「iPhoneの何が素晴らしいってブラウザやらアプリやらオシャレやらって言う人がいるけど個人的にはiPodと携帯が一つになったのが良い点だと思う」というツイートがあった。「賛同する」とリプライした。一方で、何故日本にはこれを生み出すことができなかったのかという悔しさを感じた。
iPhoneは、クールに電話の会話ができてクールに音楽が聴ける唯一の道具として登場した。ソニーのウオークマンで電話をかけるのは様にならないし、通常の携帯電話機で音楽を聴くのはどこか中途半端な感じを与える。iPhoneのデザインと機能はその両方を成立させたという意味で秀逸だ。追随する同様の携帯電話機が例外なく似た外観や操作方法を持つのはiPhoneのそれを越えることができないという単純な理由からだ。機能性や操作性の向上を図った新たな携帯電話機は今後登場するだろうが、iPhoneは今後の携帯電話機の形態を方向づけたという意味で秀でている。素晴らしい!
一方日本の携帯電話(スマートフォン)が遅れている感は否めない。かつてウオークマンやコンパクトカメラをはじめとする様々な優れたギアを排出した日本であるからなおさらそう感じる。理由はデザイン、機能ともに後追いをしているからだ。明らかに日本オリジナルと感じることのできる製品を生み出せていない。それは企業経営層の発想が遅れているからだ。製造業の経営者のみならず、所謂知的産業界のエリートと呼ばれる連中の頭の中も、21世紀二つ目のディケイドに突入したというのに20世紀少年のままだ。製造業者に新たな発想を示唆するべき立場にいるマーケティングやシンクタンクと呼ばれる業界人の、特にトップ層に近い連中、責任を持つ人間たちの頭の中がそうなのだ。その結果、実際に製品を作る側も携帯電話は携帯電話らしく的な発想を一歩も踏み出すことができずにいるのだ。
デザイン面でも後追い感を拭えない。それは日本の工業デザイナーの質が劣るからではない。前述の通り、革新的な物づくりへの発想を受け入れられずにいる経営者層の判断が、最終的な見栄えを作り出す工業デザイナー達の創造性を潰しているからだ、と感じてしまうのは私だけだろうか。革新的な、言い換えれば、「機能やスペックなどひとまず置いておいて、とにかく人が喜びを感じることのできるもの」といったシンプルだがツボをおさえた発想によって生まれる、「前例のない」物作り、 -- かつてウオークマンが携帯性を優先してテープレコーダーから録音機能とスピーカーを取り外してしまったような -- 製品デザインで人々に問いかけるという試みに、トップが恐れをなしている。
より精巧でより高機能なといったスペック競争で半生を過ごしてきた物づくりの人間達、またそれを補佐してきたマーケティング業界人にとっては大英断に違いない。抵抗を感じるに違いない。しかし、事実大きな遅れを生んだ。ガラパゴス現象とも呼ばれる。日本の物づくりエリート達は、高機能だが所詮携帯電話にしか感じられないデザインの製品を未だ生み出し続けている。iPoneのiすら越えられずにいる。
iを認めてしまえばよい。自分を愛せたり信じたりできない者が、どうして他の人々に喜びを与えられるだろうか。音楽を聴きながら電話ができたら素晴らしい。二つだった物が一つになったら便利だ。そんなシンプルだが現代に生きる我々の単純な要求をクールなパッケージに包んで提供したiPhone。この発想に惚れ込んだのがスティーブジョブスだった。彼にとってiPhoneは、自分が一番欲しかった物であったに違いない。だからクールでスタイリッシュで使いやすい物を望んだのだ。生み出すことができたのだ。
iPhoneが生まれる前にiPodという、謂わば二番煎じでありながら秀逸な仕事をアップルの連中は成し遂げていたことも忘れてはいけない。まずは単一機能の製品でユーザーの心を完璧に捉えてしまった発想と製品デザインがあればこそのiPhoneだった。そこから生まれた1+1=何百倍という結論だったのだ。何処かの国のエリート達が拠り所にしている理屈なんかじゃなかった。ブルースリーの言うとおり、「考えるな、感じろ」をニッポンのエリート達にも実践してもらいたい。
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