目が覚めても床から出たくなかった。空腹も感じなかった。多少の緊張があったのかもしれない。
指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。
折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。
普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。
ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。
ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。
「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。
覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。
※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。
1 件のコメント:
下呂が衝撃的に我が身を突き裂いたので思わずトィットしちゃいましたWW
http://twitter.com/korosuke_orz
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