二巻目の途中で、「もういい、分かった」なんぞと口走ってぞんざいに単行本を鞄に放り込みはしたものの、書棚にしまい込むことなく最後まで読んだ。挙げ句に、「冬は僕が貸して上げます」なんて行きつけのボーイに言われたりしたものだから、一気呵成に春の巻まで読み終えた。
食材を買いに通りへ出た夏の日に、ぶらりと寄ったブックオフでまとめ買いしたなかに「霞町物語」はあった。
人気お笑いのシニカルな時評やピラミッドが暗示する太古のもっと前の文明、映画の巨匠のドキュメントにクラシックな警察もの、アップルのヤバイ時代と白州次郎の話しなんかをめくりきったら読むもんがなくなっていて、最後に打棄ってあったこの一冊に手を延ばした。
霞町なんていうぐらいだから、どうせノスタルジックなほろ酔いダンスだろう、なんて思っていたら案の定そうだった。こんな本はウンコのお供でちょうどよいと、一日一度便意が来るとテーブルの上から老眼鏡とセットで掴み取り、便座の上でページをめくった。この数日便座で過ごす時間が大きく伸びた。
上京したのは新宿ののっぽビルがまだ三本しかなかった時代だが、それとてこの物語の時代から十年以上は経過していた。いや、たった十年というべきだろうか。当時既に見ることのできなくなった大通りの都電の風景は別にして、霞町交差点から青山墓地にかけてはデニーズもまだないうらびれた通りだったし、その途中の米軍跡地には軍新聞のスターズ・アンド・ストライプスがちゃんとあった。ミスティーという名の店は知らないが代わりにレッドシューズも健在だった。六本木にしたって、ロアビルとホットドック屋があるだけだった。
私が霞町をぶらつくようになったのは二四、五だけれども、バブルのお陰かヤクザな商売のお陰かいずれにしても他人様の力で回った金が豊富な時代であったから、物語の主人公が親のすねをかじって闊歩していた一七、八の頃と似たような浮かれ具合だったに違いない。仲間内では霞町は霞町だったし、タクシーのウンちゃんだって「はい、霞町ですね」という具合で、西麻布でしか通じなくなったのが何時の頃なのかが思い出せない。
街の見た目は移ろいでも、記憶の流れには溜まりができて、生粋だろうが余所者だろうが溜まりに浸かれば同じ水の酸いも甘いも覚えていく。そんな記憶を呼び戻し物語に出てくる人物達を目蓋に思い浮かべれば、田舎モンの私とて今のモンより少しはましな東京人かしらん、などとケツを丸出し便座の上で悦に入る。
結局、ノスタルジックなほろ酔いダンスであることに間違いはなく、だからなんなのサ。だから、こんな本は便所の中でさっさと済ませ、次へ行こうと扉を開けるのが正道です。出すモノを出した爽快感と、妙な自信を取り戻して、背表紙を閉じることができた本でした。
浅田次郎は、上手いな。ひょっとしたら、俺でも適わないかもしれない。
1 件のコメント:
ノスタルジーは要らないものと一緒にトイレに流して、お腹を空かせて軽い身のこなしで新しい出会いに備えたいですな。from霞町(西麻布に引っ越すまで霞町って地名は知りませんでした。)
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