ガンバッテるダチのような存在になっていた。そして、勇気やパワーを与えてくれたのはいつも彼の方だった。

He is almost same age as me and he was super popular since his youth although I have been super ordinary. Although he, of course, never had known me, his life seemed very familiar to me through all the media. Moreover it was him to encourage me and give all kinds of power to me.

おかしな考えではあるが、仮にMJの死が二十代で訪れていたなら、私にとってどこか遠くの一アイドルの死で処理できたのかもしれない。しかし、それは齢五十を数えた男に訪れたものであり、三人の男の子もあり離婚も経験しているとなれば、とてもスクリーンの向こう側の出来事として片付けることができないのである。しかも、職業上の様々なストレスや事故の末に陥った、薬に頼らざるを得ない衰弱した肉体が原因となれば尚更だ。

His death might has been just one pop star's death to me if it had occurred to his twenties. I know it sounds a bit strange, though. As a matter of fact, he was a 50 years old man and he was a father of three kids after divorce. I can not handle his circumstances as one gossip from the other side of world. It is even heavier that the accidents and tremendous stress with job led the end of his exhausted body relied on drugs. Such death often occurs to the same age working men in my country.

その意味で、マイケルの死は酷く悲しかった。

His death is very tragic and sad in that way.

書き始めたばかりの物語は、アポトーシスをテーマにしている。アポトーシスとは、役目を終えたり異常を来した細胞が、自らスイッチを入れ自死するプログラムとその行為をいう。細胞は部位によって生まれ変わるサイクルが異なる。絶えず大きなダメージを受ける皮膚の入れ替わりは早く、外的刺激にさらされることなく且つ必要に応じてしか働かない内臓はそのサイクルが長い。しかし、いずれも最後の時を知り自ら死に向かうことでは変わりがない。それができないのが癌細胞で、これは薬や外科的な処置といった人為的対応でしか消去することができない。

The new theme on my story treats "Apoptosis". Apoptosis is a program taht the each single cell has inside of our body kills the cell itself. And a cell turns on the switch of program "Apoptosis" by itself. A cell has its own life span and the life span is different where it belongs in the body. For example, skin has a short life span with a lot of continuous damage by environment such as UV, compared with that internal organ has a longer span with less damage and no necessity of continuous activity. No matter what kind of cell, a cell turns on the switch and go forward to death knowing its time to die. Only exception of apoptosis is cancer cell. It has to be taken out by surgical treatment or killed by drugs.

マイケルは自らスイッチを入れたのだろうか。かつて周囲が彼を排除しようとしたことはないし、彼の場合はゴシップも含め益々の活躍が望まれていたのだ。となれば、市井の人が一生涯に為し得る数倍数百倍の活動を強いられ刺激に曝されたマイケルが、自らその役目の終わりを悟り、彼の肉体が死へのプログラムを起動したのだろうか。確かに彼の生涯は通常の何倍もの密度があった。見た目はどうあれ彼も自然の摂理に従って生きる人間であることには変わりがない。激しく炎を上げれば、蝋燭の寿命はそれだけ短くなる。そういう事だったのか。周囲が更なる彼の進化や生涯を目にしたいと願ったところで、彼の命にその願いを受け入れる余力は残されていなかったということなのか。周囲の願いを適えることのできない肉体を数多のチューブと人工心肺によって生き存えさせることより、フッと息を吹きかけ自らの炎を吹き消したのだろうか。

Did Micheal turn on switch by himself?
No one ever has put Micheal away, moreover every one was always looking forward to hearing and watching him including his gossip. Then again, did Micheal's body activate his program by himself knowing the time had come after his life long activity and stress thousands times harder and stronger than ordinary people? As fact, his life was too condensed to spend peacefully. Even though he looked like artificial, he was one of ordinary man living according to the nature providence. The candle burning twice brighter lives half longer of its life. Was that it? No matter how people wished to see his life and his evolution on works, nothing had been left in his life neither his body for people's wish. Was that it? Did he chose to blow his light off by himself rather than longer life with tubes and life extension system?

人生の終焉に悲鳴は上げただろうか?

Did he scream at the moment of his end?

一方、彼の子ども達にとっての彼の役割はまだまだ最後を迎えるべき時ではなかった。彼はそれをどう感じていただろうか。子ども達のために、たとえそれまでとは異なったとしてもライフスタイルを変えようとは考えなかっただろうか。顔の形を昔に戻そうとは思わなかったか。父という存在に悩むことはなかったか。天と地の両方を知るマイケルだからこそ、人生の本質を伝えたいとは望まなかったか。見ず知らずの乗客と一緒に狭いエコノミーシートで旅することや、順番を待たなければスプラッシュマウンテンには乗れないことや、欲しい家電製品を手に入れるためには雑踏を掻き分けなければならないことを伝えて上げたいとは思わなかったか。

On the other hand, Micheal as a father should not have had the end yet. I wonder how he felt about dying as a father of small kids. I wonder if he ever though about the change of his life style. I wonder if he ever wish to show his original smile to his kids. I wonder if he confused being a father. I wonder if he hoped his kids would know the meanings of life someday, because he is one of few man who knew both of heaven and hell. Travel in a small economy class seat with strangers, ride a splash mountain after waiting on a long line, walk in a crowded aisle in a electric store for a iPod. I wonder if he wanted to tell his kids that was a life.

最後の瞬間に無念の涙は溢れなかったか。

Did he drop tears of regret in heaven?

今後MJがスクリーンの向こうから私にパワーを分け与えてくれることはなくなった。しかし、会ったこともない赤の他人であるアイドルMJが、これまで一緒に人生を歩んできてくれたことは忘れないだろう。きっと思い出すだろう。これからは、まだ幼い彼の息子達がそれぞれの人生を自らの意志と勇気で歩んでいけるように祈ることにしよう。小さな恩返しだ。いや、同年代の一人として当たり前の感情のはずだ。

There is no more chance that MJ send us any messages nor encouragement. He was an idol whom I was never personally close to, still I will remember him lived in the same era and breathed the same air. Yes, I will. And from now on, I pray for his kids become strong enough to walk on their foot with will and courage. A little pay back. No, its just natural feeling of 50 years old ordinary man.

2009-06-26

嗚呼、バーバル

ここ一週間程、電話によるヒアリングを行っている。相手はどこも海外の法人だ。北米、オセアニア、欧州、アジア。基本的には英語で会話することになる。

英語は今やビジネスの共通語ということになっているが、各地で使われる英語はどれも同じではない。英語は一応使えるつもりでいるが、こちらの英語も何処かで覚えたもの。だから、話し方には地方色がでる。上手く通じてくれるとは限らない。そこが、もどかしい。もっと言えば、相手には通じていながらこちらが理解できない事が多い。そこに、苛立つ。

インドの英語なんか、英語じゃねぇし、韓国の英語も何だか聞き取れない。しかし、彼らも所謂ネイティブではないわけだから仕方のないことだと思うし、いざとなれば上から目線で、「よく分からん、もう一度頼む」と伝えれば、相手の方が気を遣う。ビジネス会話、特に英語での会話は如何に上段に立つかが肝心だから。それに、基本的には、互いに用件を済ませてさっさと会話を終えたいという思い気持ちは同じなわけで、聞きたいことを聞き頂戴するべき事を耳にしてしまえば、それまでとは打って変わった猫なで声で、「もう、本当に助かりました。感謝の言葉もない。神の祝福を」とかなんとか添えて、会話を打ち切って仕舞。

ところが、ネイティブと呼ばれる連中にこそ厄介な連中がいる。お国訛りはあったとしても、彼らはネイティブ。おそらく発音やイントネーションは彼らの方に分があるし、ボキャブラリーだって豊富なはず。今度は立場が変わって、相手のほうが上から目線になる。加えて、そういう連中の中には、暇なのか寂しん坊なのか唯のおしゃべりなのかは知らねども、口数の多いのがいたりする。オージー! よくもまあ、速射砲のように言葉を吐き連ねてくる。人が好いのは苦にならないが、こちらの求める一言二言に対し、延々と言葉を並べ立てる。

聞いている方は一応米国の標準言語のひとつとされるカリフォルニア語が身についているものだから、巻き舌は何とか対応するけれども、オーストラリアのあの訛りなのか低知能なのか田舎ものなのかが発するよく分からん語には閉口する。答えを確認したくて繰り返したりすると、そこにまた延々とよく分からん語で応答される。

基本的に、電話によるコミュニケーションは難しいのだ。何処かの権威が示すところによれば、バーバル(言葉)によるコミュニケーションは、コミュニケーション全体の7%ほどしか役に立っていない。相手の表情も仕草も何も目にすることができない電話では、残りの93%を補完する方法がない。仕事がちゃんとできて頭の回転もそれなりなら、こちらの要求を汲み取って必要な回答をくれるものだが、暇なのか寂しん坊なのか唯のおしゃべりなのかの氏はおそらくその93%を自分の欲求に任せ無関係な言葉として返してくれている。厄介なんだよ、こういう人。

「ところで、君の知りたかったのは何だっけ?」「おい、そんなことが最初の質問とどう関係するんだよ?」だって。

別に、オーストラリアに偏見があったりするわけではないのだけれどね。ただほんの少しだけ、気持ちよく飲んでいる時に邪魔されて殴り合いをしそうになったり、気に入らないという理由だけで仕事を辞めさせられたりみたいな事が普通にあるだけで、彼らのことをアホで間抜けな○○人のように思っているわけではないのだよ。ただ、ちょっとね。普通に会話してくれよ。

先日だって、主力メンバーが揃いさえすれば、あんな奴ら3-0で打ち負かしていたはずなんだ。
こっちまで、支離滅裂になってきた。

2009-06-12

ソニーからの贈り物

ソニーは好きなのよ。
最近はappleの後塵を拝し、いまいちパッとしない感じもするけれど、例のお尻のポケットからニュウっとはみ出すvaioのCFなんか、やっぱりソニーのクリエイティブの質の高さを感じさせる。<座布団!!>
移籍で話題のカカを起用したCMもなかなかで、実際にゾエトロープを作ったところがまた凄い。<二枚!!>
とにかく、ソニーはやっぱりソニーでいつまでも応援したい。windowsから手を引いてappleと組んじゃえばいいのに。実際、昔のMacのノートブックの筐体はソニーが提供していたりしたんだから。

そのソニーがスクリーンセーバーを提供している。
要はブルーレイの広告用のものなんだが、かっこいいったらありゃしない。好きなワードを記入すると、関連するテキストや画像をインターネット経由で引っ張り込んで、スピード感たっぷりの不思議なレイアウトでバシバシ展開させる。YouTubeの動画も取り込んで、クールにレイアウトしてくれる。
お気に入りのテーマが、お休み中のPCスクリーン上で駆けめぐります。
下記のサイトから登録も何にもなしでダウンロードできますぜ。


俺の、キーワード?
勿論、「アンジー」ですぜ。

2009-06-03

野性の証明

腹が減っている時は誰でも精神が不安定になるものだ。更に空腹を満たす方法が見つからなければ攻撃的にもなる。人間もその辺りは野性なのだ。ナイーブだからではない。今、人がみな空腹だからだ。そんなとき、人間は野性味を失ってはならない。なぜなら野性味を失えば強くはなれず、強くなければ優しくはなれないのだ。知恵を追うより野性を取り戻すことを、今考えなければならない。

実際に腹が減ったときには、一杯の白湯でも空腹感を紛らわせることができるものだ。容易い。しかし、心の飢餓はそうはいかない。年齢を重ねるごとに深刻さを増していく。満たそうとする側の要求が増えていく。カスタマイズされジャストフィットしたものでしか受け付けなっていく。そこじゃなくて、もう少し上。そうそう、もう少し左の方を。ちょっと強く。ダメダメ強すぎ。だから、そうじゃなくてってば、分かんないかな!! 我が儘だ。そう、年をとるごとに我が儘が増すように感じられるのは、ディテールが生じるからなのだ。

肉体的な空腹は生まれた時から死ぬまで、度合いの差はあれ所謂空腹感でしかない。「これは空腹感なのだ」だから、白湯で一時紛らわそう。これを、知恵と呼ぶならば、心の飢餓感は何度となくやっては来るもののなかなか定型化することができない。つまり知恵では解決しにくくなる。勿論大概の人は年とともに知恵が増えていくものだが、心の飢餓感は度重なることにそのディテールが増えていき知恵では追いつかなくなっていく。「この虚しさは、なんだ!?」と猫も唄っていた。心の飢餓感は厄介だ。

若い時なら、「飲んで」「騒いで」「やって」ぐらいが揃うと大凡満たされたつもりになれるが、年を重ねるごとにどうもそれでは事足りなくなってゆき、「飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで」という具合に度を超してゆく。しかしそれにも体力が必要だから、ある時期を境に、「独り酒場で飲む酒は・・・」と場末のカウンターの端っこで強いタバコを燻らすことになる。

独りにしておいてくれ

別にクールなわけではないのだ。体力が欠乏しているだけだ。処理できない自分に疲れてしまっているだけだ。野性味を失いつつある。野性を維持するためには体力が重要なのだ。

政治家が全国中継されているにも関わらず稚拙な論議を延々と繰り返すことができるのは野性の証明だ。「バーカ」「オマエこそバーカ」議論の場では、老議員たちも野性味をいかんなく発揮している。何故か。それは彼らが体力を温存する方法を心得ているからだ。自分では考えない(官僚が作ったものを読むだけ)、人の意見は聞かない(席に着いたら直ぐ眠る)、そして国民のことなど真剣には考えない(命など賭けない)。そうやって温存した体力で、闘いを続けている。どうやらこれが政治家の知恵らしい。狡い。

政治家に限らず老人は説教臭くなる場合が多い。これは彼らに知恵の引き出しが少ないためだ。闘いが長期化しないように、所謂「常識」であるとか「一般論」を用いて無理矢理やりこめようとするからだ。説教臭いオヤジに本当の知恵がある人間は少ない。
<うっ!>
知恵の多いオヤジは、ちゃんと付き合う体力がある。途中で寝たりしないぞという覚悟がある。そして、勿論、必死に蓄えてきた抽出一杯のディテールがあるのだ。自分の心の飢餓を満たすことはできなかったけれど、そのために足掻いた記憶をとどめているのだ。

議論は基本的に喧嘩だから、その必要がなくても雌雄を決するため必死になることが肝心だ。野性の原則だ。相手がダウンするまで言葉のパンチを打ち続けなければならない。生半可なパンチではダメージを与えられない。「オマエの母さん出臍」「違うもん」「さっき言ったじゃないか」「言ってないもん」だから、言葉には威力が必要だ。相手を傷つける威力ではなく、ノックアウトする威力がだ。

ノックアウトの目的は相手の息の根を止めることではない。相手に選択肢を与えることだ。具体的でディテールを伴った選択肢を与えることだ。真実と信じていた事がそうではなかった。誤りであると思っていたことにも真実はあった。ノックアウトされた相手は、その後両方を考えねばならない。その人間が野性を失っていなければ、彼は自分にとって本当の真実を求めて悩むだろう。それが、生き抜く上で不可欠なものであることを知っているからだ。そして、強くなるだろう。それが、また誰かへの選択肢を与える上で必要な事をノックアウトから学ぶからだ。

ガオーッ!!

2009-06-02

必要な人は沢山いるはずだ

大分のサイトとのことです。
偶然みつけました。
ニコニコすること請け合いですから、一度やってごらん。

http://kakula.jp/homeSalon/