四谷の路地は、古くから整備されているので真っ直ぐな道が多い。同時に、所々にクランクが存在する。「この先細くなっているため、通り抜けできません」なんて警告版が出ていたりする。無視して入ってきた車が、ノソノソとバックしながら大通りへ戻ろうとする場面に出くわす。付近の住民は、心なしか「田舎者め」と軽蔑の眼差しを送ったりする。
四谷見附から新宿方向に向かう大通りは、ご存じ新宿通りだが、甲州街道の始点。その昔、海から戦を仕掛けられた将軍が四谷門を通って退散するための道として整備された。だから大きくて、追っ手も追跡しやすかったに違いない。だから逃げる将軍の追っ手を撃退する目的で、四谷見附付近には鉄砲隊や忍者の住まいが置かれた。現在でも町名が変わらない四谷1丁目〜3丁目(伝馬町)、現在の三丁目辺りにあった忍町、伊賀町などという名まであったから、当時の住民のほとんどもそのことは認識していたはずだし、住民の多くは兵士や町民に身を変えた忍だった。因みに、有名な若葉のたい焼きがある場所は、あのお店を含めた数件分の区画が南伊賀町と呼ばれていた。
路地のクランクはその名残で、敵方の忍び撃退の方策の一つだった。闇に身を忍ばせ、敵方の忍者の列が細い路地を駆け抜けていく。クランクを通過すると、列の先頭と最後尾は互いを目視できない位置関係に立つことになる。その時、両側の家屋の板壁に空いた穴からソロリと吹き矢が突き出され、最後尾を行く忍者の背中目掛けて吹き放たれる。射られた忍者は、味方の存在を知らしめぬよう声も立てずにその場に倒れる。クランクの度にまた一人、そしてまた一人。後ろの異変に気が付いた頃、先頭を走っていた忍者は、残るは我一人ということに愕然とする。
都心への乗り入れに不慣れな運転手は、このカラクリを知らない。腕に自信のあるタクシーなんかは殊更だ。「細くなっている〜」なんて脅し文句にへこたれず堂々と進入した挙げ句が、バックで逆戻りとなる。行き過ぎたタクシーが数分後後退してきたのをチラリと見やりニヤリと微笑するのは老舗「若葉のたい焼き」のご主人。「若葉のたい焼き」かつては「見附のだんご屋」として知られていた。団子屋は、忍が偽装する町人の姿としてよく知られている。連綿と継承されてきた遺伝子が、「生きて戻れてよかったな」と無言で発している。
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