たいした距離でもないのに序ででもなければ立ち寄らない場所というのはあるものだ。そのひとつが日本橋人形町界隈。十五年ほど前までは数年間毎日通った場所でもある。今日はその序でがあった。今は消滅してしまった小さな事務所に毎日朝から晩まで居ったのだから、当然昼飯はその界隈で済ませた。人形町には名だたる食い物屋が軒を並べているんだ。
交差点の主ともいえる洋食のキラク、ビーフステーキ2700円は立派なお値段。見かけはほんの数坪の、通り過ぎそうなお店だが歴史は古いんだ。一時は行列が途切れることのなかった親子丼の玉姫。俺は正直、一度も喰ったことがないのだけれどね。すき焼きの今半だって筋ひとつ入った場所に構えている。ランチのお値段は、ほんの少しだがキラクよりお安いんだ。キラクより気楽よ、なんて。しかし、夜は恐ろしい値段に化けるのさ。甘酒横町まで足を延ばせば、よく行ったもんだよ、やきとり久助。見渡せば、どうやらその頃より気の利いたラーメン屋が増えたし、たこ焼きやなんかも進出している。とにかく、食べ物の豊富さでは負けていないんだ、この界隈。
しかし、今日のお目当てはそんな有名でもメジャーでも今風でも何でもない、ただの中華屋。その名も、玉龍亭。名前だけはご立派だが、掘留公園で遊ぶ園児達の声にかき消されてしまうほどの、小さな、それこそ何処にでもある中華屋さんだ。昼時にはダッサイネクタイしめたサラリーマンが雪崩れ込み、半チャーハンとラーメンなんかをかき込むような、そんな昼飯屋だ。黄色の庇に赤い明朝体で「玉龍亭」。どうしても、そこへ行きたくなった。
なにせ十五年も前、当時既に充分にお年を召された父ちゃん母ちゃんがやっていた店。ひょっとしたら、危なっかしい連中に追い立てられて店をたたんでしまっただろうか。それとも、お父ちゃんのほうは逝っちまったんじゃないだろうかと、胸をドキドキさせながら辿り着いた。辿り着いたら、昔のまんまにそこにあった。昔の通りダッサイネクタイが暖簾をくぐり抜けていく。ちょっとしたタイムスリップだ。こっちも今よりずっと若くてダッサイネクタイを気取って締めていたりしたっけ。
前置きが長くなったが、何を隠そうこの玉龍はカツ丼の名店なんだ。って、俺が勝手に決めつけているだけなんだけど。いや、当時同じ事務所に通ったヤツも未だに「玉龍のカツ丼が無性に食いたくなる」と言っていたことがあるから、まんざらでもないんだ、玉龍のカツ丼。トンと置かれた丼の中で、少し残った半熟がプルるんと揺れるあの感じ、たった今揚げたての湯気を立ててるカツそのものだって、端っこにカリッとした衣の歯ごたえが残る職人技で、たいした肉でもないのに若さが求める「肉」の食感をきちんと満たしてくれる歯ごたえもほどよかった。隠れファンは確かに存在するんだ。今日は、その「無性に」が俺に訪れたわけだ。いやいや嘘はいけませんぜ、旦那さん。実は何日も前から楽しみにしていたくせに。そ、そうなんだ。iPhoneのスケジューラーに、わざわざ「カツ丼」なんて入力までして、打合せの相手に昼を誘われた時の用心に、「いや、今日は予定が立て込んでましてね」なんて白々しい台詞まで用意して、おまけに練習までして、向かったわけなのさ。
「へい、いらっしゃい」
昔のまんまだ。六人掛けが一つと、四人がけテーブルが二つ。時間が早いからテーブルは全部空いているのに、カウンターは満席。何故だかみんなカウンターから着くのがこの店の特徴だ。奧の14インチテレビでは、野茂のメジャーでの活躍もセナの事故死も知ったけ。年老いたはずの父ちゃん母ちゃんは、あれから一日も月日が過ぎていないかのように同じ姿形と元気でいっぱいだ。父ちゃんは、注文を復唱する時も挨拶をする時も、背中を丸めた格好で始終身体を揺らしながら中華鍋を振っていた。まるでカンフーサッカーのやけに頭突きの凄いオッさんみたいな風貌だ。額から汗が噴き出ている。カウンターの席に着くと、その元気と一緒に昼飯が腹を満たしてくれたんだ。
俺は正直十五年ぶりの、今となっては一見さんだから、大人しくテーブルに着いたよ。一人ぽつんとね。それで、これも昔と変わらぬプラスチックのメニュー立てを摘み上げた。やけに、スカスカなんだ、そのメニュー。老眼の次は、かすみ目か? いや、当時は裏も表も、麺類から飯類から、もやし炒めだ、ニラレバだ、酢豚だってあるんだぜと、ビッシリと両面を埋めていたメニューは、今や本当にスカスカなんだ。これでもかって程のボリュームが堪らなかったカツカレーも見あたらない。そんな物はどうだっていいんだ、今日はカツ丼よ。って、そのカツ丼の「カ」の字が見つからない。
そんなはずは無いんだよ。玉龍はカツ丼なんだ。カツ丼のない玉龍なんか、荒野のないアメリカ大陸みたいなもんだ。
「あのぉ、カツ丼は?」
「何年も前に止めちゃったのよ」と、元気いっぱいの母ちゃんは、そう言いながら何だか嬉しそうにしている。そんな顔で見つめないでおくれよ。俺はその時、一昼夜かけたグレイハウンドのバス旅の果てにフラれた少年のような情けない表情で母ちゃんを見返していた(に違いない)。
十五年の歳月を経て漸く辿り着いた日本橋堀留町の隠れカツ丼名店玉龍亭で、俺はカツ丼にフラれた。「こんなに長いこと放ったらかしで、どうしてもっと早く迎えに来てくれなかったのよ」という声が何処かでこだまする。どうすればよかったって言うんだ!
カウンターに並んだ背中は、忙しなく右手を動かしエクスタシーに身悶えしながらワンタン麺やら湯麺やらチャーハンをかき込んでいる。そうだよ。フラれた時だって空は青かったさ。その空に向かって「あばよ」と言って、俺はまた旅を続けたんだ。
「広東麺ください」
「はーい、広東麺。広東麺入ったよ」と父ちゃんは悪びれもせず母ちゃんに注文を伝えている。父ちゃんは自分で請けていながら、必ずそうやって母ちゃんに伝える。何年も何年も、仲良くやり続けている。二人でこの小さな店を元気いっぱい生きている。母ちゃん似の、容姿より心よってタイプの娘さんも、今では立派なお母さんになっているに違いない。俺だって立派かどうかは別にして親にもなった。思えば、随分と月日は経ったのだ。
バブルが弾けてもなお、横文字のタイトルや人より少しだけ高額なギャラに踊らされてチャラチャラ途を驀進していた俺たちに関係なく、ずっとずっとこうして地道にこの店を続けてきた父ちゃんと母ちゃんは、今でもこうして二人仲良くダッサイネクタイ達に熱々の昼飯と元気を分け与えている。俺も広東麺で汗だくになった。次の目的地へのエネルギー補給が完了した。
勘定に立つと母ちゃんは、「カツ丼ごめんね。昔のお客さんだね」とニコニコの目つきで言ってきた。「十五年ぶりです」
「あら、このお客さん、十五年ぶりだって。ちょっと、ねえ」と小さな店いっぱいに響き渡る元気な声で父ちゃんに叫んだ。店の客が何事だとばかりに振り返る。俺は恥ずかしくなって、小さな声で「元気でね」と言って背中を向けた。あやうく声が詰まりそうだったよ。
1 件のコメント:
人形町の昼時の風景が、
まるでジム・ジャームッシュの映画のように
感じられました。さすがです。
まだカツ丼をかわらず続けてたら、
逆に宝物感が無いかもしれませんね。
センチメンタル万歳★
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