2008-01-02

新年にイチロー、の目に涙

「ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残す」NHKの番組で、イチローが口にしたプロフェッショナルというものの定義だ。この言葉を実践しているのは誰かと問われれば、誰でもが真っ先にイチローの名を挙げるだろう。イチローは、自分の定義するプロフェッショナルを自らが実践している一流中の一流だ。34歳とはいえ、数々の修羅場をくぐり抜けてきたことは想像に難くない。

今年イチローは、プレッシャーから逃れることをせずそれに立ち向かって自らを超える、と覚悟を決めたという。200本を目前にすると毎年のように襲いかかる重圧に精神が変調をきたし、体調まで狂わすことさえあると本人が認める。これまではその重圧から逃げてきた。なんとか重圧から逃げおうせて、これまで200本を達成してきたというのだ。あのイチローがだ。どれほどの重圧だというのだ。凡庸な男に想像は不可能だ。

加えて今年はもうひとつ、メジャー通算3度目の首位打獲得のためのそれが加わった。相手のMagglio Ordonezにしてみれば、イチロー相手の競争に勝ったとなれば単に首位打者という以外にもうひとつの勲章が加わるほどの意味がある。勝ちたい。一方イチローは、昨年メジャーで3度目の最多安打を記録していながら首位打者のタイトルを逃している(http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/profile/?id=1861840)。こちらも此処まで来たからには是非ものにしたい。

シーズン終盤に差し掛かり益々記録を伸ばしたオルドネスに対し、イチローは差を縮めることができず、戦いは最終戦までもつれ込んだ。結果、イチローは争いに敗れ、試合中にもかかわらずフィールド上で何度も涙を拭うシーンがテレビスクリーンに映されていた。
「今年は野球を心から楽しむことが出来ましたか?」というインタビュアーの質問に、「それが見え始めた」とイチローは答えている。また、「目に見えないものが重要、目に見えないものだから超えるのがたいへん」とも口にした。目に見えないものを超えようと必死の努力をした先に、首位打者獲得という目にも鮮やかな目標が見えていた。競争に敗れたイチローは涙を流すほどに感極まり、その結果、大好きな野球を子供の頃と同様に楽しむことのできる感覚を取り戻しつつある。

7年の間毎朝同じメニューを作り続ける妻の努力も含め、自分で定めたプログラムを一日も欠かすことなく正確に努力し続けているイチローは、生活のほとんど全てを野球のために捧げているように見える。先には光があるだろうと思うが、未だ目の前には真っ暗な闇があるばかりだと言う。だからこそ挑み続けられるのだ、と努力を怠らない。事実毎年のようにバッティングフォームの改造に取り組んでいるという。あのイチローでさえ、である。

数年前同様のテレビ番組の中で、どうしてそんなに努力できるのかという問いに対し「当たり前です。僕がいくら貰っていると思っているんですか」と答えたイチローは、以前にも増してファンへのサービスと野球界に対する誠意を自らの存在意義と掲げながらも、今年新たに野球を楽しむための覚悟を決めたと語ったのだ。

これを、名誉も金も充分に手にした成功者が残り少なくなってきた野球人生をいよいよ自分自身のために費やそうと考え始めたと見るか、天才と呼ばれる男が道を究めるために更なる高みへ上ろうとしていると捉えるかは各々が感じるままでよい。しかし、我々凡庸な人間のいったいどれ程が、人前で涙堪えることができぬほどの感情の高まりを覚える戦いを挑んでいるのかと自問すれば、思わず腹の奥で低い唸り声を発するのは私だけではないだろう。イチローは確かに34歳の青年であるが、この道16年のベテランでもあるのだ。