「100年に一度の未曾有の危機」に瀕した今日、米国史上初の黒人大統領という事実に加え、いまだ世界情勢に対し最大の影響を有する新しい指導者が生まれるのだから、その第一声を聞きたいと思った。結果は、スピーチの途中で眠気に勝てなかったわけだが、今朝和訳された就任演説を読み返し、そして思った。
「市井の皆さん」で始められた演説は、流石に素晴らしいスピーチであった。さらに思った。
オバマさん、少し早口じゃないかい。
彼の肉声がどの程度明瞭に現場に集った二百万人に伝わったのか分からないが、米国内はもとより各国が同時中継し、同時通訳されたスピーチの内容に多くの人々が耳を傾けたはずだ。深夜の完全な静寂の中にあってテレビで視聴している私でさえ、同時通訳の??世起子さんが負けじと早口でまくし立てた内容は一部追いつけないほどだった。
シンプルだが凝縮され理路整然とこれからのアメリカを語る新しい指導者が、自分達を置いてきぼりにするのを感じた「市井の」人々は少なくなかったのではないか。大統領として発する最初のスピーチである。「市井の」人々が受けた第一印象が、オバマの四年間にどう影響を及ぼすのかが、まずは楽しみになった。
余談だが、二百万人が生み出す静寂というものにも凄みを感じた。
途中までライブ中継で見た演説と今朝読み返した内容で次の事を感じた。
オバマさんはどの日に帰りたいの?
冒頭彼は、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。
犠牲や理想については、アメリカ合衆国建国時の人々についても、また人種問題を闘った先人たちについてをも含んでいるであろうが、今ここで想起し掲げるべき理想は、果たして眼前の二百万人を含めたアメリカ人に共通して認識されるものなのであろうか。現在の、「アメリカ人」と自覚すべき「市井の」人々のあいだに、それほど共有された原体験が存在するのだろうか。
続けてオバマは、「暴力と憎悪の広範なネットワーク相手に戦争を行っている」と現在の国家安全上の危機を定義し、「一部の強欲と無責任の結果」が経済的な危機を招いたとし、更に社会保障や環境、教育においても危機的な状況にあると語った。
これらは、直ぐにとは言わないが、必ず克服可能なものであり、これまで克服を阻害してきた「ささいな不満」、「偽りの約束」、「非難」、「言い古された定説」を終えさせると宣言した。「Yes, we can」である。
つまり、これからのアメリカが「変化」し向かう先は、「先祖の理想」だと言った。タイムマシンがあったとして、目指す先は西暦何年何月何日なのだろう? それはどんな姿だ?
次にオバマは、アメリカ合衆国の主役は、建国以前から「無名の働く男女」、つまり市井の人々であったと語った。彼らの「でこぼこした道を繁栄と自由を目指し」た長い旅が、現在を導いた。オバマの名台詞のひとつである、「白人の国も黒人の国もない、唯アメリカがあるのだ」を強調し、その人達の尊さは「生まれや富や党派を超え」、神からの約束である「平等」、「自由」、「あらゆる手段により幸福を追求する機会を与える」という考えを発展させてきた事であるとした。
アジアで過ごしたことのあるオバマは、何かの機会に美空ひばりの歌を聴いたのかもしれない。勿論、「川の流れのように」
オバマはいよいよアメリカを作り直そうと語る。ここでは、経済、科学技術、環境、医療・福祉、教育が主要な領域であり、これらにおいて「新たな成長の礎を整える事ができる」と語った。何故ならば、未だアメリカは、「力強い国」であり、労働者の「生産性は高く」、「創意に富み」、「能力も衰えていない」からだ。
次にオバマが発した言葉は興味深かった。優秀なアメリカとアメリカ人は、「想像力が共通の目的と出会った時」、「必要が勇気に結びついた時」にアメリカを作り直すことができると言った。
「想像力と共通の目的」、「必要と勇気」といった対の概念は、言われればなるほどであるが、少なくとも私には発想が出来ない。このあたりは、アメリカ人が突如として元気を取り戻したりする際のマジックなのかもしれない。
そしてオバマは、アメリカ社会の再構築のみならず、政府のリストラにも言及する。「我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ」 さらに、国民にその答えを出してくれ、「答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる」と宣言する。それは、「公共の利益に通じる」かどうかで判断してくれと言い切る。
この辺りの覚悟については、羨望の思いを禁じ得ない。「あさう」さんと読むんだっけ? 何処かの内閣最高責任者もこのスピーチを耳にしたなら(読んでも読み違えが多いから、側近に読んでもらえばいい)、腹をくくってくれないかな。行きつけの店の常連の一人は、「あの程度のバカなら許せる」と言っていたたが、とっくに度は超えている。「公共の利益」程度の漢字であれば読み違いもないだろうから、いい機会だ、もういっぺん考え直してみてくれ。
国家の安全に話は続き、今後は「安全と理想を天秤にかけるという誤った選択を拒否する」、「大義の正当性や模範を示す力」と表し、加えてイラク撤退やアフガニスタン増派に触れ、自らの立場を改めて明確にした。
ソマリア沖の海賊討伐のための自衛艦派遣が可能になる日本は、今後の軍事力展開について明確な態度と法整備を急ぐ必要がある。よもや、国民財産の保全と建前を天秤にかけるような愚行は犯さないで欲しいと願う。
話はその流れにおいてテロに及び、「イスラム世界よ。<中略> 握った拳を開くなら、我々は手を差し延べよう」と、「権力にしがみつく者」へ向けて言った。当然、国を代表しメッセージを発する事ができるのは、メディアを含めある権力を有するものだけだから、「イスラム世界」とされる国々がどのように反応するのか興味深い。
また、ここでは同時に、「貧しい国々の人々よ、我々は誓う」と延べ、「我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう」と宣言し、加えて「我々も世界と共に変わらなければならない」とアメリカ社会に対しても、変化を促した。これは、大きな経済問題を抱える米国にとっては、非常に辛いオブリゲーションとなるわけで、今後具体的にどのような方策が考え出されるのか注目したい。
環境、省エネ、太陽他エネルギー発電において世界をリードする日本の技術は、これを受け知恵を絞らなければならない。オバマのこの発言は、低迷する日本の製造業への活性剤、もしくは新たな基準で考慮される製造業全般のエネルギー問題、環境問題における日本の科学技術展開の可能性を広めることに繋がるのではないだろうか。
今回何かとリンカーンを持ち出されるオバマの言動だが、次に彼は、ケネディーのスピーチを拝借したと思わせる内容を口にする。テロの流れのなかで、中近東をはじめ紛争地域に派遣された兵士に言及し、彼らを誇りに思う理由は、「奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意志を体現している」からだと言った。これは、ケネディーが就任演説で語った、「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」を受け、イラクやアフガンの兵士達は今正に、その問いの答えを体現しているのだと訴えているのだろう。
兵士らをその具現者として讃えなければならない状況をもまた、アメリカが危機に瀕している事実をオバマ流に表現したのかもしれない。そして、これは多くの人々から様々な解釈のされ方をするに違いない。オバマはどのようなマネージメント手腕を見せてくれるのだろうか。
スピーチは後半に差し掛かり、新たな責任についてが語られた。オバマが仕向ける新たな挑戦において、その成功の鍵を、「誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観」であるとし、これらの価値感こそが進歩するための力となってきたという「事実に立ち返ることだ」と呼びかけた。冒頭に語ったように、社会の有り様は、教育を含め危機に瀕しているとの強い認識がオバマにも勿論アメリカ市民にもある。そして、ここに価値感として挙げられたものは、おそらく世界中のどんな国においても人間の重要な資質であることは間違いがない。つまり、アメリカは今、人間そのものが病んでいるのだと言っている。国や社会を変革するうえで最も重要な民力が、現在衰えているのだということを言っている。
我々日本人はどうであるか、と少し考えてみたい。私が見る限り、数年から十数年のタイムラグをおいて、明らかに日本人はアメリカ人の後を追っているからだ。明日は我が身であると言いたい。
結びとしてオバマは、「我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか」、「自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と」と締めくくった。
1997年、ビル・クリントンの第二期就任演説において、やはり締めくくりの言葉として彼はこういった。「まだ顔見ぬ世代や、その名前もわれわれは知らない世代が、ここにいるわれわれにこう言うことを祈ろう。われわれが、愛する土地を全てのアメリカの子供たちに生きたアメリカンドリームをもたらす新しい世紀に導いたと。すべての人々にとって、より完全に連合したアメリカの約束が現実となるような新しい世紀に、そしてアメリカの激しい自由の炎が全世界に広がる新しい世紀に導いたと」
たった十年前の事だ。アメリカが唱え続ける「自由」、次の世代へ送り届けたい「自由」とは、いったいどういうものなのだろう。自由に物が言える世界、しかし気に入らなければ殴り倒される世界。必死に金持ちを目指す事のできる社会、そして道で餓死する人間を放っておく社会。
自由はあったほうがよいに決まっている。しかし、重要な事は、自由は必ず枠組みの中にしか存在しないということだ。枠組みを決める事が、即ち自由を形作るということだ。アメリカの枠組みは複雑になりすぎたのかもしれない。
故に、オバマは「あの日にかえりたい」に違いない。しかし、今日の演説を耳にして、三億人を数えるアメリカ人の中には、どれほど多くの「あの日」が想起されたのだろう。はたして、オバマはそれをまとまりのあるメージや思想、アイコンに向けて導いて行く事が出来るのだろうか。「どの日を思い浮かべたっていいだろう。ここは自由の国だから」ということにはならないのか。
たのむぞ、オバマ。アンタが転けると、やり直しの利かないところまで行っちゃう年寄りが、世界にはゴマンと居るのだ。
何故か軍服姿の荒井由美
「あの日にかえりたい」
荒井由美つながりで、『「いちご白書」をもう一度』ベトナム戦争バージョン
1 件のコメント:
あの日にかえりたいは、たった一度だけライブで歌った曲です(笑)
オバマの演説は聴いてたけど、何を言っているのか理解するところまで至りませんでした。日本語なのに!!!
全訳文読んだほうが分かると思ってしまいました。
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