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2011-04-08

オヤジの復活

オヤジというものの評価のし直しが必要だと感じている。東北大震災による被害が、膨大な犠牲者被災者のみならずあらゆる分野で日本全土全国民に及び始めてきた。加えて東電と政府によるこの1ヶ月に及ぶ失策により、国際的にこの国が孤立するのではないかという危惧を持つに至ったからだ。何も大袈裟なことではない、今後の人生や生活や身の回りの状況に対し、一個人として漠然とした不安を持っているというまでのことだ。それは、おそらく大多数の市井の人々が持つ不安と同様だ。だから、その不安解消のためには、愛憎ごっちゃの感情の矛先であった「オヤジ」なる存在が必要だと考えるのだ。

結論を記せば、この社会には腹を括る気のあるリーダーが必要だということだ。なんだ、そんなことかと思うだろうが、そんなことだ。信頼のおける国のリーダーが長いこと不在だったことは国際的にも周知の事実。しかし、東電をはじめとするこの国有数の大企業においても、巨大な影響力を行使するに相応しい人物がリーダーの座にあったとは言い難い。数年前にもトヨタの新社長に就任したばかりの創業者の孫が、アメリカ人のいちゃもんにも似た突き上げに涙を流す映像が配信された。同情はかったかもしれないが、従業員や関連企業は「この人で大丈夫なのか」と思ったに違いない。そうかと思えば、後継者を探しあぐねたソニーはアメリカ人を社長に据え、既に月日の経過した話ではあるがニッサンは経営そのものの仕方をフランス人に託してしまった。「本当にオレ達のこと考えてくれているのか」と思う従業員や関連会社は少なくないだろう。持論を公表した自衛隊の司令官は有無を言わさずクビにされた。「田母神さんの意見は議論した方がよいのではないか」と感じているのは自衛官ばかりではないはずだ。最近では県知事の椅子は県民のためより国政に近づくための踏み石として利用されるようになった。「ワールドカップは世界市場へ自分を高く売り込むためのステップ」と同じになってしまったというのか。そして、見渡した先に頼れるオヤジが果たしているのか。

民主主義社会と、親分(オヤジ)の存在しない社会は同意義ではない。民主主義社会とは自らの手で親分を育て担ぎ上げる社会だと思っている。自分の親分だから大事に育てたいし、自分達で担いだのだからそれには責任を持つというのが正しいありかたである。もっといえば、自分達に最も恩恵をもたらす親分であればそれでよい。農業の占める割合の多い県では、百姓の生活や価値観を理解しそれに向けた施策を講じてくれる知事をもてばよろしいし、それによって工業や商業が他と見劣りしても甘んじるべきである。クルマを作る会社であれば、クルマそのものの社会的価値を理解した人間が陣頭指揮を執るべきであるし、原発を運営する会社であればマスコミや政治家の接待上手な経営者よりも、原子炉の構造や放射性物質の影響に詳しい者を社長として持つべきである。各省庁の官僚もしかり、自衛隊もしかりである。つまり、それぞれの社会や企業や組織が、本来為すべき事の上においてそれぞれのオヤジを持つべきなのだ。当然それらオヤジ達の上には、爺様がいる。爺様が頷くことで、オヤジ達は納得しなければならない。何故なら、その爺様は偶々生き残ったから在るのではなく、今この時代に生き残っていて欲しいから命を永らえているからだ。そしてこの爺様はわれわれの中にも生きている(はずだ)。オヤジ達は互いに侃々諤々を経た後、爺様の前に跪く。

かつてのこの国がそうであったように、すべての分野で奇跡のような成長を遂げていた時期には、政治経済界はおろか文化面においてまでも、後のあらゆる可能性に対応すべく「ジェネラリスト」養成に躍起になったことは正解であったに違いない。私自身も当時はそう信じていたのであり、目指そうとしていた。可能性は無限に思えたのだから、わざわざオヤジになどなりたくはなかったし格好の良いお兄さんでいたかった。そのほうが、人生も社会も楽しく幸福に思えた。しかし、その可能性は既に二十年も前に萎んでしまったのであり、当時持て囃されたジェネラリスト達はなんら具体的な打開策を打ち出すことができずにいつのまにか新手のスペシャリスト達の手によって隅へ追いやられてしまったように見える。しかし、今度は「グローバリゼイション」なるインチキ臭い米国への利益誘導型ムーブメントの台頭により「マネージメント」だけに精通した(つまり既得権益者や株主の顔色を窺うことに長けた連中)が多くの組織を牛耳る社会になってしまった。既に強大な実行力を持っている官僚達が、たいした株(実力)も持っていないのに大きな顔をする民主党政権に従わないのは至極当然の現象である。賢い彼らは国民から直接的な評価を得る場には姿を現さないように努めながら密かに復活の日を夢見ていたに違いない。なぜなら、彼らもまたインチキ臭い新手のスペシャリスト世界推進の片棒を担いでいたからだ。現在、われわれの中に爺様は存在しているか?

そしてこの震災と原発事故である。官僚組織は脈々と受け継がれる人的な資産を有している。良きオヤジが方々に在った時代の人間達だ。勿論現役の人的資産も数多有しているだろうが、かつて輝きを放った日本の成長を支えたオヤジ達の才覚を再活用する時がきたのである。ところが災いに遭遇した菅さんは、俺こそが親分であり今こそがそれを証明すべき時であると、使い慣れぬ脳みそと権力を謂わば悪用し始め、自分にとっての福に転じようとしている。この1ヶ月余りの失策と言おうか無策と言おうか、アメリカから強要されてようやく窒素を入れるなどという様をみていると益々そう思わざるを得ない。こんなときこそ「餅は餅屋だから各省庁のエリートさん方よろしくお願いします」と発すれば、事は速やかだったはずだ。経産省からは元佐賀大学学長の上村春男氏への打診がいったであろうし、外務省では米国やフランスに対する原発技術や人的な要請ができたはずだし、防衛省は当然米軍とタッグを組んだであろう。農水省がガイガーカウンターを揃えた可能性もあったであろうし、文科省は被災地の子供対策、厚労相は当然のように国境なき医師団と手を結んだはずである。首相はその権限を与え承認すればよかったのだし、更には非常事態宣言のもと福島原発をさっさと国の預かりとしてしまえばよかったのだ。「待った!をかけられているから手が下せない」阪神淡路大震災で批判を受けた一県知事と同様の非難を、国家の最終責任者が浴びせられているありさまだ。

そんなオヤジをわれわれ国民は担いでしまった。間接的であるなどと言い訳をすることは許されない。今、われわれは猛烈に反省しなければならない。私は猛烈に反省している。その片棒を担いでしまった事に対しては勿論、気づいていながらもその後個人としてできることをしてこなかった事実に対してである。悔しいが未曾有の国難ともいえる大惨事に際しようやく本気で認識するに至った。私の世代は、正しいオヤジを選択する目を持ち監視し続け、いざとなればそのオヤジと喧嘩してでも間違いを正すことにできる若い世代を育てなかった。嘘くさい幸福や美しさや洗練や屁理屈やちょいワルさなどに現をぬかし、若い世代と向き合う事をしてこなかった。おまけに、正しい情報がないと右往左往するばかりで、自らの目や耳を鍛え直すことを怠っている。三無主義などと揶揄された世代が私などより少し上にはあったが、こうして年を嵩ねれば実生活で無関心など装える事はないし、無気力で生き続けることはできない。社会に対する責任が小さいとも思わない。だが実際は、「底」といわれながらも豊かな経済状況や平穏な生活に、最も重要な爺様の姿を見失っていた。爺様が在るのだという事を若い世代に伝えて来なかった。

幸いにしてこの国は民主主義の様を呈している。沢山の我が儘オヤジが出現しても、担いでる者たちが間違いのない目を持っていれば暴走や狂走を制することができる。沢山の中には、いや沢山いればこそ冷静さを失わずにいるオヤジも必ず出現する。殊更現在は国際的にもオヤジの力量を発揮せざるを得ない。オヤジと慕ってくれる連中のために、国の内外を問わず侃々諤々やってくれるオヤジが必要だ。もう、空気を読んだり顔色を窺ったりするオヤジは必要ない。ましてや順番で回ってくるオヤジなど誰も従わない。一方、トモダチである米国は若いオバマを自分達のオヤジとして選出した。若さは厳しい現実を乗り切る上で重要なファクターかもしれない。しかし、その若いオバマでさえ就任演説の冒頭では、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。見習うべきオヤジ達がアメリカには存在したのだと語ったのだ。そしてそれらがアメリカ人一人ひとりの爺様だと語ったのだ。

われわれ日本国民には、国家の最終責任者を直接選出する術がない。しかし、そこへ至る過程に関与する術は持っている。間近に迫った都知事選は、われわれ都民にとって意志を反映させる絶好の機会であるし、また東北を除いて実施されている他の知事選や自治体の選挙も同様だ。公職選挙に限らず、様々な組織の理事や代表者の選出、果ては企業の経営者の選出にしても限界はあるにしてもそこに属する者達の意志反映を働きかけることが無駄になることはないはずだ。原発に関する政府発表に近い言い方になるが、この国においてリビやや周辺の国々のように暴動や革命といったかたちで国民の行動が爆発することにはならない。しかし、われわれ国民の不満や不安、そしてこの国の未来への恐れが臨界点に近づいていることは間違いないだろう。上杉隆のように「海洋汚染テロ国家に成り下がった」とは言わないまでも、この国から発信されるあらゆる者や人に厳しい視線が向けられることは必須だ。爆発もせず斜に構えることもせずどうすべきなのか。素直に襟を正さなければならない。臍に塩をしなければならない。一人一人が爺様の声に耳を傾け、自ら考え判断し、胸を張るオヤジにならなければならない。まずは、自分と自分の周りに対しオヤジで在らなければならない。

2009-02-03

「オバマ演説の英語を検証」

日経BPのサイトに「オバマ演説の“英語”を検証する」という記事が掲載されています。

たいへん分かりやすく、充分蘊蓄にも富んでいます。是非読んでみましょう。

2009-01-24

オバマの日本観と我々

保護主義指向の強い民主党から選出されたオバマの日本観、日本人観を考えた。全くの私的な説で、根拠はない。

ジョンレノンが撃たれた前年、オバマは故郷ハワイを後にロサンゼルスへ向かった。ケニア人の父と白人の母の間に生まれハワイで育ったオバマは、大学生活を送るため初めてアメリカ本土へ足を踏み入れた。実は、オバマはこの時初めて「アメリカ」を目にしたのだ。

その翌年、私はサンフランシスコに立った。私にとっても初めての「アメリカ」体験であった。そしてこの三年間に持ったアメリカに対する理解が、現在でもアメリカを捉える時の基礎になっている。オバマはアメリカ人であるし、私は短い間学生の身分でアメリカを通過しただけの存在だ。同時期にカリフォルニアということを除けば、立場も過ごした街も目指した学問も異なるが、同じ時代の空気を吸っていた。

*****

当時日本は、インフレやオイル危機を経てもなお驚異的な経済成長を続け、未だ安かった円のおかげで盛んに輸出で黒字を重ねていた。アメリカ人もオイルショックを経験し経済的な日本の小型車(シビック)を最も愛するようになった。家電製品の性能とかっこよさは無骨なアメリカ製品を凌駕し、ソニーは羨望の的となった。しかし、アメリカの製造業従事者、特に一般の労働者は日本製品の攻勢により経営を圧迫された影響をまともに受け、レイオフが頻発、日本に対する嫌悪感を益々強めていった。

一般の市民でさえ、イエロー・モンキーやエコノミックアニマルと叫んで、抑えきれなくなった反日感情を隠そうとはしなくなっていた。真珠湾攻撃40年を記念して「エノラゲイ」を扱ったテレビ映画が放映された。物語の終盤、エノラゲイがリトルボーイを広島上空へ投下したシーンでは実際の映像が使用され、それを目にしたレジデンスクラブ(滞在型の安宿)の住人は、立ち上がって「イエーィッ!!リメンバー パール ハーバー」と叫んだ。私は恐れをなして自室へ逃げ込まなければならなかった。

日本人が多数訪れる観光地ハワイ出身のオバマは、アメリカ本土における日本人に対する感情を、どのように受け止めただろうか。

少しばかり当時のサンフランシスコの状況に触れると、街には区別された人々が居た。年中訪れる観光客とそれを相手にする商店経営者、加えて金融業界に属するエリート階級、そしてそこから落ち溢れた人々と明らかにベトナム帰還兵とわかる人々。観光と金融の街サンフランシスコには、凌ぎやすい気候はあっても落ち溢れや帰還兵が手に出来る職はない。

ウイル・スミスの「幸せのちから」は、この頃のサンフランシスコを舞台に、主人公のクリス・ガートナーが正に81年から翌82年にかけて証券会社でのし上がっていく奇跡の物語だ。輝くサクセスストーリーとは対照的に、ベトナムからの完全撤退から既に7年もの月日が経過しているのに、その間社会復帰ができずにいる元兵士が多数存在した事実に驚いた。同時に、アメリカ社会に対する知識もろくに持たない私のような者にさえ、彼らに明日は来ないであろうということが漠然と感じられた。ホームレスという言葉は、この頃既にアメリカでは一般的に使われていた。

ベトナム帰還兵や失業者が、時に通りの一角に列をなしている。サルベーションアーミー(救世軍 -- キリスト教団体による救援団体)が提供する「ただ飯」にありつこうというのである。私も偶然並んでみたが、手にした食事は、普段文句をつけてばかりの宿泊所の食事が豪華極まりない物に思えるほど悲惨だった。暖かい食事にありつくということが、職のない彼らにとっては唯一の救いだったに違いない。そんな横を、成功を手にした第二第三のウイルスミス(勿論ガートナーのこと)がフェラーリを駆っていく。アメリカは、当時からそんな国だった。

自動車や家電製品で大儲けした日本人は、毎年大量にサンフランシスコを訪れていた。(勿論ロサンゼルスにも訪れていた)そんな観光客に対し、サンフランシスコの住人は、根っこの感情を押し殺して笑顔で接していた。どっさりお金を落としていく、よい客なのだから当然だ。しかし、直接利益を享受できる商店主は我慢できても、サルべーションアーミーに列を作る人々やインテリの中には、複雑な感情を持つ人々も沢山いた。「我々を苦況に追い込んだ彼らが、我々から巻き上げた金を持ってやって来る」 経済状況が思わしくない時に、好況に浮かれた人間が憎らしく見えるのは一般的なことだ。


残念な事に、サンフランシスコに移住している日本人や日系人達は、母国の民に与えられた悪いイメージを払拭しようという努力に熱を入れることをしなかった。ジャパンタウンで開催されるサクラ祭りに訪れているのは日本人観光客ばかりだし、来日したYMOのコンサート会場もジャパンタウンのホールで、観客は9割が日本人だった。チャイナタウンのように露骨な閉鎖性を示さない代わりに、日本人はほとんど自ら存在を示そうとしない。善く言えばうまく融け込んでいるし、逆を言えば「美味しいところだけ取っている」。後者に取る者も多かったはずだ。何せ目の前を、日本人客を満載した大型観光バスが連なるのを連日目にしているのだから。

東芝のラジカセが燃やされ、シビックの窓が割られるニュースは、もう当たり前のことになっていた。

留学中一度だけ赴いたLAのディズニーランドにも驚くほどの日本人観光客がいた。留学中にLAを訪れたのは一度だけで、ダウンタウンとディズニーランド、ダウンタウンとメルローズ通りを往復しただけだから、市民の暮らしぶりは分からなかった。オバマはその頃私立の単科大学生だ。

LAは、サンフランシスコより余程大きな街であるし、UCLAやUSCなどといった有名ブランド大学も多い。勿論、ビバリーヒルズやハリウッドを有し唯でさえ煌めく街だ。その分クラス(階級)も存在するし社会の影も濃い。イーストLA(ロサンゼルス東部)は、低所得の労働者階級の居住地区で犯罪多発地帯でもある。ブルース・スプリングスティーンの「Born in the USA」をもじって、「Born in East LA」という歌まで生まれたほどだ。そんな光と影を、当時学生だったオバマも目にしていたはずだ。当然、派手にお金を遣いまくる日本人観光客のことも。

80年11月の大統領選挙で、カウボーイハットで空に向かって銃を撃ち放った、強いアメリカを象徴する男、ロナルド・レーガンが、二期目を目指す平和主義者のピーナツ農場主ジミー・カーターを破り当選する。現在と逆の状況だ。アメリカ中のインテリゲンチャーは項垂れ、「もうお終いだ」と口を揃えて嘆いた。ブッシュジュニアの二期目と同様だ。レーガン政権では、スターウォーズ計画だとかレーガノミクスだとかの打ち上げ花火が功を奏し、経済は上向いた。一種のバブルだ。第二第三のウイルスミスはこれでフェラーリを手にした。

この時期に、現在のITを支える多くの企業が、産声を上げたり最初の製品を市場に出したりしている。両スティーブが立ち上げたアップルコンピューター(当時)もそのひとつ。ここいらを描いたのが映画「フォレストガンプ」で、ニクソン以降、エンディングまでといったところだ。

勿論、ビルゲイツもこのあたりから台頭してくる。彼らのような若いベンチャー企業家達は、当時の学生から常に注目されていた。我々、オバマ世代にとって、この時代に頭角を現し、のちのアメリカ経済の基盤をつくる若者達は、アメリカ合衆国建国時の様々な方面で足跡を残したパイオニア達を彷彿させる。現に、彼らの哲学や理論が昨日までのアメリカ経済を支えた。

皮肉な事に、80年代から90年代の初めにかけて、IT関連で想起される日本のイメージは、「スパイ」である。産業スパイの事だ。日本の大手数社がシリコンバレーから機密情報を盗み出そうとして摘発された。また、冷戦終結前には、東芝が潜水艦のスクリュー製造技術(軍事機密)を当時のソ連に売りつけアメリカから叩かれている。たしかにこんな日本人のイメージは、常識もモラルも持ち合わせていないモンキーやアニマルとして映ったことだろう。

必死に努力するアメリカ人から旨味だけを吸い取っていく、自分勝手な日本人。オバマの「日本人の原イメージ」が、そんなものであっても可笑しくはない。

留学生であった私にしても、一番出会したくなかったのが日本人観光客だった。
「あなた、日本人でしょ。学生? だったら、△△まで連れて行ってよ。どうせ、暇でしょう」
というような唯我独尊厚顔無恥の筆頭が日本人観光客だったのだ。

アメリカがオバマを選択したというメッセージを、我々日本人個々人がそれぞれの立ち位置で考えなければならないと私は思う。「新しい時代の責任」とオバマは言った。
幾多の危機に瀕する現在を、「新しい時代」の幕開けとするならば、我々日本人の「新しい時代の責任」は、どういうものだろう。世界中の国と人々に対し、日本人として、本当は何を感じ考えているのかを伝える必要があるはずだ。我々は、未来永劫アメリカの尻尾を掴んで生き続けるつもりはないし、自立した国に住むもしくは其処から出でた国民であること、そして自らの財産と尊厳、および自由を確保してゆくつもりである事を伝えるべきである。

どうやって? それをみんなで考えよう。


なお、長文に最後までお付き合いいただきました方には感謝申し上げます。

2009-01-23

プレジデントと大統領


オバマの大統領就任演説について考えている。今回は、「そもそも大統領とは」を少しだけ、言葉の部分から考えた。

広辞苑では、大統領を以下のとおり定義している。
<全文引用>
【大統領】①(president of the republic)共和国における元首。直接国民から選挙され、あるいは議会その他の機関から選出されて、所定の任期の間、その国の全般の行政を統(す)べる行政権の最高首長。また、首相や閣僚を任命し、法律や条約に署名し、外国使使臣を接受するなどの形式的権限だけをもつ場合もある。②立役者の意で、親しみをこめて呼ぶ掛け声。「よう、大統領」

20日就任した第44代合衆国大統領バラク・オバマは、勿論、①の前者。実質的な最高首長だ。オバマに、「よう、大統領!」と声を掛ける人がいたらアメリカも勢いつくかもな。

形式的権限のみの大統領では、イタリアのベルルスコーニが代表例で、事業家、ACミランオーナー、メディア王としてあまりにも有名だ。ジョルジョ・ナポリターノという大統領の存在を知る者はインテリと呼んでも差し支えないほど認知されていないと思える。親しみやすい名前だから、すぐにも覚えてしまいそうなのに。因みに、イタリアは共和国。

また、wikipedia(日本)では、<要出典>の注が付され、以下の記述もある。
<抜粋>アメリカ合衆国の建国時に、国家元首の呼称として権威的な響きのない語を求めて、史上初めて採用した。

同様に、英語版wikipediaには、「president」の歴史として以下のとおり記述されている。(大凡の意味を記した)

英語では、元々英国で委員会や理事会の長(議長など)を指す言葉として使われた。
初期の例では、1179年から大蔵省の長、1464年からオックスフォードとケンブリッジ大学の学長、1660年から英国学士院の長ウイリアム・ブロンカー。
後に、13のうちの幾つかの植民地の政治的主導者に対して用いられる<1608年バージニアに発する>、正式には協議会議長。
最初の国家元首は、合衆国大統領のジョージ・ワシントン。アメリカにおけるその地位は、1774年にはじまる連邦議会幹事長に用いられた初期の用法を、「格上げ」したもの。

<以下、wikipedia英語版より引用>
As an English word, the term was originally used to refer to the presiding officer of a committee or governing body in Great Britain.
Early examples are the President of the Exchequer ("presidentis" in the original Latin, from the Dialogue concerning the Exchequer, 1179), the presidents of the universities of Oxford and Cambridge (from 1464), and the founding President of the Royal Society (William Brouncker, 1660).
Later this usage was applied to political leaders, including the leaders of some of the Thirteen Colonies (originally Virginia in 1608); in full, the "President of the Council".
The first President of a country was George Washington, the President of the United States. In America the title was "upgraded" from its earlier use for the President of the Continental Congress, the "officer in charge of the Continental Congress" since 1774.

さらに、
「president」という単語の成り立ちは、
大統領、会長
[語源] pre-(前に)+L.sedere(すわる)+ent(人[上座に座る人])<出典:地球人ネットワークを創る SPACE ALC>

日本語の大統領という言葉の語源は、ペリー来日の際、「棟梁」をもじって造語したという噂がある。
それはともかく、その背景を見てみると、「合衆国大統領」という地位は初めから最高位にあったわけではなく、アメリカ人が自らの手で押し上げていったものだということがわかる。英国が与えた一権限を、国家の最高責任者へと持ち上げたのだ。

オバマが就任演説で繰り返し説いた、「あの日」の記憶を呼び戻そうという訴えや、建国から変わらぬ「理想」こそが重要なのだという言葉は、現在の大統領の権限やアメリカ合衆国市民としての権利は、すべて自らの手で勝ち取ってきたものなのだということを国民に思い出させるためだったのだろう。黙って与えられるものはない。一生懸命勝ち取らなければならない、というメッセージだ。
過去の栄光に奢ることなく、これからの時代を自ら作り出し、自分達のものにしてくぞという誓いの言葉だったのだ。

果たして私はこれを、遠い海の向こうの他人事として批評家ぶるだけなのか、または命が宿った人間オバマの誓いとして受け取るのか。

宋文洲さんのメルマガに、そんな私へのきつい一言が記されてあった。「最近の中国人には『眼高手低』(望みは高いが、実行力がない)のような人が多い」
あまり大きな風呂敷を拡げることばかりせず、まずは足下をしっかり。その中にこそ、オバマの言葉は活かせるだろう。

2009-01-21

オバマの「あの日にかえりたい」

「100年に一度の未曾有の危機」に瀕した今日、米国史上初の黒人大統領という事実に加え、いまだ世界情勢に対し最大の影響を有する新しい指導者が生まれるのだから、その第一声を聞きたいと思った。結果は、スピーチの途中で眠気に勝てなかったわけだが、今朝和訳された就任演説を読み返し、そして思った。

「市井の皆さん」で始められた演説は、流石に素晴らしいスピーチであった。さらに思った。

オバマさん、少し早口じゃないかい。

彼の肉声がどの程度明瞭に現場に集った二百万人に伝わったのか分からないが、米国内はもとより各国が同時中継し、同時通訳されたスピーチの内容に多くの人々が耳を傾けたはずだ。深夜の完全な静寂の中にあってテレビで視聴している私でさえ、同時通訳の??世起子さんが負けじと早口でまくし立てた内容は一部追いつけないほどだった。
シンプルだが凝縮され理路整然とこれからのアメリカを語る新しい指導者が、自分達を置いてきぼりにするのを感じた「市井の」人々は少なくなかったのではないか。大統領として発する最初のスピーチである。「市井の」人々が受けた第一印象が、オバマの四年間にどう影響を及ぼすのかが、まずは楽しみになった。

余談だが、二百万人が生み出す静寂というものにも凄みを感じた。

途中までライブ中継で見た演説と今朝読み返した内容で次の事を感じた。
オバマさんはどの日に帰りたいの?

冒頭彼は、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。
犠牲や理想については、アメリカ合衆国建国時の人々についても、また人種問題を闘った先人たちについてをも含んでいるであろうが、今ここで想起し掲げるべき理想は、果たして眼前の二百万人を含めたアメリカ人に共通して認識されるものなのであろうか。現在の、「アメリカ人」と自覚すべき「市井の」人々のあいだに、それほど共有された原体験が存在するのだろうか。

続けてオバマは、「暴力と憎悪の広範なネットワーク相手に戦争を行っている」と現在の国家安全上の危機を定義し、「一部の強欲と無責任の結果」が経済的な危機を招いたとし、更に社会保障や環境、教育においても危機的な状況にあると語った。
これらは、直ぐにとは言わないが、必ず克服可能なものであり、これまで克服を阻害してきた「ささいな不満」、「偽りの約束」、「非難」、「言い古された定説」を終えさせると宣言した。「Yes, we can」である。

つまり、これからのアメリカが「変化」し向かう先は、「先祖の理想」だと言った。タイムマシンがあったとして、目指す先は西暦何年何月何日なのだろう? それはどんな姿だ?

次にオバマは、アメリカ合衆国の主役は、建国以前から「無名の働く男女」、つまり市井の人々であったと語った。彼らの「でこぼこした道を繁栄と自由を目指し」た長い旅が、現在を導いた。オバマの名台詞のひとつである、「白人の国も黒人の国もない、唯アメリカがあるのだ」を強調し、その人達の尊さは「生まれや富や党派を超え」、神からの約束である「平等」、「自由」、「あらゆる手段により幸福を追求する機会を与える」という考えを発展させてきた事であるとした。

アジアで過ごしたことのあるオバマは、何かの機会に美空ひばりの歌を聴いたのかもしれない。勿論、「川の流れのように」

オバマはいよいよアメリカを作り直そうと語る。ここでは、経済、科学技術、環境、医療・福祉、教育が主要な領域であり、これらにおいて「新たな成長の礎を整える事ができる」と語った。何故ならば、未だアメリカは、「力強い国」であり、労働者の「生産性は高く」、「創意に富み」、「能力も衰えていない」からだ。

次にオバマが発した言葉は興味深かった。優秀なアメリカとアメリカ人は、「想像力が共通の目的と出会った時」、「必要が勇気に結びついた時」にアメリカを作り直すことができると言った。
「想像力と共通の目的」、「必要と勇気」といった対の概念は、言われればなるほどであるが、少なくとも私には発想が出来ない。このあたりは、アメリカ人が突如として元気を取り戻したりする際のマジックなのかもしれない。

そしてオバマは、アメリカ社会の再構築のみならず、政府のリストラにも言及する。「我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ」 さらに、国民にその答えを出してくれ、「答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる」と宣言する。それは、「公共の利益に通じる」かどうかで判断してくれと言い切る。

この辺りの覚悟については、羨望の思いを禁じ得ない。「あさう」さんと読むんだっけ? 何処かの内閣最高責任者もこのスピーチを耳にしたなら(読んでも読み違えが多いから、側近に読んでもらえばいい)、腹をくくってくれないかな。行きつけの店の常連の一人は、「あの程度のバカなら許せる」と言っていたたが、とっくに度は超えている。「公共の利益」程度の漢字であれば読み違いもないだろうから、いい機会だ、もういっぺん考え直してみてくれ。

国家の安全に話は続き、今後は「安全と理想を天秤にかけるという誤った選択を拒否する」、「大義の正当性や模範を示す力」と表し、加えてイラク撤退やアフガニスタン増派に触れ、自らの立場を改めて明確にした。
ソマリア沖の海賊討伐のための自衛艦派遣が可能になる日本は、今後の軍事力展開について明確な態度と法整備を急ぐ必要がある。よもや、国民財産の保全と建前を天秤にかけるような愚行は犯さないで欲しいと願う。

話はその流れにおいてテロに及び、「イスラム世界よ。<中略> 握った拳を開くなら、我々は手を差し延べよう」と、「権力にしがみつく者」へ向けて言った。当然、国を代表しメッセージを発する事ができるのは、メディアを含めある権力を有するものだけだから、「イスラム世界」とされる国々がどのように反応するのか興味深い。

また、ここでは同時に、「貧しい国々の人々よ、我々は誓う」と延べ、「我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう」と宣言し、加えて「我々も世界と共に変わらなければならない」とアメリカ社会に対しても、変化を促した。これは、大きな経済問題を抱える米国にとっては、非常に辛いオブリゲーションとなるわけで、今後具体的にどのような方策が考え出されるのか注目したい。
環境、省エネ、太陽他エネルギー発電において世界をリードする日本の技術は、これを受け知恵を絞らなければならない。オバマのこの発言は、低迷する日本の製造業への活性剤、もしくは新たな基準で考慮される製造業全般のエネルギー問題、環境問題における日本の科学技術展開の可能性を広めることに繋がるのではないだろうか。

今回何かとリンカーンを持ち出されるオバマの言動だが、次に彼は、ケネディーのスピーチを拝借したと思わせる内容を口にする。テロの流れのなかで、中近東をはじめ紛争地域に派遣された兵士に言及し、彼らを誇りに思う理由は、「奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意志を体現している」からだと言った。これは、ケネディーが就任演説で語った、「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」を受け、イラクやアフガンの兵士達は今正に、その問いの答えを体現しているのだと訴えているのだろう。
兵士らをその具現者として讃えなければならない状況をもまた、アメリカが危機に瀕している事実をオバマ流に表現したのかもしれない。そして、これは多くの人々から様々な解釈のされ方をするに違いない。オバマはどのようなマネージメント手腕を見せてくれるのだろうか。

スピーチは後半に差し掛かり、新たな責任についてが語られた。オバマが仕向ける新たな挑戦において、その成功の鍵を、「誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観」であるとし、これらの価値感こそが進歩するための力となってきたという「事実に立ち返ることだ」と呼びかけた。冒頭に語ったように、社会の有り様は、教育を含め危機に瀕しているとの強い認識がオバマにも勿論アメリカ市民にもある。そして、ここに価値感として挙げられたものは、おそらく世界中のどんな国においても人間の重要な資質であることは間違いがない。つまり、アメリカは今、人間そのものが病んでいるのだと言っている。国や社会を変革するうえで最も重要な民力が、現在衰えているのだということを言っている。
我々日本人はどうであるか、と少し考えてみたい。私が見る限り、数年から十数年のタイムラグをおいて、明らかに日本人はアメリカ人の後を追っているからだ。明日は我が身であると言いたい。

結びとしてオバマは、「我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか」、「自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と」と締めくくった。
1997年、ビル・クリントンの第二期就任演説において、やはり締めくくりの言葉として彼はこういった。「まだ顔見ぬ世代や、その名前もわれわれは知らない世代が、ここにいるわれわれにこう言うことを祈ろう。われわれが、愛する土地を全てのアメリカの子供たちに生きたアメリカンドリームをもたらす新しい世紀に導いたと。すべての人々にとって、より完全に連合したアメリカの約束が現実となるような新しい世紀に、そしてアメリカの激しい自由の炎が全世界に広がる新しい世紀に導いたと」

たった十年前の事だ。アメリカが唱え続ける「自由」、次の世代へ送り届けたい「自由」とは、いったいどういうものなのだろう。自由に物が言える世界、しかし気に入らなければ殴り倒される世界。必死に金持ちを目指す事のできる社会、そして道で餓死する人間を放っておく社会。
自由はあったほうがよいに決まっている。しかし、重要な事は、自由は必ず枠組みの中にしか存在しないということだ。枠組みを決める事が、即ち自由を形作るということだ。アメリカの枠組みは複雑になりすぎたのかもしれない。
故に、オバマは「あの日にかえりたい」に違いない。しかし、今日の演説を耳にして、三億人を数えるアメリカ人の中には、どれほど多くの「あの日」が想起されたのだろう。はたして、オバマはそれをまとまりのあるメージや思想、アイコンに向けて導いて行く事が出来るのだろうか。「どの日を思い浮かべたっていいだろう。ここは自由の国だから」ということにはならないのか。

たのむぞ、オバマ。アンタが転けると、やり直しの利かないところまで行っちゃう年寄りが、世界にはゴマンと居るのだ。

何故か軍服姿の荒井由美
「あの日にかえりたい」


荒井由美つながりで、『「いちご白書」をもう一度』ベトナム戦争バージョン