車掌が、発車時刻に狂いが生じた理由を駆け込み乗車客がいたためと弁解している。25分間に四度めだ。俺たちはきちんと仕事をしている。問題が起きるのはいつもお前たちのせいだ。
空は気持ちよく晴れている。3時間のあいだにたった6分の遅れを取り戻してくれれば、誰も気にも止めない。
隣に席した男は倍ほどの体格で、きちんと自分のスペースに収まっているにもかかわらず、圧力を感じさせる。脳がそう感じる。その圧力の有無を実証はできない。客観的なものではないからだ。しかし、論証はできるかもしれないと、脳は考える。論証とは自己の内部で為される行為だから必ずしも客観性を伴うわけではない。隣の座席から感じるだけの無言の圧力の有無などという、世界の回転にとっては実にどうでもよろしい論証だから、きっとできたところで至極主観的なものだ。要は、彼の登場が理由のない居心地の悪さを感じただけなのだ。人というものは、いや私は我が儘なのだ。
そんなことを考えているうちに、隣の男がポケットからタバコを取り出して火を点けた。見れば私と同じ銘柄だ。たいへんメジャーなそのブランドの商品のなかにあって、常に継子扱いされるアイテムだ。関西の出張ではいつも入手に苦労するほどのマイナーな商品だ。
男を見れば私と同じような髭も蓄えている。体の威圧感に対して、目尻には人懐こい笑みも浮かんでいる。まんざら厭な人物ではないのかもしれない。
肘掛から取り外された灰皿が、テーブルの上に置かれている。男はタバコを押し付け火を消すと、缶コーヒーを飲み干す前に寝息を立て始めた。そうなのだ、腰掛けているだけとは言っても電車の長旅は意外に疲れる。仕事の前にしばしの休養は有効だ。見ればしっかり腕組みをして、他人のスペースを侵さぬ配慮もある。
それほど厭な人物でははさそうだ。言うほど圧力など感じもしない。私は乗車してから二本目のタバコに火を点けた。男の眠りを妨げぬように窓に向って煙を吐いた。
空は気持ちよく晴れ渡っている。あとは、列車が時刻どおりに到着してくれれば、きっといい日になるに違いない。
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