2013-05-08

【考察】四月になれば・・・カノジョがカレのもとに戻ったワケ


「四月になれば」という歌がある。映画「卒業」の劇中歌として映画と同名のサントラ盤に収められていた。

 四月になれば 彼女はやってくる
 川の流れは勢いづき 雨でその強さを増してゆく
 五月になれば 彼女はここに留まり
 再び僕の腕で眠りに就く

と始まり、「六月、彼女は気分を変え、七月、彼女は別れを告げることなく彼のもとを去った」と続く。

劇中のカレとカノジョとは正反対に、この歌詞は、カノジョは「旅」でありカレは「巣」として描かいている。実際にこの歌が挿入されたシーンは、「カノジョ」の母親との不倫のシーンで、ダブルミーニングとして捕らえることもできたからなお興味深かった。

The Graduate - April Come She Will


さて、今回考察してみたのは、カノジョがカレのもとへ再び戻ったそもそもの理由は何であったということだ。

まず、女性が、一度別れた男のもとに戻る理由はそもそも必要なのか。女はメスの本能から、絶えず一定の安全と安心とが必要なだけで、そのときリストに挙がった誰かであれば改めて吟味や躊躇は必要なく戻ることができるのではないか。歌では、カノジョは結局カレを去って行くのだから、なおのこと然したる理由など必要とせず気まぐれにも近い感情でカレを訪れただけだったのかもしれない。その方が自然なのかもしれない。しかし、男はそう考える訳にはいかない。

昔の恋人が懐かしくなったのか、カレの優しさにまた触れたくなったのか、以前の自分に戻ろうとした…のか。なにがしかの理由はあったであろうと考える。いや、考えたい。
まず考えるべきは、カノジョがカレと離れていたあいだ、カノジョにはどんな出来事があっただろうか、どんな男に出会ったのだろうかということだ。

初めは、大方の男がそうであるように愛想がよく耳に心地よい言葉を並べ立て、カノジョに気を配り決して苛立たせることなくカノジョを舞い上がらせた。カノジョも心地良さのあまりその男に心も躯も許してしまったことだろう。

しかし、恋というやつは愛へ昇華せぬかぎり必ず終わりを迎える。
食事のしかたが気に入らない、いつも自分の股間に手を持って行く、おならをよくする、嫌いな言い回しがある、あるスペルがどうしても読めない、貧乏を自慢する、自分の嫌いなブリトニー・スピアーズ(この時代にはまだ生まれてもいない)が大好き、コカコーラよりペプシが旨いことを長々と説明する…。
些細な諍いが亀裂を生み、その裂け目はやがて埋まりようもないほど大きなものとなり、二人の心は急速に冷めていく。お決まりの道筋である。

それでも暫く二人は一緒に留まったであろう。互いが本物の終わりを確信するに至るには時間がかかる。「好き」というシンプルな感情が相手を慕う気持ちに変わるまで、それに確信を持つまで心の距離を保ったまま熟すのを待っている時間と同じように。「好き」から始まる時間の流れは、互いの距離を縮める時間だから、物理の法則を持ち出すまでもなく過ぎ去るのが速い。少なくとも速いと感じる。苦しさは痛痒さに変わり、辛さは想いが本物であるがこそと自分に言い聞かせることができる。幸せを感じることができる。

それに対し、「終わり」を迎える時の流れには絶えずブレーキを踏むがごとくゆっくりと苛々したものとなる。望ましからぬ結論を自らに納得させなければならない。相手の言葉や態度から、わざわざ「終わり」を裏付ける要素を選び出し、結論を補強しなければならない。つまらなく苦しい、そして徒労としった上での理論武装。重くなるばかりで晴れやかさはない。速く過ぎ去ってほしいという思いが時の流れを遅くする。待っているのは不幸な瞬間だからだ。

蜜月の終わりの瞬間が曖昧であるのに対し、離別の瞬間が明確であるのは、この重々しく苦しい時間に苛まれることを拒否する意思が明確である必要があるためだ。意識しなければ止めたことにならないからだ。だから、人は失恋から何かを学んだと錯覚する。

最終的に、どちらかが動きようのない鉄板の結論を得たと確信した瞬間、それまでの二人の関係性は、海中へ沈み込む氷河の突端のような勢いと速さで崩れ去る。一度沈んだ氷塊は二度と浮上することなく海底へ落ちていく。「なかったことにしましょう」

ここで歌のカノジョは、カレを選択し何かを求めた。何だったか。例に挙げたような類いの男との失恋であれば、理由はなんでもよい。もう少しマシな男が自分を幸せにしてくれる。思い込みでも何でもない、それは正解だ。しかし、その場合カノジョが再びカレを袖にする理由が希薄になる。幸せな家庭を作ればよいではないか。では、何であったのか?

この歌のカノジョが、この歌のカレのもとへ戻った理由のもう一つの仮説は、その間カノジョには何も起こらなかったというものだ。
何も起こらない日々に、人々は人恋しさを増す。ダイエットのため食事制限する者が、とにかく食べ物を欲するのと同じだ。そしてダイエットと同様に、「そんなのヤメー」と一度決めてしまえば、何でもよいから(誰でもよいから)目の前に現れた食料(男)を貪る。この際我が儘は抑え込んで、とにかく食らいつく。

こんな女性を都合よく頂戴する、俗に言うスケコマシという輩もいる。スケコマシは、こういった女性の隙を見逃さない。そして、この類いは、イージーマネーとイージーラバーを引きずらない。終わったらポイ。カノジョに何も起こらなかったというのは、この類いのスケコマシにも遭遇しなかったということだ。カノジョの寂しさは極限にまで達する。そうなればごく自然に、一度通過した男のリストからそのとき適当と思しき名をピックアップすることは自然であろう。しかし、これでは先に挙げた後半の歌詞との繋がりを見いだしにくい。カノジョは、ほんの二ヶ月ほどでカレを再び去ってしまうのだから。「旅」を続ける決心をするのだから。

一度カノジョを横に置き、カレの存在も考察してみる。
男は基本的に一度恋した女を嫌いになることはできないから、袖にされた相手であっても余程苦い水を飲ませられたわけでなければ、再び受け入れることができる。もちろん、抵抗や躊躇はあるが、結局受け入れてしまう弱さから男は逃げることができない。
だが、ここで問題なのは、何故このカレがカノジョによってピックアップされたかということだ。何故カレでなければならなかったかということだ。カノジョの心中にあったものは何であったかということだ。カレについての説明は、この歌詞にはほとんどない。言い換えればどこにでもいる平凡で普通の男と解釈できる。平凡で普通の男が、何らかの体験のうえ舞い戻った女性に与えることができるもの。それはいったい何なのか?

カノジョがカレとのあいだに新たな何かを生み出そうとは考えにくい。その何かの可能性は、前回ある程度想像ができていたはずだからだ。
それでは、カノジョはカレを媒体に「男と女」に関する何かを取り戻そうと考えたのか。置き忘れた何かがあったのか。元カレとわざわざ顔を合わせ時間を共にすることでとり戻すことのできる何か。優しさに触れる感触か、そこに生まれる安心感といった癒やしの要素なのか、それとも逞しさや強靱さといった雄が持つプロテクション機能か、初めて感じた胸の高鳴りといった初心か?

カノジョが再びカレを去るのは、それが何であったにせよ、充分にそれを得たと感じたからだろう。次に続く旅に必要なエネルギー補給を完了したと思えたからだろう。ほんの一二ヶ月で充分にとり戻ることのできる何か。いったい何だろう。
カノジョははじめからカレを去ることを決めていた。別れを告げずに去るぐらいだから、その時のカノジョは非常に自己チュー、よく言えば完全に自立できている。少なくとも旅に臨む覚悟ができている。次に求めたものは何だったのだろう。それまでに得ることができなかったものなのか、それとも更なる深淵を追求する価値のある既に手にしていたもののひとつなのか。

結論を出すことができない。きっとこれからも出ないだろう。

あの時代、この時代。男と女のあいだには、いつも似たような物語が生み出される。そして結末はあっても、結論が語られることはない。男が常に女に選択され捨てられる存在であることは数万年ものあいだ変わらぬ事実であるけれど、その理由に一つとして納得できるものではなく、また納得したいとも思わない。男であることから逃げられない私は、女の事が知りたい。マーケティング的もしくは兵法的にはまず自らを知ることが肝要であるけれど、それはまた男と女のあいだを理解するほどに難儀なことでもある。永遠に分からないのかもしれない。

歌はこう締めくくられている。

 八月、カノジョは死んでしまったに違いない
 秋風が寒々と冷たく吹き
 九月、かつて初々しかった恋は今、年老いた

男は所詮、こう結論づけるしかない。

2012-07-31

ロンドンオリンピックの審判にサッカーの未来を案ずる

今回のオリンピックが始まって、ずっと審判の為体がつづいている。柔道然り、体操然り。いづれもが日本選手が当事者であったため心境穏やかざるものがある。しかし、かつては、抗議を受け入れない審判に腹を立てた韓国チームがそれ以降の試合をボイコットる事態が生じたほど、一度下された裁定が覆ることはなかった。審判は試合場において絶対の神であった、そんな時代は過ぎ去ったのだ。

試合や試技の判定や採点は最終的に人間が下すものである以上、過ちを逃れ得ない審判に絶対の権限を与えることは競技を成立させる上で必要最低限の条件であり、ひいてはオリンピックやサッカーW杯といった最高峰の世界競技会の威光や権威を支えるものであった。更にそこで生じる時として偏った判定は、勝者となることの価値、つまり勝者とはいかなる困難も乗り越えた者であることを裏付ける逆説的な背景であったはず。神は決して万人に対し公平ではないのだから。

ジュリと呼ばれる審判のための審判がやたらに試合をとめる柔道の進行は、テンションを断ち切られた選手にとって、試合継続ためのモチベーション維持に努力とエネルギーの浪費を要する、つまりは無駄な努力以外の何物でもない。事態の了解ができない観客にとっては唯苛立ちが募るばかり。人々はこのフレーズを口にする。オーマイゴッド!

ビデオの導入は逆らうことのできない時代の潮流というものであろうが、審判を審判するといった本末転倒なルール変更には、最終責任者を求めて止まない一神教の理論の限界を感じる。神の上に神を作らざるを得ないのだ。古代オリンピックの時代、それは数千数万の神が存在し、それらを人々が都合よく認めていた時代であったのは皮肉なことだ。

さて、性悪説に基づく人間管理方は既に幾度も話題にされているサッカーにおいても、ボールへの電子ディバイス埋め込みにはじまり様々な陳腐なアイデアによってゴール判定の精度向上へ向かっている。生身の選手達が、肩をぶつけ合い足を削り合い、血を流し合い凌ぎを削るゴールラインの攻防の結果を、無粋で不感症な電子音が告げる時代が来るのだろうか。お願いですからそんな馬鹿な制度は導入しないで下さい。偏った判定に怒り狂う相手方のチームをホクソ笑いながら、明らかに有利な状況にも関わらず苦杯を舐める腹立たしさを味わうのがサッカーというスポーツの醍醐味ですから。前言を覆すようだが、正直、際どいゴール判定の度にビデオ判定で試合が止められるW杯決勝戦など見たくもない。

2011-09-08

ロッキーの三十年

シリーズ第一作が上映されたころ映画通を自認していた高校生の私は、先に映画館に足を運んだ同級生の意外な程の高評価に焦りを覚え、遅れをとってはならぬとロッキー上映館へ走った(記憶がある)。はじめはB級映画監督に無名俳優の低予算ボクシング映画というだけで、この作品を見下していたわけだ。ところが、このロッキーという映画、見てびっくり実に良くできていた。そして何と30年の歳月を経て、善くも悪くも「変わらぬアメリカ」を象徴する味わい深い作品となった。

高校生となり映画館通いを始めた私は、名画座でリバイバル上映され始めた所謂「アメリカンニューシネマ」と呼ばれる作品に傾倒していた。「今更、アメリカンドリームでもスポ根でもあるまい」とロッキーに対しては斜に構えていたのだ。実は第一作のロッキーは、日本公開の一年以上前に大橋巨泉が深夜番組イレブンPMで紹介されていた。映画紹介の曜日には殊更熱心にこの番組を見ていた私は、そのためストーリーや制作に纏わる諸々のネタを公開当時既に持っていた。「面白そうだな」というのがその時の印象で、数十年を経て未だ覚えているのだからその印象は相当なものだったはずなのだ。

ロッキーが制作される直前のアメリカは、ウォーターゲート事件により現役大統領が史上はじめて辞任に追い込まれ、ベトナム戦争の傷は未だ癒えず、そのための財政悪化と第四次中東戦争影響下でのオイルショックなど、政治的経済的に苦況に立っていた時期である。また、ベトナムのボートピープルの受け入れも加わった移民政策により有色人種やラテン系アメリカ人の増加、比例して増加する逆差別やプアホワイトの問題で米国人には非常に大きなストレスが蓄積していた。当時もう一般的なアメリカ市民は明日など信じていなかったかもしれない。が故に、アメリカの底辺に属する人々はロッキーのような物語を待っていた。日本の片田舎の頭でっかちな映画少年以外は。

一足先に病んだアメリカを自虐的に時にシニカルに描いたアメリカンニューシネマ作品の数々は、世の中に目を向け始めた当時の私の知的好奇心を満たす強力な情報源であると同時に世界を理解する指南書だった。アメリカンニューシネマの斜に構えたメッセージはとてもインテリに感じられた。「今更・・・」にはそんな背景があった。しかしどっこいロッキーは、頭でっかちで豆腐のように柔な私の脳みそをストレートなエネルギーでぐしゃりと押し潰す。「特別な存在でなくても何かになれる。アメリカンドリームは未だに存在するのだ」という真っ直ぐなメッセージが、シンプルなストーリーで語られる。捻りもなければどんでん返しもない。直球の剛速球。所詮映画なのだと心を静めようとしても、そこは高校生、あっという間に脳天を割られてしまった。良い大学=その後の良い人生と信じられていた当時の日本でそんなことを語るのは小田実ぐらいだった。

後に渡米して知ることになるのだが、アメリカ人はどれ程国が乱れたり弱ったりしても決してアメリカンドリームを失わない。アメリカンドリームはアメリカのアイデンティティのひとつなのだ。それを標榜するが故、人々は未だに成功を求めてアメリカを目指す。アメリカは基本的に移民の国だから、誰でも初めはゼロから出発する。それが当然なのだ。現在のように学生ローンの債務額が一般クレジットカードの債務額の合計を上回るような時代であっても、上位数パーセントの人間を除けば学位があろうがなかろうが、皆ゼロからスタートする。ゼロからスタートした者の中からまた新たな成功者が生まれる。スティーブ・ジョブスもその一人、レディーガガだってそうなのだ。名も知れぬ無数の夢追い人たちが、日本の少年と同様に、いや比較にならない程強烈にあの時代このロッキーという映画に脳天をぶん殴られたのだ。

自身アメリカンドリームを体現したスタローンは、以降のロッキーシリーズを自作自演する。それもまた成功した者として勝ち得た権利だ。2作目3作目は、所謂シークエルと呼ばれる作品で、最初のヒット作の基本テーマや骨子を変えずに物語だけをアレンジしていく。「頑張れば何でもできる。ドリームは終わらない」そう訴え続けた。しかしシークエルの多くはオリジナルを超えることはできないのが常で、ロッキーシリーズもご多分に漏れず酷い作品になった。4作目はさすがに知恵を絞りソ連のアフガン侵攻で高まった東西緊張をモチーフとして利用したものの、長いミュージックビデオを見せられているに等しい内容で更に低俗な作品となった。結局ロッキーは、殺されたアポロの復讐を果したに過ぎずドリームを追いかけることを止めてしまったかのようだった。

にもかかわらず、ロッキーシリーズ4作は興行的に成功している。理由はシンプルなものだ(と考える)。ロッキーは白人社会の中でも長く辛酸を舐めたイタリア系移民の子。スタローン自身、実生活では長い間不遇だった。スタローンの成功は現実で、化身がロッキーだ。移民やその子孫達で構成される多くのアメリカ市民にとって、スタローン(=ロッキー)のサクセスストーリーは底辺で喘ぐ多くのアメリカ人そのもののドリームとなった。ロッキーは、なるべくしてアメリカ社会のマイノリティの代表(=ヒーロー)となった。学歴もなく洒落たジョークが口にできるわけでもなく、イイとこの娘を嫁にするわけでもなく、まったくもって自分達の代表だったのだ。そんなヒーローには「勝ち続けてほしい」と思うのが洋の東西を問わず人情というもの。彼らは新たなシリーズ作が上映される度に映画館へ足を運んで自分達のヒーローを支えたのだ。

これがもし、スタローンが原作を持ち込んだ制作プロダクションの当初の思惑通り、ポール・ニューマンやロバート・レッドフォード、同じイタリア系でも既に大スターだったアル・パチーノが主役の座を担っていたらシリーズ化どころかオリジナル作品でさえこれほどのヒットに繋がったかどうかは分からない。ブ男で不器用そうで、見るからに苦労人であるスタローンの個性がこの映画の固定ファン層を生み出したことが、シリーズを支えたもうひとつの大きな理由であろう。周囲を見渡せばどこにでも居そうなチンピラアンちゃんであるスタローン。役作りで演じられ誇張され嫌みを匂わす「落ちこぼれ」とは異なる自然なダメさ。肉体を使うことによってしか社会に居場所を確保できない不器用さ。ゆえに自分の信念に真っ直ぐ向かい続ける愚直さ。スタローンの個性が醸し出す落ちこぼれ具合の何もかもが、年端のいかない子どもを含めたアメリカ市民の共感を得た。

乱暴な言い方になるが、アメリカ社会では、二種類の人間しかいない。成功した者と、未だそのチャンスを手にしていない者の二種類だ。JCペニーでショッピングカートを片付ける大学出のお兄さんも、危ない店の用心棒をして食いつないでいるボクサーも社会的なステータスとしては同じだ。片や気質の仕事で一方は危ない連中の手下という見た目の差はあっても、仕事が終わって屯するバーは同じ、そういう意味だ。だからおそらくロッキーは、一部の白人達にさえ支持された。1作目が制作されてから4作目までに約十年。ロッキーとともに成長した子供達の数はどれ程になるだろう。また、子供の手を引いてロッキーを見に映画館へ通った父親はどれ程だったであろう。親子はロッキーごっこに興じただろう。映画の思い出話をしただろう。おそらく多分に自らの苦労話と重ね合わせて。

本来打ち止めとなるはずだった5作目で、スタローンは自らメガフォンをとることを止め、オリジナルを監督したアビルドセンを招聘する。しかし結果は伴わなかった。アビルドセンが何故このオファーを請けたのかも疑問だが、より不可解なのはそれまでテーマとストーリーを捨ててしまったことだ。確かにベルリンの壁が崩壊し東西の緊張はなくなり、レーガノミクスにより豊かさを取り戻したかのようにも思えたこの時代。しかし、底辺から這い上がり豊かさを手に入れたのは、映画界のスターダムを上り詰めたスタローンだけだったのだ。一方、ロッキーを応援し続けた一般市民は格差の広がった社会の下層に留まっていた。ロッキーファンが求めていたのは、やっぱり豊になる夢だったのだ。

確かにこの時期アメリカ社会は荒れていた。親子や家族を見直そうという風潮もあった。だがそんな事は、ロッキーファンが実生活で日々直面している現実だ。お金を払って酔いたい話ではなかった。スタローンにしてみれば、興行的に成功はしていても作品として酷評され続けたシリーズを、最後の最後で良質なものに変えたかったに違いない。せっかく勝ち得た自作自演の権利を放棄してまで臨んだのだから当然だ。しかし、繰り返すがテーマが良くなかった。家庭崩壊の危機と破産。皆がそっぽを向くのは当然だった。実子を出演させたのも、弟子のトミー・ガンに苦労のなさそうな若者を選んだのも良くなかったのかもしれない。彼らは見るからに、普通の白人の家庭で育った若者だった。このシリーズに付き合ってきた多くのファンは、ロッキーが別人になってしまった気がしたに違いない。事実、シリーズ最低の興行成績だった。

そして15年後、誰もが期待せずロッキー・ザ・ファイナルが公開された。現代は、Rocky Balboa。つまりロッキー自身を語る映画だ。これまでロッキーは、成功を仰ぎ見る満たされない連中の代弁者だった。この映画では、成長し社会人となった息子へ語りかける手法を用いてロッキー自身が現代のアメリカ人に語りかけた。親の七光り(=学位や唯一の超大国市民である特権)で良い仕事に就いているのに満足を覚えられない息子(=アメリカ人)に対し、「我慢して闘い続けなければならない」「誰かのせいにするのは卑怯者のすることだ」とロッキーはしっ咤する。一方、自らも燃焼し切れていない夢追いの欲求を満たすために挑戦を決める。ロッキー(=スタローン)は未だ過去の英雄に成り下がったわけではないと。

老体(ちょうど私と同年代の設定だ)に鞭打ちトレーニングに向かうロッキーの目標は、スピードでもテクニックでもなく「メガトンパンチ」を蘇らせること。小細工無しの力勝負を宣言するのだ。ここに、映画人として成功はなし得たものの役者や監督としては酷評を浴び続けたスタローンの意地を見た気がする。CGを駆使して超人的な活躍をみせるスーパースーパースーパーヒーローが矢継ぎ早に登場する(ほとんどは、懐かしいアメコミのヒーロー達なのだが)昨今の映画界への反発だ。更に深読みすれば、頭でっかちで理屈や理論が先走り、時にアンフェアな闘いも言葉巧みに正当化してしまう、政治や経済のありかたへの批判もあったのではないだろうか。身体ひとつでのし上がったスタローンにしてみれば当然の叫びだったかもしれない。

彼は現役チャンピオンと死闘を繰り広げた末(=オリジナルと同じ設定)その結果をリングで待つことはせず息子と肩を組み控え室へと退いていく。死力を尽くしてやることをやったら、それで終い。結果は結果。批判も批評も耳に入れる必要はない。やることが重要なんだ。ロッキーは、そのメッセージが息子に充分に伝わったことが分かると、またそれまでの日常へ帰って行く。夢を完結できたのだ、もう燃やし残したものはない。映画の中でロッキーの息子は確かに父親のメッセージを受け取ったようだった。見た目に分かりやすい経済的な成功はけっして人間そのものを幸福にするわけではない。結局、本人がどう生きたいのかを決めなければならないのだと気づいたようにみえた。

ロッキー・ザ・ファイナルが公開された当時、アメリカは久々の好景気に沸いていた。ロッキーと共に生きた年代のアメリカ人に、この映画のメッセージはどのように届いただろうか。「真っ直ぐ闘え」 皮肉なことに、その後アメリカはリーマン破綻を引き金に金融危機を迎え、オリジナルのロッキーが制作された頃と同様の酷い有様となる。頭でっかちで、自ら仕掛けた小細工が仇となりアメリカの金融界は一時にっちもさっちも行かなくなった。しかし、間髪入れずに施された金融政策により原因を作った金融界の人々は何事もなかったようにバブリーな世界を取り戻した。一方で、効率的な金儲けのシステムに組み込まれなかった人々は、オリジナルのロッキー当時より更に悲惨な状況に追い込まれている。

普通の白人が明日の希望を抱けずに俯いていた70年代にロッキーは産声を上げた。ロッキーの愚直な生き方が、アメリカ人の魂を揺り動かし夢を持ち追い続けることの「正しさ」を思い出させた。80年代、再び成長力を取り戻したアメリカ人は、当時の日本人と同様にお金に走り、踊り狂って世の中をより複雑で扱いにくいものに変えた。ロッキーは、冷戦期の最後にちょっと強いアメリカそのものを演じたりしてみたが、東西の壁が取り払われると小さな家庭の問題を喚き散らすだけの、おおよそヒーローとはかけ離れた姿で消えていった。そして齢を重ね帰ってきた。本当の幸せが何なのか考えよう、それが分かったら信じて突き進もうというメッセージを残すために。

人種や文化、宗教の異なる数億人が暮らすアメリカは、国が誕生した頃からシンプルで理解しやすい成功象を提示してきた。それは、お金持ちになること。人物の出自や背景に関わらず、アイディアや才能や努力によって多額のお金を得た人間を成功者として賞賛してきた。そしてそれは数百年間変わることなくアメリカにおいて成功すること=ドリームとされてきたのだ。未だに増加し続ける外国からの移民も、目指すのは経済的な成功だ。だがアメリカ型の成功は大きなリスクも伴う。リーマンショックによって生じた多数の破産者が良い例であるように、今日の成功者が明日もその座に居座ることが保証されていないのだ。そしてアメリカ人は、そのリスクを受け入れ未だにアメリカンドリームを追い続けているのだ。

成功を手中にしたスタローン、おそらくレジェンドとして語り継がれるであろうスタローンが30年に渡って発し続けたメッセージ。最後に年老いたスタローンが残したメッセージは、アメリカに暮らす人々にどのように届いたであろうか。そして、偶然とはいえオリジナルのロッキー当時に思春期にあり、ファイナルでロッキーが迎えた年齢に達した私自身は、人生の後半に是が非でも成し遂げたいドリームなるものを果たして持ち続けているであろうか。この長文にお付き合い下さった皆様は、いったいいかがなものであろうか。

2011-04-18

2011-04-08

オヤジの復活

オヤジというものの評価のし直しが必要だと感じている。東北大震災による被害が、膨大な犠牲者被災者のみならずあらゆる分野で日本全土全国民に及び始めてきた。加えて東電と政府によるこの1ヶ月に及ぶ失策により、国際的にこの国が孤立するのではないかという危惧を持つに至ったからだ。何も大袈裟なことではない、今後の人生や生活や身の回りの状況に対し、一個人として漠然とした不安を持っているというまでのことだ。それは、おそらく大多数の市井の人々が持つ不安と同様だ。だから、その不安解消のためには、愛憎ごっちゃの感情の矛先であった「オヤジ」なる存在が必要だと考えるのだ。

結論を記せば、この社会には腹を括る気のあるリーダーが必要だということだ。なんだ、そんなことかと思うだろうが、そんなことだ。信頼のおける国のリーダーが長いこと不在だったことは国際的にも周知の事実。しかし、東電をはじめとするこの国有数の大企業においても、巨大な影響力を行使するに相応しい人物がリーダーの座にあったとは言い難い。数年前にもトヨタの新社長に就任したばかりの創業者の孫が、アメリカ人のいちゃもんにも似た突き上げに涙を流す映像が配信された。同情はかったかもしれないが、従業員や関連企業は「この人で大丈夫なのか」と思ったに違いない。そうかと思えば、後継者を探しあぐねたソニーはアメリカ人を社長に据え、既に月日の経過した話ではあるがニッサンは経営そのものの仕方をフランス人に託してしまった。「本当にオレ達のこと考えてくれているのか」と思う従業員や関連会社は少なくないだろう。持論を公表した自衛隊の司令官は有無を言わさずクビにされた。「田母神さんの意見は議論した方がよいのではないか」と感じているのは自衛官ばかりではないはずだ。最近では県知事の椅子は県民のためより国政に近づくための踏み石として利用されるようになった。「ワールドカップは世界市場へ自分を高く売り込むためのステップ」と同じになってしまったというのか。そして、見渡した先に頼れるオヤジが果たしているのか。

民主主義社会と、親分(オヤジ)の存在しない社会は同意義ではない。民主主義社会とは自らの手で親分を育て担ぎ上げる社会だと思っている。自分の親分だから大事に育てたいし、自分達で担いだのだからそれには責任を持つというのが正しいありかたである。もっといえば、自分達に最も恩恵をもたらす親分であればそれでよい。農業の占める割合の多い県では、百姓の生活や価値観を理解しそれに向けた施策を講じてくれる知事をもてばよろしいし、それによって工業や商業が他と見劣りしても甘んじるべきである。クルマを作る会社であれば、クルマそのものの社会的価値を理解した人間が陣頭指揮を執るべきであるし、原発を運営する会社であればマスコミや政治家の接待上手な経営者よりも、原子炉の構造や放射性物質の影響に詳しい者を社長として持つべきである。各省庁の官僚もしかり、自衛隊もしかりである。つまり、それぞれの社会や企業や組織が、本来為すべき事の上においてそれぞれのオヤジを持つべきなのだ。当然それらオヤジ達の上には、爺様がいる。爺様が頷くことで、オヤジ達は納得しなければならない。何故なら、その爺様は偶々生き残ったから在るのではなく、今この時代に生き残っていて欲しいから命を永らえているからだ。そしてこの爺様はわれわれの中にも生きている(はずだ)。オヤジ達は互いに侃々諤々を経た後、爺様の前に跪く。

かつてのこの国がそうであったように、すべての分野で奇跡のような成長を遂げていた時期には、政治経済界はおろか文化面においてまでも、後のあらゆる可能性に対応すべく「ジェネラリスト」養成に躍起になったことは正解であったに違いない。私自身も当時はそう信じていたのであり、目指そうとしていた。可能性は無限に思えたのだから、わざわざオヤジになどなりたくはなかったし格好の良いお兄さんでいたかった。そのほうが、人生も社会も楽しく幸福に思えた。しかし、その可能性は既に二十年も前に萎んでしまったのであり、当時持て囃されたジェネラリスト達はなんら具体的な打開策を打ち出すことができずにいつのまにか新手のスペシャリスト達の手によって隅へ追いやられてしまったように見える。しかし、今度は「グローバリゼイション」なるインチキ臭い米国への利益誘導型ムーブメントの台頭により「マネージメント」だけに精通した(つまり既得権益者や株主の顔色を窺うことに長けた連中)が多くの組織を牛耳る社会になってしまった。既に強大な実行力を持っている官僚達が、たいした株(実力)も持っていないのに大きな顔をする民主党政権に従わないのは至極当然の現象である。賢い彼らは国民から直接的な評価を得る場には姿を現さないように努めながら密かに復活の日を夢見ていたに違いない。なぜなら、彼らもまたインチキ臭い新手のスペシャリスト世界推進の片棒を担いでいたからだ。現在、われわれの中に爺様は存在しているか?

そしてこの震災と原発事故である。官僚組織は脈々と受け継がれる人的な資産を有している。良きオヤジが方々に在った時代の人間達だ。勿論現役の人的資産も数多有しているだろうが、かつて輝きを放った日本の成長を支えたオヤジ達の才覚を再活用する時がきたのである。ところが災いに遭遇した菅さんは、俺こそが親分であり今こそがそれを証明すべき時であると、使い慣れぬ脳みそと権力を謂わば悪用し始め、自分にとっての福に転じようとしている。この1ヶ月余りの失策と言おうか無策と言おうか、アメリカから強要されてようやく窒素を入れるなどという様をみていると益々そう思わざるを得ない。こんなときこそ「餅は餅屋だから各省庁のエリートさん方よろしくお願いします」と発すれば、事は速やかだったはずだ。経産省からは元佐賀大学学長の上村春男氏への打診がいったであろうし、外務省では米国やフランスに対する原発技術や人的な要請ができたはずだし、防衛省は当然米軍とタッグを組んだであろう。農水省がガイガーカウンターを揃えた可能性もあったであろうし、文科省は被災地の子供対策、厚労相は当然のように国境なき医師団と手を結んだはずである。首相はその権限を与え承認すればよかったのだし、更には非常事態宣言のもと福島原発をさっさと国の預かりとしてしまえばよかったのだ。「待った!をかけられているから手が下せない」阪神淡路大震災で批判を受けた一県知事と同様の非難を、国家の最終責任者が浴びせられているありさまだ。

そんなオヤジをわれわれ国民は担いでしまった。間接的であるなどと言い訳をすることは許されない。今、われわれは猛烈に反省しなければならない。私は猛烈に反省している。その片棒を担いでしまった事に対しては勿論、気づいていながらもその後個人としてできることをしてこなかった事実に対してである。悔しいが未曾有の国難ともいえる大惨事に際しようやく本気で認識するに至った。私の世代は、正しいオヤジを選択する目を持ち監視し続け、いざとなればそのオヤジと喧嘩してでも間違いを正すことにできる若い世代を育てなかった。嘘くさい幸福や美しさや洗練や屁理屈やちょいワルさなどに現をぬかし、若い世代と向き合う事をしてこなかった。おまけに、正しい情報がないと右往左往するばかりで、自らの目や耳を鍛え直すことを怠っている。三無主義などと揶揄された世代が私などより少し上にはあったが、こうして年を嵩ねれば実生活で無関心など装える事はないし、無気力で生き続けることはできない。社会に対する責任が小さいとも思わない。だが実際は、「底」といわれながらも豊かな経済状況や平穏な生活に、最も重要な爺様の姿を見失っていた。爺様が在るのだという事を若い世代に伝えて来なかった。

幸いにしてこの国は民主主義の様を呈している。沢山の我が儘オヤジが出現しても、担いでる者たちが間違いのない目を持っていれば暴走や狂走を制することができる。沢山の中には、いや沢山いればこそ冷静さを失わずにいるオヤジも必ず出現する。殊更現在は国際的にもオヤジの力量を発揮せざるを得ない。オヤジと慕ってくれる連中のために、国の内外を問わず侃々諤々やってくれるオヤジが必要だ。もう、空気を読んだり顔色を窺ったりするオヤジは必要ない。ましてや順番で回ってくるオヤジなど誰も従わない。一方、トモダチである米国は若いオバマを自分達のオヤジとして選出した。若さは厳しい現実を乗り切る上で重要なファクターかもしれない。しかし、その若いオバマでさえ就任演説の冒頭では、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。見習うべきオヤジ達がアメリカには存在したのだと語ったのだ。そしてそれらがアメリカ人一人ひとりの爺様だと語ったのだ。

われわれ日本国民には、国家の最終責任者を直接選出する術がない。しかし、そこへ至る過程に関与する術は持っている。間近に迫った都知事選は、われわれ都民にとって意志を反映させる絶好の機会であるし、また東北を除いて実施されている他の知事選や自治体の選挙も同様だ。公職選挙に限らず、様々な組織の理事や代表者の選出、果ては企業の経営者の選出にしても限界はあるにしてもそこに属する者達の意志反映を働きかけることが無駄になることはないはずだ。原発に関する政府発表に近い言い方になるが、この国においてリビやや周辺の国々のように暴動や革命といったかたちで国民の行動が爆発することにはならない。しかし、われわれ国民の不満や不安、そしてこの国の未来への恐れが臨界点に近づいていることは間違いないだろう。上杉隆のように「海洋汚染テロ国家に成り下がった」とは言わないまでも、この国から発信されるあらゆる者や人に厳しい視線が向けられることは必須だ。爆発もせず斜に構えることもせずどうすべきなのか。素直に襟を正さなければならない。臍に塩をしなければならない。一人一人が爺様の声に耳を傾け、自ら考え判断し、胸を張るオヤジにならなければならない。まずは、自分と自分の周りに対しオヤジで在らなければならない。

2011-01-24

iPhoneの何が素晴らしいって・・・(今更ながら)

「iPhoneの何が素晴らしいってブラウザやらアプリやらオシャレやらって言う人がいるけど個人的にはiPodと携帯が一つになったのが良い点だと思う」というツイートがあった。「賛同する」とリプライした。一方で、何故日本にはこれを生み出すことができなかったのかという悔しさを感じた。

iPhoneは、クールに電話の会話ができてクールに音楽が聴ける唯一の道具として登場した。ソニーのウオークマンで電話をかけるのは様にならないし、通常の携帯電話機で音楽を聴くのはどこか中途半端な感じを与える。iPhoneのデザインと機能はその両方を成立させたという意味で秀逸だ。追随する同様の携帯電話機が例外なく似た外観や操作方法を持つのはiPhoneのそれを越えることができないという単純な理由からだ。機能性や操作性の向上を図った新たな携帯電話機は今後登場するだろうが、iPhoneは今後の携帯電話機の形態を方向づけたという意味で秀でている。素晴らしい!

一方日本の携帯電話(スマートフォン)が遅れている感は否めない。かつてウオークマンやコンパクトカメラをはじめとする様々な優れたギアを排出した日本であるからなおさらそう感じる。理由はデザイン、機能ともに後追いをしているからだ。明らかに日本オリジナルと感じることのできる製品を生み出せていない。それは企業経営層の発想が遅れているからだ。製造業の経営者のみならず、所謂知的産業界のエリートと呼ばれる連中の頭の中も、21世紀二つ目のディケイドに突入したというのに20世紀少年のままだ。製造業者に新たな発想を示唆するべき立場にいるマーケティングやシンクタンクと呼ばれる業界人の、特にトップ層に近い連中、責任を持つ人間たちの頭の中がそうなのだ。その結果、実際に製品を作る側も携帯電話は携帯電話らしく的な発想を一歩も踏み出すことができずにいるのだ。

デザイン面でも後追い感を拭えない。それは日本の工業デザイナーの質が劣るからではない。前述の通り、革新的な物づくりへの発想を受け入れられずにいる経営者層の判断が、最終的な見栄えを作り出す工業デザイナー達の創造性を潰しているからだ、と感じてしまうのは私だけだろうか。革新的な、言い換えれば、「機能やスペックなどひとまず置いておいて、とにかく人が喜びを感じることのできるもの」といったシンプルだがツボをおさえた発想によって生まれる、「前例のない」物作り、 -- かつてウオークマンが携帯性を優先してテープレコーダーから録音機能とスピーカーを取り外してしまったような -- 製品デザインで人々に問いかけるという試みに、トップが恐れをなしている。

より精巧でより高機能なといったスペック競争で半生を過ごしてきた物づくりの人間達、またそれを補佐してきたマーケティング業界人にとっては大英断に違いない。抵抗を感じるに違いない。しかし、事実大きな遅れを生んだ。ガラパゴス現象とも呼ばれる。日本の物づくりエリート達は、高機能だが所詮携帯電話にしか感じられないデザインの製品を未だ生み出し続けている。iPoneのiすら越えられずにいる。

iを認めてしまえばよい。自分を愛せたり信じたりできない者が、どうして他の人々に喜びを与えられるだろうか。音楽を聴きながら電話ができたら素晴らしい。二つだった物が一つになったら便利だ。そんなシンプルだが現代に生きる我々の単純な要求をクールなパッケージに包んで提供したiPhone。この発想に惚れ込んだのがスティーブジョブスだった。彼にとってiPhoneは、自分が一番欲しかった物であったに違いない。だからクールでスタイリッシュで使いやすい物を望んだのだ。生み出すことができたのだ。

iPhoneが生まれる前にiPodという、謂わば二番煎じでありながら秀逸な仕事をアップルの連中は成し遂げていたことも忘れてはいけない。まずは単一機能の製品でユーザーの心を完璧に捉えてしまった発想と製品デザインがあればこそのiPhoneだった。そこから生まれた1+1=何百倍という結論だったのだ。何処かの国のエリート達が拠り所にしている理屈なんかじゃなかった。ブルースリーの言うとおり、「考えるな、感じろ」をニッポンのエリート達にも実践してもらいたい。

2010-11-24

屋台のオジサン

去年は在った家が今年はもう無い。
屋台のオジサンは帰りがけに「どうもお疲れ様です」と言ってくれた。その夜俺は昔の仲間と会って酒を何杯か飲んで意味の分からない音楽に耳を傾けてきただけだ。その俺にオジサンはお疲れ様ですと言ってくれた。来年はこの場所にいるだろうか。

俺と入れ替わるように席に着いた年配の男性が「大将も一杯」と頼んだお酒を、オジサンは苦しそうに飲み干す。数百円の売上のためだものオジサンは歯を食いしばってそれを飲み干す。オジサンは来年もこの場所に立っていられるだろうか。

もう腕を通すことのなくなったダウンベストのことを思い出す。このオジサンにあのダウンベストをあげようか。寒い冬を乗り切ってもらうために、あのダウンベストをあげようか。果たしてそれがオジサンにとって有り難いことかどうかは分からない。けれども俺にはそれしか思いつかない。何のためか、本当にこのオジサンのためかは分からないけれど、俺にはそんなことしか思いつかない。