2010-11-24

屋台のオジサン

去年は在った家が今年はもう無い。
屋台のオジサンは帰りがけに「どうもお疲れ様です」と言ってくれた。その夜俺は昔の仲間と会って酒を何杯か飲んで意味の分からない音楽に耳を傾けてきただけだ。その俺にオジサンはお疲れ様ですと言ってくれた。来年はこの場所にいるだろうか。

俺と入れ替わるように席に着いた年配の男性が「大将も一杯」と頼んだお酒を、オジサンは苦しそうに飲み干す。数百円の売上のためだものオジサンは歯を食いしばってそれを飲み干す。オジサンは来年もこの場所に立っていられるだろうか。

もう腕を通すことのなくなったダウンベストのことを思い出す。このオジサンにあのダウンベストをあげようか。寒い冬を乗り切ってもらうために、あのダウンベストをあげようか。果たしてそれがオジサンにとって有り難いことかどうかは分からない。けれども俺にはそれしか思いつかない。何のためか、本当にこのオジサンのためかは分からないけれど、俺にはそんなことしか思いつかない。

2010-08-28

説教、自尊心、情熱

「最近世界経済に対する興味が強くなったのですか?」という問いを投げかけられて「ん?」と思ってしまった。思った途端に私は話を止めた。関心があるのはこの国の明日についてだ。それはいつもそうだ。こんなオヤジとため口で杯を交わしてくれている君たち若い世代のことも、未だ小学生のわが子らのことも含めて、最重要関心事はこの国で移り変わっていく日々の事柄なのだ。だって、君たちや可愛い彼奴ら(息子達)が、いずれこの国を背負うのだから。この国の民としての誇りを担うのだから。萎び始めた俺たちだって、この国の状況を少しでも良い方向へ導くためには、我々が息を継ぐことができている最も重要な環境のひとつとしての世界経済へだって関心を持たないわけにはいかないだろう。

別に日本経済の現状を憂いているのではない。真意を伝えるのことの難しさを改めて感じたのだ。同じ内容を発しても立場や世代や職業その他によって受け取られ方は異なる。当たり前のことだし全てを相手の意のままに受け取るとのできる人間などいるはずもない。「人は見たいものだけを見、聴きたいことだけに耳を傾けているのだ」とはジュリアス・シーザーの言葉だ。彼の時代でもそうだったし、実質的に世界で最も権力を有した人間にしてもそうなのだ。伝えたい事と伝えられたと感じる事には常にギャップが生じる。これはキリストもムハメッドとブッダも同様に感じていたはずだ。

前出の質問者は、周囲の雰囲気が暗くなるのを嫌う。職業柄当然だし、性格的にも物事に執着するタイプではない。手っ取り早く結論を導き一旦終止符を打ちたがる。それはそれで悪いことではない。しかし、質問の端となった発言を「暗くなるから」ということで打ち切られれば、(打ち切られたわけではないのだが、そうした)こちらもすっきりできない。すっきりできなくとも良いが、彼に本来の意図が伝えられなかったことに忸怩たる思いが募る。嫌いな連中に罵声を浴びせるだけの無礼者だったとは思わないし、客の立場を利用して憤懣を吐き散らかそうというのでもなかった。「考えてみようよ」と伝えたかったのだ。たったそれだけ。むしろ生産的な意図だった。それが伝わらなかった。

ひょっとして彼はその時、説教を垂れられていると感じたのだろうか。仮にそうなら、こちらの非だ。勿論そんなつもりは全くなかったし、自身説教はするのもされるのも嫌いだ。誰かに説教されていると感じた途端、見えない煉瓦壁が瞬時に積み上げられ周囲を取り囲み、その中で目を閉じ耳と口を塞いだサルに変身していく自分がいる。説教は相手の自尊心を傷つける。活力や動機を生むどころか、せっかく進みかけている一歩を数十歩も後退させてしまう。だから、先の話が説教に聞こえていたのなら、それはこちらのコミュニケーションスキル不足およびコンテキスト構成能力の欠如が原因だ。

ほぼ同じ話を同年代にしたところ、こちらは驚くことに無反応だった。無反応と言ってよいほどリアクションがなかった。「ウム」と頷いて、ハイボールをぐっと煽っただけで続く言葉も質問もなかった。分かってくれたのか、諦めが進行したのかは定かでないが、やはり話を止めざるを得なかった。彼らは既に同じ年月だけ社会で闘ってきた連中だ。バブル崩壊以降のこの二十年も、「しんどい」「きつい」「もう無理」を何百回も吐きながら諦めることなく生きてきた連中だ。だから、こちらの意図などお見通しだ。「皆まで言うな」それがハイボールを傾けた時の無言のメッセージであった。彼は、一度は火の通りが不足だと店員に突き返した枝豆を一つちぎって口に放り込んで、次の話題に進んでいった。

「何時までも青臭いことを言いやがって」というのが彼の感想だったかもしれない。自尊心は傷ついたか。指折り数えて四十年を超える付き合いの相手が、この程度で傷はつくか?活力や動機を失うか、数十歩の後退をみるか。いや、おそらく彼は利のある内容だけを刻んで何処かにしまっておく。それ以外の膨大なブルシット(Bullshit!)は、店を出た途端にコンビニの燃えるゴミの箱に捨ててしまう。そしてすっかり忘れて眠りにつく。こちらも、それを知っているから安心して翌朝を迎えることができる。そうして数十年の「変わらぬ」付き合いが成立してきた。

ここまで進んで、何だ!俺の結論は年数のはなしだったか、ということに気がつき落胆した。仮に前出の質問者との付き合いが数十年にも及べば、先に記した危惧は無用で無意味だったということか。それではこのブログの結論がお粗末すぎる。きっと書き始めの意図は異なっていたはずだと一服して冷静さを取り戻す。

数年前に書いた物語の感想を思い出した。「いつもの説教臭さが感じられて、なんだかな」というのがあった。今では自分の道でキャリアを積み重ねるその女性も、学生だったその頃は毛の生えた少女のようであったから、親程も年の離れた者が創った物語などはその程度にしか理解できないのだろうとたかを括っていた。物語は、私自身がこれまで訪れた国々で耳にした寓話や言い伝えを詰め込んだもので、幾つかの経験を通して若者が少し大人に近づくといった内容のものだった。しかし今にして思えば、肝心の「大人に近づく」プロセスで喘ぎ脱皮する主人公の心の描写よりも、物珍しい諸国のエピソードを連ねただけの自慢話の押し売りにしか過ぎなかった。自尊心を傷つけたり活力を奪いはしなかっただろうが、メッセージは伝わらなかった。やはり何かが不足していた。技術や能力ではない、他の何かだ。

つい最近、韓国人の知人がやけに高揚して口を開いてきた。一念発起して北京へ移住するという。その日彼は辞表を提出してきたのだ。不安はあるが、ワクワクすると言っていた。数ヶ月に一度は戻ってくるから、その時は是非あなたの知恵をお借りしたいと社交辞令を口にした。「いや、私にできることなど」とこちらも謙遜したが、彼は彼で「私には必要な能力ですから」と返してきた。実は彼とは一度も仕事を共にしたことなどないし、交わした話しの内容に私のプロフェッションに関し何ら具体性を伴った情報を伝えた覚えもない。しかし一方、何故だか彼との話には、漠としていながらも互いの思いが込められていた。祖国や日本、仲間や旧友、互いの文化やその優劣。そして自らにとっての意義や思い。毎度そんな終わり方で杯を置いていたという記憶がある。その晩彼は、「きっと戻ります。その時は是非」と繰り返し口にし帰っていった。

数年前の物語には無くて、北京へ旅立つ知人との付き合いに在ったものは明白だ。ひょっとしたら、前出の質問者との会話にもそれは不足していたかもしれない。情熱だ。青臭いが情熱だ。人に伝えるべきは意図かもしれない。それを支援するのは会話の技術や能力かもしれない。しかし、伝達の目的を達成させるのは熱量だ。一過性のものではなく、何時触れても感じることのできる同じ種類の熱。「まだやっているんですか」と嘲笑気味の言葉を投げかけられても「はい、おかげさまで」と返すことのできる熱。決して失うことはないだろうと思わせる熱。染み着いた熱。

「熱中症にはお気を付け下さい」と繰り返されるこの夏だが、ときに太陽に顔を向けることが重要だ。エアコンの効いた部屋の中で思案に耽ってばかりいては自分の強さに気づかない。環境の厳しさを感じることはできない。それを乗り越える胆力が身につかない。肌身に受けた熱を感じて自分のものとし、それを伝えていくことが重要なのだ。繰り返せば、それは思想と化していく。やがて誇りとなる。それは人に伝わる。暑っつい(汗)

2010-04-05

ハートロッカー(見るなら読むな。ネタバレあり、あり)

※非常に長文です。

この映画をどんな映画として鑑賞すべきなのかを、観終わってすぐに考えた。この作品に主要部門を与えたアカデミーは、何をメッセージしようとしたのかを考えた。もともとこの映画は「アカデミー賞受賞作品」という謳い文句などなくても、観るに値する映画だと想った。のほほんと暮らしている私のような人間にとっては尚更価値のある映画だ。爆発物処理なる任務があることは知っていても、それが実際にはどのような行為なのか。どれほどの危険を伴うものなのか。そういった未知なる状況へ思考を向かわせ、改めてあの戦争を考えてみるにはよい材料となる映画だ。しかし一方で、これは娯楽映画であり、暮らしも文化も思想も異なる世界中の数百万人が目にする可能性をもった作品だ。アカデミー賞受賞はさらにそれを後押するだろうが、制作者の意図が明確に伝わるか否かで、作品の良し悪しはきまる。その意味でこの映画を考えた。4月1日鑑賞料が割引されるにも関わらず私が行った映画館は空いていた。(その日、もう一本鑑賞した既に2ヶ月を越えるロングラン作品は満員だった)

主人公ジェームス二等軍曹は所謂紋切り型のヒーローではない。彼は、戦地での任務に対し能動的で、常に死と隣り合わせているにも関わらずその恐怖を他に見せることはない。戦友サンボーン軍曹の制止も気にとめず、勇猛果敢に爆弾の処理に向かう。ジェームスには、人命を守りたい、仲間を救いたいという人道的な意識を感じることはできるものの、一方で、彼の行為は兵士としての存在意義や行動規範、目的意識に対する理解や賛同から生じているものとは明らかに異なる。彼は任務や自身の行為に決して前向きなわけではないのだ。これは、ひょっとしたら一般的な米国市民がイラク戦争そのものに感じていた意義の希薄さと同様なのものではないだろうかと思った。ジェームスの視点は、戦地へ赴いた兵士自身というより米国内に留まって彼の地に思いを巡らせいている一般市民の代表というべきものなのかもしれない。つまり、制作者の視点は国内に留まっている。

現大統領も含め、アメリカ人全員が目的を失ってしまったイラクでの戦闘行為。生死の境を最も越えやすい爆発物処理班の兵士が、その境目に赴く動機は、しかも常人を遙かに超越した無神経さで爆発物へと彼を導くものとは何なのか。彼をそう変えてしまったものは何なのか。(それともそれは彼がもともと持ち合わせた性質なのか。だとすれば、異常人を扱った作品が描くべき異常性は遙かに乏しい) 彼が閉じこめなければ(ロックしなければ)ならない本当の痛み(ハート)は、戦友達のそれとどれほど異なるのか、際だったものなのか。それは、戦友にまた祖国に残した家族をどれ程までに傷つけるものなのか。誰でもが悲惨と認識する戦争を題材とした作品において、際だたせるべきテーマは何なのか。現実を知らない私のような人間が、この類の作品に期待するのは、そういったメッセージでありそれを補完しまた増幅させる描写だ。ショッキングである必要はないが、充分であってほしいと望んだ。

また、映画の後半で、ジェームスにとって爆発物処理という行為は、「誰でもが大人になるとともに失っていく興味の対象物のうち、唯一残った」だけの事なのだと描かれる。「爆発物処理は必要な仕事だ」彼は家族にたった一言そう発し、再び戦地へ赴く。果たしてこの結末にリアリティーを感じることはできるか。私のように米国外に住み従軍した誰をも知らずにいる者にとって、それは難しい。それが、今のアメリカの一般的な青年の心の中にある割り切れなさや将来に対する自信のなさだと説かれても、直ぐに理解できるものではない。仮にアメリカの市民、現実を知っている彼らが、この映画程度の描写で、現実の再認識と彼の地の兵士達への感情移入が可能なのだとすれば、それは即ち「皆まで言わずとも」という意味ではないか。それ程までに辛い現実なのだとしても、それ程までの辛さはアメリカ人にしか分からない。私のような人間にできるのは、分かった振りを装うことだけだ。制作者としてはそれでよかったのか。

ジェームスはバットマンのようにダークダークでもなく、ランボーのように孤独孤独でもなく、ダーティーハリーのようにアンチ体制派でもない。しかし、それらのヒーローと同様に、ジェームスにもまた平和な世界に居場所は見つからない。ジェームスには、多くのヒーローに見られる圧倒的なダークサイドが見あたらない。悲しい程の愚直さが、呆れる程の割り切りの良さがジェームスには備わっていない。生身の人間だから? いや、そうは言えない。車のトランクいっぱいに詰め込まれた爆弾の処理を、死ぬ時は気分良く死にたいからと防護服を脱ぎ捨てて行うことなど普通の人間にはできはしない。そんなスーパーはジェームスなのに、夜はせいぜい同僚二人と大酒を飲んでふざけることしかしない。狂気がない。一切を捨て去れる弱さがない。恐怖を振り切るために現地の女性を暴行しようかなどとは考えもしない。これもまた現在のアメリカの青年の特徴と言えるものなのだろうか。それともアメリカ人は、「凄惨な現実などこれ以上見たくない」ということなのだろうか。漠とした顔のない「悪」と際限なく立ち向かわなければならないというだけで、充分じゃないか、と。

この物語はイラクに実際に従軍し爆発物処理に携わった兵士の実話に基づいているというようなことを耳にした。モデルとされた兵士は、「全然本当っぽくない」と言ったという話しも目にした。しかし、イラク、まして戦地というものから隔絶し、その状況についてはお手軽な報道映像を寄せ集めただけのニュース番組でしか知り得ない私のような人間にとっては、デフォルメされているとはいえ現況を知る一助となる描写が積み重ねられ興味深かったのも事実だ。しかし、本来それらの描写は、主人公(達)の苦悩を表現するための増幅装置としての役割を果たすべきものだ。過酷で悲惨極まりない状況下で苦悩するアメリカの青年達。ヘビーなテーマを扱った作品のはずだから、主人公達の感情は常軌を逸するほどズタズタにされ、人間性や自信の喪失、果ては自己の存在や国家の存在に対する懐疑や不信に繋がる、はず。しかし、彼らの感情の変化は、これまでにも制作されてきた中東地区の従軍兵士の物語と比較して際だったものではなかった。

彼らの苦悩(ハート)は何だろうか。ジェームスにとっての痛みは、前述の通り普通の人々が感ずる家族や子供といった幸福を受け入れることができないことだろうか。それとも、それを自覚したが故に、離婚したはずの妻が未だに彼のもとを去ろうとせず幼児と一緒に彼の帰宅を待っているという現実だろうか。仲良くなった現地の少年に似た子供が人間爆弾にされた際に抱いた怒りは、不完全燃焼のままどこかへしまい込まれてしまった。それが原因で負傷した新米のエルドリッジを見送った後も、人間爆弾にされたイラク人成人男性を謂わば見殺しにする冷静さを失うことはなかった。無事帰国を果たしたにも関わらず、物語の最後で、彼は自分を再認識しけじめを付けるように再び戦地へ赴く。輸送機からイラクの地に足を下ろしたジェームスの表情に悔恨は微塵もない。彼は居心地の良い場所へ戻ることができた。

同僚の黒人、サンボーン軍曹はジェームス同様勇猛果敢に任務へ向かうが、終始死への恐怖を露わにしていた。彼は死ぬことが怖いのだと認識している観客に対し、後半「俺が死んでもお袋以外に悲しむヤツはいない。子どもでもいれば」と、その根源が実は孤独であることを吐露する。除隊を目前にしての発言だ。戦地で負った傷が霧消するとは思えないが、それまでの戦友に対して吐くことのできなかった(であろう)本心を口にできたのだから、傷は間違いなく快方へ向かったはずだ。そして彼は無事に帰国した(はずだ)。PTSDを煩っているらしいもう一人の主人公、新米兵のエルドリッジは軍医によるメンタルケアを受けている。恐怖心を抑えきれず新米故の判断力の欠如から、「オマエが自分で考えろ」と何度となくサンボーン、ジェームズ両戦友から𠮟咤される。結局、肉体の負傷と引き替えに帰国を手にすることで、彼はそれ以上の心の傷を受けずに済むことになる。

三人とも、負傷はするが生きて帰国の途につくことができた。帰国によって戦地の傷が全て癒されるわけではなかろうが、ジェームスを除いた二人には、それ以上傷を閉じこめる(ロックする)必要はなくなったのだろう。二人の同僚の傷は、帰国と共に見事に消え去った。それにより、ジェームスの傷は際だったか。そもそも、彼にしか理解し得ない、いや理解さえできないかもしれない深く酷い傷が何であったのか。夫婦仲の問題、父親としての責任感の欠如、普通の市民としての生活への適応力の欠如、つまり居場所のなさという彼の苦悩を、それらが戦争が理由で生み出された特別なものなのだと、観客にしっかりと刻むことはできたのか。それにしても、それらが、これまでも描かれてきたイラク従軍兵士の心痛や苦悩といったものを越える何かであるとは感じられなかった。

兵士の心の痛み(ハート)の代わりに記憶された台詞がある。
「オマエの無茶のせいで、こんな目に」
新米エルドリッジが、腰の負傷のために帰国する際にジェームスに吐く台詞だ。私はこの台詞を向ける相手を、米国大統領に置き換えることでこの映画を納得することにした。
「腰骨が九つに砕けちまって、歩けるようになるまでには半年もかかりやがる」と嘆くエルドリッジに、「半年なら悪くないさ」とジェームスは答える。「歩けるようになるまで」を「除隊まで」に置き換えれば、まるで米国市民と大統領がやりあっている台詞みたいに感じる。「撤退まであと半年だ。それほど悪くはない」

残念だが、今年のアカデミー会員は、充分に感情移入が見込めるテーマを扱い、ある種深入りを避け、ただでさえ重みのある映像が淡々と積み重ねられたこの作品に主要な賞を与えることで、自らの威信を傷つけずに(様々な理由で)盛り上がりを期待できると踏んだのだのではないかしらと勘ぐってしまった。火器を持たない原住民に対し一方的な戦闘を開始した文明の民を扱った前夫監督作品の、歯に衣着せぬ描写が、現在も確実に死者の数を増やしているイラクに対するネガティブな感情を想起させ、唯でさえ明るい話題のない米国内の沈み込んだ雰囲気を増長させたくはない。そんなところが理由だったのかもしれない。結局のところ、アメリカ市民にだけ共感し理解してもらえればよし。他の国の人は、難しいことを考えずに、よくできた作品としてこの映画を楽しんでください。アメリカ国民は自浄を忘れてしまったわけではない。こういう作品を通してきちんと再認識の努力をしていますよ、って。今回はやや残念だ。

最後に、同じイラクへ従軍した普通の青年達自身を扱った「リダクテッド(REDACTED)」(ブライアン・デ・パルマ)という作品の鑑賞を薦めます。さらに、失踪したイラク帰還兵の息子を捜査する父親が、隠蔽された米軍の謎を解き明かす「告発のとき(IN THE VALLEY OF ELAH)」(http://ebjk-piccolino.blogspot.com/2008/05/blog-post_09.html)は、米国内の家族(=市民)の苦悩を描いている。両作品とも、作者が意図するメッセージは明確で、鑑賞後の観客を大いに苦しめる。同時に、アメリカが抱える苦悩というものを想像するための大きな助けになる。

私が知る、ベトナム戦争の苦い記憶に表情を歪めた80年代前半のアメリカの若者達がいま親となり、新たなそして同様に悲惨な状況へ自分の息子や娘達を送り込んでいることを考えれば、ハートロッカーを監督した50代のキャスリン・ビグローは正にその世代であり、リアルな苦悩を背負い、もしくは直面する者の一人として、私のようなものが他人事として求める数々を描写するのは辛かったのかもしれない。それ故、一歩手前でシーンを終えてしまうことを選んだのかもしれない。凄惨な状況を描ききることが回避されたことで、アメリカ市民の多くは溜飲を下げ納得に至ることができたのかもしれない。そこを見逃さなかったアカデミー賞だったのかもしれない。

2010-03-11

イルカよ、イルカ

※大変長い文章ですので、そのつもりでお臨みください。

まず最初に、アカデミー賞受賞で一機に盛り上がってる和歌山県太地町のイルカ漁は明らかに営利を目的とした所謂漁であり、日本の文化ではないと私は思う。和歌山県太地町固有の行事であり、強いて言えばその地方の文化と呼べるものかもしれない。私個人は、映画も見てはいないしその文化についても詳しくはないので、映画で扱われている特定の事柄を云々することはできないし、それを文化としてみなすかどうかについても明確な意見はない。ただし、多くの日本人が共有する文化か否かと問われれば明確に、NOと答えるであろう。その上で、言及してみたい。

ザ・コーヴという映画にまつわる問題には、いくつか異なる次元の要素が含まれている。ひとつめは、何故に「イルカ」が特別扱いされるのかという点、次にイルカを食することが食文化か否かという点、三つ目にそれを流通させ金儲けをしているのはけしからんという点、最後にこの映画の撮影が無許可に近いものであり(盗み撮り)卑怯な手段のうえにたつプロパガンダであるという点。もっと他にもあるだろうが、とにかく複数の異なる話題が一緒くたに論じられている。実はそこが日本人という括りにおいては、最も問題なのではないかとも考える。これはまた別の話になるので触れない。

一つ目のイルカ特別扱いについては、イルカが非常に高度な知能を持つ生き物だというイメージから生じている感情的なものだと認識している。確かにイルカには、遭難した人間を救った話であるとか、船を導いて難所から救い出したとかという話しもある。シャチが調教師を誤って殺してしまったニュースを耳にしたばかりだが、イルカにおいてはそのような事もないようだ。また、腕白フリッパー世代の私にとっても、心情的には憎むことも無視することも他の知能にいて劣等な動物と同様にみなすことも難しい。つまり、どこまでそうかは別にしてイルカとは気持ちが通わせられそうだというイメージが、イルカに対する一種異様な情を生んでいるのであろうと考える。

しかし、一方イルカ程の知能を有するかどうかは分からないが、かなりの高等生物であることが知られているシャチについては、イルカのような同情が集まらない。どうしてか。シャチの大量虐殺が記録されていないため偶々そうなのかもしれないが、これまでシャチ寄りの世論というものを私は耳にしたことがない。ひょっとしたらシャチだって充分に人間と心を通わせるだけの能力は有しているのかもしれないし、むしろその気高さのために敢えて人間との距離を置いているのかもしれない。それならそれで見上げたものだし、本来的にはより尊敬に値するのではないか。しかし、シャチに対する情けはあまり一般的ではない。

また、高等な知能を有する動物という範疇に犬は入らないのか?犬はあらゆる動物の中で歴史的にも最も人間に近しい生き物であるはずだし、膨大な数になった犬の種類の多くは人間が改造して作り上げたものだ。酷いことをしてきたという事ならば、犬は最も人間に虐待されてきた生き物だ。そしてその種類の多くは、欧米で作り上げられた。鼻をそぎ落とされ、尻尾をちょん切られ、やせっぽちにされたり不細工にされたり、大凡人間に置き換えれば直視できないような仕打ちを受けてきた。彼の国では食するという事実もある。ところが、犬は未だに我々人間の最大の理解者のようだ。そんな非道さを盗み撮りして事実を映画化した人間はいない。私が知らないだけかもしれない。

犬を食したり改造したりするのは非常に小さな集団のことであるからという理由は、和歌山県太地町という(大変申し訳ないが)多くの日本人がその所在地さえ認識できない小さな地域での出来事が取りざたされた今回は通らない。つまりは、イルカという特定の動物に対する感情論が大きな部分を占めている。何を占めているのかといえば、実は映画作りにも実際のイルカ漁にも殆ど関わりのない私を含めた傍観者の苦悶の殆どを占めているのだ。イルカが特別かどうか。おそらく特別だ。肩入れするべきか。おそらくそうした方がよい。何故だ。そう洗脳されているからだ。我々は、イルカについて多くを知っているわけではない。他の動物についてだって、そうだ。毎年米国で3500万頭が殺される食肉用の牛たちが、殺されることについて何も感じていないわけではないのだ。単に、こちら側が割り切っているだけのことだ。イルカは特別だと我々が思っている。根拠となるのは、実はそのイメージだけなのだ。

二つ目の、イルカを食する事が我々日本人の食文化の一つであると言い切れるかとい点については、YES and Noだ。逆説的だが、文化とはいつか消滅する可能性を持っている。文化だから法律で維持させようというのは既に文化ではない。文化は長い年月の間に継承している人間達の中で意味合いが変化していくもの。だからこそ、文化は熟成も衰退もする。それが本来の姿だ。かつて私が幼少期に鯨の肉は一般的な食物だった。婆ちゃんが煮てくれた甘辛い鯨の肉は、弁当のおかずの人気ランキングに入っていた。当たり前に食べていた。何時の頃からか、捕鯨規制が叫ばれるようになって鯨肉は食卓から消えていった。文化がたどる道を辿ったのだ。しかし現在、「この漁は和歌山県漁協から許可を得て行っている合法的なもので」などとコメントされるようならば、既に文化的な意味合いを大きく失っていると考える。

(※鯨とイルカには明確な区別が無く、一定の大きさ以下のものをイルカと呼ぶそうだ。だからイルカは鯨なのである。よって、鯨肉には当然イルカの肉も含まれる。誤表記ではない)

改めて、今日鯨肉を食することが日本人の食文化であるか。私はNOと答える。廃れてしまった文化を懐かしむことはある。しかし、今その存在にアプリシエイトできるかと問われれば、NOなのだ。多くの人々が日常的に鯨肉を食しなくなってから既に世代が代わる程の年月が経った今日、それを日本人の文化であると声を大にしていうことは難しい。誰も目にしないような伝統行事を継承してる場合もあるではないか。それは日本の文化とは呼ばないのかという声があるかもしれない。しかし、食文化というのは日常に根付いたものでなければ意味が通らない。食は毎日のことなのだ。米飯は週に何度も食べるし、味噌汁もそうであろう。食文化とはそういうことを差すと私は考える。その意味では、マグロは日本の代表的食文化の一つと言えると思う。

もっと言えば、欧州で規制の声が高まるマグロは、それよりずっと以前に資源確保の意味合いから養殖技術の開発が続けられている。欠かすものができない食材であると多くの日本人が考えるからこそこのような動きが起きる。国や役所も動く。鯨やイルカを養殖で、という話は終ぞ耳にしたことがない。技術の問題というのであれば、マグロも非常に高度な技術と知識が必要だ。やってみればイルカや鯨の養殖も可能なのかもしれない。養殖鯨や養殖イルカなら、たとえ太地町と同様の漁を行っても、「どうせそのために養殖しているのだから、牛と同じだよ」ということで、アカデミー賞どころかドキュメンタリー映画にさえならなかったかもしれない。

三つ目の点に差し掛かったが、仮に養殖イルカでもって現在の漁を行っていれば、ひょっとしたらスペインの闘牛のように見せ物として成立したかもしれない。「殺し方が残酷だ」という理由で闘牛を非難する人間がいるが、闘牛こそは、文化を営利化した象徴的な行為だと思っている。見せ物として金儲けを成立させた上で、殺された牛の肉は当然食卓に上るのだ。動物が生きるためには他の生き物を殺さなければならないと、分厚いステーキを前に子供達は教育されるという。それが、命の尊さを伝えることになるのだという。食にはこのような重要な役割があるなどと、今この国の親たちはどれ程認識しているだろうか。闘牛によって生産され続ける牛肉は、正に食文化の代表だ。これほど見事に、お金と食と教育の三位一体を果たした行事を文化と呼ばずしてなんと呼ぼう。だから、闘牛は連綿と継承されていくのだ。文化として。

話を戻せば、仮に養殖であっても、そうまでして日本人が鯨肉を食べ続けていれば、殺し方がどうであろうと、胸を張って「鯨は日本の食文化を代表するものである」と言えたことだろう。是非は論じていないので、念のために。

最後の盗み撮りという卑怯な方法で作られた映画云々については、正直言って話にならない。物事をフィルムであれビデオであれ文字であれメディアに収めるという行為は、事実を歪曲することとほとんど同意義だ。殊更ドキュメンタリー映画には、そのような側面がある。物事は立つ側により見えてくるものが異なるものだから、ドキュメントとはいえ、制作者は起承転結に関するアイディアをもって臨む。つまり、立ち位置を決めてからカメラを回す。だから、そのアイディアが今回のように被写体とされる側にとっては都合の悪いものであることはしばしば生じる。被写体が協力的でない場合でも、ドキュメンタリー映画などを制作しようとする者は諦めたりせず、盗み撮りだろうがなんだろうが目論みに合うように撮影を続ける。制作者としては当然のことなのだ。娯楽映画だって、トム・ハンクスの「天国と地獄」はバチカンとローマから許可を得ることができないまま撮影されたというはなしだ。盗み撮りだ。これも、是非は論じていない。

誰かのブログに、「太地町の人々は、どうせなら、撮影拒否などせずに手厚くもてなして、むしろ自分達にとって誇れる事柄なのだと主張すれば良かった」というような事が書かれてあったが、同感だ。後の祭りではあるが、よい考えだ。ドキュメンタリーの場合、撮影者と被写体の間には常に駆け引きがある。その駆け引きに負けてしまったのが今回の太地町だ。アカデミー賞までとられてしまったのだから完敗だ。こんなとき欧米には危機回避の発想があるから、これがアメリカや欧州の一部の国の町での話しなら、きっと町長さんは予算を遣ってコンサルタントを雇ったはずだ。違法行為もしくは事前協議違反が生じた場合、上映禁止措置やフィルムの差し押さえといった手を打てるように法律家も雇うかもしれない。本気で自分達の文化だと主張し守ろうとするならば、それぐらい必死でなければ世の中にはその何倍も狡賢い輩がいるのだ。決して太地町の人々を責めるつもりはない。ただ、残念なだけだ。世界に出て行くと日本のスポーツ団体は駆け引き下手でで損なクジを引かされる。そんなこととダブってしまった。

最後の最後に、知人が綴っていた「almost disgust me to think some japanese people feel proud of massacring dolphins cos it's our traditional culture.」というコメントに対して言及するならば、多くの日本人は、勿論太地の人々だって、たとえ伝統行事であろうとも動物の大量殺戮を快く思っている人はいないであろうと思う。我々はスクリーンの上に映し出された映像を見ているだけだ。実際に生き物を殺し血の中に浸かっているのは彼らなのだ。良い気分なわけがない。彼らはただ黙々と仕事をしている。是非ではない。連綿と続けられている彼らの仕事を今年もまたしている。自分の仕事に誇りを持つのは当然のことだ。そしてまた、眼前で死んでいく生き物たちへの惻隠の情もちゃんと持っている。哀れみ感謝している。だからこそその仕事に誇りを持ち続ける事ができるのだ。400年も続いているのだ。伝統というものは清濁を併せ持つ。

そして、あの映画によって日本人を惨く残酷な人間であると信じる世界中の人々は多くない。あの映画を利用してそのような気分を誘導しようとする輩はあるだろう。しかし、そういう連中は、この映画に限らず利用できるものを探しているし、方法を考え出すものだ。どこの国にだって、他の人間から見れば理不尽な行いの一つや二つはあるものだ。そう理解するはずだ。政府から「自分達の生活に必要な数だけ」とアザラシの猟を許可されているエスキモーは、アザラシの全てを活用する。肉は食べ、毛皮は物々交換する。彼らは、貨幣を持たない。貨幣など役に立たないからだ。エスキモーはアザラシを殺すことで生きている。生活している。そして、アザラシから全てを教わる。

彼らが、この映画を見たらなんとコメントするのだろうかと頭を巡らせた。きっと、何も言わないだろうと結論づけた。仮に、発したとしたら、「別に」だな。

2010-01-29

開高

長い時を経て開高と再会した。呆と彷徨っていた私の目に、古本屋のワゴンに山積みされた薄黄色くなったカバーの中から開高の人懐こい目が笑いかけていた。1990年に出版された、週刊プレイボーイ「男になるための教養講座」の特別編集版だ。

開高健は、格好の良いオヤジだった。もう随分昔の人だから比べるのもなんだが、今時のチョイワル著名人など足下にも及ばない男っぽさがあった。小説家だが小説なんか書かないでアマゾンでピラクルなんかを釣っていた。ベトナム戦争へ出かけて行ってるのに、酒と食い物の話しかしない。パリを歩けば雲古と万古にしか目がいかない。

村上龍が就任する前に偉い文学賞の審査員を長いことやっていた。そういえば、村上の週刊プレイボーイの連載は開高の後を継いだものだ(と思う)。偉い小説家なのに、のっけから下ネタ全開の「男講座」だった。だから、幼さが抜けきらない高校生や大学生、勿論とうに抜けきった連中も喫茶店でニヤニヤしながら夢中で読んだ。

説教臭い話しはあまりない。ニヤニヤしながらスッゲーと思っていた。しかし、その頃の若いモン達は若いモンで、「そんなのどうってこうとないさ」っていう素振りを装った。ニヤニヤで誤魔化していた。中には凄さが分からずに本当にニヤニヤしていたたけの馬鹿も当然いた。当然、馬鹿は馬鹿で何かは感じていたと思う。でも、それが何なのかを確かめるためには、時代が拙すぎた。術がなかった。だから、馬鹿なヤツは鵜呑みにして国を飛び出した。

一方で、植草甚一がいた。今にしてみればサブカルの元祖のような人で、彼も面白かった。単行で出版されたソフトカバーの植草シリーズには、馬鹿な若いモン達が嵌らずにいられないキラキラした話題が満載された。「カトマンズでLSDを一服」なんて来られたらもう堪らなかった。植草の文章は最も新しい情報だった。どんどん出てきた。しかし、情報でしかなかったのも事実だ。「スッゲー」そのものの情報だった。インターネットだった。

開高は、ニヤニヤの中にそれを籠めた。ほんのり漂うスッゲーの素を練り込んだ。だから覚えている。覚えているから考える。考えるから、悶々とする。悶々とするから動き出す。術なんて分からないからとにかく動いてみる。そうしてみんな殻を破っていった。お利口さんは無駄なことはしないから、きちんと別の殻の中に自分を嵌め込んだ。馬鹿はそんな器用な真似ができずにはみ出した。

バブルが過ぎて、開高は死んで、村上は二人とも教祖になって、老けただけの馬鹿は未だに馬鹿のままだ。「男になるための教養講座」に収録された「小さな死」というエッセイの最後の一行を引用して、この駄文を終えよう。
「といいながら小生は立ちもせず、死にもせず、ただ座っている」