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2010-01-29

開高

長い時を経て開高と再会した。呆と彷徨っていた私の目に、古本屋のワゴンに山積みされた薄黄色くなったカバーの中から開高の人懐こい目が笑いかけていた。1990年に出版された、週刊プレイボーイ「男になるための教養講座」の特別編集版だ。

開高健は、格好の良いオヤジだった。もう随分昔の人だから比べるのもなんだが、今時のチョイワル著名人など足下にも及ばない男っぽさがあった。小説家だが小説なんか書かないでアマゾンでピラクルなんかを釣っていた。ベトナム戦争へ出かけて行ってるのに、酒と食い物の話しかしない。パリを歩けば雲古と万古にしか目がいかない。

村上龍が就任する前に偉い文学賞の審査員を長いことやっていた。そういえば、村上の週刊プレイボーイの連載は開高の後を継いだものだ(と思う)。偉い小説家なのに、のっけから下ネタ全開の「男講座」だった。だから、幼さが抜けきらない高校生や大学生、勿論とうに抜けきった連中も喫茶店でニヤニヤしながら夢中で読んだ。

説教臭い話しはあまりない。ニヤニヤしながらスッゲーと思っていた。しかし、その頃の若いモン達は若いモンで、「そんなのどうってこうとないさ」っていう素振りを装った。ニヤニヤで誤魔化していた。中には凄さが分からずに本当にニヤニヤしていたたけの馬鹿も当然いた。当然、馬鹿は馬鹿で何かは感じていたと思う。でも、それが何なのかを確かめるためには、時代が拙すぎた。術がなかった。だから、馬鹿なヤツは鵜呑みにして国を飛び出した。

一方で、植草甚一がいた。今にしてみればサブカルの元祖のような人で、彼も面白かった。単行で出版されたソフトカバーの植草シリーズには、馬鹿な若いモン達が嵌らずにいられないキラキラした話題が満載された。「カトマンズでLSDを一服」なんて来られたらもう堪らなかった。植草の文章は最も新しい情報だった。どんどん出てきた。しかし、情報でしかなかったのも事実だ。「スッゲー」そのものの情報だった。インターネットだった。

開高は、ニヤニヤの中にそれを籠めた。ほんのり漂うスッゲーの素を練り込んだ。だから覚えている。覚えているから考える。考えるから、悶々とする。悶々とするから動き出す。術なんて分からないからとにかく動いてみる。そうしてみんな殻を破っていった。お利口さんは無駄なことはしないから、きちんと別の殻の中に自分を嵌め込んだ。馬鹿はそんな器用な真似ができずにはみ出した。

バブルが過ぎて、開高は死んで、村上は二人とも教祖になって、老けただけの馬鹿は未だに馬鹿のままだ。「男になるための教養講座」に収録された「小さな死」というエッセイの最後の一行を引用して、この駄文を終えよう。
「といいながら小生は立ちもせず、死にもせず、ただ座っている」

2009-03-11

霞町物語

プリズンホテルもそうだった。
二巻目の途中で、「もういい、分かった」なんぞと口走ってぞんざいに単行本を鞄に放り込みはしたものの、書棚にしまい込むことなく最後まで読んだ。挙げ句に、「冬は僕が貸して上げます」なんて行きつけのボーイに言われたりしたものだから、一気呵成に春の巻まで読み終えた。

食材を買いに通りへ出た夏の日に、ぶらりと寄ったブックオフでまとめ買いしたなかに「霞町物語」はあった。
人気お笑いのシニカルな時評やピラミッドが暗示する太古のもっと前の文明、映画の巨匠のドキュメントにクラシックな警察もの、アップルのヤバイ時代と白州次郎の話しなんかをめくりきったら読むもんがなくなっていて、最後に打棄ってあったこの一冊に手を延ばした。
霞町なんていうぐらいだから、どうせノスタルジックなほろ酔いダンスだろう、なんて思っていたら案の定そうだった。こんな本はウンコのお供でちょうどよいと、一日一度便意が来るとテーブルの上から老眼鏡とセットで掴み取り、便座の上でページをめくった。この数日便座で過ごす時間が大きく伸びた。

上京したのは新宿ののっぽビルがまだ三本しかなかった時代だが、それとてこの物語の時代から十年以上は経過していた。いや、たった十年というべきだろうか。当時既に見ることのできなくなった大通りの都電の風景は別にして、霞町交差点から青山墓地にかけてはデニーズもまだないうらびれた通りだったし、その途中の米軍跡地には軍新聞のスターズ・アンド・ストライプスがちゃんとあった。ミスティーという名の店は知らないが代わりにレッドシューズも健在だった。六本木にしたって、ロアビルとホットドック屋があるだけだった。
私が霞町をぶらつくようになったのは二四、五だけれども、バブルのお陰かヤクザな商売のお陰かいずれにしても他人様の力で回った金が豊富な時代であったから、物語の主人公が親のすねをかじって闊歩していた一七、八の頃と似たような浮かれ具合だったに違いない。仲間内では霞町は霞町だったし、タクシーのウンちゃんだって「はい、霞町ですね」という具合で、西麻布でしか通じなくなったのが何時の頃なのかが思い出せない。
街の見た目は移ろいでも、記憶の流れには溜まりができて、生粋だろうが余所者だろうが溜まりに浸かれば同じ水の酸いも甘いも覚えていく。そんな記憶を呼び戻し物語に出てくる人物達を目蓋に思い浮かべれば、田舎モンの私とて今のモンより少しはましな東京人かしらん、などとケツを丸出し便座の上で悦に入る。

結局、ノスタルジックなほろ酔いダンスであることに間違いはなく、だからなんなのサ。だから、こんな本は便所の中でさっさと済ませ、次へ行こうと扉を開けるのが正道です。出すモノを出した爽快感と、妙な自信を取り戻して、背表紙を閉じることができた本でした。
浅田次郎は、上手いな。ひょっとしたら、俺でも適わないかもしれない。