2009-02-10

アラフィー反則技 -- 「明治安田生命CM」の巻き

そろそろバージョンを替えてくれないか、と思わずにはいられないCMがある。同時に、そこにはまっている自分がいる。実は相当レベルにはまっていることを自覚せずにいる。そして動じる。これを、アラフィーシンドロームと呼ぶ。

次男の「音楽発表会」なるものが保育園で催された。三十人弱の六歳児が、歌たったり楽器を奏でたりの三十分。二つ目の演目で八人の一人に選ばれた次男は「ラ」のベルを片手に、自信満々で五六度右手を振った。何度か順番を忘れた「レ」と「ファ」の愛嬌で、妙に間延びした短い曲をなんとかこなし終えた八人に、集った親たちが割れんばかりの拍手を送る。さすが二人目の子ともなると、このレベルでは動じない。

最後の演目では園児全員が、「ありがとう」連発の歌を唄った。広間に並べられた園児用の小さな椅子に腰掛けた母親達の大半が、ハンカチで目頭を拭っている。演じている子ども達の「さっさと終えて、早く遊びたい」気持ちとは裏腹に、これでもかと畳込められた親たちの感情は最高潮に達している。しかし、このレベルも既に経験済みだ。動じる事はない。

予定の半分の時間で会は終了し、子も親も感動の箱庭から解放された。仕事に戻った。途中息切れし仕事机に突っ伏した小一時間を除けば、この日も残り数十分というところまで働き続けた。午前中に体験した非日常もすっかり脳裏から消え去っており、ビールを片手に夜のニュースで今日を締めくくろうとTVのスイッチを入れた途端だ。

~時を超えて君を愛せるか、本当に君を守れるか~
~君のために今何ができるか~

アラフィーに対する反則技は見事急所を突いた。長男の出産に始まり、次男、三男の成長の記憶がこの15秒間に蘇り、今朝目にした次男が「ラ」を振る姿までが目蓋に浮かび上がる。涙腺の制御は不能となり、頬伝う滴は止めどもなく。グラスを傾けるのと空いた手で頬を拭うのを繰り返す。小田一正なんて、ダセーヨ。もう、声にもなっていない。

2009-02-09

推定無罪(1990年公開)

サスペンスで忘れてはいけない一本が、「推定無罪」。

主演は、いつも通りのイメージでハリソン・フォード。共演は、「蜘蛛女のキス」(1985年)でホモ受刑者の相棒、「アダムスファミリー」(1991年)で不気味なお父さんを演じたラウル・ジュリア(故人)、「ダイハード」シリーズでブルース・ウィリスの女房ホリー役を演じたボニー・ベデリア、その他渋い役者が脇を固めている。「コカコーラ・キッド」「グッドモーニング・バビロン」(どちらも好みの映画です)に出演したグレタ・スカッキーも、直ぐ死んでしまうのだけれど、重要な役所を演じる。

制作は、以前二度にわたりブログで記した巨匠シドニー・ポラック。監督は、アラン・J・パクラで、「コールガール」(1971年)、「統領の陰謀」(1976年)。キャストやスタッフだけでも観る価値のある映画だ。

筋書きも書かないし、見所も書きませんが(wikiの解説は少々?なので読んだりしないで下さい)、レンタルする映画に迷ったら是非観て欲しい映画です。お酒を飲みながらというよりは、コーラとポップコーンを抱えて座り心地を整えて一気に観る事をお勧めします。(ポップコーンは、くれぐれも塩とバターで、どっさり用意して)とにかく、好いドラマは、トイレに立ったりせず一気に観きる。

シリアスな物語を描こうとする時には実力のある役者さんが不可欠であることも、この映画で教えられる。人気者に頼る事をせずともエンターテインメントした「犬神気~」でもそうでした。どちらも監督の狙いと技術がピッタリ一致した作品。無駄な演出がなく、役者も監督の要求によく応えています。

昼飯を済ませたところでうっかりTVのスイッチをオンしたところこの映画が始まって、結局オフに出来ずに最後までいってしまいました。仕事を再開しようと開いたノートブックは完全にお休みモードに入ってしまい、ポップコーンを作るのも忘れて見入ってしまった。(もともとポップコーンなんで無いんだけれど)仕事の遅れを取り戻そうと思ったら、しまった! 「ヒーローズ」が始まった。まあ、これもエンターテインメントと言えなくもないね。

追:
昨晩の「ダーウィンが来た!生き物新伝説」(NHK)で扱ったイワヒバリ。鳥類には珍しく多夫多妻制なのだそうです。雄雌それぞれ数羽のグループをつくり、雄雌それぞれにヒエラルキーもありますが、全部の雄が全部の雌と交尾します。雌は、尾羽を持ち上げ真っ赤な陰部をヒラヒラさせながら雄を誘います。全ての雄を誘いますが、ヒエラルキートップの雄から順に誘います。他の雌が近づくと蹴散らします。「アタシがやるまで、邪魔すんじゃないよ」って感じです。小二の息子は黙って観ていました。

それぞれ子どもを育てますが、はっきり言って誰が誰の父親かは定かではありません。そして、全ての雄がヒエラルキー上位の雌の子に優先的に餌を運びます。男親は全員、一番のべっぴん(ヒエラルキートップの雌)の子は自分の子だと勘違い(?)するからです。四番目の母親は自分で餌を探しています。時には餌不足で餓死する子もいます。小二の息子が、ようやく「かわいそうだね」と言葉を発しました。

雄の情けなさを痛感します。結局、事後宣告でしかないのです。
「あなたの子どもよ」
「推定無罪」は、やはり雄の無力さを、いや女の凄まじさを感じる映画です。

2009-02-07

映画を注意深く見つめる時

土日の暇を持て余している方は、是非これでつぶしましょう。
間違い探しです。(間違えたところからやり直しもできます)
最後の一枚は難しいです。


2009-02-06

これ、やりたいぞー

スリルを求めたい割には、それなりの安心感もほしいわたしなんかには超魅力的なアドベンチャーに思えます。

上とは全く無関係なのだけれど、気に入っているので載せてしまう。
"進化はセクシーへ"ということなんです。


アラフィーくらぶ・・・「世界の料理ショー」の巻き

私       「子どもの頃に、世界の料理ショーってのがあってね、・・・」
某アラフィー 「知ってる知ってる」
某アラフォー 「見てた、見てた」

本日のゲストは、四ッ谷にお住まいの某アラフィーと、板橋在住の某アラフォー。やっぱり宮台の説は正しそうだな。現アラフィー世代は、テレビ番組や映画といった話題に超食いつきがよろしい。

世界の料理ショーは、wikiによると、
<世界の料理ショー(せかいのりょうりショー、The Galloping Gourmet)は、1968年から1971年まで、カナダ放送協会(CBC)で制作・放送された料理バラエティー番組。料理研究家のグラハム・カーが司会を務めた>
40年も前だったんだね。私も随分とオマセなガキだったんだな。それにしても、アラフォー某氏は、何時ごろ観ていたんだろう。

因みに、グラハム・カーは71年、夫人と共に交通事故に遭い番組継続が困難になったため、番組を中断。その後90年代に入り「新・世界の料理ショー」がカーにより制作された。この時は、時代的な健康志向の高まりと夫人が病に倒れた事が重なり、低カロリーな料理を提案していたという。残念ながら、こちらは知らなかった。

さて、盛り上がったのは料理そっちのけで、やれ「ワインを口にしながら男が料理というところに憧れた」とか、「何故か男は刃物に惹かれる」だとか。誰も、具体的なレシピの事なんか持ち出しもしないし、覚えてもいやしない。あの頃は、あらゆる年齢が、西洋文化や異なるライフスタイルに対し強い憧れを抱いていた事の証なんだろう。

さて、実はグラハム・カーは料理好きの番組プロデューサーで、番組も所謂バラエティーの範疇でしかなかったのだが、それがウケた。実は現在、本物の「フレンチの神様」ジョエル・ロブションの料理番組が放送されているのだ。TOKYO MXの午前11時から25分間。お勤め人は誰も見る事のできないこの時間帯に、こちらは真剣そのものに料理を紹介する。勿論、レシピや手順も、ジョエル・ブロション自身が担当する。

なんといってもあのジョエル・ブロションだ(もう三回目の記載だから、きっとgoogleでも検索されるな。検索結果にみんなガッカリだ)。しかし、それだけだ。実に中途半端な作りで、番組的には興ざめだ。「7分煮たから、もうできたかな」などと言ったりする。何故に最近の料理番組は、全てを数量化するのであろうか。ツボがない。「さあ、ほろ酔いになったところで、お鍋の中を覗いてみようか」と、ワイングラスを舐め舐め横滑りに移動したグラハム・カー。TVという厨房での味付けは、番組プロデューサーに軍配が上がった。

ところで、・・・

誰かコーヒーの番組を作ってくれないか。エスプレッソ1人前を上手く淹れる方法が知りたい。理想のエスプレッソはあるから、それを毎度上手く淹れるコツが知りたい。

私が愛用するのはbialetti社のモカ・エクスプレスという1人用の抽出器。豆はヤマヤでまとめ買いするブラジル産の安物。開封直後の豆を、ショットグラス3/4の水で、弱火にかける。時々中を覗き込みながら、抽出口から「シューッ」という音が聞こえてきたところで「とろ火」に落とす。辛抱して見つめていると、悪魔の誘惑のような細かな泡(クレマ)が立ち上ってくるのが分かる。後は暫し辛抱。クレマがビアレッティの半分ほどに達したら、ショットグラスに注ぐ。コーヒーはまだ抽出されるからビアレッティをコンロに戻す。

実は、このグラスの底1センチにしかならない、言わば一番搾りだけが、本物のコーヒー。三四ミリの細かなクレマの下の溶けたチョコレートのよう真っ黒な1センチ弱のコーヒーに、私はティースプーンスリコギ1杯の砂糖を加えて頂戴する。とろけるクレマが舌先に絨毯となって敷き詰められ、甘さと苦さの絡まり合った濃厚な液体がその上を滑り込んでくる。初めてこの方法で抽出が出来た時は、トレステーベレ(ローマの下町)で味わったCafeを思い出してしまったほど。これぞ、コーヒー。スタバもタリーズも、セガフレドも超えてしまった。

普段お金を出して飲んでいる「美味しいコーヒー」は、その後ビアレッティに抽出された二番煎じ程度の味でしかない。お店で淹れるほうが美味しいに決まっているのだが、トレステーベレのように数ミリのコーヒーで納得するお客がいないから、日本のカフェでは量を増して提供している。豆の量は変わらないから当然薄くなってしまうのだ。因みに、スタバのカフェはかなり頑張っているものの、紙のコップがダメなのだ。そこが、頭の悪い効率性一点張りのアメリカ人には分からない。味覚は、視覚や嗅覚といった他の感覚と積み重なって生み出されるものなのだ。防水加工された紙コップにプラスチックの臭いのする蓋をされ、幅の広い底で僅かに残った廃油のようだ。スタバはコーヒーを殺している。

そんなことより、前述「奇跡のコーヒー」は気まぐれで、10度に1度しか淹れることが適わない。火力に差が生じぬようにと換気扇を止め窓も閉め息も殺し、水の量は何度も足したり捨てたりしながら案配を探し、豆の詰め具合もティースプーンの腹に親指を添えて慎重を期し、とにかく気を遣いまくって淹れたところで出来るとは限らない。エスプレッソの鍵となるクレマが上手く立ってくれない。レシピが作れないのだ。

エスプレッソは、クレマ。クレマがエスプレッソを決めるのだ。

誰か、百発百中で「奇跡のコーヒー」を淹れる方法を示してくれないか。
??百発百中だと「奇跡」とは呼べなくなるか・・・。

2009-02-04

アラフィーくらぶ・・・「青い体験」の巻き

若女ケツ 「青い体験っていう映画があって・・・」
私     「おお、知ってるよ、青い体験」

現在アラフィーに居る年代は、「メディアを通じた共通体験に敏感」らしい。同年代の宮台真司が記していた。

青い体験は、wikiによると、
<青い体験(Malizia)は、1973年のイタリア映画。母の死後、家政婦としてやってきた若くて美しい年上の女性を相手に、思春期の少年が初体験を遂げるまでを描く。いわゆる「筆おろし(少年の初体験)もの」と呼ばれるジャンルの代表的作品。現在日本ではDVD化されていない>

充分な解説だ。それ以上の映画ではない。それにしても、DVD化していない日本は未分化な国だなあ。

ついでながら、家政婦アンジェラ役のラウラ・アントネッリは、この映画で一躍スターの座を掴んだ。その後ヴィスコンティの映画なんかに起用されたりしている。もの凄い出世だ。そんなことより、共にアラフィーの若女ケツ氏と私は、スクリーンでチラリまくりの彼女に完全にノックアウトされていたのだ。この日それが判明した。当時は二人とも中学生。下腹部のむず痒さに酔っていた。やはり同年代だったであろう「筆おろされ」ニーノ役のアレッサンドロ・モモに激しく嫉妬した。そして二人とも、自室に戻って使い古した大人の本をめくった。

その後我々は、アニメ論を交わした。ガンダムが日本人の世界観を変えたと氏は言った。残念ながらガンダムは殆ど読まなかったので、その意味が理解できなかった。その実、そんなことはどうでもよく、二人とも会話の虚しさにため息をついていた。

帰りの方向が同じ氏とは、電車の中で高校野球の話をした。71年(昭和46年)夏に福島県代表磐城高校が、「小さな巨人」田村投手のもと決勝まで勝ち上がった。その当時は、各県1校の出場は認めておられず宮城県の代表校と東北大会決勝を勝ち抜いての甲子園出場だった。磐城高校も田村投手も私には関わりがないのだが、実はその時の東北大会決勝の相手校が私の母校(宮城県古川高校)だった。さらには、その時の古川高校野球部の監督が、1年の担任だったということを自慢したかっただけだ。はっきり言って自慢にはなっていなかった。

そして、電車が駅に着いた。
「じゃ」と言って氏は乗り替えて行った。
再び虚しい溜息が出た。

動き出した電車はいつもと異なり、緩いカーブをに差し掛かっていた。仕方なく一駅先で折り返し、先ほど氏が乗り替えた駅まで戻り、行き先の正しい電車に乗り換えた。
この夜、三度目の溜息が出た。

2009-02-03

「オバマ演説の英語を検証」

日経BPのサイトに「オバマ演説の“英語”を検証する」という記事が掲載されています。

たいへん分かりやすく、充分蘊蓄にも富んでいます。是非読んでみましょう。