オヤジというものの評価のし直しが必要だと感じている。東北大震災による被害が、膨大な犠牲者被災者のみならずあらゆる分野で日本全土全国民に及び始めてきた。加えて東電と政府によるこの1ヶ月に及ぶ失策により、国際的にこの国が孤立するのではないかという危惧を持つに至ったからだ。何も大袈裟なことではない、今後の人生や生活や身の回りの状況に対し、一個人として漠然とした不安を持っているというまでのことだ。それは、おそらく大多数の市井の人々が持つ不安と同様だ。だから、その不安解消のためには、愛憎ごっちゃの感情の矛先であった「オヤジ」なる存在が必要だと考えるのだ。
結論を記せば、この社会には腹を括る気のあるリーダーが必要だということだ。なんだ、そんなことかと思うだろうが、そんなことだ。信頼のおける国のリーダーが長いこと不在だったことは国際的にも周知の事実。しかし、東電をはじめとするこの国有数の大企業においても、巨大な影響力を行使するに相応しい人物がリーダーの座にあったとは言い難い。数年前にもトヨタの新社長に就任したばかりの創業者の孫が、アメリカ人のいちゃもんにも似た突き上げに涙を流す映像が配信された。同情はかったかもしれないが、従業員や関連企業は「この人で大丈夫なのか」と思ったに違いない。そうかと思えば、後継者を探しあぐねたソニーはアメリカ人を社長に据え、既に月日の経過した話ではあるがニッサンは経営そのものの仕方をフランス人に託してしまった。「本当にオレ達のこと考えてくれているのか」と思う従業員や関連会社は少なくないだろう。持論を公表した自衛隊の司令官は有無を言わさずクビにされた。「田母神さんの意見は議論した方がよいのではないか」と感じているのは自衛官ばかりではないはずだ。最近では県知事の椅子は県民のためより国政に近づくための踏み石として利用されるようになった。「ワールドカップは世界市場へ自分を高く売り込むためのステップ」と同じになってしまったというのか。そして、見渡した先に頼れるオヤジが果たしているのか。
民主主義社会と、親分(オヤジ)の存在しない社会は同意義ではない。民主主義社会とは自らの手で親分を育て担ぎ上げる社会だと思っている。自分の親分だから大事に育てたいし、自分達で担いだのだからそれには責任を持つというのが正しいありかたである。もっといえば、自分達に最も恩恵をもたらす親分であればそれでよい。農業の占める割合の多い県では、百姓の生活や価値観を理解しそれに向けた施策を講じてくれる知事をもてばよろしいし、それによって工業や商業が他と見劣りしても甘んじるべきである。クルマを作る会社であれば、クルマそのものの社会的価値を理解した人間が陣頭指揮を執るべきであるし、原発を運営する会社であればマスコミや政治家の接待上手な経営者よりも、原子炉の構造や放射性物質の影響に詳しい者を社長として持つべきである。各省庁の官僚もしかり、自衛隊もしかりである。つまり、それぞれの社会や企業や組織が、本来為すべき事の上においてそれぞれのオヤジを持つべきなのだ。当然それらオヤジ達の上には、爺様がいる。爺様が頷くことで、オヤジ達は納得しなければならない。何故なら、その爺様は偶々生き残ったから在るのではなく、今この時代に生き残っていて欲しいから命を永らえているからだ。そしてこの爺様はわれわれの中にも生きている(はずだ)。オヤジ達は互いに侃々諤々を経た後、爺様の前に跪く。
かつてのこの国がそうであったように、すべての分野で奇跡のような成長を遂げていた時期には、政治経済界はおろか文化面においてまでも、後のあらゆる可能性に対応すべく「ジェネラリスト」養成に躍起になったことは正解であったに違いない。私自身も当時はそう信じていたのであり、目指そうとしていた。可能性は無限に思えたのだから、わざわざオヤジになどなりたくはなかったし格好の良いお兄さんでいたかった。そのほうが、人生も社会も楽しく幸福に思えた。しかし、その可能性は既に二十年も前に萎んでしまったのであり、当時持て囃されたジェネラリスト達はなんら具体的な打開策を打ち出すことができずにいつのまにか新手のスペシャリスト達の手によって隅へ追いやられてしまったように見える。しかし、今度は「グローバリゼイション」なるインチキ臭い米国への利益誘導型ムーブメントの台頭により「マネージメント」だけに精通した(つまり既得権益者や株主の顔色を窺うことに長けた連中)が多くの組織を牛耳る社会になってしまった。既に強大な実行力を持っている官僚達が、たいした株(実力)も持っていないのに大きな顔をする民主党政権に従わないのは至極当然の現象である。賢い彼らは国民から直接的な評価を得る場には姿を現さないように努めながら密かに復活の日を夢見ていたに違いない。なぜなら、彼らもまたインチキ臭い新手のスペシャリスト世界推進の片棒を担いでいたからだ。現在、われわれの中に爺様は存在しているか?
そしてこの震災と原発事故である。官僚組織は脈々と受け継がれる人的な資産を有している。良きオヤジが方々に在った時代の人間達だ。勿論現役の人的資産も数多有しているだろうが、かつて輝きを放った日本の成長を支えたオヤジ達の才覚を再活用する時がきたのである。ところが災いに遭遇した菅さんは、俺こそが親分であり今こそがそれを証明すべき時であると、使い慣れぬ脳みそと権力を謂わば悪用し始め、自分にとっての福に転じようとしている。この1ヶ月余りの失策と言おうか無策と言おうか、アメリカから強要されてようやく窒素を入れるなどという様をみていると益々そう思わざるを得ない。こんなときこそ「餅は餅屋だから各省庁のエリートさん方よろしくお願いします」と発すれば、事は速やかだったはずだ。経産省からは元佐賀大学学長の上村春男氏への打診がいったであろうし、外務省では米国やフランスに対する原発技術や人的な要請ができたはずだし、防衛省は当然米軍とタッグを組んだであろう。農水省がガイガーカウンターを揃えた可能性もあったであろうし、文科省は被災地の子供対策、厚労相は当然のように国境なき医師団と手を結んだはずである。首相はその権限を与え承認すればよかったのだし、更には非常事態宣言のもと福島原発をさっさと国の預かりとしてしまえばよかったのだ。「待った!をかけられているから手が下せない」阪神淡路大震災で批判を受けた一県知事と同様の非難を、国家の最終責任者が浴びせられているありさまだ。
そんなオヤジをわれわれ国民は担いでしまった。間接的であるなどと言い訳をすることは許されない。今、われわれは猛烈に反省しなければならない。私は猛烈に反省している。その片棒を担いでしまった事に対しては勿論、気づいていながらもその後個人としてできることをしてこなかった事実に対してである。悔しいが未曾有の国難ともいえる大惨事に際しようやく本気で認識するに至った。私の世代は、正しいオヤジを選択する目を持ち監視し続け、いざとなればそのオヤジと喧嘩してでも間違いを正すことにできる若い世代を育てなかった。嘘くさい幸福や美しさや洗練や屁理屈やちょいワルさなどに現をぬかし、若い世代と向き合う事をしてこなかった。おまけに、正しい情報がないと右往左往するばかりで、自らの目や耳を鍛え直すことを怠っている。三無主義などと揶揄された世代が私などより少し上にはあったが、こうして年を嵩ねれば実生活で無関心など装える事はないし、無気力で生き続けることはできない。社会に対する責任が小さいとも思わない。だが実際は、「底」といわれながらも豊かな経済状況や平穏な生活に、最も重要な爺様の姿を見失っていた。爺様が在るのだという事を若い世代に伝えて来なかった。
幸いにしてこの国は民主主義の様を呈している。沢山の我が儘オヤジが出現しても、担いでる者たちが間違いのない目を持っていれば暴走や狂走を制することができる。沢山の中には、いや沢山いればこそ冷静さを失わずにいるオヤジも必ず出現する。殊更現在は国際的にもオヤジの力量を発揮せざるを得ない。オヤジと慕ってくれる連中のために、国の内外を問わず侃々諤々やってくれるオヤジが必要だ。もう、空気を読んだり顔色を窺ったりするオヤジは必要ない。ましてや順番で回ってくるオヤジなど誰も従わない。一方、トモダチである米国は若いオバマを自分達のオヤジとして選出した。若さは厳しい現実を乗り切る上で重要なファクターかもしれない。しかし、その若いオバマでさえ就任演説の冒頭では、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。見習うべきオヤジ達がアメリカには存在したのだと語ったのだ。そしてそれらがアメリカ人一人ひとりの爺様だと語ったのだ。
われわれ日本国民には、国家の最終責任者を直接選出する術がない。しかし、そこへ至る過程に関与する術は持っている。間近に迫った都知事選は、われわれ都民にとって意志を反映させる絶好の機会であるし、また東北を除いて実施されている他の知事選や自治体の選挙も同様だ。公職選挙に限らず、様々な組織の理事や代表者の選出、果ては企業の経営者の選出にしても限界はあるにしてもそこに属する者達の意志反映を働きかけることが無駄になることはないはずだ。原発に関する政府発表に近い言い方になるが、この国においてリビやや周辺の国々のように暴動や革命といったかたちで国民の行動が爆発することにはならない。しかし、われわれ国民の不満や不安、そしてこの国の未来への恐れが臨界点に近づいていることは間違いないだろう。上杉隆のように「海洋汚染テロ国家に成り下がった」とは言わないまでも、この国から発信されるあらゆる者や人に厳しい視線が向けられることは必須だ。爆発もせず斜に構えることもせずどうすべきなのか。素直に襟を正さなければならない。臍に塩をしなければならない。一人一人が爺様の声に耳を傾け、自ら考え判断し、胸を張るオヤジにならなければならない。まずは、自分と自分の周りに対しオヤジで在らなければならない。
2010-08-28
説教、自尊心、情熱
「最近世界経済に対する興味が強くなったのですか?」という問いを投げかけられて「ん?」と思ってしまった。思った途端に私は話を止めた。関心があるのはこの国の明日についてだ。それはいつもそうだ。こんなオヤジとため口で杯を交わしてくれている君たち若い世代のことも、未だ小学生のわが子らのことも含めて、最重要関心事はこの国で移り変わっていく日々の事柄なのだ。だって、君たちや可愛い彼奴ら(息子達)が、いずれこの国を背負うのだから。この国の民としての誇りを担うのだから。萎び始めた俺たちだって、この国の状況を少しでも良い方向へ導くためには、我々が息を継ぐことができている最も重要な環境のひとつとしての世界経済へだって関心を持たないわけにはいかないだろう。
別に日本経済の現状を憂いているのではない。真意を伝えるのことの難しさを改めて感じたのだ。同じ内容を発しても立場や世代や職業その他によって受け取られ方は異なる。当たり前のことだし全てを相手の意のままに受け取るとのできる人間などいるはずもない。「人は見たいものだけを見、聴きたいことだけに耳を傾けているのだ」とはジュリアス・シーザーの言葉だ。彼の時代でもそうだったし、実質的に世界で最も権力を有した人間にしてもそうなのだ。伝えたい事と伝えられたと感じる事には常にギャップが生じる。これはキリストもムハメッドとブッダも同様に感じていたはずだ。
前出の質問者は、周囲の雰囲気が暗くなるのを嫌う。職業柄当然だし、性格的にも物事に執着するタイプではない。手っ取り早く結論を導き一旦終止符を打ちたがる。それはそれで悪いことではない。しかし、質問の端となった発言を「暗くなるから」ということで打ち切られれば、(打ち切られたわけではないのだが、そうした)こちらもすっきりできない。すっきりできなくとも良いが、彼に本来の意図が伝えられなかったことに忸怩たる思いが募る。嫌いな連中に罵声を浴びせるだけの無礼者だったとは思わないし、客の立場を利用して憤懣を吐き散らかそうというのでもなかった。「考えてみようよ」と伝えたかったのだ。たったそれだけ。むしろ生産的な意図だった。それが伝わらなかった。
ひょっとして彼はその時、説教を垂れられていると感じたのだろうか。仮にそうなら、こちらの非だ。勿論そんなつもりは全くなかったし、自身説教はするのもされるのも嫌いだ。誰かに説教されていると感じた途端、見えない煉瓦壁が瞬時に積み上げられ周囲を取り囲み、その中で目を閉じ耳と口を塞いだサルに変身していく自分がいる。説教は相手の自尊心を傷つける。活力や動機を生むどころか、せっかく進みかけている一歩を数十歩も後退させてしまう。だから、先の話が説教に聞こえていたのなら、それはこちらのコミュニケーションスキル不足およびコンテキスト構成能力の欠如が原因だ。
ほぼ同じ話を同年代にしたところ、こちらは驚くことに無反応だった。無反応と言ってよいほどリアクションがなかった。「ウム」と頷いて、ハイボールをぐっと煽っただけで続く言葉も質問もなかった。分かってくれたのか、諦めが進行したのかは定かでないが、やはり話を止めざるを得なかった。彼らは既に同じ年月だけ社会で闘ってきた連中だ。バブル崩壊以降のこの二十年も、「しんどい」「きつい」「もう無理」を何百回も吐きながら諦めることなく生きてきた連中だ。だから、こちらの意図などお見通しだ。「皆まで言うな」それがハイボールを傾けた時の無言のメッセージであった。彼は、一度は火の通りが不足だと店員に突き返した枝豆を一つちぎって口に放り込んで、次の話題に進んでいった。
「何時までも青臭いことを言いやがって」というのが彼の感想だったかもしれない。自尊心は傷ついたか。指折り数えて四十年を超える付き合いの相手が、この程度で傷はつくか?活力や動機を失うか、数十歩の後退をみるか。いや、おそらく彼は利のある内容だけを刻んで何処かにしまっておく。それ以外の膨大なブルシット(Bullshit!)は、店を出た途端にコンビニの燃えるゴミの箱に捨ててしまう。そしてすっかり忘れて眠りにつく。こちらも、それを知っているから安心して翌朝を迎えることができる。そうして数十年の「変わらぬ」付き合いが成立してきた。
ここまで進んで、何だ!俺の結論は年数のはなしだったか、ということに気がつき落胆した。仮に前出の質問者との付き合いが数十年にも及べば、先に記した危惧は無用で無意味だったということか。それではこのブログの結論がお粗末すぎる。きっと書き始めの意図は異なっていたはずだと一服して冷静さを取り戻す。
数年前に書いた物語の感想を思い出した。「いつもの説教臭さが感じられて、なんだかな」というのがあった。今では自分の道でキャリアを積み重ねるその女性も、学生だったその頃は毛の生えた少女のようであったから、親程も年の離れた者が創った物語などはその程度にしか理解できないのだろうとたかを括っていた。物語は、私自身がこれまで訪れた国々で耳にした寓話や言い伝えを詰め込んだもので、幾つかの経験を通して若者が少し大人に近づくといった内容のものだった。しかし今にして思えば、肝心の「大人に近づく」プロセスで喘ぎ脱皮する主人公の心の描写よりも、物珍しい諸国のエピソードを連ねただけの自慢話の押し売りにしか過ぎなかった。自尊心を傷つけたり活力を奪いはしなかっただろうが、メッセージは伝わらなかった。やはり何かが不足していた。技術や能力ではない、他の何かだ。
つい最近、韓国人の知人がやけに高揚して口を開いてきた。一念発起して北京へ移住するという。その日彼は辞表を提出してきたのだ。不安はあるが、ワクワクすると言っていた。数ヶ月に一度は戻ってくるから、その時は是非あなたの知恵をお借りしたいと社交辞令を口にした。「いや、私にできることなど」とこちらも謙遜したが、彼は彼で「私には必要な能力ですから」と返してきた。実は彼とは一度も仕事を共にしたことなどないし、交わした話しの内容に私のプロフェッションに関し何ら具体性を伴った情報を伝えた覚えもない。しかし一方、何故だか彼との話には、漠としていながらも互いの思いが込められていた。祖国や日本、仲間や旧友、互いの文化やその優劣。そして自らにとっての意義や思い。毎度そんな終わり方で杯を置いていたという記憶がある。その晩彼は、「きっと戻ります。その時は是非」と繰り返し口にし帰っていった。
数年前の物語には無くて、北京へ旅立つ知人との付き合いに在ったものは明白だ。ひょっとしたら、前出の質問者との会話にもそれは不足していたかもしれない。情熱だ。青臭いが情熱だ。人に伝えるべきは意図かもしれない。それを支援するのは会話の技術や能力かもしれない。しかし、伝達の目的を達成させるのは熱量だ。一過性のものではなく、何時触れても感じることのできる同じ種類の熱。「まだやっているんですか」と嘲笑気味の言葉を投げかけられても「はい、おかげさまで」と返すことのできる熱。決して失うことはないだろうと思わせる熱。染み着いた熱。
「熱中症にはお気を付け下さい」と繰り返されるこの夏だが、ときに太陽に顔を向けることが重要だ。エアコンの効いた部屋の中で思案に耽ってばかりいては自分の強さに気づかない。環境の厳しさを感じることはできない。それを乗り越える胆力が身につかない。肌身に受けた熱を感じて自分のものとし、それを伝えていくことが重要なのだ。繰り返せば、それは思想と化していく。やがて誇りとなる。それは人に伝わる。暑っつい(汗)
別に日本経済の現状を憂いているのではない。真意を伝えるのことの難しさを改めて感じたのだ。同じ内容を発しても立場や世代や職業その他によって受け取られ方は異なる。当たり前のことだし全てを相手の意のままに受け取るとのできる人間などいるはずもない。「人は見たいものだけを見、聴きたいことだけに耳を傾けているのだ」とはジュリアス・シーザーの言葉だ。彼の時代でもそうだったし、実質的に世界で最も権力を有した人間にしてもそうなのだ。伝えたい事と伝えられたと感じる事には常にギャップが生じる。これはキリストもムハメッドとブッダも同様に感じていたはずだ。
前出の質問者は、周囲の雰囲気が暗くなるのを嫌う。職業柄当然だし、性格的にも物事に執着するタイプではない。手っ取り早く結論を導き一旦終止符を打ちたがる。それはそれで悪いことではない。しかし、質問の端となった発言を「暗くなるから」ということで打ち切られれば、(打ち切られたわけではないのだが、そうした)こちらもすっきりできない。すっきりできなくとも良いが、彼に本来の意図が伝えられなかったことに忸怩たる思いが募る。嫌いな連中に罵声を浴びせるだけの無礼者だったとは思わないし、客の立場を利用して憤懣を吐き散らかそうというのでもなかった。「考えてみようよ」と伝えたかったのだ。たったそれだけ。むしろ生産的な意図だった。それが伝わらなかった。
ひょっとして彼はその時、説教を垂れられていると感じたのだろうか。仮にそうなら、こちらの非だ。勿論そんなつもりは全くなかったし、自身説教はするのもされるのも嫌いだ。誰かに説教されていると感じた途端、見えない煉瓦壁が瞬時に積み上げられ周囲を取り囲み、その中で目を閉じ耳と口を塞いだサルに変身していく自分がいる。説教は相手の自尊心を傷つける。活力や動機を生むどころか、せっかく進みかけている一歩を数十歩も後退させてしまう。だから、先の話が説教に聞こえていたのなら、それはこちらのコミュニケーションスキル不足およびコンテキスト構成能力の欠如が原因だ。
ほぼ同じ話を同年代にしたところ、こちらは驚くことに無反応だった。無反応と言ってよいほどリアクションがなかった。「ウム」と頷いて、ハイボールをぐっと煽っただけで続く言葉も質問もなかった。分かってくれたのか、諦めが進行したのかは定かでないが、やはり話を止めざるを得なかった。彼らは既に同じ年月だけ社会で闘ってきた連中だ。バブル崩壊以降のこの二十年も、「しんどい」「きつい」「もう無理」を何百回も吐きながら諦めることなく生きてきた連中だ。だから、こちらの意図などお見通しだ。「皆まで言うな」それがハイボールを傾けた時の無言のメッセージであった。彼は、一度は火の通りが不足だと店員に突き返した枝豆を一つちぎって口に放り込んで、次の話題に進んでいった。
「何時までも青臭いことを言いやがって」というのが彼の感想だったかもしれない。自尊心は傷ついたか。指折り数えて四十年を超える付き合いの相手が、この程度で傷はつくか?活力や動機を失うか、数十歩の後退をみるか。いや、おそらく彼は利のある内容だけを刻んで何処かにしまっておく。それ以外の膨大なブルシット(Bullshit!)は、店を出た途端にコンビニの燃えるゴミの箱に捨ててしまう。そしてすっかり忘れて眠りにつく。こちらも、それを知っているから安心して翌朝を迎えることができる。そうして数十年の「変わらぬ」付き合いが成立してきた。
ここまで進んで、何だ!俺の結論は年数のはなしだったか、ということに気がつき落胆した。仮に前出の質問者との付き合いが数十年にも及べば、先に記した危惧は無用で無意味だったということか。それではこのブログの結論がお粗末すぎる。きっと書き始めの意図は異なっていたはずだと一服して冷静さを取り戻す。
数年前に書いた物語の感想を思い出した。「いつもの説教臭さが感じられて、なんだかな」というのがあった。今では自分の道でキャリアを積み重ねるその女性も、学生だったその頃は毛の生えた少女のようであったから、親程も年の離れた者が創った物語などはその程度にしか理解できないのだろうとたかを括っていた。物語は、私自身がこれまで訪れた国々で耳にした寓話や言い伝えを詰め込んだもので、幾つかの経験を通して若者が少し大人に近づくといった内容のものだった。しかし今にして思えば、肝心の「大人に近づく」プロセスで喘ぎ脱皮する主人公の心の描写よりも、物珍しい諸国のエピソードを連ねただけの自慢話の押し売りにしか過ぎなかった。自尊心を傷つけたり活力を奪いはしなかっただろうが、メッセージは伝わらなかった。やはり何かが不足していた。技術や能力ではない、他の何かだ。
つい最近、韓国人の知人がやけに高揚して口を開いてきた。一念発起して北京へ移住するという。その日彼は辞表を提出してきたのだ。不安はあるが、ワクワクすると言っていた。数ヶ月に一度は戻ってくるから、その時は是非あなたの知恵をお借りしたいと社交辞令を口にした。「いや、私にできることなど」とこちらも謙遜したが、彼は彼で「私には必要な能力ですから」と返してきた。実は彼とは一度も仕事を共にしたことなどないし、交わした話しの内容に私のプロフェッションに関し何ら具体性を伴った情報を伝えた覚えもない。しかし一方、何故だか彼との話には、漠としていながらも互いの思いが込められていた。祖国や日本、仲間や旧友、互いの文化やその優劣。そして自らにとっての意義や思い。毎度そんな終わり方で杯を置いていたという記憶がある。その晩彼は、「きっと戻ります。その時は是非」と繰り返し口にし帰っていった。
数年前の物語には無くて、北京へ旅立つ知人との付き合いに在ったものは明白だ。ひょっとしたら、前出の質問者との会話にもそれは不足していたかもしれない。情熱だ。青臭いが情熱だ。人に伝えるべきは意図かもしれない。それを支援するのは会話の技術や能力かもしれない。しかし、伝達の目的を達成させるのは熱量だ。一過性のものではなく、何時触れても感じることのできる同じ種類の熱。「まだやっているんですか」と嘲笑気味の言葉を投げかけられても「はい、おかげさまで」と返すことのできる熱。決して失うことはないだろうと思わせる熱。染み着いた熱。
「熱中症にはお気を付け下さい」と繰り返されるこの夏だが、ときに太陽に顔を向けることが重要だ。エアコンの効いた部屋の中で思案に耽ってばかりいては自分の強さに気づかない。環境の厳しさを感じることはできない。それを乗り越える胆力が身につかない。肌身に受けた熱を感じて自分のものとし、それを伝えていくことが重要なのだ。繰り返せば、それは思想と化していく。やがて誇りとなる。それは人に伝わる。暑っつい(汗)
2009-12-04
植柳
東西の本願寺に挟まれた植柳(しょくりゅう)という地域がある。少し西寄りに古びた小学校がある。交通指導の老人に尋ねると、植柳という地名そのものが、小学校から生じたものらしい。明治以来この地に立ち続けるという由緒あるこの植柳小学校も、在校生が80名足らずとなり、来年か再来年には廃校となる予定だ。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。
師走
12月1日。師走に入った。初日から高速列車で西へ移動した。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。
京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
2009-11-18
だいちょう V
目が覚めても床から出たくなかった。空腹も感じなかった。多少の緊張があったのかもしれない。
指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。
折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。
普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。
ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。
ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。
「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。
覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。
※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。
指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。
折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。
普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。
ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。
ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。
「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。
覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。
※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。
2009-09-29
イタリアの秋刀魚と築地の万年筆
蝋燭も並べられらいほどの齢を祝ってもらった上に、イタリア製の万年筆と新幹線図鑑と携帯電話充電器とシルバーの絶縁テープに加え秋刀魚までもらって帰宅した。二日連続分泌され続けた脳内麻薬のおかげか熟睡もできた。大量に煽ったアルコールも残っておらず朝はすっきり目が覚めた。
目が覚めると真っ先に秋刀魚の事が頭に浮かんだ。「築地で仕入れたんです」という店長の言葉が耳の奧に残っているような。とにかく早く食べたい。自ら秋刀魚を焼くなどおそらく二十年ぶりだ。窓をいっぱいに開け玄関の扉に靴を挟み込み、換気扇を回してコンロに火を点ける。焼き網が赤くなったところでジュッと秋刀魚を置く。プチプチと音を立てて皮が焼けていく。焦げた皮がまたいいんだ。しかし焦げすぎは禁物。火加減を調節して脂がしみ出てくるのを眺めていると、脳の片隅で「そういえば万年筆」と囁く声がする。視界では秋刀魚が嬉しそうに弾けている。こんな時は一点に集中することが肝心なのだ。二兎追う者・・・と言うではないか。菜箸で秋刀魚を持ち上げ焼け具合を確認する。うむ、良い感じだ。もう少しこのままで大丈夫。
耳元の囁きは大きくなり身体が堪えきれなくなる。万年筆の包みに向かって、「分かってるよ、今相手をしてやるからな」と呟くと、 横目で秋刀魚を確認し、卓袱台へ移動して包みを解く。洒落たマークが印刷された箱を開けると鮮やかなオレンジ色の万年筆が眩しい笑顔を向けてきた。カチッとキャップを抜き取り、クルクルとお尻をネジってカートリッジを差し込んだ。何か注意書きのようなものが箱の隙間から顔を覗かせているが、なあに万年筆の扱いなら慣れている。今更何を。
ブシューッと大きな音がして万年筆より更に鮮やかな炎が目に飛び込む。いかん! 万年筆を卓袱台に置き秋刀魚のもとへとって返した。流石に築地物、脂ののりがよいのだ。盛んに弾ける脂に喉が反応して涎が出てくる。煙る秋刀魚をひっくり返そうと菜箸で摘むと、楽しみにしていた皮は焼き網にひっ付いてベロリと剥がれてしまった。まったく、だから言わぬことじゃない。万年筆は逃げも隠れもしないから今はとにかく秋刀魚に集中。しばし頭と尻尾にも火を通し、身の詰まった腹を再び火の上へ。用心のため更に火を弱めた。脂の弾け方に注意、注意。反対側の皮は死守しなければならない。なんたって、秋刀魚は焦げた皮が旨いのだから。
タバコに火でも点けようか。いやいやここは秋刀魚に集中しなければならない。同じ過ちを繰り返すことは赦されない。なんたって秋刀魚は皮が旨いのだから。自らを制するように腕組みをし、手持ちぶたさに頭を振ると万年筆が視界に入る。キャップを外したままだ。これはうっかりと卓袱台へ歩み寄り、キャップを摘んだ。愛らしいオレンジ色が微笑みかける。ちょっと書いてみるか。右手に持ち替えて、ペン先を紙に滑らせた。ペン先にインクが染みるまで暫く書き殴らねばならない。承知している。なんたって私は万年筆の扱いに慣れているのだ。紙の上には色のない浅い溝だけが連なっていく。クルクル連なっていく。それにしても時間が掛かりすぎる。尻を捻ってカートリッジのインクを確かめる。希に劣化したインクは堅くなってペン先へ流れていかない。何度か揺らしてみるがインクに問題はなさそうだ。仕方なく、再びペン先を走らせる。出ない。インクが出てこない。どうしたというのだ。せっかくのイタリア製万年筆。友人がわざわざ銀座まで足を運びあれこれ悩んで私にピッタリのオレンジを選んでくれた万年筆。されど、紙の上には無色の溝が刻まれていくだけ。
と、先ほどとは比べものにならないほど大きな音とともに再び鮮やかな炎が二〇センチほど立ち上った。しまった、またやってしまった。急ぎ駆け戻った時、秋刀魚は哀れにも焼けただれてしまっていた。菜箸で摘むと、ぼろりと腹の肉が崩れ落ち、僅かに残った皮が漸くのことでつなぎ止めている。大半の皮は先ほどと同様に焼き網に見事にくっつき、在りし日の秋刀魚の姿を留めている。火は見る間に焼き網の皮へも回り大袈裟に炎を上げ始めた。築地物がたっぷりと脂を滴らせたのだ。不自然な形に持ち上げた腕の先には、より不自然な姿に変わり果てた秋刀魚がぶら下がり、左手は頭上から皿を一枚引き抜こうとしている。こんな時にはチビが恨めしい。皿が思うように引き抜けない。力を込めると、右手にぶら下がった秋刀魚が真ん中から千切れそうにぶらりと揺れる。
漸くのことで皿の上に秋刀魚を落ち着かせた。サランラップを解いたときに見せていた、あの凛々しく背筋を伸ばした姿とは似てもにつかない無惨な黒こげの魚肉が転がっている。いつかみた光景。そうだ、二〇年前にも同じように原型を留めない秋刀魚を見た。この歳月は何の成長ももたらしてはくれなかったのだ。肩を落として卓袱台へ運ぶと、先ほどまで笑顔を振りまいていたイタリア制万年筆の姿が見えない。乱暴に秋刀魚の皿を置き跪いて卓袱台の下を覗き込むと、見事に命を取り戻した万年筆のペン先から青いインクが血のように滲んでいる。年中敷きっぱなしで薄汚れたホットカーペットの上に一円玉ほどの歪な青い染みが色濃く浮かんでいる。万年筆を摘み上げた右手を見つめると突如として自分への苛立ちが沸き上がり、同時に勢いよく身体を起こした。その拍子に卓袱台の角を肩が持ち上げ、秋刀魚の皿が滑り落ちていくのが視界に入る。俺の秋刀魚! 咄嗟に鷲掴んだ何物かで素早く秋刀魚の腹を掬い上げると、洒落たマークが印刷されたイタリア制万年筆のケースの中に無惨に焦げた魚肉が収まっていた。なんてことだ! 右手で直に秋刀魚を摘み上げ皿の上に戻した。カタリと音がして、再び万年筆が卓袱台から転がり落ちる。これは、堪らん。素早く右手で万年筆を受け止めた。築地物の秋刀魚の脂でてかる掌の中でオレンジ色の万年筆が微笑んだ。
目が覚めると真っ先に秋刀魚の事が頭に浮かんだ。「築地で仕入れたんです」という店長の言葉が耳の奧に残っているような。とにかく早く食べたい。自ら秋刀魚を焼くなどおそらく二十年ぶりだ。窓をいっぱいに開け玄関の扉に靴を挟み込み、換気扇を回してコンロに火を点ける。焼き網が赤くなったところでジュッと秋刀魚を置く。プチプチと音を立てて皮が焼けていく。焦げた皮がまたいいんだ。しかし焦げすぎは禁物。火加減を調節して脂がしみ出てくるのを眺めていると、脳の片隅で「そういえば万年筆」と囁く声がする。視界では秋刀魚が嬉しそうに弾けている。こんな時は一点に集中することが肝心なのだ。二兎追う者・・・と言うではないか。菜箸で秋刀魚を持ち上げ焼け具合を確認する。うむ、良い感じだ。もう少しこのままで大丈夫。
耳元の囁きは大きくなり身体が堪えきれなくなる。万年筆の包みに向かって、「分かってるよ、今相手をしてやるからな」と呟くと、 横目で秋刀魚を確認し、卓袱台へ移動して包みを解く。洒落たマークが印刷された箱を開けると鮮やかなオレンジ色の万年筆が眩しい笑顔を向けてきた。カチッとキャップを抜き取り、クルクルとお尻をネジってカートリッジを差し込んだ。何か注意書きのようなものが箱の隙間から顔を覗かせているが、なあに万年筆の扱いなら慣れている。今更何を。
ブシューッと大きな音がして万年筆より更に鮮やかな炎が目に飛び込む。いかん! 万年筆を卓袱台に置き秋刀魚のもとへとって返した。流石に築地物、脂ののりがよいのだ。盛んに弾ける脂に喉が反応して涎が出てくる。煙る秋刀魚をひっくり返そうと菜箸で摘むと、楽しみにしていた皮は焼き網にひっ付いてベロリと剥がれてしまった。まったく、だから言わぬことじゃない。万年筆は逃げも隠れもしないから今はとにかく秋刀魚に集中。しばし頭と尻尾にも火を通し、身の詰まった腹を再び火の上へ。用心のため更に火を弱めた。脂の弾け方に注意、注意。反対側の皮は死守しなければならない。なんたって、秋刀魚は焦げた皮が旨いのだから。
タバコに火でも点けようか。いやいやここは秋刀魚に集中しなければならない。同じ過ちを繰り返すことは赦されない。なんたって秋刀魚は皮が旨いのだから。自らを制するように腕組みをし、手持ちぶたさに頭を振ると万年筆が視界に入る。キャップを外したままだ。これはうっかりと卓袱台へ歩み寄り、キャップを摘んだ。愛らしいオレンジ色が微笑みかける。ちょっと書いてみるか。右手に持ち替えて、ペン先を紙に滑らせた。ペン先にインクが染みるまで暫く書き殴らねばならない。承知している。なんたって私は万年筆の扱いに慣れているのだ。紙の上には色のない浅い溝だけが連なっていく。クルクル連なっていく。それにしても時間が掛かりすぎる。尻を捻ってカートリッジのインクを確かめる。希に劣化したインクは堅くなってペン先へ流れていかない。何度か揺らしてみるがインクに問題はなさそうだ。仕方なく、再びペン先を走らせる。出ない。インクが出てこない。どうしたというのだ。せっかくのイタリア製万年筆。友人がわざわざ銀座まで足を運びあれこれ悩んで私にピッタリのオレンジを選んでくれた万年筆。されど、紙の上には無色の溝が刻まれていくだけ。
と、先ほどとは比べものにならないほど大きな音とともに再び鮮やかな炎が二〇センチほど立ち上った。しまった、またやってしまった。急ぎ駆け戻った時、秋刀魚は哀れにも焼けただれてしまっていた。菜箸で摘むと、ぼろりと腹の肉が崩れ落ち、僅かに残った皮が漸くのことでつなぎ止めている。大半の皮は先ほどと同様に焼き網に見事にくっつき、在りし日の秋刀魚の姿を留めている。火は見る間に焼き網の皮へも回り大袈裟に炎を上げ始めた。築地物がたっぷりと脂を滴らせたのだ。不自然な形に持ち上げた腕の先には、より不自然な姿に変わり果てた秋刀魚がぶら下がり、左手は頭上から皿を一枚引き抜こうとしている。こんな時にはチビが恨めしい。皿が思うように引き抜けない。力を込めると、右手にぶら下がった秋刀魚が真ん中から千切れそうにぶらりと揺れる。
漸くのことで皿の上に秋刀魚を落ち着かせた。サランラップを解いたときに見せていた、あの凛々しく背筋を伸ばした姿とは似てもにつかない無惨な黒こげの魚肉が転がっている。いつかみた光景。そうだ、二〇年前にも同じように原型を留めない秋刀魚を見た。この歳月は何の成長ももたらしてはくれなかったのだ。肩を落として卓袱台へ運ぶと、先ほどまで笑顔を振りまいていたイタリア制万年筆の姿が見えない。乱暴に秋刀魚の皿を置き跪いて卓袱台の下を覗き込むと、見事に命を取り戻した万年筆のペン先から青いインクが血のように滲んでいる。年中敷きっぱなしで薄汚れたホットカーペットの上に一円玉ほどの歪な青い染みが色濃く浮かんでいる。万年筆を摘み上げた右手を見つめると突如として自分への苛立ちが沸き上がり、同時に勢いよく身体を起こした。その拍子に卓袱台の角を肩が持ち上げ、秋刀魚の皿が滑り落ちていくのが視界に入る。俺の秋刀魚! 咄嗟に鷲掴んだ何物かで素早く秋刀魚の腹を掬い上げると、洒落たマークが印刷されたイタリア制万年筆のケースの中に無惨に焦げた魚肉が収まっていた。なんてことだ! 右手で直に秋刀魚を摘み上げ皿の上に戻した。カタリと音がして、再び万年筆が卓袱台から転がり落ちる。これは、堪らん。素早く右手で万年筆を受け止めた。築地物の秋刀魚の脂でてかる掌の中でオレンジ色の万年筆が微笑んだ。
2009-07-13
2009-07-07
再びMJ

今日もマイケル。
マイケルには三人の子どもがいるが、妻はいない。最初の二人の母親とは結婚していたが後に離婚し、三人目は代理母に生ませた。女を愛し、娶り、子を持ったという一般的な家庭像とは趣が異なる。一般人から遠くかけ離れた世界に生きていたのだから当然ではあろうが、それにしても単に子が欲しかったようにも感じられる。子どもというより遺伝子の継承者が欲しかったのかもしれない。本当のところは分からないが、そう感じる。
ニーチェは、男の愛というものについて、「人が心底から愛するのは、彼の子供と仕事だけである」と語ったが、マイケルはそれを実践したかのように見受けられる。マイケルが彼の子供達に向けた愛とは如何なるものであったか。
凡庸もしくはそれ以下なる私個人の愛情は、生前マイケルが彼の子供達に注いでいたものとは大きく異なるだろうと想像した。私の場合、子供達には、健康に生きて、私より後に死んでくれればそれでよいと思っている。要は彼らの人生を彼らなりに生きてくれればそれでいい。様々な制約はあるにせよ成人まではできうる限り子供らの成長を手助けしたいといった、非常に曖昧なものだ。そんなもので愛情かと問われれば、それも愛情だというしかない。所詮、親の愛情は、それをそうなのだと子が認識しないかぎり影も形もない。レスのないラブレターを送り続けるようなものだ。それを行い続けることのできるのが子への愛情と呼べるのかもしれないと考えている。
一方マイケルの場合は、桁外れな金額を遺産として残していった。(遺産の処理のされ方については脇に置いておき、)普通に考えても考えなくても、三人の子供が一生を送るに余りある金額だ。子供達の望みが金銭で適うものであれば大方のものは適えられるであろう。立派な愛情のかたちだ。再びニーチェの言葉を借りると、「偉大な人間において最も偉大なものは母性的なものだ ーー 父 ーー それは常に一つの偶然に過ぎない」とも言っている。その通りだ。父は偶然にしか過ぎないのだ。「できたみたいよ」と告げられるまで父親には何一つ分からないし、告げられたところで何一つ肉体的な変化があるわけではない。母親が文字通り心血を注ぐ愛情とは完全に別物の、父親の愛情というものがあるはずだ。充分な経済力は父親の愛情のひとつの形だ。(勿論、経済力を愛情のかたちとする女性も大勢いる)
マイケルが残した莫大な財産は愛情のかたちだったのか?
では、マイケルが財産の他に子供達に与えたかったものがあるとしたら、それは何だろう。カネ目当てに群がる連中が子供達を翻弄することは察していただろう。その中で、子供達が自分達の人生を生きたいように生きるための何かを与えたいとは考えなかっただろうか。奇行ばかりが取りざたされるマイケルだったが、そういった当たり前の感情は持たなかったのだろうか。とはいえ、市井の人々の人生を知ることができなかったマイケルに、私の言葉を期待しても無理があるだろう。しかし、それなら尚更、彼がカネの他に示したかった親としての愛情は如何なるものだったのか。
「愛情から悲しみが生じ、愛情から恐れが生じる。愛情から解放されている人に悲しみは存在しない。どうして恐れることがあろうか」
これは、ブッダが残したとされる言葉だ。ブッダは、子をもうけたその時に妻と子を捨てホームレスの生活を始めた。そこで、この考えに辿り着く。周囲との絆を断ち切って孤独となることに恐れを抱く必要はない。それが自由という状態であることに気がついた。
何かの番組で出演者の一人が言った。「マイケルさんは五十歳だったんですね。年齢などからかけ離れている人でした」
年齢に限らずあらゆる面で常人とはかけ離れていたマイケルには、もしかしたら一般的な愛情という概念が存在しなかったのかもしれない。それどころか、その面でも超越していたに違いない。マイケルはニーチェに加えブッダの言葉をも実践していたのではないだろうか。
貧しい人々や病に苦しむ人々、肌の色に悩まされる人々のことを数多く歌い続けたマイケルは、自ら周囲の一切を断ち切って、望むように生きようとした。「愛情」などという俗っぽい言葉は捨てて、苦しむのを止めて、自分が生きたいように生きようじゃないかとメッセージを送り続けた。そうやって世界中を激励し続けた彼は、自らの生き方でもそれを実践した。児童に対する性的虐待問題は正直何だったか分からない。しかし、奇行のひとつとされる様々な施設を借り切っての独りアソビやショッピングは、「誰も相手にしたくはないし、されたくもない」という意志から生じた行為ではなかっただろうか。ネバーランドもその延長に違いない。結局のところ、マイケルは周囲に手を差し延べようとはしても差し延べられることは拒んだ。悲しみや恐れや憎しみというものを遠ざけるために、孤高の存在を目指したのだ。
「カネは心配しなくてよい。周囲のことなど気にかけなくてもよいから、自分の生きたいように生きなさい。孤独になっても私の遺伝子を授けたのだから耐えられるはず。あとは、わたしの生き様を学びなさい。世界中の人が教えてくれるはずだ」 きっと、マイケルはこう言いたかったのだ。
お金の部分は除くとして、それ以外については凡庸な私にも頷ける部分が多い。生きたいように生きるためには孤独を恐れてはならない。愛情は結果として届くもので、その証を求めてはならない。生きる姿勢を示すことが、男の仕事なのだ。マイケルは意外に普通っぽいお父さんだったということが分かった気がする。
※前回の「Farewell MJ」に、「びっくりするほど滅茶苦茶な英語ですね」とのコメントが寄せられた。匿名というところが情けないが今時の人間にはこういう類が多い。英語の質なんかどうだってかまわないから、マイケルの死に少しでも感じたことがあるのなら自分の意見を言ってほしいな。それがないなら、マスでもかいてれば。
2009-06-30
Farewell, MJ
マイケルの死は悲しかった。
Micheal's death was so sad.
私と彼は年齢もほぼ同じだが、市井の人である私に対して彼は幼い頃から超のつく有名人。彼が私のことなど知らなくてもこちらはメディアを通じて彼の生涯を知った気分でいる。彼はいつしか超ガンバッテるダチのような存在になっていた。そして、勇気やパワーを与えてくれたのはいつも彼の方だった。
He is almost same age as me and he was super popular since his youth although I have been super ordinary. Although he, of course, never had known me, his life seemed very familiar to me through all the media. Moreover it was him to encourage me and give all kinds of power to me.
おかしな考えではあるが、仮にMJの死が二十代で訪れていたなら、私にとってどこか遠くの一アイドルの死で処理できたのかもしれない。しかし、それは齢五十を数えた男に訪れたものであり、三人の男の子もあり離婚も経験しているとなれば、とてもスクリーンの向こう側の出来事として片付けることができないのである。しかも、職業上の様々なストレスや事故の末に陥った、薬に頼らざるを得ない衰弱した肉体が原因となれば尚更だ。
His death might has been just one pop star's death to me if it had occurred to his twenties. I know it sounds a bit strange, though. As a matter of fact, he was a 50 years old man and he was a father of three kids after divorce. I can not handle his circumstances as one gossip from the other side of world. It is even heavier that the accidents and tremendous stress with job led the end of his exhausted body relied on drugs. Such death often occurs to the same age working men in my country.
その意味で、マイケルの死は酷く悲しかった。
His death is very tragic and sad in that way.
書き始めたばかりの物語は、アポトーシスをテーマにしている。アポトーシスとは、役目を終えたり異常を来した細胞が、自らスイッチを入れ自死するプログラムとその行為をいう。細胞は部位によって生まれ変わるサイクルが異なる。絶えず大きなダメージを受ける皮膚の入れ替わりは早く、外的刺激にさらされることなく且つ必要に応じてしか働かない内臓はそのサイクルが長い。しかし、いずれも最後の時を知り自ら死に向かうことでは変わりがない。それができないのが癌細胞で、これは薬や外科的な処置といった人為的対応でしか消去することができない。
The new theme on my story treats "Apoptosis". Apoptosis is a program taht the each single cell has inside of our body kills the cell itself. And a cell turns on the switch of program "Apoptosis" by itself. A cell has its own life span and the life span is different where it belongs in the body. For example, skin has a short life span with a lot of continuous damage by environment such as UV, compared with that internal organ has a longer span with less damage and no necessity of continuous activity. No matter what kind of cell, a cell turns on the switch and go forward to death knowing its time to die. Only exception of apoptosis is cancer cell. It has to be taken out by surgical treatment or killed by drugs.
マイケルは自らスイッチを入れたのだろうか。かつて周囲が彼を排除しようとしたことはないし、彼の場合はゴシップも含め益々の活躍が望まれていたのだ。となれば、市井の人が一生涯に為し得る数倍数百倍の活動を強いられ刺激に曝されたマイケルが、自らその役目の終わりを悟り、彼の肉体が死へのプログラムを起動したのだろうか。確かに彼の生涯は通常の何倍もの密度があった。見た目はどうあれ彼も自然の摂理に従って生きる人間であることには変わりがない。激しく炎を上げれば、蝋燭の寿命はそれだけ短くなる。そういう事だったのか。周囲が更なる彼の進化や生涯を目にしたいと願ったところで、彼の命にその願いを受け入れる余力は残されていなかったということなのか。周囲の願いを適えることのできない肉体を数多のチューブと人工心肺によって生き存えさせることより、フッと息を吹きかけ自らの炎を吹き消したのだろうか。
Did Micheal turn on switch by himself?
No one ever has put Micheal away, moreover every one was always looking forward to hearing and watching him including his gossip. Then again, did Micheal's body activate his program by himself knowing the time had come after his life long activity and stress thousands times harder and stronger than ordinary people? As fact, his life was too condensed to spend peacefully. Even though he looked like artificial, he was one of ordinary man living according to the nature providence. The candle burning twice brighter lives half longer of its life. Was that it? No matter how people wished to see his life and his evolution on works, nothing had been left in his life neither his body for people's wish. Was that it? Did he chose to blow his light off by himself rather than longer life with tubes and life extension system?
人生の終焉に悲鳴は上げただろうか?
Did he scream at the moment of his end?
一方、彼の子ども達にとっての彼の役割はまだまだ最後を迎えるべき時ではなかった。彼はそれをどう感じていただろうか。子ども達のために、たとえそれまでとは異なったとしてもライフスタイルを変えようとは考えなかっただろうか。顔の形を昔に戻そうとは思わなかったか。父という存在に悩むことはなかったか。天と地の両方を知るマイケルだからこそ、人生の本質を伝えたいとは望まなかったか。見ず知らずの乗客と一緒に狭いエコノミーシートで旅することや、順番を待たなければスプラッシュマウンテンには乗れないことや、欲しい家電製品を手に入れるためには雑踏を掻き分けなければならないことを伝えて上げたいとは思わなかったか。
On the other hand, Micheal as a father should not have had the end yet. I wonder how he felt about dying as a father of small kids. I wonder if he ever though about the change of his life style. I wonder if he ever wish to show his original smile to his kids. I wonder if he confused being a father. I wonder if he hoped his kids would know the meanings of life someday, because he is one of few man who knew both of heaven and hell. Travel in a small economy class seat with strangers, ride a splash mountain after waiting on a long line, walk in a crowded aisle in a electric store for a iPod. I wonder if he wanted to tell his kids that was a life.
最後の瞬間に無念の涙は溢れなかったか。
Did he drop tears of regret in heaven?
今後MJがスクリーンの向こうから私にパワーを分け与えてくれることはなくなった。しかし、会ったこともない赤の他人であるアイドルMJが、これまで一緒に人生を歩んできてくれたことは忘れないだろう。きっと思い出すだろう。これからは、まだ幼い彼の息子達がそれぞれの人生を自らの意志と勇気で歩んでいけるように祈ることにしよう。小さな恩返しだ。いや、同年代の一人として当たり前の感情のはずだ。
There is no more chance that MJ send us any messages nor encouragement. He was an idol whom I was never personally close to, still I will remember him lived in the same era and breathed the same air. Yes, I will. And from now on, I pray for his kids become strong enough to walk on their foot with will and courage. A little pay back. No, its just natural feeling of 50 years old ordinary man.
2009-06-26
嗚呼、バーバル
ここ一週間程、電話によるヒアリングを行っている。相手はどこも海外の法人だ。北米、オセアニア、欧州、アジア。基本的には英語で会話することになる。
英語は今やビジネスの共通語ということになっているが、各地で使われる英語はどれも同じではない。英語は一応使えるつもりでいるが、こちらの英語も何処かで覚えたもの。だから、話し方には地方色がでる。上手く通じてくれるとは限らない。そこが、もどかしい。もっと言えば、相手には通じていながらこちらが理解できない事が多い。そこに、苛立つ。
インドの英語なんか、英語じゃねぇし、韓国の英語も何だか聞き取れない。しかし、彼らも所謂ネイティブではないわけだから仕方のないことだと思うし、いざとなれば上から目線で、「よく分からん、もう一度頼む」と伝えれば、相手の方が気を遣う。ビジネス会話、特に英語での会話は如何に上段に立つかが肝心だから。それに、基本的には、互いに用件を済ませてさっさと会話を終えたいという思い気持ちは同じなわけで、聞きたいことを聞き頂戴するべき事を耳にしてしまえば、それまでとは打って変わった猫なで声で、「もう、本当に助かりました。感謝の言葉もない。神の祝福を」とかなんとか添えて、会話を打ち切って仕舞。
ところが、ネイティブと呼ばれる連中にこそ厄介な連中がいる。お国訛りはあったとしても、彼らはネイティブ。おそらく発音やイントネーションは彼らの方に分があるし、ボキャブラリーだって豊富なはず。今度は立場が変わって、相手のほうが上から目線になる。加えて、そういう連中の中には、暇なのか寂しん坊なのか唯のおしゃべりなのかは知らねども、口数の多いのがいたりする。オージー! よくもまあ、速射砲のように言葉を吐き連ねてくる。人が好いのは苦にならないが、こちらの求める一言二言に対し、延々と言葉を並べ立てる。
聞いている方は一応米国の標準言語のひとつとされるカリフォルニア語が身についているものだから、巻き舌は何とか対応するけれども、オーストラリアのあの訛りなのか低知能なのか田舎ものなのかが発するよく分からん語には閉口する。答えを確認したくて繰り返したりすると、そこにまた延々とよく分からん語で応答される。
基本的に、電話によるコミュニケーションは難しいのだ。何処かの権威が示すところによれば、バーバル(言葉)によるコミュニケーションは、コミュニケーション全体の7%ほどしか役に立っていない。相手の表情も仕草も何も目にすることができない電話では、残りの93%を補完する方法がない。仕事がちゃんとできて頭の回転もそれなりなら、こちらの要求を汲み取って必要な回答をくれるものだが、暇なのか寂しん坊なのか唯のおしゃべりなのかの氏はおそらくその93%を自分の欲求に任せ無関係な言葉として返してくれている。厄介なんだよ、こういう人。
「ところで、君の知りたかったのは何だっけ?」「おい、そんなことが最初の質問とどう関係するんだよ?」だって。
別に、オーストラリアに偏見があったりするわけではないのだけれどね。ただほんの少しだけ、気持ちよく飲んでいる時に邪魔されて殴り合いをしそうになったり、気に入らないという理由だけで仕事を辞めさせられたりみたいな事が普通にあるだけで、彼らのことをアホで間抜けな○○人のように思っているわけではないのだよ。ただ、ちょっとね。普通に会話してくれよ。
先日だって、主力メンバーが揃いさえすれば、あんな奴ら3-0で打ち負かしていたはずなんだ。
こっちまで、支離滅裂になってきた。
2009-02-06
アラフィーくらぶ・・・「世界の料理ショー」の巻き
私 「子どもの頃に、世界の料理ショーってのがあってね、・・・」
某アラフィー 「知ってる知ってる」
某アラフォー 「見てた、見てた」
本日のゲストは、四ッ谷にお住まいの某アラフィーと、板橋在住の某アラフォー。やっぱり宮台の説は正しそうだな。現アラフィー世代は、テレビ番組や映画といった話題に超食いつきがよろしい。
世界の料理ショーは、wikiによると、
<世界の料理ショー(せかいのりょうりショー、The Galloping Gourmet)は、1968年から1971年まで、カナダ放送協会(CBC)で制作・放送された料理バラエティー番組。料理研究家のグラハム・カーが司会を務めた>
40年も前だったんだね。私も随分とオマセなガキだったんだな。それにしても、アラフォー某氏は、何時ごろ観ていたんだろう。
因みに、グラハム・カーは71年、夫人と共に交通事故に遭い番組継続が困難になったため、番組を中断。その後90年代に入り「新・世界の料理ショー」がカーにより制作された。この時は、時代的な健康志向の高まりと夫人が病に倒れた事が重なり、低カロリーな料理を提案していたという。残念ながら、こちらは知らなかった。
さて、盛り上がったのは料理そっちのけで、やれ「ワインを口にしながら男が料理というところに憧れた」とか、「何故か男は刃物に惹かれる」だとか。誰も、具体的なレシピの事なんか持ち出しもしないし、覚えてもいやしない。あの頃は、あらゆる年齢が、西洋文化や異なるライフスタイルに対し強い憧れを抱いていた事の証なんだろう。
さて、実はグラハム・カーは料理好きの番組プロデューサーで、番組も所謂バラエティーの範疇でしかなかったのだが、それがウケた。実は現在、本物の「フレンチの神様」ジョエル・ロブションの料理番組が放送されているのだ。TOKYO MXの午前11時から25分間。お勤め人は誰も見る事のできないこの時間帯に、こちらは真剣そのものに料理を紹介する。勿論、レシピや手順も、ジョエル・ブロション自身が担当する。
なんといってもあのジョエル・ブロションだ(もう三回目の記載だから、きっとgoogleでも検索されるな。検索結果にみんなガッカリだ)。しかし、それだけだ。実に中途半端な作りで、番組的には興ざめだ。「7分煮たから、もうできたかな」などと言ったりする。何故に最近の料理番組は、全てを数量化するのであろうか。ツボがない。「さあ、ほろ酔いになったところで、お鍋の中を覗いてみようか」と、ワイングラスを舐め舐め横滑りに移動したグラハム・カー。TVという厨房での味付けは、番組プロデューサーに軍配が上がった。
ところで、・・・
誰かコーヒーの番組を作ってくれないか。エスプレッソ1人前を上手く淹れる方法が知りたい。理想のエスプレッソはあるから、それを毎度上手く淹れるコツが知りたい。
私が愛用するのはbialetti社のモカ・エクスプレスという1人用の抽出器。豆はヤマヤでまとめ買いするブラジル産の安物。開封直後の豆を、ショットグラス3/4の水で、弱火にかける。時々中を覗き込みながら、抽出口から「シューッ」という音が聞こえてきたところで「とろ火」に落とす。辛抱して見つめていると、悪魔の誘惑のような細かな泡(クレマ)が立ち上ってくるのが分かる。後は暫し辛抱。クレマがビアレッティの半分ほどに達したら、ショットグラスに注ぐ。コーヒーはまだ抽出されるからビアレッティをコンロに戻す。
実は、このグラスの底1センチにしかならない、言わば一番搾りだけが、本物のコーヒー。三四ミリの細かなクレマの下の溶けたチョコレートのよう真っ黒な1センチ弱のコーヒーに、私はティースプーンスリコギ1杯の砂糖を加えて頂戴する。とろけるクレマが舌先に絨毯となって敷き詰められ、甘さと苦さの絡まり合った濃厚な液体がその上を滑り込んでくる。初めてこの方法で抽出が出来た時は、トレステーベレ(ローマの下町)で味わったCafeを思い出してしまったほど。これぞ、コーヒー。スタバもタリーズも、セガフレドも超えてしまった。
普段お金を出して飲んでいる「美味しいコーヒー」は、その後ビアレッティに抽出された二番煎じ程度の味でしかない。お店で淹れるほうが美味しいに決まっているのだが、トレステーベレのように数ミリのコーヒーで納得するお客がいないから、日本のカフェでは量を増して提供している。豆の量は変わらないから当然薄くなってしまうのだ。因みに、スタバのカフェはかなり頑張っているものの、紙のコップがダメなのだ。そこが、頭の悪い効率性一点張りのアメリカ人には分からない。味覚は、視覚や嗅覚といった他の感覚と積み重なって生み出されるものなのだ。防水加工された紙コップにプラスチックの臭いのする蓋をされ、幅の広い底で僅かに残った廃油のようだ。スタバはコーヒーを殺している。
そんなことより、前述「奇跡のコーヒー」は気まぐれで、10度に1度しか淹れることが適わない。火力に差が生じぬようにと換気扇を止め窓も閉め息も殺し、水の量は何度も足したり捨てたりしながら案配を探し、豆の詰め具合もティースプーンの腹に親指を添えて慎重を期し、とにかく気を遣いまくって淹れたところで出来るとは限らない。エスプレッソの鍵となるクレマが上手く立ってくれない。レシピが作れないのだ。
エスプレッソは、クレマ。クレマがエスプレッソを決めるのだ。
誰か、百発百中で「奇跡のコーヒー」を淹れる方法を示してくれないか。
??百発百中だと「奇跡」とは呼べなくなるか・・・。
2008-12-16
"Santa Lucia"
Kids are singing "Santa Lucia" on the stage in Tokyo. Some of them are from different countries with their parents and some were born here. They do not speak italian very much, though.
ウチの子ども達も歌っています。
ウチの子ども達も歌っています。
2008-05-08
ではある
男と女が乗り込んできて目の前に立った。文庫本に目を落としていた視界に入ってきたのはまず女の足で、彼女の右足はその位置に着いた途端に靴を脱いだ。
二人とも両手でつり革にぶら下がるほど酔ってはいるのだが、男の言葉ははっきりしており、いや語尾に力をという意志が感じられ、一方女はと言えば脱いだ靴を踏み潰して頑張った右足で体重を支え、踵が外れかかった左足の踝は異常なほどに折れ曲がり、しかも電車の揺れに合わせてクネクネ踊り続けている。
左隣の女は俯いたまま何かに怯えるように体をビクつかせ、正面に深く座り込んだ女に至っては、もう膝を閉じる事さえできない。
丸ノ内線、終電一本前のありふれた風景ではある。
二人とも両手でつり革にぶら下がるほど酔ってはいるのだが、男の言葉ははっきりしており、いや語尾に力をという意志が感じられ、一方女はと言えば脱いだ靴を踏み潰して頑張った右足で体重を支え、踵が外れかかった左足の踝は異常なほどに折れ曲がり、しかも電車の揺れに合わせてクネクネ踊り続けている。
左隣の女は俯いたまま何かに怯えるように体をビクつかせ、正面に深く座り込んだ女に至っては、もう膝を閉じる事さえできない。
丸ノ内線、終電一本前のありふれた風景ではある。
2008-04-10
無題
コインランドリーで。
先に訪れていた老人が、洗濯し終わった衣類を乾燥機に放り込んでいる。仏頂面ではある。が、言うことを聴かなくなった体への苛立ちや、ついて行くことが難しくなった時勢への憤懣を露にするだけのよくいるタイプの年配者というわけでもない。来るべき時のために今の有り様を反芻するかのような眉間の皺。バタリと乾燥機を閉め、彼は一度その場を立ち去った。
長椅子に腰を下ろしてタバコに火を点け、途中まで読み進んだ池波正太郎を捲る。浅野内匠頭と吉良上野介。どちらかの過失というより、時を含めた巡り合わせであったのだ、と。
一〇分程して先の老人が戻る。前と同様仏頂面で乾燥機から衣類を取り出し、備え付けの衣類台の上で手早くたたむとまた無言で場を立ち去った。先は短い。ぐずぐずしている暇はないのだ。老体とはいえ、体の動きに切れはまだ残り、一陣の風のような印象。
気がつくと彼の持ち物らしい袋がテーブルに置き去りにされている。彼が去ったドアの方角に視線を送るが、その姿はすでに消えている。乳白色の薄いビニルに中身が透けて見える。処方薬のようだ。氏名に目を凝らすとそこには「大石力」とある。驚きを隠せずやおら開いたままの文庫に目を戻せば、まさに主税(ちから)の父、大石内蔵助の冒頭だった。
先に訪れていた老人が、洗濯し終わった衣類を乾燥機に放り込んでいる。仏頂面ではある。が、言うことを聴かなくなった体への苛立ちや、ついて行くことが難しくなった時勢への憤懣を露にするだけのよくいるタイプの年配者というわけでもない。来るべき時のために今の有り様を反芻するかのような眉間の皺。バタリと乾燥機を閉め、彼は一度その場を立ち去った。
長椅子に腰を下ろしてタバコに火を点け、途中まで読み進んだ池波正太郎を捲る。浅野内匠頭と吉良上野介。どちらかの過失というより、時を含めた巡り合わせであったのだ、と。
一〇分程して先の老人が戻る。前と同様仏頂面で乾燥機から衣類を取り出し、備え付けの衣類台の上で手早くたたむとまた無言で場を立ち去った。先は短い。ぐずぐずしている暇はないのだ。老体とはいえ、体の動きに切れはまだ残り、一陣の風のような印象。
気がつくと彼の持ち物らしい袋がテーブルに置き去りにされている。彼が去ったドアの方角に視線を送るが、その姿はすでに消えている。乳白色の薄いビニルに中身が透けて見える。処方薬のようだ。氏名に目を凝らすとそこには「大石力」とある。驚きを隠せずやおら開いたままの文庫に目を戻せば、まさに主税(ちから)の父、大石内蔵助の冒頭だった。
2008-03-04
ワーカーズハイ
今年も2ヶ月が過ぎた。時間の経過はこれほどにゆっくりとしたものであっったろうか。
年明け直ぐに最初の仕事にとりかかり、首都圏のあちらこちらを回る。実労時間は短いものだが、終止気を張りつめている必要がある。一語も聞き漏らすわけにはいかない。相手が無責任に吐き出す言葉の中から意味のある言葉だけを抽出し、ちょっとしたニュアンスの変化に裏を読む。笑顔を絶やさず相槌を打ちながら、手元では異常な速さでペンが走る。予定の時間が経過し、「では私はそろそろ別の会議がまっておりますので」と相手が席を立つ。どっと力が抜ける。緊張と解放を繰り返すとエンドルフィンが体中に分泌されているのがわかる。ランナーズハイなどと同様、一種のトランス状態に襲われる。しかし連日では流石に疲れる。よかった連休だ。
連休を明けて直ぐ、約10日間別の案件で缶詰にされる。文字通り缶詰で、小さな部屋で対象者と二人きり。まるで刑事と被疑者のようだ。刑事は終止笑みを浮かべていなければならない。ただでさえ緊張状態にある被疑者が、供述を拒まないようにするためだ。「さあ、怖くはないよ。正直にいってごらん」休みなく吐き出される質問に対象者はへとへとだ。しかし、確たる証拠を掴むまで彼を解放するわけにはいかない。ビデオを通して模様の監視を続けるデカ長や他の刑事達も苛立ちを隠せない。しかし、相手はもう限界だ。「しようがない、最後の質問に答えたら、今日のところは解放してやろう」相手の目に安堵の色が浮かぶ。そこを空かさず「言っておくがな、適当な答えに騙されるような俺じゃないからな」相手が頷く。5分後彼はカツドン代を手にし、背中を丸めて立ち去る。こちらを振り返る者は誰一人いない。
2月に入ると、また別の案件でIT企業への潜入を試みる。手強い相手にはこちらも徒党を組んで相対する。しかし、敵も然る者なかなか尻尾を出さない。手を換え品を換え、何とか急所を突こうとするが上手く行かない。結局、目的を達することなく退散することになった。「現地へ乗り込もう」寄せ集めではあってもプロの集団。リーダーの一声で、半数の人間が成田へ向かう。準備期間は殆ど無いに等しい。暗号のような難解な文章に機内で目を通しながらこの先一週間のミッションを把握する。
最初の渡航地では観光客になりすまし、人の流れに身を隠して目的の地へ辿り着く。一転ビジネスマンモードに切り替えると、手振り身振りを大袈裟に、リアクションも出来るだけ派手に振る舞いながら胸を張って人を掻き分ける。最初のアポイント先。単独で先行した斥候が既に10件に及ぶ予定を組んでいる。我々後発の部隊が定められた時刻と場所に現れ、見下した態度で情報を収集する。未だ日本市場の幻想係数は高く、偽造した名刺とそれなりの基礎情報を与えれば、相手は這いつくばるように希少な情報を差し出す。「何卒おねげえしますだ、お代官様」予想以上の収穫に部隊一同にうっすら笑みさえ浮かんでいる。しかし、次なる地で待ち受ける相手はレベルが異なる。心しなければならない。
日本からと同様に、各々が別々の便で次の目的地に飛ぶ。集合時刻、全員が旅行者になりすました身なりでおち合う。人通りを避け路地を分け入る。一軒の鄙びたビストロを発見しドアをくぐる。客は我々だけのようだ。主人は年老いたフランス人。他に従業員の姿も見あたらない。隅のテーブルに着き早速翌日の行動について打合せを始めた。安全が確保されている状態といえども細心の注意は怠らない。一つの文章を単一の言語で完了してはならない。英語、日本語、イタリア語やその他の言語を織り交ぜて話す。
料理が運ばれるたびに会話が途切れる。訝しげな主人に愛想笑いを返し、一口頬張る。悪くない。次には仕事を抜きに訪れてもよいだろう。料理を平らげると同時に打合せを終了する。時刻は深夜を回っていた。立ち去る間際に店のサインに視線を送ると、タイユバンとあった。
翌日、我々は古式豊かなスパイ小道具を身に着け相手先を訪れた。最新の電子機器は携帯電話を含め全て没収される。万年筆に仕込んだフィルム式の超小型カメラ、メガネのフレームに組み込んだ超小型のテープレコーダーなどなどを分担して持ち込む。全ての言葉に大袈裟に相槌を打つ。相手は、未開の土着人を見るような目つきで我々を眺め、なんでも来いと大風呂敷を広げる。思わず口からこぼれる機密情報。全ての会話が記録されている。目的は達した。
その翌日、既に全員が機内に居る。仮眠をとる者は誰もいない。帰国後この部隊の一部は、別の目的地へ向けタッチアンドゴーだ。私にも次なる使命が待っている。
数日後、新幹線の車中にいる。都内で別件の尋問を済ませ、場所を大阪に移して同様の取り調べに入る。少しばかり疲労を覚える。他人のことなどお構いなしの同行者は、一つ覚えのように「お好み焼き」を繰り返し口にしている。海外の仕事と異なり、国内では食事に不都合がない。しかし反面、組む者の質にばらつきが生じ本来無用な神経を遣う。だが俺はプロとして仕事を請け負う。泣き言はない。ただ、与えられた役割をこなす。
ようやく2月が終わった。じきに半世紀を迎える肉体は少々辛さを感じ始めているが、おそらくこの仕事から当分は足が洗えない。
年明け直ぐに最初の仕事にとりかかり、首都圏のあちらこちらを回る。実労時間は短いものだが、終止気を張りつめている必要がある。一語も聞き漏らすわけにはいかない。相手が無責任に吐き出す言葉の中から意味のある言葉だけを抽出し、ちょっとしたニュアンスの変化に裏を読む。笑顔を絶やさず相槌を打ちながら、手元では異常な速さでペンが走る。予定の時間が経過し、「では私はそろそろ別の会議がまっておりますので」と相手が席を立つ。どっと力が抜ける。緊張と解放を繰り返すとエンドルフィンが体中に分泌されているのがわかる。ランナーズハイなどと同様、一種のトランス状態に襲われる。しかし連日では流石に疲れる。よかった連休だ。
連休を明けて直ぐ、約10日間別の案件で缶詰にされる。文字通り缶詰で、小さな部屋で対象者と二人きり。まるで刑事と被疑者のようだ。刑事は終止笑みを浮かべていなければならない。ただでさえ緊張状態にある被疑者が、供述を拒まないようにするためだ。「さあ、怖くはないよ。正直にいってごらん」休みなく吐き出される質問に対象者はへとへとだ。しかし、確たる証拠を掴むまで彼を解放するわけにはいかない。ビデオを通して模様の監視を続けるデカ長や他の刑事達も苛立ちを隠せない。しかし、相手はもう限界だ。「しようがない、最後の質問に答えたら、今日のところは解放してやろう」相手の目に安堵の色が浮かぶ。そこを空かさず「言っておくがな、適当な答えに騙されるような俺じゃないからな」相手が頷く。5分後彼はカツドン代を手にし、背中を丸めて立ち去る。こちらを振り返る者は誰一人いない。
2月に入ると、また別の案件でIT企業への潜入を試みる。手強い相手にはこちらも徒党を組んで相対する。しかし、敵も然る者なかなか尻尾を出さない。手を換え品を換え、何とか急所を突こうとするが上手く行かない。結局、目的を達することなく退散することになった。「現地へ乗り込もう」寄せ集めではあってもプロの集団。リーダーの一声で、半数の人間が成田へ向かう。準備期間は殆ど無いに等しい。暗号のような難解な文章に機内で目を通しながらこの先一週間のミッションを把握する。
最初の渡航地では観光客になりすまし、人の流れに身を隠して目的の地へ辿り着く。一転ビジネスマンモードに切り替えると、手振り身振りを大袈裟に、リアクションも出来るだけ派手に振る舞いながら胸を張って人を掻き分ける。最初のアポイント先。単独で先行した斥候が既に10件に及ぶ予定を組んでいる。我々後発の部隊が定められた時刻と場所に現れ、見下した態度で情報を収集する。未だ日本市場の幻想係数は高く、偽造した名刺とそれなりの基礎情報を与えれば、相手は這いつくばるように希少な情報を差し出す。「何卒おねげえしますだ、お代官様」予想以上の収穫に部隊一同にうっすら笑みさえ浮かんでいる。しかし、次なる地で待ち受ける相手はレベルが異なる。心しなければならない。
日本からと同様に、各々が別々の便で次の目的地に飛ぶ。集合時刻、全員が旅行者になりすました身なりでおち合う。人通りを避け路地を分け入る。一軒の鄙びたビストロを発見しドアをくぐる。客は我々だけのようだ。主人は年老いたフランス人。他に従業員の姿も見あたらない。隅のテーブルに着き早速翌日の行動について打合せを始めた。安全が確保されている状態といえども細心の注意は怠らない。一つの文章を単一の言語で完了してはならない。英語、日本語、イタリア語やその他の言語を織り交ぜて話す。
料理が運ばれるたびに会話が途切れる。訝しげな主人に愛想笑いを返し、一口頬張る。悪くない。次には仕事を抜きに訪れてもよいだろう。料理を平らげると同時に打合せを終了する。時刻は深夜を回っていた。立ち去る間際に店のサインに視線を送ると、タイユバンとあった。
翌日、我々は古式豊かなスパイ小道具を身に着け相手先を訪れた。最新の電子機器は携帯電話を含め全て没収される。万年筆に仕込んだフィルム式の超小型カメラ、メガネのフレームに組み込んだ超小型のテープレコーダーなどなどを分担して持ち込む。全ての言葉に大袈裟に相槌を打つ。相手は、未開の土着人を見るような目つきで我々を眺め、なんでも来いと大風呂敷を広げる。思わず口からこぼれる機密情報。全ての会話が記録されている。目的は達した。
その翌日、既に全員が機内に居る。仮眠をとる者は誰もいない。帰国後この部隊の一部は、別の目的地へ向けタッチアンドゴーだ。私にも次なる使命が待っている。
数日後、新幹線の車中にいる。都内で別件の尋問を済ませ、場所を大阪に移して同様の取り調べに入る。少しばかり疲労を覚える。他人のことなどお構いなしの同行者は、一つ覚えのように「お好み焼き」を繰り返し口にしている。海外の仕事と異なり、国内では食事に不都合がない。しかし反面、組む者の質にばらつきが生じ本来無用な神経を遣う。だが俺はプロとして仕事を請け負う。泣き言はない。ただ、与えられた役割をこなす。
ようやく2月が終わった。じきに半世紀を迎える肉体は少々辛さを感じ始めているが、おそらくこの仕事から当分は足が洗えない。
2007-06-03
ブルース、俺も男だ
「パパ、鍵がかかっているよ」と、妻が二階で声を荒立てる。この家の一部屋だけ鍵のついた私の仕事部屋兼物置が、内側からロックされている。昼食を終え二階のもう一部屋で昼寝の体勢に入りかけた子供たちを睨み付けると、上の子から順番に「僕じゃないよ」と三度繰り返される(三番目はそれらしき音声という意味だが)。夫婦が顔を見合わせ互いが声に出さずに「誰に似たんだか」と呟く。
大家さんに連絡を入れるも、「あの部屋に鍵?記憶にないな」という返答。「探してみます」という言葉に期待を託してはみたが、携えてきた鍵の数々はどれも問題を解決してはくれなかった。「蝶番を外してみたら」と妻。ものは試しでさっそく取りかかるも、蝶番のピンは外せてもドアの厚みがそれ以上の進展を阻む。出張のサービスに頼むしかないかと半ば諦めかけたとき、大家さんは背の低い脚立を壁に立てかけていた。開け放たれた二階の窓までは、せいぜい4メートル程度の高さしかない。しかし脚立の端まで登ったとしても、ようやく腕を延ばして5センチほどの窓の縁にぶら下がるのがやっと。すっかり髪の毛を失ってしまったとはいえ、ブルース・ウィリスなら躊躇無く脚立を駆け登っていくだろう。未だ隆々とした上腕二頭筋が彼の身体を難なく持ちあげ、事も無げに窓からの進入を果たすことができるはずだ。
「私が行こうか?」と横で妻。「馬鹿なことを言うんじゃない」と脚立にしがみつき段を登り始めた。「押さえておいてくれ」とやや上ずり気味の声で後方支援を要請する。三段目で脚立が僅かに傾く。「お、押さえてくれって!」と声がひっくり返る。なんとか上まで辿り着いたが、ほぼ垂直に近い脚立の最上段に立ち上がることはできなかった。「やっぱり、コ、ワ、イ」
「台か何かで嵩上げすれば何とかなるかも」と大家さんの表情がパッと明らむ。言い終えると間もなく、風呂場の桟のようなものを携えていそいそとやってきた。「机か椅子は・・」との言葉に黙って頷き従っていた。食卓の椅子を二脚向かい合わせに並べ、桟を渡して土台をつくる。脚立の最上段に立ち上がることができるように、壁から充分な距離を取り傾きを大きくした。覚悟を決めて脚立を掴み、一段目に足をかけるとぐらりと傾いた。振り向いて声を出そうとした寸前、「大丈夫、押さえているから」と間髪を入れず妻が発する。下を見るなと自分に言い聞かせ、目指す二階の窓目掛けて兎に角腕を延ばし段を登る。
最上段まで辿り着いたが僅かに高さが足りず、数十センチは身体を持ちあげなければ窓から中に入り込むことはできない。しかし、躊躇したところで後戻りはできない。四つの目が俺の一挙手一投足を見つめているのだ。ここが男の尊厳を維持できるかどうか、天下分け目の天王山だ。足裏で梯子の段の感触を確かめながら、無用な力みを抑えるために一つ大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、大臀筋、内転筋、大腿二頭筋、腹筋、脊柱起立筋、それに下腿三頭筋に神経を集中させ、不安定な脚立の段を蹴った。僅かに余分なパワーが脚立を傾け、俺の身体は斜めに数十センチ持ち上がった。目指す窓枠は目論んだとおりの位置には近づかず、左方に過ぎ去ろうとしている。咄嗟に延ばした左手がそれ以上遠ざかるのをなんとか食い止めたが、俺は片腕一本で二階の窓から宙づりになった。「キャーッ!」妻の甲高い叫び声が耳に届く。「落ち着くんだ」五十も近いとはいえ、ヤツと違って髪の毛だってフサフサだ。こんなところでへこたれているわけにはいかない。俺はあらん限りの力を込めて、左腕の筋肉を収縮させる。少しづつ身体が持ち上がり、もう少しで右手を枠にかけることができそうだ。そう思ったとき、ズルッと音がしてトタンで覆われた窓枠が傾いだ。俺の身体はバランスを失い、くの字に曲げられていた左腕が真っ直ぐに延びきった。「キャーッ!」再び妻の声が耳に届く。上腕二頭筋に乳酸が蓄積されるのが感じられる。「来るなら来い!」と自虐的な笑みを浮かべ、再び腕の筋肉の収縮を試みる。その間も身体は右に左に揺れ続け、これから待ち構える困難な状況への想像を刺激した。楽しかった日々の記憶が脳裏を過ぎ去っていく。しくじるわけにはいかないが、仮にそうなった場合は当面の生活には困らない充分な保険金も支払われるはずだ。しかし、そんなことより最後の力を振り絞ることに全神経を集中させよう。それが俺がこの世に生を受けた証のはずだ。立つんだ!身体の揺れを空いた右腕でおさえながら、左腕だけで俺は再び上昇し始めた。窓枠が鼻先まで近づき、網戸を引き開けた。もう直だ。もうじき我が家に安寧が戻ってくる。男の責務を果たすことができる。子供たちの笑顔、妻の安堵の表情、大家さんの尊敬の眼差しが、平穏な生活の訪れを告げることになる。両手でしっかりと窓枠を握りしめ、ぐいと身体を持ちあげた。上半身が窓の内側に折れ曲がり、片足を滑り込ませて俺は室内に着地した。施錠されていたドアを開けると、不安顔だった三人の顔に笑みが戻り、「パパァー」と抱きついてきた。階下では目を潤ませた妻が尊敬の眼差しで俺を見上げている。
大家さんへ礼を告げるため玄関へ戻ると、脚立をたたみながら彼はこう言った。「やってみると意外に簡単でしたな」「まあ、私にとってはこの程度のこと」屋根々々の間から僅かに見上げる都会の空が、今日はやけに清々しい青だった。
大家さんに連絡を入れるも、「あの部屋に鍵?記憶にないな」という返答。「探してみます」という言葉に期待を託してはみたが、携えてきた鍵の数々はどれも問題を解決してはくれなかった。「蝶番を外してみたら」と妻。ものは試しでさっそく取りかかるも、蝶番のピンは外せてもドアの厚みがそれ以上の進展を阻む。出張のサービスに頼むしかないかと半ば諦めかけたとき、大家さんは背の低い脚立を壁に立てかけていた。開け放たれた二階の窓までは、せいぜい4メートル程度の高さしかない。しかし脚立の端まで登ったとしても、ようやく腕を延ばして5センチほどの窓の縁にぶら下がるのがやっと。すっかり髪の毛を失ってしまったとはいえ、ブルース・ウィリスなら躊躇無く脚立を駆け登っていくだろう。未だ隆々とした上腕二頭筋が彼の身体を難なく持ちあげ、事も無げに窓からの進入を果たすことができるはずだ。
「私が行こうか?」と横で妻。「馬鹿なことを言うんじゃない」と脚立にしがみつき段を登り始めた。「押さえておいてくれ」とやや上ずり気味の声で後方支援を要請する。三段目で脚立が僅かに傾く。「お、押さえてくれって!」と声がひっくり返る。なんとか上まで辿り着いたが、ほぼ垂直に近い脚立の最上段に立ち上がることはできなかった。「やっぱり、コ、ワ、イ」
「台か何かで嵩上げすれば何とかなるかも」と大家さんの表情がパッと明らむ。言い終えると間もなく、風呂場の桟のようなものを携えていそいそとやってきた。「机か椅子は・・」との言葉に黙って頷き従っていた。食卓の椅子を二脚向かい合わせに並べ、桟を渡して土台をつくる。脚立の最上段に立ち上がることができるように、壁から充分な距離を取り傾きを大きくした。覚悟を決めて脚立を掴み、一段目に足をかけるとぐらりと傾いた。振り向いて声を出そうとした寸前、「大丈夫、押さえているから」と間髪を入れず妻が発する。下を見るなと自分に言い聞かせ、目指す二階の窓目掛けて兎に角腕を延ばし段を登る。
最上段まで辿り着いたが僅かに高さが足りず、数十センチは身体を持ちあげなければ窓から中に入り込むことはできない。しかし、躊躇したところで後戻りはできない。四つの目が俺の一挙手一投足を見つめているのだ。ここが男の尊厳を維持できるかどうか、天下分け目の天王山だ。足裏で梯子の段の感触を確かめながら、無用な力みを抑えるために一つ大きく息を吸い込んだ。そして次の瞬間、大臀筋、内転筋、大腿二頭筋、腹筋、脊柱起立筋、それに下腿三頭筋に神経を集中させ、不安定な脚立の段を蹴った。僅かに余分なパワーが脚立を傾け、俺の身体は斜めに数十センチ持ち上がった。目指す窓枠は目論んだとおりの位置には近づかず、左方に過ぎ去ろうとしている。咄嗟に延ばした左手がそれ以上遠ざかるのをなんとか食い止めたが、俺は片腕一本で二階の窓から宙づりになった。「キャーッ!」妻の甲高い叫び声が耳に届く。「落ち着くんだ」五十も近いとはいえ、ヤツと違って髪の毛だってフサフサだ。こんなところでへこたれているわけにはいかない。俺はあらん限りの力を込めて、左腕の筋肉を収縮させる。少しづつ身体が持ち上がり、もう少しで右手を枠にかけることができそうだ。そう思ったとき、ズルッと音がしてトタンで覆われた窓枠が傾いだ。俺の身体はバランスを失い、くの字に曲げられていた左腕が真っ直ぐに延びきった。「キャーッ!」再び妻の声が耳に届く。上腕二頭筋に乳酸が蓄積されるのが感じられる。「来るなら来い!」と自虐的な笑みを浮かべ、再び腕の筋肉の収縮を試みる。その間も身体は右に左に揺れ続け、これから待ち構える困難な状況への想像を刺激した。楽しかった日々の記憶が脳裏を過ぎ去っていく。しくじるわけにはいかないが、仮にそうなった場合は当面の生活には困らない充分な保険金も支払われるはずだ。しかし、そんなことより最後の力を振り絞ることに全神経を集中させよう。それが俺がこの世に生を受けた証のはずだ。立つんだ!身体の揺れを空いた右腕でおさえながら、左腕だけで俺は再び上昇し始めた。窓枠が鼻先まで近づき、網戸を引き開けた。もう直だ。もうじき我が家に安寧が戻ってくる。男の責務を果たすことができる。子供たちの笑顔、妻の安堵の表情、大家さんの尊敬の眼差しが、平穏な生活の訪れを告げることになる。両手でしっかりと窓枠を握りしめ、ぐいと身体を持ちあげた。上半身が窓の内側に折れ曲がり、片足を滑り込ませて俺は室内に着地した。施錠されていたドアを開けると、不安顔だった三人の顔に笑みが戻り、「パパァー」と抱きついてきた。階下では目を潤ませた妻が尊敬の眼差しで俺を見上げている。
大家さんへ礼を告げるため玄関へ戻ると、脚立をたたみながら彼はこう言った。「やってみると意外に簡単でしたな」「まあ、私にとってはこの程度のこと」屋根々々の間から僅かに見上げる都会の空が、今日はやけに清々しい青だった。
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