記憶のメカニズムは解明されているというのに、忘却のそれは未だであると聞く。何を基準に、どういう仕組みで忘れるべき記憶を、脳が選択しているのかが分からないのだという。つまりはさっぱり分かっていない。記憶の仕組みを脳のそれに習ったコンピュータは、だから「消去」を自らが選択しなければならない。そのうち所有者の忘却パターン(そんなものがあればの話しだが)に合わせて、不要なファイルをパソコンが勝手に選別してドンドン消し去ってくれるようになるかもしれない。「ちょっと、待ってよ!それは消さなくていいのよ」という嘆きが職場に満ちる日が来るかもしれない。
話しを戻せば、どうしても思い出すことが出来ない事柄があるように、全く忘れる事の出来ない記憶がある。初恋への告白を前にした鼓動の大きさや、初めて立った異国で嗅いだ空気の臭い、家族が増えたときの胸のたかなりと減ったときの痛み。大凡誰でもが個々の人生の重要事件として認める出来事は、強い記憶として保持している。
しかし、たったひとつ、おそらくは地球上の人々ほぼ全員にとって最も重要なはずのある日のことを、ほぼ全員が覚えていない。それは自分が生まれた日のことだ。
説に拠れば、幼児期の一定期間は、母親の胎内での記憶から出産時のことまでを、誰でもがきちんと保持しているという。しかし、それらは他の手によって記録に残されることでもない限り、当の本人のなかからは消え去ってしまうのが普通だ。
反対に、この瞬間を一生涯忘れずに持ち続けている人々もまた存在する。当然のこと、母親だ。九ヶ月に及ぶ妊娠期間は、男には理解し得ない強固さで母親と子の一体感を育むに違いない。男親とて、直接肉体的な経験はできないにしろ、我が子の誕生の瞬間は深く刻まれている。往々にして男親にとって子の誕生の瞬間には時間差を伴う。ましてや一度助産婦さんの手を経ての接触であったりするから尚更だ。しかし、この僅かな時間差でさえ、強く深く刻まれる瞬間であったりする。「いいから、早くだかせろ!」みたいな。
自分がこの世に生まれ出るという最重要事件は、本人が保持することができず、別の者の記憶の中に生きている。皮肉なことだ。どんなにお誕生日会を重ねたところで、誰も「ところで、生まれた時ってどんな感じだった?」とか「生まれて直ぐ何がしたかった?」なんて訊かれることはないし、そんなこと考えてみることもない。そころが、「あなたの時は、陣痛が来なくって」とか「出張先から5分おきに電話したよ」とか、親は全くよく覚えている。
更に皮肉なことに、大概唯一の記憶保持者である親は、大事な記憶のバックアップもとることなくその大事な記憶を一緒に抱えたまま先に逝く。親のおかげでこの世の中に存在していた自分自身の最も大事な記憶は、親の死とともに失われてしまう。
人生の折り返し地点は過ぎた。記憶容量の多少に関わらず、記憶すべき事象との遭遇は減ってくる。寂しいが現実だ。そのせいか、何時のことからか記憶の優先順位が変化した。記憶に留めようとする事柄のなかから、自身に纏わることが減り、代わって家族の出来事についてが圧倒的な勢いで増えてきた。父親としてしくじることが許されないはずのシャッターチャンスを忘れて家族の表情を凝視していたりする。まるで、その瞬間を自分のものだけに閉じこめておこうとでもするように、衰えかかった目力を最大限に活用して見つめている。
年末の白昼夢から覚めて、今年一年をかけて作ってきた記憶の整理に取りかかる。そしてふと気がつく。優先順位が高いはずの記憶を、一瞬でしかない貴重な想い出を、自らが作り出そうと奔走したことがどれだけ僅かであったかを。来年に持ち越す課題が去年のものと同じであることを。来年はもう今年と同じ記憶が作れるはずもないことを。