東西の本願寺に挟まれた植柳(しょくりゅう)という地域がある。少し西寄りに古びた小学校がある。交通指導の老人に尋ねると、植柳という地名そのものが、小学校から生じたものらしい。明治以来この地に立ち続けるという由緒あるこの植柳小学校も、在校生が80名足らずとなり、来年か再来年には廃校となる予定だ。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。
2009-12-04
師走
12月1日。師走に入った。初日から高速列車で西へ移動した。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。
京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。
京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
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