2008-12-31
雲一つない
高円寺の街は静かだ。今日は大晦日だし。
2割還元の肉屋には、おばちゃんからオッちゃんから兄ちゃんまでが長蛇の列をなしている。
腹減ってるか?
パチンコ屋の入り口に据えられたテーブルで若者が一人ゆったりと煙を吐き出している。
勝ったか?
古着屋の姉さんは、午後も随分回った時刻だというのに商品を並べている。
片付けているのか?
中年のカップルがその側を通り過ぎていく。
愛し合っているか?
新宿でも今日は人が少ない。歩みもゆっくりだ。
あてはあるのか?
茶店の女が、飲み干したコーヒーカップを摘んでくるくると手首を回している。
未練は断ったか?
空に雲はない。ビルの谷間から溢れた陽光の中で埃が光っている。
2008年は輝いたか?
今年の締めくくりに誰に会いたいか?
耳の奧ではどんな曲が鳴り響いているか?
どんな言葉を吐きたいか?
明日目覚めた時に光を目にしたいか?
また一日が過ぎていく。
2008-12-30
今日の選択
年商5000億のヤオハン元社長和田一夫夫人だったきみ子さんは、会社の倒産と共に一文無しになった。莫大な借金まで抱え、「それでも残りの人生を主人と一緒に生きようというのが、私の選択でした」と語った。
人は皆、日々選択をしながら生きている。選択をするというのは結果を受け入れるということだ。
右に行こうか左にしようか、朝鮭定食にしようかクォーターパウンダーセットにしようか、顔にしようか胸にしようか。毎日毎日人は選択する。左の方が近いはずだが急な坂道が続く、魚より肉の方が満腹感が得られるがメタボが気になる、胸は大きい方が楽しいけれど脳みそまで脂肪では適わないと、都度リスクを畏れながらも結局選択する。そうして手にしたものだけが結果となる。
今生きているこの瞬間、みな何かを選択している。予測通りに運ぶ事もあれば、運ばない事もある。それでも選択しなければ進む事も退く事もできない。だからきみ子さんも選択した。
初めは前掛けを着けたご主人と一緒に八百屋の店先に立つ事を選択した。慎ましい生活の中にも生きる望みを捨てなかったのだろう。やがて企業として成長するにつれ社長夫人として在ることを選択した。香港の街中をロールスロイスの後部座席から眺める生活も選択した。絶頂を感じていたかもしれない。そして破綻した。全てを失いどん底を見たかもしれない。
現在、和田夫妻は年金を頼りにきみ子さんが運転する軽四輪でスーパーへ買い物へ出向く。未だに夢を失わないご主人の背中に微笑みかけながら、「一緒に生きていく」ことを選択した。きっと悔いはあるだろう。しかし彼女はこれまでの人生を受け入れている。未だに選択する事を畏れていないのがその証拠だ。
***
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。
経験を積めば誰でも賢くなると考えるのは間違いだ。経験は人に結果をもたらす、その結果は人に教訓をもたらす、故に人は経験によって賢くなる、というのは間違いだ。
日本がバブルの後遺症からようやく抜け出したかどうかという時期に、海の向こうではサブプライムローンが金融の世界に好景気をもたらした。国土の狭い日本の場合とは異なり、広大な土地がある米国の選択だから大丈夫。
同じ轍を踏んでないかぁ? 人は、それがどんな教訓となるかに気づかない限り、有益な知恵を得る事は出来ない。結局、経験は何某かの結果を生むという唯一点だけが真実だ。
人は皆後悔したくはない。可能な限りリスクを回避したいと望み、経験を基にリスク軽減のための選択を行う。リスクを伴わない結果であれば、必ず満足が得られるはずだ。しかし、その「限りなくリスクの小さな」商品がもたらした結果はどのようなものであったろうか?
経験が乏しくても、代わりに歴史が知恵を授けると考えるのも間違いだ。一度の短い人生で得ることができる以上の知識を書物やインターネットは与えてくれるから、歴史を知る事はより優れた知恵を得る事になる、というのは間違いだ。
「日本のバブル崩壊のメカニズムについては完全に原因を解明し、今回は限りなくリスクをヘッジできる商品を選択したから、大丈夫」と日本のバブル期には学生であったろう金融のエリート達は胸を張っていた、のだろう。
怖さを知らないんじゃないかぁ? 歴史から学ぼうとすれば想像力が必要だ。しかし、これまでも歴史を学んだ創造的な人々が、必ずしも期待した通りの未来を得たわけではない。期待した未来を切り開く知恵を得たわけではない。結局、想像力は可能性を生むという唯一点だけが真実だ。
想像力の行き着く先が「見果てぬ夢」の類であれば、実現性を持つ前に夢の寿命が尽きてしまうから、想像力には突き詰めたリアリティーを以て望んだ。しかし、それが破綻し、富を持ち逃げした連中が去った後の世界のリアリティーは期待されたものだったのであろうか?
経験と想像力はセットではじめて意味をなす。凡庸な人間はまず経験を踏み結果を得、その上で賢者たらんとするならば結果がもたらした教訓を歴史的史実と照らし合わせてより高見へ至るための可能性を導き出す。経験は結果を生み、想像力は可能性を増やす。そして、そこから未来を選択する。
しかし、学び得た事柄が必ずしも好ましい未来を作るとは限らない。世界の人々が選択した結果が、こんな年の瀬の到来だと言うのだろうか。だとしたら、我々がこの間選択してきたこととは、いったい何であったのか。
***
年に何度となく朝まで飲み明かした悪友と今年は一度も杯を交わすことなく過ぎてしまった。仕事納めが昨日ということで、今年初めて、そして最後の約束を交わしたのが一週間前。さて本日、相手の都合で本日にしたのだから、セッティングは向こうが行うであろうと連絡を待つが、いっこうに連絡が入る気配がない。
辛い一年を送っていたから腰が重いのだろうか。それとも、俺との宴に興を感じなくなったのであろうか。それとも、借金返済のため本当に首が回らなくなってしまったのであろうか。それとも、・・・。
痺れを切らしこちらから場所と時刻の指定メールを送信すると、暫くして返信があった。
なんでも、彼の所属する不動産屋が管理する物件で自殺未遂事件が起こり、後始末のため朝から駆けずり回っているらしい。メールの最後は、「悪いなあ」と結ばれていた。
これが、彼が選択した年末の状況であったろうか。
***
今日この日、大晦日を前にして、これが自ら選択した一年の結果であることを受け入れる事ができるだろうか。未知の未来に畏れをなすことなく、新たな一年を選択する事ができるであろうか。和田きみ子さんのように。
人は皆、日々選択をしながら生きている。選択をするというのは結果を受け入れるということだ。
右に行こうか左にしようか、朝鮭定食にしようかクォーターパウンダーセットにしようか、顔にしようか胸にしようか。毎日毎日人は選択する。左の方が近いはずだが急な坂道が続く、魚より肉の方が満腹感が得られるがメタボが気になる、胸は大きい方が楽しいけれど脳みそまで脂肪では適わないと、都度リスクを畏れながらも結局選択する。そうして手にしたものだけが結果となる。
今生きているこの瞬間、みな何かを選択している。予測通りに運ぶ事もあれば、運ばない事もある。それでも選択しなければ進む事も退く事もできない。だからきみ子さんも選択した。
初めは前掛けを着けたご主人と一緒に八百屋の店先に立つ事を選択した。慎ましい生活の中にも生きる望みを捨てなかったのだろう。やがて企業として成長するにつれ社長夫人として在ることを選択した。香港の街中をロールスロイスの後部座席から眺める生活も選択した。絶頂を感じていたかもしれない。そして破綻した。全てを失いどん底を見たかもしれない。
現在、和田夫妻は年金を頼りにきみ子さんが運転する軽四輪でスーパーへ買い物へ出向く。未だに夢を失わないご主人の背中に微笑みかけながら、「一緒に生きていく」ことを選択した。きっと悔いはあるだろう。しかし彼女はこれまでの人生を受け入れている。未だに選択する事を畏れていないのがその証拠だ。
***
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。
経験を積めば誰でも賢くなると考えるのは間違いだ。経験は人に結果をもたらす、その結果は人に教訓をもたらす、故に人は経験によって賢くなる、というのは間違いだ。
日本がバブルの後遺症からようやく抜け出したかどうかという時期に、海の向こうではサブプライムローンが金融の世界に好景気をもたらした。国土の狭い日本の場合とは異なり、広大な土地がある米国の選択だから大丈夫。
同じ轍を踏んでないかぁ? 人は、それがどんな教訓となるかに気づかない限り、有益な知恵を得る事は出来ない。結局、経験は何某かの結果を生むという唯一点だけが真実だ。
人は皆後悔したくはない。可能な限りリスクを回避したいと望み、経験を基にリスク軽減のための選択を行う。リスクを伴わない結果であれば、必ず満足が得られるはずだ。しかし、その「限りなくリスクの小さな」商品がもたらした結果はどのようなものであったろうか?
経験が乏しくても、代わりに歴史が知恵を授けると考えるのも間違いだ。一度の短い人生で得ることができる以上の知識を書物やインターネットは与えてくれるから、歴史を知る事はより優れた知恵を得る事になる、というのは間違いだ。
「日本のバブル崩壊のメカニズムについては完全に原因を解明し、今回は限りなくリスクをヘッジできる商品を選択したから、大丈夫」と日本のバブル期には学生であったろう金融のエリート達は胸を張っていた、のだろう。
怖さを知らないんじゃないかぁ? 歴史から学ぼうとすれば想像力が必要だ。しかし、これまでも歴史を学んだ創造的な人々が、必ずしも期待した通りの未来を得たわけではない。期待した未来を切り開く知恵を得たわけではない。結局、想像力は可能性を生むという唯一点だけが真実だ。
想像力の行き着く先が「見果てぬ夢」の類であれば、実現性を持つ前に夢の寿命が尽きてしまうから、想像力には突き詰めたリアリティーを以て望んだ。しかし、それが破綻し、富を持ち逃げした連中が去った後の世界のリアリティーは期待されたものだったのであろうか?
経験と想像力はセットではじめて意味をなす。凡庸な人間はまず経験を踏み結果を得、その上で賢者たらんとするならば結果がもたらした教訓を歴史的史実と照らし合わせてより高見へ至るための可能性を導き出す。経験は結果を生み、想像力は可能性を増やす。そして、そこから未来を選択する。
しかし、学び得た事柄が必ずしも好ましい未来を作るとは限らない。世界の人々が選択した結果が、こんな年の瀬の到来だと言うのだろうか。だとしたら、我々がこの間選択してきたこととは、いったい何であったのか。
***
年に何度となく朝まで飲み明かした悪友と今年は一度も杯を交わすことなく過ぎてしまった。仕事納めが昨日ということで、今年初めて、そして最後の約束を交わしたのが一週間前。さて本日、相手の都合で本日にしたのだから、セッティングは向こうが行うであろうと連絡を待つが、いっこうに連絡が入る気配がない。
辛い一年を送っていたから腰が重いのだろうか。それとも、俺との宴に興を感じなくなったのであろうか。それとも、借金返済のため本当に首が回らなくなってしまったのであろうか。それとも、・・・。
痺れを切らしこちらから場所と時刻の指定メールを送信すると、暫くして返信があった。
なんでも、彼の所属する不動産屋が管理する物件で自殺未遂事件が起こり、後始末のため朝から駆けずり回っているらしい。メールの最後は、「悪いなあ」と結ばれていた。
これが、彼が選択した年末の状況であったろうか。
***
今日この日、大晦日を前にして、これが自ら選択した一年の結果であることを受け入れる事ができるだろうか。未知の未来に畏れをなすことなく、新たな一年を選択する事ができるであろうか。和田きみ子さんのように。
2008-12-23
next christmas
来年の事を話すと鬼が笑うなんてことは言われるが、来年のクリスマスのことは誰も話したりしないな。
そう考えると、クリスマスは毎年勝負をかけているものなのだと改めて思ったりする。
バブル世代のオジサンは、この時期決まって巷に流れるWham!の「Last christmas」に条件反射する。気がつけば口ずさんでいるわけさ。カラオケでも年に一度この時期にはリクエストもする。
「ただのオカマの歌ですよね」と店長には切り捨てられてしまったが、オカマだって恋を知ればあの曲で切なくなったりするんだろう、その意味でもあれは名曲と言えるんだな、きっと。
幼い頃のクリスマスは、サンタに化け損ねた父親が枕元に贈り物を置いていくのを寝たふりして確かめて、中身の想像で胸を躍らせるぐらいのものでしかなかったのに、大人になると急に期待や要求が大きくなってその分クリスマスにも味わいがでるものだ。
25歳のクリスマスイブ、数十年ぶりの大雨が降ったホノルルが停電になって、下っ端の私はスタッフの部屋を灯す蝋燭を買うため暗いホテルの階段17階分を一人降りた。コンビニに駆け込んだのだが、それようの大きなものはすっかり売り切れて、ケーキ用の小さなものが置いてあるだけ。100本ほど買い求めてホテルまで戻る道すがら、若い同年代のカップルが雨に打たれるのも構わず、音程の狂った「Last Christmas」を二人で歌いながら肩寄せ合って去っていった。「来年のクリスマスは、決めてやるぜ」
26歳はロサンゼルスで暖かなクリスマスを過ごしていた。部屋には彼女もいた。同僚に加えてアメリカ人のかっこいいカメラマンもいた。パサパサの七面鳥をバドワイザーやクアーズで流し込み、砂糖の塊がジャリジャリいうケーキを食べていた。俺たち二人に向けて発した「Merry Christmas」の言葉が、本物っぽくてかっこよかった。テレビから流れるバカ番組に見切りをつけてラジオのスイッチを入れると、やっぱりこの曲が流れてきた。願いが叶って恋人と一緒に過ごしたクリスマスのはずなのに、「もう、此処にはいられない」そんな思いに苦しさいっぱいの夜を過ごした。「来年こそは幸せを感じてやるぜ」
27歳、彼女は秋風と共に去っていき、同僚とのクリスマスになった。彼もまた彼女がいなかった。制作中のプレゼンツールは締め切りに追われ、窓外のイルミネーションの誘いにものらず仕事を続けていた。同僚が、「もう止めて、飲みに行こうよ」と言ったのを自分への言い訳に職場を後にした。「知っているところがあるんだ」と言う彼について辿り着いたのは新宿二丁目だった。「此処って、男しかいないぞ」という問いに、「そうだよ」と同僚が微笑んだ。「来年こそはまともなクリスマスにしてやるぜ」
幾つものクリスマスイブを過ごしてきたけれど、一人より二人、二人より三人、四人、五人と一緒に過ごす顔が増えると幸せも増えた。そしてその顔に見慣れれば見慣れるほど幸せも増えた。夜中に置いた贈り物に喜びを爆発させる小さな顔を見る度に来年も約束された笑顔の想像に胸を膨らませた。そのために幸せでいようと心に誓った。それは今も変わっていないし、これからも変わらないだろう。
言語は違っても、異なる宗教であっても、世界中の人がこの日だけは幸せを感じて欲しいと本当に思う。
今年も「Last Christmas」を歌おう。いつも引っかかってしまう a crowded room~ の下りを練習しよう。もう、かれこれ二十年以上も歌っているのに完璧にはほど遠い。完璧を目指して歌おう。次のクリスマスにも歌おう。その次のクリスマスにも。そうしていくうちに、きっととんでもなく膨大な数のLast Christmasの記憶が積み重なっていくんだろう。
そう考えると、クリスマスは毎年勝負をかけているものなのだと改めて思ったりする。
バブル世代のオジサンは、この時期決まって巷に流れるWham!の「Last christmas」に条件反射する。気がつけば口ずさんでいるわけさ。カラオケでも年に一度この時期にはリクエストもする。
「ただのオカマの歌ですよね」と店長には切り捨てられてしまったが、オカマだって恋を知ればあの曲で切なくなったりするんだろう、その意味でもあれは名曲と言えるんだな、きっと。
幼い頃のクリスマスは、サンタに化け損ねた父親が枕元に贈り物を置いていくのを寝たふりして確かめて、中身の想像で胸を躍らせるぐらいのものでしかなかったのに、大人になると急に期待や要求が大きくなってその分クリスマスにも味わいがでるものだ。
25歳のクリスマスイブ、数十年ぶりの大雨が降ったホノルルが停電になって、下っ端の私はスタッフの部屋を灯す蝋燭を買うため暗いホテルの階段17階分を一人降りた。コンビニに駆け込んだのだが、それようの大きなものはすっかり売り切れて、ケーキ用の小さなものが置いてあるだけ。100本ほど買い求めてホテルまで戻る道すがら、若い同年代のカップルが雨に打たれるのも構わず、音程の狂った「Last Christmas」を二人で歌いながら肩寄せ合って去っていった。「来年のクリスマスは、決めてやるぜ」
26歳はロサンゼルスで暖かなクリスマスを過ごしていた。部屋には彼女もいた。同僚に加えてアメリカ人のかっこいいカメラマンもいた。パサパサの七面鳥をバドワイザーやクアーズで流し込み、砂糖の塊がジャリジャリいうケーキを食べていた。俺たち二人に向けて発した「Merry Christmas」の言葉が、本物っぽくてかっこよかった。テレビから流れるバカ番組に見切りをつけてラジオのスイッチを入れると、やっぱりこの曲が流れてきた。願いが叶って恋人と一緒に過ごしたクリスマスのはずなのに、「もう、此処にはいられない」そんな思いに苦しさいっぱいの夜を過ごした。「来年こそは幸せを感じてやるぜ」
27歳、彼女は秋風と共に去っていき、同僚とのクリスマスになった。彼もまた彼女がいなかった。制作中のプレゼンツールは締め切りに追われ、窓外のイルミネーションの誘いにものらず仕事を続けていた。同僚が、「もう止めて、飲みに行こうよ」と言ったのを自分への言い訳に職場を後にした。「知っているところがあるんだ」と言う彼について辿り着いたのは新宿二丁目だった。「此処って、男しかいないぞ」という問いに、「そうだよ」と同僚が微笑んだ。「来年こそはまともなクリスマスにしてやるぜ」
幾つものクリスマスイブを過ごしてきたけれど、一人より二人、二人より三人、四人、五人と一緒に過ごす顔が増えると幸せも増えた。そしてその顔に見慣れれば見慣れるほど幸せも増えた。夜中に置いた贈り物に喜びを爆発させる小さな顔を見る度に来年も約束された笑顔の想像に胸を膨らませた。そのために幸せでいようと心に誓った。それは今も変わっていないし、これからも変わらないだろう。
言語は違っても、異なる宗教であっても、世界中の人がこの日だけは幸せを感じて欲しいと本当に思う。
今年も「Last Christmas」を歌おう。いつも引っかかってしまう a crowded room~ の下りを練習しよう。もう、かれこれ二十年以上も歌っているのに完璧にはほど遠い。完璧を目指して歌おう。次のクリスマスにも歌おう。その次のクリスマスにも。そうしていくうちに、きっととんでもなく膨大な数のLast Christmasの記憶が積み重なっていくんだろう。
2008-12-19
四谷アラフィーくらぶ・・・第一回会合
設立後四日めにし早くも第一回会合があった。招集もなく阿吽の(酒臭をおびた)呼吸で集うのがアラフィーのディシプリンなのだ。因みに参加者は、寝技某氏を除いた正規メンバー三名に加え、ぼそり「入会できるんでしょうか」と内気なアラサーO氏とカウンターの端から怖々様子を窺うアラトゥィーIちゃん、若女ケツ某氏の連れ銀座の若女将と賭場(いやいや純粋なる酒場)オーナーの七名。時既に深夜である。
早速、テーマ「愛だよ、愛」が議題に上った。
口火を切った若女ケツ某氏。
やりたいわけよ。
「終わるまで待ってて下さる」若女将の一言で、見掛けによらぬ初な感性の持ち主若女ケツ某氏は昇天一歩手前に達していた。バーテンが退け、二人で銀座の店明かりに漂ったらしい。
義理を欠くわけにはいかないという女将の突然の主張に屈し、渋々タクシーを飛ばして四谷に降り立ったわけだ。
「あの状況なら当然、・・・。分からないんだよね」と若女ケツ某氏。
その類は両手に余るほど(やや誇張)の経験者と自負する座長こと私は唯目尻を下げて頷きを繰り返し、プロケツ某氏とO氏とIちゃんは意味の分からぬまま笑みを浮かべる。
求められることが愛なのか、求めることが愛なのか。
いや、その証として事の成就が愛なのさ、と若女ケツ某氏は言外に発する。流石ロマンチストを自称する彼だけのことはある。何人も彼の直線的な思考には抗えない。そのための言葉を見つけられない。嘘っぱちになるしかない。
やがて若女ケツ某氏の意識は、深い闇が支配する宇宙空間に漂いだした。若女将は既に師走の冷たい浮き世へ姿を消していた。意外にもその足取りは確かであった。
潮時のようだ。それまでテーマの反芻を続けていたリアリストの場オーナーと私は、閉会を宣言し、第一回の四谷アラフィーくらぶの幕を閉じた。
意義ある会合であった。
道すがら立ち寄った公園の鬱蒼とした木立では、暮れゆく陽の光が落ち葉を紅く燃やし使命を終えた命を讃えているようであった。街の通りには色鮮やかな照明が灯され、見上げた人々の笑顔を一瞬極彩色に染めるのと同時にその外周に留まる人々の表情を闇が覆っていた。
人の世はコントラスト、愛もまた。
論旨の谷間で脱線を繰り返すアラフィーの酒臭に堪え難きを堪えることなくIちゃんは退散、O氏もやがて退いた。両氏には、済まぬことをしました。
ゴメン! グラハム・ハンコックなんて子供だましのペテン師なんだ。人生の深淵はいま正にこのアラフィー達によって語られている。君たちにも何時の日か脳内麻薬によって時空を超え宇宙の果てまで行ってまた戻って来るぐらいの末に、愛と孤独の中間に存在する拒否しがたい幸福感の意味を自らに問い直す時がくるだろう。幸福は神なんかがもたらすものではないことを知るために。
1980年にロックンロールは死んでしまったが、ロックが残した愛は未だ我々アラフィーの血肉として生き続けている。以降、銃口に恐れをなしたロックンローラーは、自らの魂を欺き、代わりにデジタルなイコンを掲げて聴衆を欺いている。心地よさだけが蔓延し、傷つき合い孤独に向き合うことを拒んでいる。
傷つけ。痛みがきっと教えてくれるはずだ。
愛だよ、愛。
早速、テーマ「愛だよ、愛」が議題に上った。
口火を切った若女ケツ某氏。
やりたいわけよ。
「終わるまで待ってて下さる」若女将の一言で、見掛けによらぬ初な感性の持ち主若女ケツ某氏は昇天一歩手前に達していた。バーテンが退け、二人で銀座の店明かりに漂ったらしい。
義理を欠くわけにはいかないという女将の突然の主張に屈し、渋々タクシーを飛ばして四谷に降り立ったわけだ。
「あの状況なら当然、・・・。分からないんだよね」と若女ケツ某氏。
その類は両手に余るほど(やや誇張)の経験者と自負する座長こと私は唯目尻を下げて頷きを繰り返し、プロケツ某氏とO氏とIちゃんは意味の分からぬまま笑みを浮かべる。
求められることが愛なのか、求めることが愛なのか。
いや、その証として事の成就が愛なのさ、と若女ケツ某氏は言外に発する。流石ロマンチストを自称する彼だけのことはある。何人も彼の直線的な思考には抗えない。そのための言葉を見つけられない。嘘っぱちになるしかない。
やがて若女ケツ某氏の意識は、深い闇が支配する宇宙空間に漂いだした。若女将は既に師走の冷たい浮き世へ姿を消していた。意外にもその足取りは確かであった。
潮時のようだ。それまでテーマの反芻を続けていたリアリストの場オーナーと私は、閉会を宣言し、第一回の四谷アラフィーくらぶの幕を閉じた。
意義ある会合であった。
道すがら立ち寄った公園の鬱蒼とした木立では、暮れゆく陽の光が落ち葉を紅く燃やし使命を終えた命を讃えているようであった。街の通りには色鮮やかな照明が灯され、見上げた人々の笑顔を一瞬極彩色に染めるのと同時にその外周に留まる人々の表情を闇が覆っていた。
人の世はコントラスト、愛もまた。
論旨の谷間で脱線を繰り返すアラフィーの酒臭に堪え難きを堪えることなくIちゃんは退散、O氏もやがて退いた。両氏には、済まぬことをしました。
ゴメン! グラハム・ハンコックなんて子供だましのペテン師なんだ。人生の深淵はいま正にこのアラフィー達によって語られている。君たちにも何時の日か脳内麻薬によって時空を超え宇宙の果てまで行ってまた戻って来るぐらいの末に、愛と孤独の中間に存在する拒否しがたい幸福感の意味を自らに問い直す時がくるだろう。幸福は神なんかがもたらすものではないことを知るために。
1980年にロックンロールは死んでしまったが、ロックが残した愛は未だ我々アラフィーの血肉として生き続けている。以降、銃口に恐れをなしたロックンローラーは、自らの魂を欺き、代わりにデジタルなイコンを掲げて聴衆を欺いている。心地よさだけが蔓延し、傷つき合い孤独に向き合うことを拒んでいる。
傷つけ。痛みがきっと教えてくれるはずだ。
愛だよ、愛。
2008-12-16
"Santa Lucia"
Kids are singing "Santa Lucia" on the stage in Tokyo. Some of them are from different countries with their parents and some were born here. They do not speak italian very much, though.
ウチの子ども達も歌っています。
ウチの子ども達も歌っています。
四谷アラフィー
いつもの店でいつもの調子で「アラフォーって?」 「アラウンド・フォーティーです」という返答に、通常なら厭世的な感歎ひとつで素通りしてしまうところ、何故か「それなら俺はアラフィーだ」と乗った。間髪置かずに「四谷アラフィーくらぶを設立する」と益々調子づいてしまった。
脳裏に浮かんだ会員候補は、若い女ケツを追い回すことに躍起の某氏や、既に長年女ケツからご無沙汰の某氏(プロのケツには触れているかもしれない)や、寝技・関節技専門の某氏の三名。さて、如何な会なるや?
そこへフロリダ帰りのプロケツ某氏が登場。早速入会を勧めてみれば、案に違わず「俺はまだ遠いから」と吐く。さらりすかして、脈絡もなく政治談義に突入し暫し興奮状態に陥った。長旅の疲れ癒えぬプロケツ某氏は、「ゴメン」と言い残しトイレで吐く。合格。
翌々日、寝技某氏がトルコ産のオリーブオイルを持参し現る。「よかったら」と差し出され二本を受け取る。合格。その後、若女ケツ某氏が現れ、二本のウチ一本を差し出し、「入会する?」と尋ねれば、「あ、うん」と。合格。めでたく想定した三名は入会した。
今、一人、「くらぶ」にはどのような字を当てるべきか思案する。「倶楽部」では月並み過ぎるし、「苦楽部」では、ただの説教親父集団だ。「来愛(ラブ)」、ホストって柄じゃ。「供来墓」、もう少し先だろう。「処裸婦」、あれっ? 「空羅布」、人生そのまんま。・・・。
規則はある。「よっこらしょ」は口にしない。公式飲料だってある。イエガー・マイスターと養命酒、それにスレッドに置いてある酒。入会条件も、あるぞ。五十を境に前後三十歳までに制限。審査は厳しく女人に優しく。如何な会なるや?
脳裏に浮かんだ会員候補は、若い女ケツを追い回すことに躍起の某氏や、既に長年女ケツからご無沙汰の某氏(プロのケツには触れているかもしれない)や、寝技・関節技専門の某氏の三名。さて、如何な会なるや?
そこへフロリダ帰りのプロケツ某氏が登場。早速入会を勧めてみれば、案に違わず「俺はまだ遠いから」と吐く。さらりすかして、脈絡もなく政治談義に突入し暫し興奮状態に陥った。長旅の疲れ癒えぬプロケツ某氏は、「ゴメン」と言い残しトイレで吐く。合格。
翌々日、寝技某氏がトルコ産のオリーブオイルを持参し現る。「よかったら」と差し出され二本を受け取る。合格。その後、若女ケツ某氏が現れ、二本のウチ一本を差し出し、「入会する?」と尋ねれば、「あ、うん」と。合格。めでたく想定した三名は入会した。
今、一人、「くらぶ」にはどのような字を当てるべきか思案する。「倶楽部」では月並み過ぎるし、「苦楽部」では、ただの説教親父集団だ。「来愛(ラブ)」、ホストって柄じゃ。「供来墓」、もう少し先だろう。「処裸婦」、あれっ? 「空羅布」、人生そのまんま。・・・。
規則はある。「よっこらしょ」は口にしない。公式飲料だってある。イエガー・マイスターと養命酒、それにスレッドに置いてある酒。入会条件も、あるぞ。五十を境に前後三十歳までに制限。審査は厳しく女人に優しく。如何な会なるや?
2008-12-12
matte kudasai
半月ほど前にある女が「クリムゾン」と口走ったのを思い出して、ロシアのダウンロードサイトにアクセスした。会いたかったのは「matte kudasai」
未だ大きかったウオークマンを膝に、ヘッドフォンで耳が痛くなるのもかまわず、巻き戻しと再生のボタンを交互に押しながら、この曲を聴き続けていた。LAから真っ直ぐ東へ延びるルート10は、そこが火星だと告げられれば信じるほかないほど岩と砂ばかりの景色が続き、目的の地は遙か彼方にあった。
名も知らぬ数件の集落でクオーターパウンダーを買い求め、朝焼けを一緒に頬張りながらまたこの曲を聴いた。パサパサの肉と薄まったコーラの味に、今を生きてる刺激を感じていた。
追いかけた彼女は緑の瞳に金色の髪をなびかせ、「彼が卒業したら一緒にドイツへ行くの」と言った。何も言えずに踵を返した。30時間ものバスの旅は、結局何処へも連れて行ってはくれなかった。それでも唯青春の旅を続ける他なかった。
四半世紀を経て再び耳にしたこの曲に、瞬時に時計が巻き戻った。くゆる紫煙にコーヒーのほろ苦さを覚えた。
「matte kudasai」
未だ大きかったウオークマンを膝に、ヘッドフォンで耳が痛くなるのもかまわず、巻き戻しと再生のボタンを交互に押しながら、この曲を聴き続けていた。LAから真っ直ぐ東へ延びるルート10は、そこが火星だと告げられれば信じるほかないほど岩と砂ばかりの景色が続き、目的の地は遙か彼方にあった。
名も知らぬ数件の集落でクオーターパウンダーを買い求め、朝焼けを一緒に頬張りながらまたこの曲を聴いた。パサパサの肉と薄まったコーラの味に、今を生きてる刺激を感じていた。
追いかけた彼女は緑の瞳に金色の髪をなびかせ、「彼が卒業したら一緒にドイツへ行くの」と言った。何も言えずに踵を返した。30時間ものバスの旅は、結局何処へも連れて行ってはくれなかった。それでも唯青春の旅を続ける他なかった。
四半世紀を経て再び耳にしたこの曲に、瞬時に時計が巻き戻った。くゆる紫煙にコーヒーのほろ苦さを覚えた。
「matte kudasai」
2008-12-09
2008-06-18
シドニー・ポラック 追
こわれゆく世界の中で (2006 主演ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ)
みんな見るべきです、という大袈裟な言い方は良くないかもしれない。
ロンドンの街は意外にも素敵で、厚く灰色の雲ばっかりではないが太陽の明るさを感じることはない。
ジュード・ロウはいつもの彼だし、ビノッシュも安心できる上手さとでもいうのだろうか。
ショッキングと呼べるほどのことは何も起きない。人も死なない。
しかし、人は何処でも傷ついているし、一人で立ち直れるほど強くもない。
向き合う。そういうこと、だろう。
亡くなる前のポラックも特典映像に出演してます。彼らしい映画です。
スライディング・ドアのようでもあります。もう少し大人でしょうか。
色恋だけではないお話なので、そこのところはよろしく。
みんな見るべきです、という大袈裟な言い方は良くないかもしれない。
ロンドンの街は意外にも素敵で、厚く灰色の雲ばっかりではないが太陽の明るさを感じることはない。
ジュード・ロウはいつもの彼だし、ビノッシュも安心できる上手さとでもいうのだろうか。
ショッキングと呼べるほどのことは何も起きない。人も死なない。
しかし、人は何処でも傷ついているし、一人で立ち直れるほど強くもない。
向き合う。そういうこと、だろう。
亡くなる前のポラックも特典映像に出演してます。彼らしい映画です。
スライディング・ドアのようでもあります。もう少し大人でしょうか。
色恋だけではないお話なので、そこのところはよろしく。
2008-06-14
2008-05-27
シドニー・ポラック
シドニー・ポラックは、映画に関心のある人なら知らなければならない映画人の一人だ。※印で「ある年代以上の」と加えてもいい。とにかく、百数十年しかない映画の歴史の第一線に四十年以上も関わった人だ。
今年日本で公開されたジョージ・クルーニー主演のフィクサーでは、製作に携わった以外に出演もしており渋い演技をこなしていた。役者さんとしてもいい味があった。ジョージ・クルーニーの内股歩きに落胆したせいではないだろうが、個人的には映画そのものに好感はもてなかったな。正直ポラックが関わる映画は、ここ何年もそんな感想を持つ作品が多かった。
少年時代は、68年の「俺たちに明日はない」から「ゴッド・ファーザー」までの数年間に製作された「アメリカン・ニュー・シネマ」に分類される作品の数々に魅せられていた。公開から数年後に、二本、三本立てで再上映されたものを見ていた。3、400円で一日中映画館に籠もっていた。※「アメリカン・ニュー・シネマ」というのは日本人が勝手に命名、分類しているだけだけどね。
その二、三本立ての一本にポラックが監督した「追憶」があったわけで、当時トップスターだったイケメン代表ロバート・レッドフォードと醜子代表のバーバラ・ストライサンドがタッグを組んで作り上げた大人の恋愛世界なんかにいたく感動したものだった。
ポラックは、「泳ぐ人」というバート・ランカスターというこれまた渋いオジサンが、他人の家のプールを泳ぎ継いで自宅へ帰るという天晴れな企画の映画を監督し(1968年)、前述の「アメリカン・ニュー・シネマ」を語る上で欠かせない作品を残した監督として位置づけられている。
「泳ぐ人」の翌年にも、テレビでしか観たことはないが、「ひとりぼっちの青春」(1968)というマイケル・サザランとジェーン・フォンダがダンスマラソンで賞金を稼ごうとするカップルの物語を監督しており、反社会的な作品を作るホープの一人と目されていたことは間違いない。個人的には、こんな物語に共感して映画にのめって入った気がする。グイと刺さる作品を作ってくれていたんだ。
余談だが、このあたりのジェーンフォンダは、ヴォーグのモデルをやっていたかと思えば、「バーバレラ」というふざけた作品(個人的には大好き)にマーロン・ブランドと競演したり(1967)、翌々年「コールガール」という問題作に出たりして、今で言えば土屋アンナみたいにイケイケだった。コールガールでオスカー女優になったかと思えば、ベトナム反戦運動が困じてニクソン大統領のブラックリストに載ったりもしている。
そして、ポラック自身がハリウッド的に成熟し、社会の捩れもまた複雑化していくと、最強だったロバート・レッドフォードとのコンビもいまひとつ、新たな挑戦であったろうアメリカン・ニュー・シネマ時代のヒーローの一人アル・パチーノとのコラボもいまさん程度で時代から取り残されたような印象を受け、やはりアメリカン・ニュー・シネマ時代のヒーローの一人、ダスティン・ホフマンとのコンビで挑戦した「トッツィー」で、再びドル箱監督に復帰した。これは、ポラック自身の状況に留まらずダスティン・ホフマンも同様に先が見えなくなっていた時期だった。野球で言えば野村マジックのような感じに、私には見えた。だから、というわけではないのだが、いややっぱりそのせいか、全くつまらない映画に思えた。二人とも終わったなという気がしていた。
しかし、先に亡くなったロバート・ワイズ監督同様、ただ者じゃないんだな、こういう人たちは。
製作に廻ったポラックは、以降気の利いた作品を生み出していくんだ。権威が示す評価は別にして個人的には、ミシェル・ファイファーが凄く魅力的だった「恋のゆくえ」、ミスキャストが功を奏した感じの「推定無罪」、きっとポラックもこの作品に関わりたくて仕方がなかったゼメキス監督の「永遠(とわ)に美しく」、少年トム・クルーズを役の上で脱皮させた「法律事務所」、一生その名を覚えることはないだろうグウィネス・パルトロー主演の「スライディングドアー」などを生み出していった。流石だよ。やっぱり映画人なんだ。映画のために生きているから、簡単に諦めたりしないんだよ。
それでだ。2003年、売れっ子三人を配して製作した「コールドマウンテン」。いい映画だと思ったさ。しかし、しかしだ、これをポラックが作るのか?という思いもあったよ。ワイズの場合、彼は最後まで同じ魂を持っていたと作品で感じさせてくれた。偉いなあ、凄いなあと、純粋に。ポラックは「コールドマウンテン」でなければいけなかったのか。其処へ行きたかったのかと。
DVDの背ラベルを目に手を延ばしては止めてしまう「こわれゆく世界の中で」。「フィクサー」は飛行機で見た。途中で居眠りもしてしまった。もちろんポラックは既にメガホンを置いた人だ。監督に大きな責任がある。辛いな。
いい時は崇めておいて、気に入らなくなればこき下ろす。俺も勝手だなあ。
表現する人にはそれを受ける覚悟が要るし、ポラックにはあったからここまでやってきた。生涯忘れ去られることなく、仕事をする度に誰かの口に上る資格があった人、そんな仕事を残してきた人。
そして今日の訃報。人生に多くの記憶を作ってくれた人。冥福を祈りたい。
■ポラックが関わった作品の一部■
泳ぐ人 1968監督
ひとりぼっちの青春 1969監督
追憶 1973監督(主演ロバート・レッドフォード)
ザ・ヤクザ 1974監督/製作(ロバート・ミッチャム、高倉健)
コンドル 1975監督(主演ロバート・レッドフォード)
ボビー・デアフィールド 1977監督(主演アル・パチーノ)
トッツィー 1982監督(主演ダスティン・ホフマン)
愛と哀しみの果て 1985監督/製作(メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード 7部門でオスカー獲得)
恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ 1989制作総指揮
(主演ボー&ジェフ・ブリジス兄弟、ミシェル・ファイファー)
推定無罪 1990年製作(主演ハリソン・フォード)
永遠(とわ)に美しく 1992出演(監督ロバート・ゼメキス)
ザ・ファーム/法律事務所 1993監督/製作(主演トム・クルーズ)
スライディングドア 1997製作(主演グウィネス・パルトロー)(セブン1995)で注目され
コールドマウンテン 2003製作(主演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガーその他豪華共演者)
こわれゆく世界の中で 2006製作(主演ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ)
フィクサー 2008製作・出演(主演ジョージ・クルーニー)
今年日本で公開されたジョージ・クルーニー主演のフィクサーでは、製作に携わった以外に出演もしており渋い演技をこなしていた。役者さんとしてもいい味があった。ジョージ・クルーニーの内股歩きに落胆したせいではないだろうが、個人的には映画そのものに好感はもてなかったな。正直ポラックが関わる映画は、ここ何年もそんな感想を持つ作品が多かった。
少年時代は、68年の「俺たちに明日はない」から「ゴッド・ファーザー」までの数年間に製作された「アメリカン・ニュー・シネマ」に分類される作品の数々に魅せられていた。公開から数年後に、二本、三本立てで再上映されたものを見ていた。3、400円で一日中映画館に籠もっていた。※「アメリカン・ニュー・シネマ」というのは日本人が勝手に命名、分類しているだけだけどね。
その二、三本立ての一本にポラックが監督した「追憶」があったわけで、当時トップスターだったイケメン代表ロバート・レッドフォードと醜子代表のバーバラ・ストライサンドがタッグを組んで作り上げた大人の恋愛世界なんかにいたく感動したものだった。
ポラックは、「泳ぐ人」というバート・ランカスターというこれまた渋いオジサンが、他人の家のプールを泳ぎ継いで自宅へ帰るという天晴れな企画の映画を監督し(1968年)、前述の「アメリカン・ニュー・シネマ」を語る上で欠かせない作品を残した監督として位置づけられている。
「泳ぐ人」の翌年にも、テレビでしか観たことはないが、「ひとりぼっちの青春」(1968)というマイケル・サザランとジェーン・フォンダがダンスマラソンで賞金を稼ごうとするカップルの物語を監督しており、反社会的な作品を作るホープの一人と目されていたことは間違いない。個人的には、こんな物語に共感して映画にのめって入った気がする。グイと刺さる作品を作ってくれていたんだ。
余談だが、このあたりのジェーンフォンダは、ヴォーグのモデルをやっていたかと思えば、「バーバレラ」というふざけた作品(個人的には大好き)にマーロン・ブランドと競演したり(1967)、翌々年「コールガール」という問題作に出たりして、今で言えば土屋アンナみたいにイケイケだった。コールガールでオスカー女優になったかと思えば、ベトナム反戦運動が困じてニクソン大統領のブラックリストに載ったりもしている。
そして、ポラック自身がハリウッド的に成熟し、社会の捩れもまた複雑化していくと、最強だったロバート・レッドフォードとのコンビもいまひとつ、新たな挑戦であったろうアメリカン・ニュー・シネマ時代のヒーローの一人アル・パチーノとのコラボもいまさん程度で時代から取り残されたような印象を受け、やはりアメリカン・ニュー・シネマ時代のヒーローの一人、ダスティン・ホフマンとのコンビで挑戦した「トッツィー」で、再びドル箱監督に復帰した。これは、ポラック自身の状況に留まらずダスティン・ホフマンも同様に先が見えなくなっていた時期だった。野球で言えば野村マジックのような感じに、私には見えた。だから、というわけではないのだが、いややっぱりそのせいか、全くつまらない映画に思えた。二人とも終わったなという気がしていた。
しかし、先に亡くなったロバート・ワイズ監督同様、ただ者じゃないんだな、こういう人たちは。
製作に廻ったポラックは、以降気の利いた作品を生み出していくんだ。権威が示す評価は別にして個人的には、ミシェル・ファイファーが凄く魅力的だった「恋のゆくえ」、ミスキャストが功を奏した感じの「推定無罪」、きっとポラックもこの作品に関わりたくて仕方がなかったゼメキス監督の「永遠(とわ)に美しく」、少年トム・クルーズを役の上で脱皮させた「法律事務所」、一生その名を覚えることはないだろうグウィネス・パルトロー主演の「スライディングドアー」などを生み出していった。流石だよ。やっぱり映画人なんだ。映画のために生きているから、簡単に諦めたりしないんだよ。
それでだ。2003年、売れっ子三人を配して製作した「コールドマウンテン」。いい映画だと思ったさ。しかし、しかしだ、これをポラックが作るのか?という思いもあったよ。ワイズの場合、彼は最後まで同じ魂を持っていたと作品で感じさせてくれた。偉いなあ、凄いなあと、純粋に。ポラックは「コールドマウンテン」でなければいけなかったのか。其処へ行きたかったのかと。
DVDの背ラベルを目に手を延ばしては止めてしまう「こわれゆく世界の中で」。「フィクサー」は飛行機で見た。途中で居眠りもしてしまった。もちろんポラックは既にメガホンを置いた人だ。監督に大きな責任がある。辛いな。
いい時は崇めておいて、気に入らなくなればこき下ろす。俺も勝手だなあ。
表現する人にはそれを受ける覚悟が要るし、ポラックにはあったからここまでやってきた。生涯忘れ去られることなく、仕事をする度に誰かの口に上る資格があった人、そんな仕事を残してきた人。
そして今日の訃報。人生に多くの記憶を作ってくれた人。冥福を祈りたい。
■ポラックが関わった作品の一部■
泳ぐ人 1968監督
ひとりぼっちの青春 1969監督
追憶 1973監督(主演ロバート・レッドフォード)
ザ・ヤクザ 1974監督/製作(ロバート・ミッチャム、高倉健)
コンドル 1975監督(主演ロバート・レッドフォード)
ボビー・デアフィールド 1977監督(主演アル・パチーノ)
トッツィー 1982監督(主演ダスティン・ホフマン)
愛と哀しみの果て 1985監督/製作(メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォード 7部門でオスカー獲得)
恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ 1989制作総指揮
(主演ボー&ジェフ・ブリジス兄弟、ミシェル・ファイファー)
推定無罪 1990年製作(主演ハリソン・フォード)
永遠(とわ)に美しく 1992出演(監督ロバート・ゼメキス)
ザ・ファーム/法律事務所 1993監督/製作(主演トム・クルーズ)
スライディングドア 1997製作(主演グウィネス・パルトロー)(セブン1995)で注目され
コールドマウンテン 2003製作(主演ジュード・ロウ、ニコール・キッドマン、レニー・ゼルウィガーその他豪華共演者)
こわれゆく世界の中で 2006製作(主演ジュード・ロウ、ジュリエット・ビノシュ)
フィクサー 2008製作・出演(主演ジョージ・クルーニー)
2008-05-12
命短し恋せよ乙女
また近しい人間が死んだ。病気を患い高齢でもあったので、死そのものに悲しみを感じることはなかった。死が特別なものであるとは考えない。死は、耐用年数を終えた、もしくは障害を負った肉体が不全な状態を経過したのちに機能停止するという至極自然な現象であると考えることにしている。
死に対する客観的な捉え方に比較すれば、私の場合、生の不可思議さに対する興奮と興味はどうしようもなく、ひたすら感情的に奇跡などと口走りがちである。生命はどのようにしてできあがるのか。謎であり故に奇跡である。故に最も貴重である。
生命を構成するに必要な物質は解明されている。しかし、それを集めただけでは決して生命は誕生しない。物質が生命たるには、非常にシビアな条件に加え何らかの「力」を必要とする。稲妻が走って奇妙な機械が光を放っても、フランケンシュタインの怪物に命が宿ることはない。稲妻のパワーはおそろしく強力であろうと考えるが、その程度では電気回路をショートさせることはできても、一度死んだ脳を蘇らせることはできないし、生きた細胞からクローンを作ることもできない。
命を扱う科学は、予め命を宿した細胞や臓器を扱うのが常識である。クローンも臓器や皮膚の移植も生きたものしか使えない。言い方を換えれば、命を宿したものであれば、稲妻パワーなどを使用しなくとも新たな命や命にとって必要な機能を再生することができる。どんなパワーが宿っているのだ。
命は多くの場合、男(雄)と女(雌)がそれぞれ一個づつの細胞を提供し、互いがくっついて一つのものとなった時に生まれる。興味深いのは、ES細胞を使えば身体のどの細胞も作れるといいながら、そこから新たな個体が自然に形作られることはないのに、卵子と精子がくっつけば、基本的にはたった一個の細胞から全ての細胞が生み出され完全に自立した個体を作る。たとえ新たな生命を生み出すに至らなくても細胞そのものには既に命が宿っている。本当に不思議だ。やはり奇跡だ。
DNAが遺伝子が、・・・。そんなことを口走る輩も居るだろうが、ではいったいそれらは何だ。遺伝子であれば干からびたものでも使用可能なのか?DNAは螺旋構造であれば、自己複製できなくても役に立つのか?それらは、それらで生きている状態の時のみ意味がある。DNAや遺伝子そのものにもやはり命が宿っていることになる。(理論的には、琥珀に閉じこめられた蚊から、その蚊が吸った恐竜の血に含まれた遺伝子を取り出して、爬虫類の卵に移植すると恐竜の遺伝子をもった爬虫類が生まれる可能性があるらしいが、映画ジュラシックパーク以外には未だ実現はしていない。ロサンジェルスには、死亡した人間を急速冷凍保存 -- 急速冷凍でないと意味がないらしい -- して、後の進んだ時代がやって来た時に蘇生させる会社があるが、いまだ進んだ時代はやってきていない)
精子と卵子が受精して、できちゃったものといえども、本当に最後まで育つとは限らない。私自身は経験できないが、そんなことも経験した。何がそうさせるのか?おそらく健全な成長に必要な条件が整わなかったからだ。飲酒もナシ喫煙もナシ、ストレスはそれなりにあったと思うが、精神科を要する程ではなかった。何故なんだ?
命は、実は非常に脆く繊細なものなんだ。生きているから、それに気が付かないだけなんだ。命が周りにたくさん溢れているから、特別な気がしないだけなんだ。
命は特別だ。何よりも特別だ。特別なものだから重要だ。重要だから大切に扱わなければならない。大切に扱うためには、その大切さを知らなければならない。そしてそれは簡単なことだ。命には記憶が伴う。ある命があれば、必ずその命に纏わる記憶がある。別の命が与えてくれた記憶は特別の意味を持つ。誰かの記憶とは、実は自分が生きた証なんだ。それを考えさえすれば、命には摩訶不思議な特別なパワーが宿っているのだということを誰でも理解し得るはずだ。
一方、死を嘆くことは当然のことだ。死には痛みや感情が伴い、多くの場合それらの苦しみを払いのけるには長い月日と努力が必要だ。しかし、もっと大切なのはその命が生前に与えてくれた貴重な記憶をどう心の中に生かすかだ。だって、記憶を持つということは今自分の命が生きているということだから。そのことに気付いて、感謝することができたりしたら、命の特別さは人の中で完璧になる。
命身短し恋せよ乙女。映画「生きる」の冒頭シーンで志村喬が公園のブランコで歌っていたシーンが印象的だった。どう死ぬかを考えるということは、どう生きるかを考えることなんだ。まず生きることを考えるんだ。
命短し恋せよ乙女。
死に対する客観的な捉え方に比較すれば、私の場合、生の不可思議さに対する興奮と興味はどうしようもなく、ひたすら感情的に奇跡などと口走りがちである。生命はどのようにしてできあがるのか。謎であり故に奇跡である。故に最も貴重である。
生命を構成するに必要な物質は解明されている。しかし、それを集めただけでは決して生命は誕生しない。物質が生命たるには、非常にシビアな条件に加え何らかの「力」を必要とする。稲妻が走って奇妙な機械が光を放っても、フランケンシュタインの怪物に命が宿ることはない。稲妻のパワーはおそろしく強力であろうと考えるが、その程度では電気回路をショートさせることはできても、一度死んだ脳を蘇らせることはできないし、生きた細胞からクローンを作ることもできない。
命を扱う科学は、予め命を宿した細胞や臓器を扱うのが常識である。クローンも臓器や皮膚の移植も生きたものしか使えない。言い方を換えれば、命を宿したものであれば、稲妻パワーなどを使用しなくとも新たな命や命にとって必要な機能を再生することができる。どんなパワーが宿っているのだ。
命は多くの場合、男(雄)と女(雌)がそれぞれ一個づつの細胞を提供し、互いがくっついて一つのものとなった時に生まれる。興味深いのは、ES細胞を使えば身体のどの細胞も作れるといいながら、そこから新たな個体が自然に形作られることはないのに、卵子と精子がくっつけば、基本的にはたった一個の細胞から全ての細胞が生み出され完全に自立した個体を作る。たとえ新たな生命を生み出すに至らなくても細胞そのものには既に命が宿っている。本当に不思議だ。やはり奇跡だ。
DNAが遺伝子が、・・・。そんなことを口走る輩も居るだろうが、ではいったいそれらは何だ。遺伝子であれば干からびたものでも使用可能なのか?DNAは螺旋構造であれば、自己複製できなくても役に立つのか?それらは、それらで生きている状態の時のみ意味がある。DNAや遺伝子そのものにもやはり命が宿っていることになる。(理論的には、琥珀に閉じこめられた蚊から、その蚊が吸った恐竜の血に含まれた遺伝子を取り出して、爬虫類の卵に移植すると恐竜の遺伝子をもった爬虫類が生まれる可能性があるらしいが、映画ジュラシックパーク以外には未だ実現はしていない。ロサンジェルスには、死亡した人間を急速冷凍保存 -- 急速冷凍でないと意味がないらしい -- して、後の進んだ時代がやって来た時に蘇生させる会社があるが、いまだ進んだ時代はやってきていない)
精子と卵子が受精して、できちゃったものといえども、本当に最後まで育つとは限らない。私自身は経験できないが、そんなことも経験した。何がそうさせるのか?おそらく健全な成長に必要な条件が整わなかったからだ。飲酒もナシ喫煙もナシ、ストレスはそれなりにあったと思うが、精神科を要する程ではなかった。何故なんだ?
命は、実は非常に脆く繊細なものなんだ。生きているから、それに気が付かないだけなんだ。命が周りにたくさん溢れているから、特別な気がしないだけなんだ。
命は特別だ。何よりも特別だ。特別なものだから重要だ。重要だから大切に扱わなければならない。大切に扱うためには、その大切さを知らなければならない。そしてそれは簡単なことだ。命には記憶が伴う。ある命があれば、必ずその命に纏わる記憶がある。別の命が与えてくれた記憶は特別の意味を持つ。誰かの記憶とは、実は自分が生きた証なんだ。それを考えさえすれば、命には摩訶不思議な特別なパワーが宿っているのだということを誰でも理解し得るはずだ。
一方、死を嘆くことは当然のことだ。死には痛みや感情が伴い、多くの場合それらの苦しみを払いのけるには長い月日と努力が必要だ。しかし、もっと大切なのはその命が生前に与えてくれた貴重な記憶をどう心の中に生かすかだ。だって、記憶を持つということは今自分の命が生きているということだから。そのことに気付いて、感謝することができたりしたら、命の特別さは人の中で完璧になる。
命身短し恋せよ乙女。映画「生きる」の冒頭シーンで志村喬が公園のブランコで歌っていたシーンが印象的だった。どう死ぬかを考えるということは、どう生きるかを考えることなんだ。まず生きることを考えるんだ。
命短し恋せよ乙女。
2008-05-09
”告発のとき”
敬虔なプロテスタント信者の息子として育った息子であったが、彼はイラク戦争という狂気に触れ、侵され蝕まれた。そこでできた無数の心の穴を埋める事ができず、やがてその穴から滲み出る己の狂気すらも制御できなくなり、ほんの些細なきっかけで肉体を暴走させる。一瞬ではあるがそれは快感として肉体の記憶に刻まれ、その刺激に陶酔し生の苦しみを忘れるようになる。心の喪失と捩れによって自らが作り出した麻薬物質が脳内を充たし、中毒し、そして墜ちていく。
彼は殺され、父親はその理由を解明した。
いい映画だ。みんなこういう映画を見るべきだ。
なお、前段は私が勝手に読んだ行間であり、具体的な描写があるわけではないので悪しからず。
それからもうひとつ、助演のシャーリーズ・セロンはいい女だぞ。
彼は殺され、父親はその理由を解明した。
いい映画だ。みんなこういう映画を見るべきだ。
なお、前段は私が勝手に読んだ行間であり、具体的な描写があるわけではないので悪しからず。
それからもうひとつ、助演のシャーリーズ・セロンはいい女だぞ。
2008-05-08
ではある
男と女が乗り込んできて目の前に立った。文庫本に目を落としていた視界に入ってきたのはまず女の足で、彼女の右足はその位置に着いた途端に靴を脱いだ。
二人とも両手でつり革にぶら下がるほど酔ってはいるのだが、男の言葉ははっきりしており、いや語尾に力をという意志が感じられ、一方女はと言えば脱いだ靴を踏み潰して頑張った右足で体重を支え、踵が外れかかった左足の踝は異常なほどに折れ曲がり、しかも電車の揺れに合わせてクネクネ踊り続けている。
左隣の女は俯いたまま何かに怯えるように体をビクつかせ、正面に深く座り込んだ女に至っては、もう膝を閉じる事さえできない。
丸ノ内線、終電一本前のありふれた風景ではある。
二人とも両手でつり革にぶら下がるほど酔ってはいるのだが、男の言葉ははっきりしており、いや語尾に力をという意志が感じられ、一方女はと言えば脱いだ靴を踏み潰して頑張った右足で体重を支え、踵が外れかかった左足の踝は異常なほどに折れ曲がり、しかも電車の揺れに合わせてクネクネ踊り続けている。
左隣の女は俯いたまま何かに怯えるように体をビクつかせ、正面に深く座り込んだ女に至っては、もう膝を閉じる事さえできない。
丸ノ内線、終電一本前のありふれた風景ではある。
2008-04-10
無題
コインランドリーで。
先に訪れていた老人が、洗濯し終わった衣類を乾燥機に放り込んでいる。仏頂面ではある。が、言うことを聴かなくなった体への苛立ちや、ついて行くことが難しくなった時勢への憤懣を露にするだけのよくいるタイプの年配者というわけでもない。来るべき時のために今の有り様を反芻するかのような眉間の皺。バタリと乾燥機を閉め、彼は一度その場を立ち去った。
長椅子に腰を下ろしてタバコに火を点け、途中まで読み進んだ池波正太郎を捲る。浅野内匠頭と吉良上野介。どちらかの過失というより、時を含めた巡り合わせであったのだ、と。
一〇分程して先の老人が戻る。前と同様仏頂面で乾燥機から衣類を取り出し、備え付けの衣類台の上で手早くたたむとまた無言で場を立ち去った。先は短い。ぐずぐずしている暇はないのだ。老体とはいえ、体の動きに切れはまだ残り、一陣の風のような印象。
気がつくと彼の持ち物らしい袋がテーブルに置き去りにされている。彼が去ったドアの方角に視線を送るが、その姿はすでに消えている。乳白色の薄いビニルに中身が透けて見える。処方薬のようだ。氏名に目を凝らすとそこには「大石力」とある。驚きを隠せずやおら開いたままの文庫に目を戻せば、まさに主税(ちから)の父、大石内蔵助の冒頭だった。
先に訪れていた老人が、洗濯し終わった衣類を乾燥機に放り込んでいる。仏頂面ではある。が、言うことを聴かなくなった体への苛立ちや、ついて行くことが難しくなった時勢への憤懣を露にするだけのよくいるタイプの年配者というわけでもない。来るべき時のために今の有り様を反芻するかのような眉間の皺。バタリと乾燥機を閉め、彼は一度その場を立ち去った。
長椅子に腰を下ろしてタバコに火を点け、途中まで読み進んだ池波正太郎を捲る。浅野内匠頭と吉良上野介。どちらかの過失というより、時を含めた巡り合わせであったのだ、と。
一〇分程して先の老人が戻る。前と同様仏頂面で乾燥機から衣類を取り出し、備え付けの衣類台の上で手早くたたむとまた無言で場を立ち去った。先は短い。ぐずぐずしている暇はないのだ。老体とはいえ、体の動きに切れはまだ残り、一陣の風のような印象。
気がつくと彼の持ち物らしい袋がテーブルに置き去りにされている。彼が去ったドアの方角に視線を送るが、その姿はすでに消えている。乳白色の薄いビニルに中身が透けて見える。処方薬のようだ。氏名に目を凝らすとそこには「大石力」とある。驚きを隠せずやおら開いたままの文庫に目を戻せば、まさに主税(ちから)の父、大石内蔵助の冒頭だった。
2008-03-21
新東京タワー
新東京タワーの名称が、6つに絞られてしまったようだ。
「東京EDOタワー」「東京スカイツリー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」「ライジングタワー」
「新東京タワー」という名称は、登録商標の問題で使用できないとあった。
しかし、新東京タワーの名称は、どう考えても「新東京タワー」しかないだろう。買えばいいのに。東京人は、そのあたりに意地を張るべきだ。そういうところにはお金を使うべきだ。エッフェル塔を眺めれば、パリはエッフェルさんに負けてしまったのだなあと、ため息がでる。東京はよかったなあと、またため息が出る。
その登録商標とやらが、実際にどの程度の問題なのかは知らないが、いまさら「EDO」なんて意味が分からないし、「スカイ」だとか「ツリー」だとか「みらい」や「ゆめ」なんて、それこそ先の時代の人たちから「頭が悪かったんじゃないの」と酷評されるのがオチだろう。妙な横文字にせず、「東京」と名付けたから皆がこれほど愛せたのに。安直なアイディアに落ち着かせたりしたら、新名所どころか平成の恥だぞ。
絶対「新東京タワー」だ。そう思うだろう。
ちなみに、1945年の今日3月21日には、大本営が硫黄島玉砕を発表した。
「東京EDOタワー」「東京スカイツリー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」「ライジングタワー」
「新東京タワー」という名称は、登録商標の問題で使用できないとあった。
しかし、新東京タワーの名称は、どう考えても「新東京タワー」しかないだろう。買えばいいのに。東京人は、そのあたりに意地を張るべきだ。そういうところにはお金を使うべきだ。エッフェル塔を眺めれば、パリはエッフェルさんに負けてしまったのだなあと、ため息がでる。東京はよかったなあと、またため息が出る。
その登録商標とやらが、実際にどの程度の問題なのかは知らないが、いまさら「EDO」なんて意味が分からないし、「スカイ」だとか「ツリー」だとか「みらい」や「ゆめ」なんて、それこそ先の時代の人たちから「頭が悪かったんじゃないの」と酷評されるのがオチだろう。妙な横文字にせず、「東京」と名付けたから皆がこれほど愛せたのに。安直なアイディアに落ち着かせたりしたら、新名所どころか平成の恥だぞ。
絶対「新東京タワー」だ。そう思うだろう。
ちなみに、1945年の今日3月21日には、大本営が硫黄島玉砕を発表した。
2008-03-04
ワーカーズハイ
今年も2ヶ月が過ぎた。時間の経過はこれほどにゆっくりとしたものであっったろうか。
年明け直ぐに最初の仕事にとりかかり、首都圏のあちらこちらを回る。実労時間は短いものだが、終止気を張りつめている必要がある。一語も聞き漏らすわけにはいかない。相手が無責任に吐き出す言葉の中から意味のある言葉だけを抽出し、ちょっとしたニュアンスの変化に裏を読む。笑顔を絶やさず相槌を打ちながら、手元では異常な速さでペンが走る。予定の時間が経過し、「では私はそろそろ別の会議がまっておりますので」と相手が席を立つ。どっと力が抜ける。緊張と解放を繰り返すとエンドルフィンが体中に分泌されているのがわかる。ランナーズハイなどと同様、一種のトランス状態に襲われる。しかし連日では流石に疲れる。よかった連休だ。
連休を明けて直ぐ、約10日間別の案件で缶詰にされる。文字通り缶詰で、小さな部屋で対象者と二人きり。まるで刑事と被疑者のようだ。刑事は終止笑みを浮かべていなければならない。ただでさえ緊張状態にある被疑者が、供述を拒まないようにするためだ。「さあ、怖くはないよ。正直にいってごらん」休みなく吐き出される質問に対象者はへとへとだ。しかし、確たる証拠を掴むまで彼を解放するわけにはいかない。ビデオを通して模様の監視を続けるデカ長や他の刑事達も苛立ちを隠せない。しかし、相手はもう限界だ。「しようがない、最後の質問に答えたら、今日のところは解放してやろう」相手の目に安堵の色が浮かぶ。そこを空かさず「言っておくがな、適当な答えに騙されるような俺じゃないからな」相手が頷く。5分後彼はカツドン代を手にし、背中を丸めて立ち去る。こちらを振り返る者は誰一人いない。
2月に入ると、また別の案件でIT企業への潜入を試みる。手強い相手にはこちらも徒党を組んで相対する。しかし、敵も然る者なかなか尻尾を出さない。手を換え品を換え、何とか急所を突こうとするが上手く行かない。結局、目的を達することなく退散することになった。「現地へ乗り込もう」寄せ集めではあってもプロの集団。リーダーの一声で、半数の人間が成田へ向かう。準備期間は殆ど無いに等しい。暗号のような難解な文章に機内で目を通しながらこの先一週間のミッションを把握する。
最初の渡航地では観光客になりすまし、人の流れに身を隠して目的の地へ辿り着く。一転ビジネスマンモードに切り替えると、手振り身振りを大袈裟に、リアクションも出来るだけ派手に振る舞いながら胸を張って人を掻き分ける。最初のアポイント先。単独で先行した斥候が既に10件に及ぶ予定を組んでいる。我々後発の部隊が定められた時刻と場所に現れ、見下した態度で情報を収集する。未だ日本市場の幻想係数は高く、偽造した名刺とそれなりの基礎情報を与えれば、相手は這いつくばるように希少な情報を差し出す。「何卒おねげえしますだ、お代官様」予想以上の収穫に部隊一同にうっすら笑みさえ浮かんでいる。しかし、次なる地で待ち受ける相手はレベルが異なる。心しなければならない。
日本からと同様に、各々が別々の便で次の目的地に飛ぶ。集合時刻、全員が旅行者になりすました身なりでおち合う。人通りを避け路地を分け入る。一軒の鄙びたビストロを発見しドアをくぐる。客は我々だけのようだ。主人は年老いたフランス人。他に従業員の姿も見あたらない。隅のテーブルに着き早速翌日の行動について打合せを始めた。安全が確保されている状態といえども細心の注意は怠らない。一つの文章を単一の言語で完了してはならない。英語、日本語、イタリア語やその他の言語を織り交ぜて話す。
料理が運ばれるたびに会話が途切れる。訝しげな主人に愛想笑いを返し、一口頬張る。悪くない。次には仕事を抜きに訪れてもよいだろう。料理を平らげると同時に打合せを終了する。時刻は深夜を回っていた。立ち去る間際に店のサインに視線を送ると、タイユバンとあった。
翌日、我々は古式豊かなスパイ小道具を身に着け相手先を訪れた。最新の電子機器は携帯電話を含め全て没収される。万年筆に仕込んだフィルム式の超小型カメラ、メガネのフレームに組み込んだ超小型のテープレコーダーなどなどを分担して持ち込む。全ての言葉に大袈裟に相槌を打つ。相手は、未開の土着人を見るような目つきで我々を眺め、なんでも来いと大風呂敷を広げる。思わず口からこぼれる機密情報。全ての会話が記録されている。目的は達した。
その翌日、既に全員が機内に居る。仮眠をとる者は誰もいない。帰国後この部隊の一部は、別の目的地へ向けタッチアンドゴーだ。私にも次なる使命が待っている。
数日後、新幹線の車中にいる。都内で別件の尋問を済ませ、場所を大阪に移して同様の取り調べに入る。少しばかり疲労を覚える。他人のことなどお構いなしの同行者は、一つ覚えのように「お好み焼き」を繰り返し口にしている。海外の仕事と異なり、国内では食事に不都合がない。しかし反面、組む者の質にばらつきが生じ本来無用な神経を遣う。だが俺はプロとして仕事を請け負う。泣き言はない。ただ、与えられた役割をこなす。
ようやく2月が終わった。じきに半世紀を迎える肉体は少々辛さを感じ始めているが、おそらくこの仕事から当分は足が洗えない。
年明け直ぐに最初の仕事にとりかかり、首都圏のあちらこちらを回る。実労時間は短いものだが、終止気を張りつめている必要がある。一語も聞き漏らすわけにはいかない。相手が無責任に吐き出す言葉の中から意味のある言葉だけを抽出し、ちょっとしたニュアンスの変化に裏を読む。笑顔を絶やさず相槌を打ちながら、手元では異常な速さでペンが走る。予定の時間が経過し、「では私はそろそろ別の会議がまっておりますので」と相手が席を立つ。どっと力が抜ける。緊張と解放を繰り返すとエンドルフィンが体中に分泌されているのがわかる。ランナーズハイなどと同様、一種のトランス状態に襲われる。しかし連日では流石に疲れる。よかった連休だ。
連休を明けて直ぐ、約10日間別の案件で缶詰にされる。文字通り缶詰で、小さな部屋で対象者と二人きり。まるで刑事と被疑者のようだ。刑事は終止笑みを浮かべていなければならない。ただでさえ緊張状態にある被疑者が、供述を拒まないようにするためだ。「さあ、怖くはないよ。正直にいってごらん」休みなく吐き出される質問に対象者はへとへとだ。しかし、確たる証拠を掴むまで彼を解放するわけにはいかない。ビデオを通して模様の監視を続けるデカ長や他の刑事達も苛立ちを隠せない。しかし、相手はもう限界だ。「しようがない、最後の質問に答えたら、今日のところは解放してやろう」相手の目に安堵の色が浮かぶ。そこを空かさず「言っておくがな、適当な答えに騙されるような俺じゃないからな」相手が頷く。5分後彼はカツドン代を手にし、背中を丸めて立ち去る。こちらを振り返る者は誰一人いない。
2月に入ると、また別の案件でIT企業への潜入を試みる。手強い相手にはこちらも徒党を組んで相対する。しかし、敵も然る者なかなか尻尾を出さない。手を換え品を換え、何とか急所を突こうとするが上手く行かない。結局、目的を達することなく退散することになった。「現地へ乗り込もう」寄せ集めではあってもプロの集団。リーダーの一声で、半数の人間が成田へ向かう。準備期間は殆ど無いに等しい。暗号のような難解な文章に機内で目を通しながらこの先一週間のミッションを把握する。
最初の渡航地では観光客になりすまし、人の流れに身を隠して目的の地へ辿り着く。一転ビジネスマンモードに切り替えると、手振り身振りを大袈裟に、リアクションも出来るだけ派手に振る舞いながら胸を張って人を掻き分ける。最初のアポイント先。単独で先行した斥候が既に10件に及ぶ予定を組んでいる。我々後発の部隊が定められた時刻と場所に現れ、見下した態度で情報を収集する。未だ日本市場の幻想係数は高く、偽造した名刺とそれなりの基礎情報を与えれば、相手は這いつくばるように希少な情報を差し出す。「何卒おねげえしますだ、お代官様」予想以上の収穫に部隊一同にうっすら笑みさえ浮かんでいる。しかし、次なる地で待ち受ける相手はレベルが異なる。心しなければならない。
日本からと同様に、各々が別々の便で次の目的地に飛ぶ。集合時刻、全員が旅行者になりすました身なりでおち合う。人通りを避け路地を分け入る。一軒の鄙びたビストロを発見しドアをくぐる。客は我々だけのようだ。主人は年老いたフランス人。他に従業員の姿も見あたらない。隅のテーブルに着き早速翌日の行動について打合せを始めた。安全が確保されている状態といえども細心の注意は怠らない。一つの文章を単一の言語で完了してはならない。英語、日本語、イタリア語やその他の言語を織り交ぜて話す。
料理が運ばれるたびに会話が途切れる。訝しげな主人に愛想笑いを返し、一口頬張る。悪くない。次には仕事を抜きに訪れてもよいだろう。料理を平らげると同時に打合せを終了する。時刻は深夜を回っていた。立ち去る間際に店のサインに視線を送ると、タイユバンとあった。
翌日、我々は古式豊かなスパイ小道具を身に着け相手先を訪れた。最新の電子機器は携帯電話を含め全て没収される。万年筆に仕込んだフィルム式の超小型カメラ、メガネのフレームに組み込んだ超小型のテープレコーダーなどなどを分担して持ち込む。全ての言葉に大袈裟に相槌を打つ。相手は、未開の土着人を見るような目つきで我々を眺め、なんでも来いと大風呂敷を広げる。思わず口からこぼれる機密情報。全ての会話が記録されている。目的は達した。
その翌日、既に全員が機内に居る。仮眠をとる者は誰もいない。帰国後この部隊の一部は、別の目的地へ向けタッチアンドゴーだ。私にも次なる使命が待っている。
数日後、新幹線の車中にいる。都内で別件の尋問を済ませ、場所を大阪に移して同様の取り調べに入る。少しばかり疲労を覚える。他人のことなどお構いなしの同行者は、一つ覚えのように「お好み焼き」を繰り返し口にしている。海外の仕事と異なり、国内では食事に不都合がない。しかし反面、組む者の質にばらつきが生じ本来無用な神経を遣う。だが俺はプロとして仕事を請け負う。泣き言はない。ただ、与えられた役割をこなす。
ようやく2月が終わった。じきに半世紀を迎える肉体は少々辛さを感じ始めているが、おそらくこの仕事から当分は足が洗えない。
2008-01-02
新年にイチロー、の目に涙
「ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残す」NHKの番組で、イチローが口にしたプロフェッショナルというものの定義だ。この言葉を実践しているのは誰かと問われれば、誰でもが真っ先にイチローの名を挙げるだろう。イチローは、自分の定義するプロフェッショナルを自らが実践している一流中の一流だ。34歳とはいえ、数々の修羅場をくぐり抜けてきたことは想像に難くない。
今年イチローは、プレッシャーから逃れることをせずそれに立ち向かって自らを超える、と覚悟を決めたという。200本を目前にすると毎年のように襲いかかる重圧に精神が変調をきたし、体調まで狂わすことさえあると本人が認める。これまではその重圧から逃げてきた。なんとか重圧から逃げおうせて、これまで200本を達成してきたというのだ。あのイチローがだ。どれほどの重圧だというのだ。凡庸な男に想像は不可能だ。
加えて今年はもうひとつ、メジャー通算3度目の首位打獲得のためのそれが加わった。相手のMagglio Ordonezにしてみれば、イチロー相手の競争に勝ったとなれば単に首位打者という以外にもうひとつの勲章が加わるほどの意味がある。勝ちたい。一方イチローは、昨年メジャーで3度目の最多安打を記録していながら首位打者のタイトルを逃している(http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/profile/?id=1861840)。こちらも此処まで来たからには是非ものにしたい。
シーズン終盤に差し掛かり益々記録を伸ばしたオルドネスに対し、イチローは差を縮めることができず、戦いは最終戦までもつれ込んだ。結果、イチローは争いに敗れ、試合中にもかかわらずフィールド上で何度も涙を拭うシーンがテレビスクリーンに映されていた。
「今年は野球を心から楽しむことが出来ましたか?」というインタビュアーの質問に、「それが見え始めた」とイチローは答えている。また、「目に見えないものが重要、目に見えないものだから超えるのがたいへん」とも口にした。目に見えないものを超えようと必死の努力をした先に、首位打者獲得という目にも鮮やかな目標が見えていた。競争に敗れたイチローは涙を流すほどに感極まり、その結果、大好きな野球を子供の頃と同様に楽しむことのできる感覚を取り戻しつつある。
7年の間毎朝同じメニューを作り続ける妻の努力も含め、自分で定めたプログラムを一日も欠かすことなく正確に努力し続けているイチローは、生活のほとんど全てを野球のために捧げているように見える。先には光があるだろうと思うが、未だ目の前には真っ暗な闇があるばかりだと言う。だからこそ挑み続けられるのだ、と努力を怠らない。事実毎年のようにバッティングフォームの改造に取り組んでいるという。あのイチローでさえ、である。
数年前同様のテレビ番組の中で、どうしてそんなに努力できるのかという問いに対し「当たり前です。僕がいくら貰っていると思っているんですか」と答えたイチローは、以前にも増してファンへのサービスと野球界に対する誠意を自らの存在意義と掲げながらも、今年新たに野球を楽しむための覚悟を決めたと語ったのだ。
これを、名誉も金も充分に手にした成功者が残り少なくなってきた野球人生をいよいよ自分自身のために費やそうと考え始めたと見るか、天才と呼ばれる男が道を究めるために更なる高みへ上ろうとしていると捉えるかは各々が感じるままでよい。しかし、我々凡庸な人間のいったいどれ程が、人前で涙堪えることができぬほどの感情の高まりを覚える戦いを挑んでいるのかと自問すれば、思わず腹の奥で低い唸り声を発するのは私だけではないだろう。イチローは確かに34歳の青年であるが、この道16年のベテランでもあるのだ。
今年イチローは、プレッシャーから逃れることをせずそれに立ち向かって自らを超える、と覚悟を決めたという。200本を目前にすると毎年のように襲いかかる重圧に精神が変調をきたし、体調まで狂わすことさえあると本人が認める。これまではその重圧から逃げてきた。なんとか重圧から逃げおうせて、これまで200本を達成してきたというのだ。あのイチローがだ。どれほどの重圧だというのだ。凡庸な男に想像は不可能だ。
加えて今年はもうひとつ、メジャー通算3度目の首位打獲得のためのそれが加わった。相手のMagglio Ordonezにしてみれば、イチロー相手の競争に勝ったとなれば単に首位打者という以外にもうひとつの勲章が加わるほどの意味がある。勝ちたい。一方イチローは、昨年メジャーで3度目の最多安打を記録していながら首位打者のタイトルを逃している(http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/profile/?id=1861840)。こちらも此処まで来たからには是非ものにしたい。
シーズン終盤に差し掛かり益々記録を伸ばしたオルドネスに対し、イチローは差を縮めることができず、戦いは最終戦までもつれ込んだ。結果、イチローは争いに敗れ、試合中にもかかわらずフィールド上で何度も涙を拭うシーンがテレビスクリーンに映されていた。
「今年は野球を心から楽しむことが出来ましたか?」というインタビュアーの質問に、「それが見え始めた」とイチローは答えている。また、「目に見えないものが重要、目に見えないものだから超えるのがたいへん」とも口にした。目に見えないものを超えようと必死の努力をした先に、首位打者獲得という目にも鮮やかな目標が見えていた。競争に敗れたイチローは涙を流すほどに感極まり、その結果、大好きな野球を子供の頃と同様に楽しむことのできる感覚を取り戻しつつある。
7年の間毎朝同じメニューを作り続ける妻の努力も含め、自分で定めたプログラムを一日も欠かすことなく正確に努力し続けているイチローは、生活のほとんど全てを野球のために捧げているように見える。先には光があるだろうと思うが、未だ目の前には真っ暗な闇があるばかりだと言う。だからこそ挑み続けられるのだ、と努力を怠らない。事実毎年のようにバッティングフォームの改造に取り組んでいるという。あのイチローでさえ、である。
数年前同様のテレビ番組の中で、どうしてそんなに努力できるのかという問いに対し「当たり前です。僕がいくら貰っていると思っているんですか」と答えたイチローは、以前にも増してファンへのサービスと野球界に対する誠意を自らの存在意義と掲げながらも、今年新たに野球を楽しむための覚悟を決めたと語ったのだ。
これを、名誉も金も充分に手にした成功者が残り少なくなってきた野球人生をいよいよ自分自身のために費やそうと考え始めたと見るか、天才と呼ばれる男が道を究めるために更なる高みへ上ろうとしていると捉えるかは各々が感じるままでよい。しかし、我々凡庸な人間のいったいどれ程が、人前で涙堪えることができぬほどの感情の高まりを覚える戦いを挑んでいるのかと自問すれば、思わず腹の奥で低い唸り声を発するのは私だけではないだろう。イチローは確かに34歳の青年であるが、この道16年のベテランでもあるのだ。
登録:
投稿 (Atom)