2008-12-31

雲一つない


高円寺の街は静かだ。今日は大晦日だし。
2割還元の肉屋には、おばちゃんからオッちゃんから兄ちゃんまでが長蛇の列をなしている。
腹減ってるか?
パチンコ屋の入り口に据えられたテーブルで若者が一人ゆったりと煙を吐き出している。
勝ったか?
古着屋の姉さんは、午後も随分回った時刻だというのに商品を並べている。
片付けているのか?
中年のカップルがその側を通り過ぎていく。
愛し合っているか?

新宿でも今日は人が少ない。歩みもゆっくりだ。
あてはあるのか?
茶店の女が、飲み干したコーヒーカップを摘んでくるくると手首を回している。
未練は断ったか?

空に雲はない。ビルの谷間から溢れた陽光の中で埃が光っている。
2008年は輝いたか?
今年の締めくくりに誰に会いたいか?
耳の奧ではどんな曲が鳴り響いているか?
どんな言葉を吐きたいか?
明日目覚めた時に光を目にしたいか?

また一日が過ぎていく。

2008-12-30

今日の選択

年商5000億のヤオハン元社長和田一夫夫人だったきみ子さんは、会社の倒産と共に一文無しになった。莫大な借金まで抱え、「それでも残りの人生を主人と一緒に生きようというのが、私の選択でした」と語った。

人は皆、日々選択をしながら生きている。選択をするというのは結果を受け入れるということだ。
右に行こうか左にしようか、朝鮭定食にしようかクォーターパウンダーセットにしようか、顔にしようか胸にしようか。毎日毎日人は選択する。左の方が近いはずだが急な坂道が続く、魚より肉の方が満腹感が得られるがメタボが気になる、胸は大きい方が楽しいけれど脳みそまで脂肪では適わないと、都度リスクを畏れながらも結局選択する。そうして手にしたものだけが結果となる。

今生きているこの瞬間、みな何かを選択している。予測通りに運ぶ事もあれば、運ばない事もある。それでも選択しなければ進む事も退く事もできない。だからきみ子さんも選択した。

初めは前掛けを着けたご主人と一緒に八百屋の店先に立つ事を選択した。慎ましい生活の中にも生きる望みを捨てなかったのだろう。やがて企業として成長するにつれ社長夫人として在ることを選択した。香港の街中をロールスロイスの後部座席から眺める生活も選択した。絶頂を感じていたかもしれない。そして破綻した。全てを失いどん底を見たかもしれない。

現在、和田夫妻は年金を頼りにきみ子さんが運転する軽四輪でスーパーへ買い物へ出向く。未だに夢を失わないご主人の背中に微笑みかけながら、「一緒に生きていく」ことを選択した。きっと悔いはあるだろう。しかし彼女はこれまでの人生を受け入れている。未だに選択する事を畏れていないのがその証拠だ。

***

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。

経験を積めば誰でも賢くなると考えるのは間違いだ。経験は人に結果をもたらす、その結果は人に教訓をもたらす、故に人は経験によって賢くなる、というのは間違いだ。
日本がバブルの後遺症からようやく抜け出したかどうかという時期に、海の向こうではサブプライムローンが金融の世界に好景気をもたらした。国土の狭い日本の場合とは異なり、広大な土地がある米国の選択だから大丈夫。

同じ轍を踏んでないかぁ? 人は、それがどんな教訓となるかに気づかない限り、有益な知恵を得る事は出来ない。結局、経験は何某かの結果を生むという唯一点だけが真実だ。

人は皆後悔したくはない。可能な限りリスクを回避したいと望み、経験を基にリスク軽減のための選択を行う。リスクを伴わない結果であれば、必ず満足が得られるはずだ。しかし、その「限りなくリスクの小さな」商品がもたらした結果はどのようなものであったろうか?

経験が乏しくても、代わりに歴史が知恵を授けると考えるのも間違いだ。一度の短い人生で得ることができる以上の知識を書物やインターネットは与えてくれるから、歴史を知る事はより優れた知恵を得る事になる、というのは間違いだ。
「日本のバブル崩壊のメカニズムについては完全に原因を解明し、今回は限りなくリスクをヘッジできる商品を選択したから、大丈夫」と日本のバブル期には学生であったろう金融のエリート達は胸を張っていた、のだろう。

怖さを知らないんじゃないかぁ? 歴史から学ぼうとすれば想像力が必要だ。しかし、これまでも歴史を学んだ創造的な人々が、必ずしも期待した通りの未来を得たわけではない。期待した未来を切り開く知恵を得たわけではない。結局、想像力は可能性を生むという唯一点だけが真実だ。

想像力の行き着く先が「見果てぬ夢」の類であれば、実現性を持つ前に夢の寿命が尽きてしまうから、想像力には突き詰めたリアリティーを以て望んだ。しかし、それが破綻し、富を持ち逃げした連中が去った後の世界のリアリティーは期待されたものだったのであろうか?

経験と想像力はセットではじめて意味をなす。凡庸な人間はまず経験を踏み結果を得、その上で賢者たらんとするならば結果がもたらした教訓を歴史的史実と照らし合わせてより高見へ至るための可能性を導き出す。経験は結果を生み、想像力は可能性を増やす。そして、そこから未来を選択する。
しかし、学び得た事柄が必ずしも好ましい未来を作るとは限らない。世界の人々が選択した結果が、こんな年の瀬の到来だと言うのだろうか。だとしたら、我々がこの間選択してきたこととは、いったい何であったのか。

***

年に何度となく朝まで飲み明かした悪友と今年は一度も杯を交わすことなく過ぎてしまった。仕事納めが昨日ということで、今年初めて、そして最後の約束を交わしたのが一週間前。さて本日、相手の都合で本日にしたのだから、セッティングは向こうが行うであろうと連絡を待つが、いっこうに連絡が入る気配がない。

辛い一年を送っていたから腰が重いのだろうか。それとも、俺との宴に興を感じなくなったのであろうか。それとも、借金返済のため本当に首が回らなくなってしまったのであろうか。それとも、・・・。

痺れを切らしこちらから場所と時刻の指定メールを送信すると、暫くして返信があった。 
なんでも、彼の所属する不動産屋が管理する物件で自殺未遂事件が起こり、後始末のため朝から駆けずり回っているらしい。メールの最後は、「悪いなあ」と結ばれていた。

これが、彼が選択した年末の状況であったろうか。

***

今日この日、大晦日を前にして、これが自ら選択した一年の結果であることを受け入れる事ができるだろうか。未知の未来に畏れをなすことなく、新たな一年を選択する事ができるであろうか。和田きみ子さんのように。

2008-12-23

next christmas

来年の事を話すと鬼が笑うなんてことは言われるが、来年のクリスマスのことは誰も話したりしないな。
そう考えると、クリスマスは毎年勝負をかけているものなのだと改めて思ったりする。

バブル世代のオジサンは、この時期決まって巷に流れるWham!の「Last christmas」に条件反射する。気がつけば口ずさんでいるわけさ。カラオケでも年に一度この時期にはリクエストもする。
「ただのオカマの歌ですよね」と店長には切り捨てられてしまったが、オカマだって恋を知ればあの曲で切なくなったりするんだろう、その意味でもあれは名曲と言えるんだな、きっと。

幼い頃のクリスマスは、サンタに化け損ねた父親が枕元に贈り物を置いていくのを寝たふりして確かめて、中身の想像で胸を躍らせるぐらいのものでしかなかったのに、大人になると急に期待や要求が大きくなってその分クリスマスにも味わいがでるものだ。

25歳のクリスマスイブ、数十年ぶりの大雨が降ったホノルルが停電になって、下っ端の私はスタッフの部屋を灯す蝋燭を買うため暗いホテルの階段17階分を一人降りた。コンビニに駆け込んだのだが、それようの大きなものはすっかり売り切れて、ケーキ用の小さなものが置いてあるだけ。100本ほど買い求めてホテルまで戻る道すがら、若い同年代のカップルが雨に打たれるのも構わず、音程の狂った「Last Christmas」を二人で歌いながら肩寄せ合って去っていった。「来年のクリスマスは、決めてやるぜ」

26歳はロサンゼルスで暖かなクリスマスを過ごしていた。部屋には彼女もいた。同僚に加えてアメリカ人のかっこいいカメラマンもいた。パサパサの七面鳥をバドワイザーやクアーズで流し込み、砂糖の塊がジャリジャリいうケーキを食べていた。俺たち二人に向けて発した「Merry Christmas」の言葉が、本物っぽくてかっこよかった。テレビから流れるバカ番組に見切りをつけてラジオのスイッチを入れると、やっぱりこの曲が流れてきた。願いが叶って恋人と一緒に過ごしたクリスマスのはずなのに、「もう、此処にはいられない」そんな思いに苦しさいっぱいの夜を過ごした。「来年こそは幸せを感じてやるぜ」

27歳、彼女は秋風と共に去っていき、同僚とのクリスマスになった。彼もまた彼女がいなかった。制作中のプレゼンツールは締め切りに追われ、窓外のイルミネーションの誘いにものらず仕事を続けていた。同僚が、「もう止めて、飲みに行こうよ」と言ったのを自分への言い訳に職場を後にした。「知っているところがあるんだ」と言う彼について辿り着いたのは新宿二丁目だった。「此処って、男しかいないぞ」という問いに、「そうだよ」と同僚が微笑んだ。「来年こそはまともなクリスマスにしてやるぜ」

幾つものクリスマスイブを過ごしてきたけれど、一人より二人、二人より三人、四人、五人と一緒に過ごす顔が増えると幸せも増えた。そしてその顔に見慣れれば見慣れるほど幸せも増えた。夜中に置いた贈り物に喜びを爆発させる小さな顔を見る度に来年も約束された笑顔の想像に胸を膨らませた。そのために幸せでいようと心に誓った。それは今も変わっていないし、これからも変わらないだろう。

言語は違っても、異なる宗教であっても、世界中の人がこの日だけは幸せを感じて欲しいと本当に思う。

今年も「Last Christmas」を歌おう。いつも引っかかってしまう a crowded room~ の下りを練習しよう。もう、かれこれ二十年以上も歌っているのに完璧にはほど遠い。完璧を目指して歌おう。次のクリスマスにも歌おう。その次のクリスマスにも。そうしていくうちに、きっととんでもなく膨大な数のLast Christmasの記憶が積み重なっていくんだろう。

2008-12-19

四谷アラフィーくらぶ・・・第一回会合

設立後四日めにし早くも第一回会合があった。招集もなく阿吽の(酒臭をおびた)呼吸で集うのがアラフィーのディシプリンなのだ。因みに参加者は、寝技某氏を除いた正規メンバー三名に加え、ぼそり「入会できるんでしょうか」と内気なアラサーO氏とカウンターの端から怖々様子を窺うアラトゥィーIちゃん、若女ケツ某氏の連れ銀座の若女将と賭場(いやいや純粋なる酒場)オーナーの七名。時既に深夜である。
早速、テーマ「愛だよ、愛」が議題に上った。

口火を切った若女ケツ某氏。
やりたいわけよ。
「終わるまで待ってて下さる」若女将の一言で、見掛けによらぬ初な感性の持ち主若女ケツ某氏は昇天一歩手前に達していた。バーテンが退け、二人で銀座の店明かりに漂ったらしい。
義理を欠くわけにはいかないという女将の突然の主張に屈し、渋々タクシーを飛ばして四谷に降り立ったわけだ。
「あの状況なら当然、・・・。分からないんだよね」と若女ケツ某氏。
その類は両手に余るほど(やや誇張)の経験者と自負する座長こと私は唯目尻を下げて頷きを繰り返し、プロケツ某氏とO氏とIちゃんは意味の分からぬまま笑みを浮かべる。

求められることが愛なのか、求めることが愛なのか。
いや、その証として事の成就が愛なのさ、と若女ケツ某氏は言外に発する。流石ロマンチストを自称する彼だけのことはある。何人も彼の直線的な思考には抗えない。そのための言葉を見つけられない。嘘っぱちになるしかない。

やがて若女ケツ某氏の意識は、深い闇が支配する宇宙空間に漂いだした。若女将は既に師走の冷たい浮き世へ姿を消していた。意外にもその足取りは確かであった。

潮時のようだ。それまでテーマの反芻を続けていたリアリストの場オーナーと私は、閉会を宣言し、第一回の四谷アラフィーくらぶの幕を閉じた。



意義ある会合であった。
道すがら立ち寄った公園の鬱蒼とした木立では、暮れゆく陽の光が落ち葉を紅く燃やし使命を終えた命を讃えているようであった。街の通りには色鮮やかな照明が灯され、見上げた人々の笑顔を一瞬極彩色に染めるのと同時にその外周に留まる人々の表情を闇が覆っていた。
人の世はコントラスト、愛もまた。




論旨の谷間で脱線を繰り返すアラフィーの酒臭に堪え難きを堪えることなくIちゃんは退散、O氏もやがて退いた。両氏には、済まぬことをしました。
ゴメン! グラハム・ハンコックなんて子供だましのペテン師なんだ。人生の深淵はいま正にこのアラフィー達によって語られている。君たちにも何時の日か脳内麻薬によって時空を超え宇宙の果てまで行ってまた戻って来るぐらいの末に、愛と孤独の中間に存在する拒否しがたい幸福感の意味を自らに問い直す時がくるだろう。幸福は神なんかがもたらすものではないことを知るために。

1980年にロックンロールは死んでしまったが、ロックが残した愛は未だ我々アラフィーの血肉として生き続けている。以降、銃口に恐れをなしたロックンローラーは、自らの魂を欺き、代わりにデジタルなイコンを掲げて聴衆を欺いている。心地よさだけが蔓延し、傷つき合い孤独に向き合うことを拒んでいる。

傷つけ。痛みがきっと教えてくれるはずだ。
愛だよ、愛。

2008-12-16

"Santa Lucia"

Kids are singing "Santa Lucia" on the stage in Tokyo. Some of them are from different countries with their parents and some were born here. They do not speak italian very much, though.

ウチの子ども達も歌っています。

四谷アラフィー

いつもの店でいつもの調子で「アラフォーって?」 「アラウンド・フォーティーです」という返答に、通常なら厭世的な感歎ひとつで素通りしてしまうところ、何故か「それなら俺はアラフィーだ」と乗った。間髪置かずに「四谷アラフィーくらぶを設立する」と益々調子づいてしまった。

脳裏に浮かんだ会員候補は、若い女ケツを追い回すことに躍起の某氏や、既に長年女ケツからご無沙汰の某氏(プロのケツには触れているかもしれない)や、寝技・関節技専門の某氏の三名。さて、如何な会なるや?

そこへフロリダ帰りのプロケツ某氏が登場。早速入会を勧めてみれば、案に違わず「俺はまだ遠いから」と吐く。さらりすかして、脈絡もなく政治談義に突入し暫し興奮状態に陥った。長旅の疲れ癒えぬプロケツ某氏は、「ゴメン」と言い残しトイレで吐く。合格。

翌々日、寝技某氏がトルコ産のオリーブオイルを持参し現る。「よかったら」と差し出され二本を受け取る。合格。その後、若女ケツ某氏が現れ、二本のウチ一本を差し出し、「入会する?」と尋ねれば、「あ、うん」と。合格。めでたく想定した三名は入会した。

今、一人、「くらぶ」にはどのような字を当てるべきか思案する。「倶楽部」では月並み過ぎるし、「苦楽部」では、ただの説教親父集団だ。「来愛(ラブ)」、ホストって柄じゃ。「供来墓」、もう少し先だろう。「処裸婦」、あれっ? 「空羅布」、人生そのまんま。・・・。

規則はある。「よっこらしょ」は口にしない。公式飲料だってある。イエガー・マイスターと養命酒、それにスレッドに置いてある酒。入会条件も、あるぞ。五十を境に前後三十歳までに制限。審査は厳しく女人に優しく。如何な会なるや?

2008-12-12

matte kudasai

半月ほど前にある女が「クリムゾン」と口走ったのを思い出して、ロシアのダウンロードサイトにアクセスした。会いたかったのは「matte kudasai」

未だ大きかったウオークマンを膝に、ヘッドフォンで耳が痛くなるのもかまわず、巻き戻しと再生のボタンを交互に押しながら、この曲を聴き続けていた。LAから真っ直ぐ東へ延びるルート10は、そこが火星だと告げられれば信じるほかないほど岩と砂ばかりの景色が続き、目的の地は遙か彼方にあった。
名も知らぬ数件の集落でクオーターパウンダーを買い求め、朝焼けを一緒に頬張りながらまたこの曲を聴いた。パサパサの肉と薄まったコーラの味に、今を生きてる刺激を感じていた。
追いかけた彼女は緑の瞳に金色の髪をなびかせ、「彼が卒業したら一緒にドイツへ行くの」と言った。何も言えずに踵を返した。30時間ものバスの旅は、結局何処へも連れて行ってはくれなかった。それでも唯青春の旅を続ける他なかった。

四半世紀を経て再び耳にしたこの曲に、瞬時に時計が巻き戻った。くゆる紫煙にコーヒーのほろ苦さを覚えた。
「matte kudasai」

2008-12-09

ANGEL-A

ベッソンの凄さに改めて唸った。
車も要らないし、超人的な運動能力も必要ない、SFXでほんの少しで充分。

ANGEL-A

じっと自分と向き合う一時間半ですよ。