2008-12-19

四谷アラフィーくらぶ・・・第一回会合

設立後四日めにし早くも第一回会合があった。招集もなく阿吽の(酒臭をおびた)呼吸で集うのがアラフィーのディシプリンなのだ。因みに参加者は、寝技某氏を除いた正規メンバー三名に加え、ぼそり「入会できるんでしょうか」と内気なアラサーO氏とカウンターの端から怖々様子を窺うアラトゥィーIちゃん、若女ケツ某氏の連れ銀座の若女将と賭場(いやいや純粋なる酒場)オーナーの七名。時既に深夜である。
早速、テーマ「愛だよ、愛」が議題に上った。

口火を切った若女ケツ某氏。
やりたいわけよ。
「終わるまで待ってて下さる」若女将の一言で、見掛けによらぬ初な感性の持ち主若女ケツ某氏は昇天一歩手前に達していた。バーテンが退け、二人で銀座の店明かりに漂ったらしい。
義理を欠くわけにはいかないという女将の突然の主張に屈し、渋々タクシーを飛ばして四谷に降り立ったわけだ。
「あの状況なら当然、・・・。分からないんだよね」と若女ケツ某氏。
その類は両手に余るほど(やや誇張)の経験者と自負する座長こと私は唯目尻を下げて頷きを繰り返し、プロケツ某氏とO氏とIちゃんは意味の分からぬまま笑みを浮かべる。

求められることが愛なのか、求めることが愛なのか。
いや、その証として事の成就が愛なのさ、と若女ケツ某氏は言外に発する。流石ロマンチストを自称する彼だけのことはある。何人も彼の直線的な思考には抗えない。そのための言葉を見つけられない。嘘っぱちになるしかない。

やがて若女ケツ某氏の意識は、深い闇が支配する宇宙空間に漂いだした。若女将は既に師走の冷たい浮き世へ姿を消していた。意外にもその足取りは確かであった。

潮時のようだ。それまでテーマの反芻を続けていたリアリストの場オーナーと私は、閉会を宣言し、第一回の四谷アラフィーくらぶの幕を閉じた。



意義ある会合であった。
道すがら立ち寄った公園の鬱蒼とした木立では、暮れゆく陽の光が落ち葉を紅く燃やし使命を終えた命を讃えているようであった。街の通りには色鮮やかな照明が灯され、見上げた人々の笑顔を一瞬極彩色に染めるのと同時にその外周に留まる人々の表情を闇が覆っていた。
人の世はコントラスト、愛もまた。




論旨の谷間で脱線を繰り返すアラフィーの酒臭に堪え難きを堪えることなくIちゃんは退散、O氏もやがて退いた。両氏には、済まぬことをしました。
ゴメン! グラハム・ハンコックなんて子供だましのペテン師なんだ。人生の深淵はいま正にこのアラフィー達によって語られている。君たちにも何時の日か脳内麻薬によって時空を超え宇宙の果てまで行ってまた戻って来るぐらいの末に、愛と孤独の中間に存在する拒否しがたい幸福感の意味を自らに問い直す時がくるだろう。幸福は神なんかがもたらすものではないことを知るために。

1980年にロックンロールは死んでしまったが、ロックが残した愛は未だ我々アラフィーの血肉として生き続けている。以降、銃口に恐れをなしたロックンローラーは、自らの魂を欺き、代わりにデジタルなイコンを掲げて聴衆を欺いている。心地よさだけが蔓延し、傷つき合い孤独に向き合うことを拒んでいる。

傷つけ。痛みがきっと教えてくれるはずだ。
愛だよ、愛。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いいっすね、そういう会合。
とっても重要だと思います。
しかも深夜。
あぁ。