携帯はどちらかの手の一部になってしまっている。視界にあろうとなかろうと、ワンアクションで掴むことのできる距離に携帯を置いている人が殆どだ。
携帯は、インターネットで世界と繋がっている。キャリアやモデルによっては、勝手に世界中のニュースがディスプレイされるものもある。時々刻々と最新の情報が入ってくる。
携帯は勿論コミュニケーションツールだ。そしてそのコミュニケーションの多くはメールになった。音声のコミュニケーションと異なり、後から見直す事もできる。おまけに、メールにはほとんどの場合絵文字がついてくる。まるでたった今コミュニケーションなされたかのような臨場感をともなっている。
しかし、携帯が提供できる情報は多くはない。実際には無限に可能だが、多くの場合ニュースも数行、メールも数行。そして、あとはさほど意味深くはないGIFFアニメーションのアイコンや絵文字だ。
「今の人たちは自己完結しすぎる」と知人が言った。届けられた情報量の少ないメッセージから、相手や出来事との関係性や状況を読み取り、事象を簡単に結論づけてしまう。
一度結論づけてしまえば、再度掘り返して思慮する必要がなく、全てを軽い状態に置いておけるし、そのほうが人生の重荷が減る。だから入手した情報は、さっと処理するほうがいい。と、先へ進めることなくピリオドを打ってしまうのだ。
みな、人生をサクサク前進させたい。
いいのか、それで?
今年は天皇陛下と美智子様が、金婚式を迎えた。朝のワイドショーでも結婚生活50年を迎えた数組のカップルを取り上げ、長続きする秘訣を紹介したりしている。秘訣は独自のものだから秘訣なので、マニュアルのようには機能しないのだから正直無意味である。しかし、50年は50年だ。サクサク過ぎていったはずはない。
人との関係は唯単に長ければ善いというものではないし、一定期間後終焉する。そして期間には各々の関係性により長短がある。しかし、期間に拘わらず関係の密度や質というものが多少なりとも重要視されるのであれば、そこそこの山谷があり奮起が必要だ。
人間関係において最も重要なのは相互理解であろう。理解を深めるためにギクシャクしたり頑張ったりする。確かめ合うのだ。
確かめ合うには勇気と忍耐が要る。無用とも感じられる波風を敢えて起こしてみる必要がある。
「それって、どういう意味?」
情報の量と質を増やすのだ。本当の理解と納得が得られるまで自らの手で情報を得るのだ。
出会わなければよい出会いはない。出会った人は、出会わなかった事にはできない。だから、理解し合う努力が欠かせない。勇気を奮い起こして理解の更なる一歩を進めなければならない。人生の重荷が増えることに畏れをなすことなく、涙に濡れ洟水を舐める姿を格好悪いと思うことなく、「それって、どういう意味」を発しなければならない。
オジサンの役目は、後に続く者達にそのことを伝えることだと思っています。身を以て伝える事だと思っています。
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