来年の事を話すと鬼が笑うなんてことは言われるが、来年のクリスマスのことは誰も話したりしないな。
そう考えると、クリスマスは毎年勝負をかけているものなのだと改めて思ったりする。
バブル世代のオジサンは、この時期決まって巷に流れるWham!の「Last christmas」に条件反射する。気がつけば口ずさんでいるわけさ。カラオケでも年に一度この時期にはリクエストもする。
「ただのオカマの歌ですよね」と店長には切り捨てられてしまったが、オカマだって恋を知ればあの曲で切なくなったりするんだろう、その意味でもあれは名曲と言えるんだな、きっと。
幼い頃のクリスマスは、サンタに化け損ねた父親が枕元に贈り物を置いていくのを寝たふりして確かめて、中身の想像で胸を躍らせるぐらいのものでしかなかったのに、大人になると急に期待や要求が大きくなってその分クリスマスにも味わいがでるものだ。
25歳のクリスマスイブ、数十年ぶりの大雨が降ったホノルルが停電になって、下っ端の私はスタッフの部屋を灯す蝋燭を買うため暗いホテルの階段17階分を一人降りた。コンビニに駆け込んだのだが、それようの大きなものはすっかり売り切れて、ケーキ用の小さなものが置いてあるだけ。100本ほど買い求めてホテルまで戻る道すがら、若い同年代のカップルが雨に打たれるのも構わず、音程の狂った「Last Christmas」を二人で歌いながら肩寄せ合って去っていった。「来年のクリスマスは、決めてやるぜ」
26歳はロサンゼルスで暖かなクリスマスを過ごしていた。部屋には彼女もいた。同僚に加えてアメリカ人のかっこいいカメラマンもいた。パサパサの七面鳥をバドワイザーやクアーズで流し込み、砂糖の塊がジャリジャリいうケーキを食べていた。俺たち二人に向けて発した「Merry Christmas」の言葉が、本物っぽくてかっこよかった。テレビから流れるバカ番組に見切りをつけてラジオのスイッチを入れると、やっぱりこの曲が流れてきた。願いが叶って恋人と一緒に過ごしたクリスマスのはずなのに、「もう、此処にはいられない」そんな思いに苦しさいっぱいの夜を過ごした。「来年こそは幸せを感じてやるぜ」
27歳、彼女は秋風と共に去っていき、同僚とのクリスマスになった。彼もまた彼女がいなかった。制作中のプレゼンツールは締め切りに追われ、窓外のイルミネーションの誘いにものらず仕事を続けていた。同僚が、「もう止めて、飲みに行こうよ」と言ったのを自分への言い訳に職場を後にした。「知っているところがあるんだ」と言う彼について辿り着いたのは新宿二丁目だった。「此処って、男しかいないぞ」という問いに、「そうだよ」と同僚が微笑んだ。「来年こそはまともなクリスマスにしてやるぜ」
幾つものクリスマスイブを過ごしてきたけれど、一人より二人、二人より三人、四人、五人と一緒に過ごす顔が増えると幸せも増えた。そしてその顔に見慣れれば見慣れるほど幸せも増えた。夜中に置いた贈り物に喜びを爆発させる小さな顔を見る度に来年も約束された笑顔の想像に胸を膨らませた。そのために幸せでいようと心に誓った。それは今も変わっていないし、これからも変わらないだろう。
言語は違っても、異なる宗教であっても、世界中の人がこの日だけは幸せを感じて欲しいと本当に思う。
今年も「Last Christmas」を歌おう。いつも引っかかってしまう a crowded room~ の下りを練習しよう。もう、かれこれ二十年以上も歌っているのに完璧にはほど遠い。完璧を目指して歌おう。次のクリスマスにも歌おう。その次のクリスマスにも。そうしていくうちに、きっととんでもなく膨大な数のLast Christmasの記憶が積み重なっていくんだろう。
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