2009-01-27

トルゥーマン・ショーとあの国の報道

ジムキャリーが主演した、「トゥルーマン・ショー」という映画を思い出す。映画では、周囲の世界に小さな疑問を感じた主人公のトゥルーマンが、真実を知るため自分の属する世界から脱出しようと試みる。そんな彼を制止しようと、「摂理に従うのだ」と天の声が呼びかける。トルゥーマンの誕生から成長の過程をTV番組化して大成功したプロデューサーがコントロールタワーから彼の逃避行を監視していたのだ。彼が信じていた世界は、番組のためにつくられた虚構の世界で、両親やご近所、警官から政治家まで全てが「仕込み」の偽物。仕事が終わる、つまりその日の出番が終わると帰宅して本来の人生に戻るのだ。結末に関するネタバレはやめにしておくが、まるであの国のようである。

その国の話である。一部のWEBサイトでは、オバマの大統領就任演説の内容から、共産主義に言及した箇所を削除しているという。
とても情けなくなる。彼らの歴史を尊敬し、過去の悲劇に同情し、現在の奮闘振りにエールを送る人々も大勢いるというのに、これだ。地上の人類の5分の1もの数を、そんな方法でコントロールできると未だに信じているのならば、彼らが残りの5分の4から正当な評価を得る事などあり得ない。

経済特区を訪れただけであれば、そこは自由経済圏であるとの実感を持つし、格差を容認する競争社会の側面を目撃するし、表面的には限りなく自由社会化したことを表象する。当地の人々もそのように振る舞っている。しかし、今回の報道の類に接する度に、10億の人間が全員、お上の指示に従って「開かれた国」の素振りを演じているだけなのかもしれないと肌が粟立つ。

考えてみれば、どおりであの国出身者は世界のあちらこちらにタウンを持つ。これまで自国を抜け出した人々の数は数億人を数えるのではないだろうか(統計的な数字はわからない)。彼らは、国外へ出る事によって本来の人生を見つけることができたのかもしれない。母国の親族や知人には、外の世界の生活や社会の状況も報せているにちがいない。あの国の人々だって、報道の全てが真実などとは考えまい。計り知れない力の存在を生まれた時から感じて生活しているからこそ、対外的な役を演じて生きることができるに違いない。

我々の親の世代にはこの国もそうであった、ということを思い出して、また肌が粟立った。

2009-01-24

オバマの日本観と我々

保護主義指向の強い民主党から選出されたオバマの日本観、日本人観を考えた。全くの私的な説で、根拠はない。

ジョンレノンが撃たれた前年、オバマは故郷ハワイを後にロサンゼルスへ向かった。ケニア人の父と白人の母の間に生まれハワイで育ったオバマは、大学生活を送るため初めてアメリカ本土へ足を踏み入れた。実は、オバマはこの時初めて「アメリカ」を目にしたのだ。

その翌年、私はサンフランシスコに立った。私にとっても初めての「アメリカ」体験であった。そしてこの三年間に持ったアメリカに対する理解が、現在でもアメリカを捉える時の基礎になっている。オバマはアメリカ人であるし、私は短い間学生の身分でアメリカを通過しただけの存在だ。同時期にカリフォルニアということを除けば、立場も過ごした街も目指した学問も異なるが、同じ時代の空気を吸っていた。

*****

当時日本は、インフレやオイル危機を経てもなお驚異的な経済成長を続け、未だ安かった円のおかげで盛んに輸出で黒字を重ねていた。アメリカ人もオイルショックを経験し経済的な日本の小型車(シビック)を最も愛するようになった。家電製品の性能とかっこよさは無骨なアメリカ製品を凌駕し、ソニーは羨望の的となった。しかし、アメリカの製造業従事者、特に一般の労働者は日本製品の攻勢により経営を圧迫された影響をまともに受け、レイオフが頻発、日本に対する嫌悪感を益々強めていった。

一般の市民でさえ、イエロー・モンキーやエコノミックアニマルと叫んで、抑えきれなくなった反日感情を隠そうとはしなくなっていた。真珠湾攻撃40年を記念して「エノラゲイ」を扱ったテレビ映画が放映された。物語の終盤、エノラゲイがリトルボーイを広島上空へ投下したシーンでは実際の映像が使用され、それを目にしたレジデンスクラブ(滞在型の安宿)の住人は、立ち上がって「イエーィッ!!リメンバー パール ハーバー」と叫んだ。私は恐れをなして自室へ逃げ込まなければならなかった。

日本人が多数訪れる観光地ハワイ出身のオバマは、アメリカ本土における日本人に対する感情を、どのように受け止めただろうか。

少しばかり当時のサンフランシスコの状況に触れると、街には区別された人々が居た。年中訪れる観光客とそれを相手にする商店経営者、加えて金融業界に属するエリート階級、そしてそこから落ち溢れた人々と明らかにベトナム帰還兵とわかる人々。観光と金融の街サンフランシスコには、凌ぎやすい気候はあっても落ち溢れや帰還兵が手に出来る職はない。

ウイル・スミスの「幸せのちから」は、この頃のサンフランシスコを舞台に、主人公のクリス・ガートナーが正に81年から翌82年にかけて証券会社でのし上がっていく奇跡の物語だ。輝くサクセスストーリーとは対照的に、ベトナムからの完全撤退から既に7年もの月日が経過しているのに、その間社会復帰ができずにいる元兵士が多数存在した事実に驚いた。同時に、アメリカ社会に対する知識もろくに持たない私のような者にさえ、彼らに明日は来ないであろうということが漠然と感じられた。ホームレスという言葉は、この頃既にアメリカでは一般的に使われていた。

ベトナム帰還兵や失業者が、時に通りの一角に列をなしている。サルベーションアーミー(救世軍 -- キリスト教団体による救援団体)が提供する「ただ飯」にありつこうというのである。私も偶然並んでみたが、手にした食事は、普段文句をつけてばかりの宿泊所の食事が豪華極まりない物に思えるほど悲惨だった。暖かい食事にありつくということが、職のない彼らにとっては唯一の救いだったに違いない。そんな横を、成功を手にした第二第三のウイルスミス(勿論ガートナーのこと)がフェラーリを駆っていく。アメリカは、当時からそんな国だった。

自動車や家電製品で大儲けした日本人は、毎年大量にサンフランシスコを訪れていた。(勿論ロサンゼルスにも訪れていた)そんな観光客に対し、サンフランシスコの住人は、根っこの感情を押し殺して笑顔で接していた。どっさりお金を落としていく、よい客なのだから当然だ。しかし、直接利益を享受できる商店主は我慢できても、サルべーションアーミーに列を作る人々やインテリの中には、複雑な感情を持つ人々も沢山いた。「我々を苦況に追い込んだ彼らが、我々から巻き上げた金を持ってやって来る」 経済状況が思わしくない時に、好況に浮かれた人間が憎らしく見えるのは一般的なことだ。


残念な事に、サンフランシスコに移住している日本人や日系人達は、母国の民に与えられた悪いイメージを払拭しようという努力に熱を入れることをしなかった。ジャパンタウンで開催されるサクラ祭りに訪れているのは日本人観光客ばかりだし、来日したYMOのコンサート会場もジャパンタウンのホールで、観客は9割が日本人だった。チャイナタウンのように露骨な閉鎖性を示さない代わりに、日本人はほとんど自ら存在を示そうとしない。善く言えばうまく融け込んでいるし、逆を言えば「美味しいところだけ取っている」。後者に取る者も多かったはずだ。何せ目の前を、日本人客を満載した大型観光バスが連なるのを連日目にしているのだから。

東芝のラジカセが燃やされ、シビックの窓が割られるニュースは、もう当たり前のことになっていた。

留学中一度だけ赴いたLAのディズニーランドにも驚くほどの日本人観光客がいた。留学中にLAを訪れたのは一度だけで、ダウンタウンとディズニーランド、ダウンタウンとメルローズ通りを往復しただけだから、市民の暮らしぶりは分からなかった。オバマはその頃私立の単科大学生だ。

LAは、サンフランシスコより余程大きな街であるし、UCLAやUSCなどといった有名ブランド大学も多い。勿論、ビバリーヒルズやハリウッドを有し唯でさえ煌めく街だ。その分クラス(階級)も存在するし社会の影も濃い。イーストLA(ロサンゼルス東部)は、低所得の労働者階級の居住地区で犯罪多発地帯でもある。ブルース・スプリングスティーンの「Born in the USA」をもじって、「Born in East LA」という歌まで生まれたほどだ。そんな光と影を、当時学生だったオバマも目にしていたはずだ。当然、派手にお金を遣いまくる日本人観光客のことも。

80年11月の大統領選挙で、カウボーイハットで空に向かって銃を撃ち放った、強いアメリカを象徴する男、ロナルド・レーガンが、二期目を目指す平和主義者のピーナツ農場主ジミー・カーターを破り当選する。現在と逆の状況だ。アメリカ中のインテリゲンチャーは項垂れ、「もうお終いだ」と口を揃えて嘆いた。ブッシュジュニアの二期目と同様だ。レーガン政権では、スターウォーズ計画だとかレーガノミクスだとかの打ち上げ花火が功を奏し、経済は上向いた。一種のバブルだ。第二第三のウイルスミスはこれでフェラーリを手にした。

この時期に、現在のITを支える多くの企業が、産声を上げたり最初の製品を市場に出したりしている。両スティーブが立ち上げたアップルコンピューター(当時)もそのひとつ。ここいらを描いたのが映画「フォレストガンプ」で、ニクソン以降、エンディングまでといったところだ。

勿論、ビルゲイツもこのあたりから台頭してくる。彼らのような若いベンチャー企業家達は、当時の学生から常に注目されていた。我々、オバマ世代にとって、この時代に頭角を現し、のちのアメリカ経済の基盤をつくる若者達は、アメリカ合衆国建国時の様々な方面で足跡を残したパイオニア達を彷彿させる。現に、彼らの哲学や理論が昨日までのアメリカ経済を支えた。

皮肉な事に、80年代から90年代の初めにかけて、IT関連で想起される日本のイメージは、「スパイ」である。産業スパイの事だ。日本の大手数社がシリコンバレーから機密情報を盗み出そうとして摘発された。また、冷戦終結前には、東芝が潜水艦のスクリュー製造技術(軍事機密)を当時のソ連に売りつけアメリカから叩かれている。たしかにこんな日本人のイメージは、常識もモラルも持ち合わせていないモンキーやアニマルとして映ったことだろう。

必死に努力するアメリカ人から旨味だけを吸い取っていく、自分勝手な日本人。オバマの「日本人の原イメージ」が、そんなものであっても可笑しくはない。

留学生であった私にしても、一番出会したくなかったのが日本人観光客だった。
「あなた、日本人でしょ。学生? だったら、△△まで連れて行ってよ。どうせ、暇でしょう」
というような唯我独尊厚顔無恥の筆頭が日本人観光客だったのだ。

アメリカがオバマを選択したというメッセージを、我々日本人個々人がそれぞれの立ち位置で考えなければならないと私は思う。「新しい時代の責任」とオバマは言った。
幾多の危機に瀕する現在を、「新しい時代」の幕開けとするならば、我々日本人の「新しい時代の責任」は、どういうものだろう。世界中の国と人々に対し、日本人として、本当は何を感じ考えているのかを伝える必要があるはずだ。我々は、未来永劫アメリカの尻尾を掴んで生き続けるつもりはないし、自立した国に住むもしくは其処から出でた国民であること、そして自らの財産と尊厳、および自由を確保してゆくつもりである事を伝えるべきである。

どうやって? それをみんなで考えよう。


なお、長文に最後までお付き合いいただきました方には感謝申し上げます。

2009-01-23

プレジデントと大統領


オバマの大統領就任演説について考えている。今回は、「そもそも大統領とは」を少しだけ、言葉の部分から考えた。

広辞苑では、大統領を以下のとおり定義している。
<全文引用>
【大統領】①(president of the republic)共和国における元首。直接国民から選挙され、あるいは議会その他の機関から選出されて、所定の任期の間、その国の全般の行政を統(す)べる行政権の最高首長。また、首相や閣僚を任命し、法律や条約に署名し、外国使使臣を接受するなどの形式的権限だけをもつ場合もある。②立役者の意で、親しみをこめて呼ぶ掛け声。「よう、大統領」

20日就任した第44代合衆国大統領バラク・オバマは、勿論、①の前者。実質的な最高首長だ。オバマに、「よう、大統領!」と声を掛ける人がいたらアメリカも勢いつくかもな。

形式的権限のみの大統領では、イタリアのベルルスコーニが代表例で、事業家、ACミランオーナー、メディア王としてあまりにも有名だ。ジョルジョ・ナポリターノという大統領の存在を知る者はインテリと呼んでも差し支えないほど認知されていないと思える。親しみやすい名前だから、すぐにも覚えてしまいそうなのに。因みに、イタリアは共和国。

また、wikipedia(日本)では、<要出典>の注が付され、以下の記述もある。
<抜粋>アメリカ合衆国の建国時に、国家元首の呼称として権威的な響きのない語を求めて、史上初めて採用した。

同様に、英語版wikipediaには、「president」の歴史として以下のとおり記述されている。(大凡の意味を記した)

英語では、元々英国で委員会や理事会の長(議長など)を指す言葉として使われた。
初期の例では、1179年から大蔵省の長、1464年からオックスフォードとケンブリッジ大学の学長、1660年から英国学士院の長ウイリアム・ブロンカー。
後に、13のうちの幾つかの植民地の政治的主導者に対して用いられる<1608年バージニアに発する>、正式には協議会議長。
最初の国家元首は、合衆国大統領のジョージ・ワシントン。アメリカにおけるその地位は、1774年にはじまる連邦議会幹事長に用いられた初期の用法を、「格上げ」したもの。

<以下、wikipedia英語版より引用>
As an English word, the term was originally used to refer to the presiding officer of a committee or governing body in Great Britain.
Early examples are the President of the Exchequer ("presidentis" in the original Latin, from the Dialogue concerning the Exchequer, 1179), the presidents of the universities of Oxford and Cambridge (from 1464), and the founding President of the Royal Society (William Brouncker, 1660).
Later this usage was applied to political leaders, including the leaders of some of the Thirteen Colonies (originally Virginia in 1608); in full, the "President of the Council".
The first President of a country was George Washington, the President of the United States. In America the title was "upgraded" from its earlier use for the President of the Continental Congress, the "officer in charge of the Continental Congress" since 1774.

さらに、
「president」という単語の成り立ちは、
大統領、会長
[語源] pre-(前に)+L.sedere(すわる)+ent(人[上座に座る人])<出典:地球人ネットワークを創る SPACE ALC>

日本語の大統領という言葉の語源は、ペリー来日の際、「棟梁」をもじって造語したという噂がある。
それはともかく、その背景を見てみると、「合衆国大統領」という地位は初めから最高位にあったわけではなく、アメリカ人が自らの手で押し上げていったものだということがわかる。英国が与えた一権限を、国家の最高責任者へと持ち上げたのだ。

オバマが就任演説で繰り返し説いた、「あの日」の記憶を呼び戻そうという訴えや、建国から変わらぬ「理想」こそが重要なのだという言葉は、現在の大統領の権限やアメリカ合衆国市民としての権利は、すべて自らの手で勝ち取ってきたものなのだということを国民に思い出させるためだったのだろう。黙って与えられるものはない。一生懸命勝ち取らなければならない、というメッセージだ。
過去の栄光に奢ることなく、これからの時代を自ら作り出し、自分達のものにしてくぞという誓いの言葉だったのだ。

果たして私はこれを、遠い海の向こうの他人事として批評家ぶるだけなのか、または命が宿った人間オバマの誓いとして受け取るのか。

宋文洲さんのメルマガに、そんな私へのきつい一言が記されてあった。「最近の中国人には『眼高手低』(望みは高いが、実行力がない)のような人が多い」
あまり大きな風呂敷を拡げることばかりせず、まずは足下をしっかり。その中にこそ、オバマの言葉は活かせるだろう。

2009-01-21

オバマの「あの日にかえりたい」

「100年に一度の未曾有の危機」に瀕した今日、米国史上初の黒人大統領という事実に加え、いまだ世界情勢に対し最大の影響を有する新しい指導者が生まれるのだから、その第一声を聞きたいと思った。結果は、スピーチの途中で眠気に勝てなかったわけだが、今朝和訳された就任演説を読み返し、そして思った。

「市井の皆さん」で始められた演説は、流石に素晴らしいスピーチであった。さらに思った。

オバマさん、少し早口じゃないかい。

彼の肉声がどの程度明瞭に現場に集った二百万人に伝わったのか分からないが、米国内はもとより各国が同時中継し、同時通訳されたスピーチの内容に多くの人々が耳を傾けたはずだ。深夜の完全な静寂の中にあってテレビで視聴している私でさえ、同時通訳の??世起子さんが負けじと早口でまくし立てた内容は一部追いつけないほどだった。
シンプルだが凝縮され理路整然とこれからのアメリカを語る新しい指導者が、自分達を置いてきぼりにするのを感じた「市井の」人々は少なくなかったのではないか。大統領として発する最初のスピーチである。「市井の」人々が受けた第一印象が、オバマの四年間にどう影響を及ぼすのかが、まずは楽しみになった。

余談だが、二百万人が生み出す静寂というものにも凄みを感じた。

途中までライブ中継で見た演説と今朝読み返した内容で次の事を感じた。
オバマさんはどの日に帰りたいの?

冒頭彼は、「先祖が支払った犠牲」、「先祖の理想」という言葉を用い、そしてこれまでアメリカ人は先祖の理想に忠実に、「ずっとやってきた。この世代のアメリカ人も同様にしなければならない」と語った。
犠牲や理想については、アメリカ合衆国建国時の人々についても、また人種問題を闘った先人たちについてをも含んでいるであろうが、今ここで想起し掲げるべき理想は、果たして眼前の二百万人を含めたアメリカ人に共通して認識されるものなのであろうか。現在の、「アメリカ人」と自覚すべき「市井の」人々のあいだに、それほど共有された原体験が存在するのだろうか。

続けてオバマは、「暴力と憎悪の広範なネットワーク相手に戦争を行っている」と現在の国家安全上の危機を定義し、「一部の強欲と無責任の結果」が経済的な危機を招いたとし、更に社会保障や環境、教育においても危機的な状況にあると語った。
これらは、直ぐにとは言わないが、必ず克服可能なものであり、これまで克服を阻害してきた「ささいな不満」、「偽りの約束」、「非難」、「言い古された定説」を終えさせると宣言した。「Yes, we can」である。

つまり、これからのアメリカが「変化」し向かう先は、「先祖の理想」だと言った。タイムマシンがあったとして、目指す先は西暦何年何月何日なのだろう? それはどんな姿だ?

次にオバマは、アメリカ合衆国の主役は、建国以前から「無名の働く男女」、つまり市井の人々であったと語った。彼らの「でこぼこした道を繁栄と自由を目指し」た長い旅が、現在を導いた。オバマの名台詞のひとつである、「白人の国も黒人の国もない、唯アメリカがあるのだ」を強調し、その人達の尊さは「生まれや富や党派を超え」、神からの約束である「平等」、「自由」、「あらゆる手段により幸福を追求する機会を与える」という考えを発展させてきた事であるとした。

アジアで過ごしたことのあるオバマは、何かの機会に美空ひばりの歌を聴いたのかもしれない。勿論、「川の流れのように」

オバマはいよいよアメリカを作り直そうと語る。ここでは、経済、科学技術、環境、医療・福祉、教育が主要な領域であり、これらにおいて「新たな成長の礎を整える事ができる」と語った。何故ならば、未だアメリカは、「力強い国」であり、労働者の「生産性は高く」、「創意に富み」、「能力も衰えていない」からだ。

次にオバマが発した言葉は興味深かった。優秀なアメリカとアメリカ人は、「想像力が共通の目的と出会った時」、「必要が勇気に結びついた時」にアメリカを作り直すことができると言った。
「想像力と共通の目的」、「必要と勇気」といった対の概念は、言われればなるほどであるが、少なくとも私には発想が出来ない。このあたりは、アメリカ人が突如として元気を取り戻したりする際のマジックなのかもしれない。

そしてオバマは、アメリカ社会の再構築のみならず、政府のリストラにも言及する。「我々が今日問うべきなのは、政府の大小ではなく、政府が機能するか否かだ」 さらに、国民にその答えを出してくれ、「答えがイエスの場合は、その施策を前進させる。ノーならば終わりとなる」と宣言する。それは、「公共の利益に通じる」かどうかで判断してくれと言い切る。

この辺りの覚悟については、羨望の思いを禁じ得ない。「あさう」さんと読むんだっけ? 何処かの内閣最高責任者もこのスピーチを耳にしたなら(読んでも読み違えが多いから、側近に読んでもらえばいい)、腹をくくってくれないかな。行きつけの店の常連の一人は、「あの程度のバカなら許せる」と言っていたたが、とっくに度は超えている。「公共の利益」程度の漢字であれば読み違いもないだろうから、いい機会だ、もういっぺん考え直してみてくれ。

国家の安全に話は続き、今後は「安全と理想を天秤にかけるという誤った選択を拒否する」、「大義の正当性や模範を示す力」と表し、加えてイラク撤退やアフガニスタン増派に触れ、自らの立場を改めて明確にした。
ソマリア沖の海賊討伐のための自衛艦派遣が可能になる日本は、今後の軍事力展開について明確な態度と法整備を急ぐ必要がある。よもや、国民財産の保全と建前を天秤にかけるような愚行は犯さないで欲しいと願う。

話はその流れにおいてテロに及び、「イスラム世界よ。<中略> 握った拳を開くなら、我々は手を差し延べよう」と、「権力にしがみつく者」へ向けて言った。当然、国を代表しメッセージを発する事ができるのは、メディアを含めある権力を有するものだけだから、「イスラム世界」とされる国々がどのように反応するのか興味深い。

また、ここでは同時に、「貧しい国々の人々よ、我々は誓う」と延べ、「我々が国境の向こう側の苦悩にもはや無関心でなく、影響を考慮せず世界の資源を消費することもないと言おう」と宣言し、加えて「我々も世界と共に変わらなければならない」とアメリカ社会に対しても、変化を促した。これは、大きな経済問題を抱える米国にとっては、非常に辛いオブリゲーションとなるわけで、今後具体的にどのような方策が考え出されるのか注目したい。
環境、省エネ、太陽他エネルギー発電において世界をリードする日本の技術は、これを受け知恵を絞らなければならない。オバマのこの発言は、低迷する日本の製造業への活性剤、もしくは新たな基準で考慮される製造業全般のエネルギー問題、環境問題における日本の科学技術展開の可能性を広めることに繋がるのではないだろうか。

今回何かとリンカーンを持ち出されるオバマの言動だが、次に彼は、ケネディーのスピーチを拝借したと思わせる内容を口にする。テロの流れのなかで、中近東をはじめ紛争地域に派遣された兵士に言及し、彼らを誇りに思う理由は、「奉仕の精神、つまり、自分自身よりも大きい何かの中に進んで意味を見いだす意志を体現している」からだと言った。これは、ケネディーが就任演説で語った、「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」を受け、イラクやアフガンの兵士達は今正に、その問いの答えを体現しているのだと訴えているのだろう。
兵士らをその具現者として讃えなければならない状況をもまた、アメリカが危機に瀕している事実をオバマ流に表現したのかもしれない。そして、これは多くの人々から様々な解釈のされ方をするに違いない。オバマはどのようなマネージメント手腕を見せてくれるのだろうか。

スピーチは後半に差し掛かり、新たな責任についてが語られた。オバマが仕向ける新たな挑戦において、その成功の鍵を、「誠実や勤勉、勇気、公正、寛容、好奇心、忠実、愛国心といった価値観」であるとし、これらの価値感こそが進歩するための力となってきたという「事実に立ち返ることだ」と呼びかけた。冒頭に語ったように、社会の有り様は、教育を含め危機に瀕しているとの強い認識がオバマにも勿論アメリカ市民にもある。そして、ここに価値感として挙げられたものは、おそらく世界中のどんな国においても人間の重要な資質であることは間違いがない。つまり、アメリカは今、人間そのものが病んでいるのだと言っている。国や社会を変革するうえで最も重要な民力が、現在衰えているのだということを言っている。
我々日本人はどうであるか、と少し考えてみたい。私が見る限り、数年から十数年のタイムラグをおいて、明らかに日本人はアメリカ人の後を追っているからだ。明日は我が身であると言いたい。

結びとしてオバマは、「我々の子孫に言い伝えられるようにしようではないか」、「自由という偉大な贈り物を運び、未来の世代に無事に届けた、と」と締めくくった。
1997年、ビル・クリントンの第二期就任演説において、やはり締めくくりの言葉として彼はこういった。「まだ顔見ぬ世代や、その名前もわれわれは知らない世代が、ここにいるわれわれにこう言うことを祈ろう。われわれが、愛する土地を全てのアメリカの子供たちに生きたアメリカンドリームをもたらす新しい世紀に導いたと。すべての人々にとって、より完全に連合したアメリカの約束が現実となるような新しい世紀に、そしてアメリカの激しい自由の炎が全世界に広がる新しい世紀に導いたと」

たった十年前の事だ。アメリカが唱え続ける「自由」、次の世代へ送り届けたい「自由」とは、いったいどういうものなのだろう。自由に物が言える世界、しかし気に入らなければ殴り倒される世界。必死に金持ちを目指す事のできる社会、そして道で餓死する人間を放っておく社会。
自由はあったほうがよいに決まっている。しかし、重要な事は、自由は必ず枠組みの中にしか存在しないということだ。枠組みを決める事が、即ち自由を形作るということだ。アメリカの枠組みは複雑になりすぎたのかもしれない。
故に、オバマは「あの日にかえりたい」に違いない。しかし、今日の演説を耳にして、三億人を数えるアメリカ人の中には、どれほど多くの「あの日」が想起されたのだろう。はたして、オバマはそれをまとまりのあるメージや思想、アイコンに向けて導いて行く事が出来るのだろうか。「どの日を思い浮かべたっていいだろう。ここは自由の国だから」ということにはならないのか。

たのむぞ、オバマ。アンタが転けると、やり直しの利かないところまで行っちゃう年寄りが、世界にはゴマンと居るのだ。

何故か軍服姿の荒井由美
「あの日にかえりたい」


荒井由美つながりで、『「いちご白書」をもう一度』ベトナム戦争バージョン

2009-01-19

「noWax」って名前を知ぃってるかい?


noWaxっていうミュージックイベントについては、今更何をか言う必要もないのだろうから、宣伝だけ。

以下、主催者のマサ君の気合いの入った宣伝文句を許可を受けた上で転載します。
なお、意味不明っぽい箇所については<>にて補足。

-----<ここより転載文>-----
今年一発目のnoWax Tokyoがやってきますぜ!

来週1/24(土)18:00~23:00
高円寺CAFE Indian Summer
¥2000 (2drink/1play)
*先着30名限定なのでお早めに!

今回はお笑いげいに<芸人?>デカルコマニの出演もあるので超期待!
まさかの飛び入りゲストも?!

そしてこれからIndian Summerで放送するローカルラジオに出演してきます!
来週のnoWaxの番宣です!
高円寺近隣の方お楽しみに?!

皆さん、iPod片手に遊びにきてねー!

------<ここまで転載文>-------

11行の文面で、8階も「!」マークが使われていたりするんだから、相当本気っぽいね。
因みに今回は30名限定!! なんてことも言っているのだから、本気なんだろうね。
俺の分の席はあるのかネ?

インディアン・サマーの場所は以下で。

東京都杉並区高円寺北3丁目4−10
マップ

2009-01-09

はっきりしない

山本モナがコケたのは、仕事にしても恋愛にしても「はっきりしない女」だったからだと、山中登志子は言いきった(山本登志子って誰?)。

ずいぶん前になるが、レスター教授ことアンソニー・ホプキンスの来日に際しインタビューを担当した久米宏は、インテリでインタビュー嫌いのホプキンスに対し徹底的にオバカインタビュアーキャラで接した。当然、TVスクリーンを通しても分かりすぎるほどホプキンスは怒っていた。何年も経過していながら、嫌気がさすほど鮮明に記憶の残る無様なインタビューだった。山本登志子ふうに分析すれば、インテリとも真面目コメンテーターとも位置づけされていなかった久米は、かつてクイズや歌番組で定着したオトボケキャラを敢えて自キャラとして立ち位置を印象づけたということだったのだろうか。ニュースステーションのMCを長年続け、妙に日本の「ふつう」な常識人の顔を持ち始めた自分のポジショニングを、ホプキンスへのインタビューを機にリセットさせたかったということか。「やっぱり唯の人でした」って。
久米はその後、ニュースステーションを降板。そのインタビューがきっかけの一つになったというのは考え過ぎか。

ミニノートとかNetbookとかが、所謂パソコンのトレンドとして持て囃されている。つい最近もソニーの新型ノートPC投入のニュースでネットのニュース紙誌面は大賑わいだ。PCだから機能は多彩だし見た目も華やかだ。私は、既に生産が終わったシグマリオンというPDAを2世代使った。小型だからキーボードは打ちにくかったが荷物としてほとんどかさばる事がなく(単庫本程度の大きさで半分の薄さ)、USB接続やSDメモリーによってデスクトップへデータ移行が出来たから、出張時のインタビュー記録や報告書のネタ記録用としては充分だった。繋ごうと思えばネット接続もできた。繰り返しになるが、どうせまともな仕事環境が期待できない出張先でのテキスト入力(結局仕事場に戻ってフィニッシュワークが必要なのだ)には十分なガジェットだった。そのための道具として、はっきりした機能の割り切りがあった。惜しい代物だった。

冷蔵庫に電話機を入れていた。二種類あったから気分で使い分けていた。ひとつはバドワイザーの缶でもうひとつはハーシーのチョコレートが牛乳パックに入っているモノ。どちらも見た目は缶ビールであり、飲むチョコレートのパックなのだ。もともと電話だからきちんと通話もできる。但し、トーンの出ないプッシュボタン式で本当に通話が出来るだけだった。どうせ電話なんか希な事だったし、彼女が居なけりゃ長電話の必要もない。たまの来客に、「電話貸してくれる?」と頼まれるのをひたすら待った。「いいよ、冷蔵庫で冷えてる」と答えた時の相手の呆け顔を楽しむため「だけ」のアイテムだった。

最近の携帯は、電話なのかメーラーなのか音楽プレーヤーなのか、はっきりしない。最近のビールの類は、ビールなのか発泡酒なのか第三種なのか、その差がいったいどれぐらいのモノなのかはっきりしない。最近のお笑いは芸なのかどうかはっきりしない。最近の男も女も、愛し合っているのか畏れているだけなのかはっきりしない。「そのうちみんなこけるぞ」と山中登志子が言ったかどうか知らないが、「成功に至る第一歩は、自分が心に何を望んでいるかを見つけ出す事です。それがはっきりとわからないうちは、何を期待してもだめです」とカーネギーは言っているぞ。

注)写真は本文の内容とは全く何の一欠片の関連もありません。

2009-01-08

メンズブラ

習慣的なものか条件反射なのか、クリスマス時期のWham!"Last Christmas"と新年のU2"New year's day"は毎年聞くんだよ。

で、年明け一発目としてはどうかと思いながら、昨年末アラフィーくらぶを設立したことでもあるし(関係ないか?)、「ブラ」の話題だよ。楽天市場のウイッシュルームという店が販売している「メンズ・プレミアム・ブラジャー」。

男の化粧やパンストは、巷で見掛ける事も多いし、自分でも経験がある。とは言ってもそこは飲んだ勢いの余興程度の経験だから、日常的に身に着けることなどは当然想像の外にある。余興程度とはいっても、べったりと塗りたくられた口紅の不快さに唇が閉じられなくて突き出し加減に固定した不自然きわまりない顔の強張りが、太い鉛筆でしつこいぐらいになぞられた目蓋を開けて飛び込んできたときのその異様さたるや。思わず屁を漏らしたほどのバカバカしさだった。

確かにブラは外見では分からないだろう。だからこそ、それを日常的に身に着けようとする男の内心は最早想像を超える。
別にブラを購入した男性の皆がみな「コレ」*ってわけじゃないんだろう?
記事には「どうしてメンズブラはないの?」という声に応えたとあるんだが、そもそもどうしてそんな疑問が湧くんだ? 
着けると「やさしくなれる」とか「リラックスできる」って、何だよそれ?

*「コレ」・・・手の甲を反らせて小指を少し離し加減に、反対側の頬に添えるポーズ

男性用の下着も、パンツは確かに変遷を経た。白ブリーフだけの時代から、色が付いたり、にわかにトランクスが流行ったり、かと思えばボクサータイプが台頭したり。今では日常の下着としてブーメランやヒモパンみたいなものまであるからメンズブラが出てくる素地はあったのかもしれない。余談だが、パンストの感触は、初めてボクサータイプがぴたりと股間を締め上げた時のそれに近かったかもしれない。

しかし、そもそも男のパンツには、二つの○と弛緩状態の凸をしまい込んでおく場所という、歴とした疑いようのない正真正銘の目的があるではないか。ブーメランだってヒモパンだって、そこは外さずに機能デザインされている(はず)だ。男の下着には機能的な理由がある。

女性のブラにも、それは全く同じことが言える。二つの凸を落ち着かせておく。多少、ボリュームの誇張や形の欺瞞があるにしても基本的には男性と同様、凸が必要とされないときの格納場所である。

で、はたと疑問が生じる。
では、「女性の下着、ボトムについてはいったいどのような存在理由があるのか?」
収納せねばならない凸はない。女性特有の生理的状況への対応は、まるまる1ヶ月必要ではなかろう?
そもそも昔々の女性達は腰巻きだけで他の下着など着けなかったではないか。
まさか、女性は下着をつけることで優しくなれたり、リラックス出来るわけではなかろう?
確かに下着を外した途端に野獣と化す女人がいるとは聞くが・・・。

どうやら男性ブラに対する欲求の秘密は、女性の下着の必要性の解明に鍵がありそうだ。
四谷アラフィーくらぶの第二回会合における議題が決まった。今年も四谷アラフィーくらぶは、一般世間のそれとは異なる理由で眉間に皺寄せ口角泡を飛ばす事になりそうだ。

追:U2が"40"という曲を奏で始めた。「俺は、新しい歌を歌うよ」と会場の聴衆を巻き込んで叫んでいる。俺は50になっても同じ詩を口ずさんでいる気がするな。