私 「子どもの頃に、世界の料理ショーってのがあってね、・・・」
某アラフィー 「知ってる知ってる」
某アラフォー 「見てた、見てた」
本日のゲストは、四ッ谷にお住まいの某アラフィーと、板橋在住の某アラフォー。やっぱり宮台の説は正しそうだな。現アラフィー世代は、テレビ番組や映画といった話題に超食いつきがよろしい。
世界の料理ショーは、wikiによると、
<世界の料理ショー(せかいのりょうりショー、The Galloping Gourmet)は、1968年から1971年まで、カナダ放送協会(CBC)で制作・放送された料理バラエティー番組。料理研究家のグラハム・カーが司会を務めた>
40年も前だったんだね。私も随分とオマセなガキだったんだな。それにしても、アラフォー某氏は、何時ごろ観ていたんだろう。
因みに、グラハム・カーは71年、夫人と共に交通事故に遭い番組継続が困難になったため、番組を中断。その後90年代に入り「新・世界の料理ショー」がカーにより制作された。この時は、時代的な健康志向の高まりと夫人が病に倒れた事が重なり、低カロリーな料理を提案していたという。残念ながら、こちらは知らなかった。
さて、盛り上がったのは料理そっちのけで、やれ「ワインを口にしながら男が料理というところに憧れた」とか、「何故か男は刃物に惹かれる」だとか。誰も、具体的なレシピの事なんか持ち出しもしないし、覚えてもいやしない。あの頃は、あらゆる年齢が、西洋文化や異なるライフスタイルに対し強い憧れを抱いていた事の証なんだろう。
さて、実はグラハム・カーは料理好きの番組プロデューサーで、番組も所謂バラエティーの範疇でしかなかったのだが、それがウケた。実は現在、本物の「フレンチの神様」ジョエル・ロブションの料理番組が放送されているのだ。TOKYO MXの午前11時から25分間。お勤め人は誰も見る事のできないこの時間帯に、こちらは真剣そのものに料理を紹介する。勿論、レシピや手順も、ジョエル・ブロション自身が担当する。
なんといってもあのジョエル・ブロションだ(もう三回目の記載だから、きっとgoogleでも検索されるな。検索結果にみんなガッカリだ)。しかし、それだけだ。実に中途半端な作りで、番組的には興ざめだ。「7分煮たから、もうできたかな」などと言ったりする。何故に最近の料理番組は、全てを数量化するのであろうか。ツボがない。「さあ、ほろ酔いになったところで、お鍋の中を覗いてみようか」と、ワイングラスを舐め舐め横滑りに移動したグラハム・カー。TVという厨房での味付けは、番組プロデューサーに軍配が上がった。
ところで、・・・
誰かコーヒーの番組を作ってくれないか。エスプレッソ1人前を上手く淹れる方法が知りたい。理想のエスプレッソはあるから、それを毎度上手く淹れるコツが知りたい。
私が愛用するのはbialetti社のモカ・エクスプレスという1人用の抽出器。豆はヤマヤでまとめ買いするブラジル産の安物。開封直後の豆を、ショットグラス3/4の水で、弱火にかける。時々中を覗き込みながら、抽出口から「シューッ」という音が聞こえてきたところで「とろ火」に落とす。辛抱して見つめていると、悪魔の誘惑のような細かな泡(クレマ)が立ち上ってくるのが分かる。後は暫し辛抱。クレマがビアレッティの半分ほどに達したら、ショットグラスに注ぐ。コーヒーはまだ抽出されるからビアレッティをコンロに戻す。
実は、このグラスの底1センチにしかならない、言わば一番搾りだけが、本物のコーヒー。三四ミリの細かなクレマの下の溶けたチョコレートのよう真っ黒な1センチ弱のコーヒーに、私はティースプーンスリコギ1杯の砂糖を加えて頂戴する。とろけるクレマが舌先に絨毯となって敷き詰められ、甘さと苦さの絡まり合った濃厚な液体がその上を滑り込んでくる。初めてこの方法で抽出が出来た時は、トレステーベレ(ローマの下町)で味わったCafeを思い出してしまったほど。これぞ、コーヒー。スタバもタリーズも、セガフレドも超えてしまった。
普段お金を出して飲んでいる「美味しいコーヒー」は、その後ビアレッティに抽出された二番煎じ程度の味でしかない。お店で淹れるほうが美味しいに決まっているのだが、トレステーベレのように数ミリのコーヒーで納得するお客がいないから、日本のカフェでは量を増して提供している。豆の量は変わらないから当然薄くなってしまうのだ。因みに、スタバのカフェはかなり頑張っているものの、紙のコップがダメなのだ。そこが、頭の悪い効率性一点張りのアメリカ人には分からない。味覚は、視覚や嗅覚といった他の感覚と積み重なって生み出されるものなのだ。防水加工された紙コップにプラスチックの臭いのする蓋をされ、幅の広い底で僅かに残った廃油のようだ。スタバはコーヒーを殺している。
そんなことより、前述「奇跡のコーヒー」は気まぐれで、10度に1度しか淹れることが適わない。火力に差が生じぬようにと換気扇を止め窓も閉め息も殺し、水の量は何度も足したり捨てたりしながら案配を探し、豆の詰め具合もティースプーンの腹に親指を添えて慎重を期し、とにかく気を遣いまくって淹れたところで出来るとは限らない。エスプレッソの鍵となるクレマが上手く立ってくれない。レシピが作れないのだ。
エスプレッソは、クレマ。クレマがエスプレッソを決めるのだ。
誰か、百発百中で「奇跡のコーヒー」を淹れる方法を示してくれないか。
??百発百中だと「奇跡」とは呼べなくなるか・・・。
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