※大変長い文章ですので、そのつもりでお臨みください。
まず最初に、アカデミー賞受賞で一機に盛り上がってる和歌山県太地町のイルカ漁は明らかに営利を目的とした所謂漁であり、日本の文化ではないと私は思う。和歌山県太地町固有の行事であり、強いて言えばその地方の文化と呼べるものかもしれない。私個人は、映画も見てはいないしその文化についても詳しくはないので、映画で扱われている特定の事柄を云々することはできないし、それを文化としてみなすかどうかについても明確な意見はない。ただし、多くの日本人が共有する文化か否かと問われれば明確に、NOと答えるであろう。その上で、言及してみたい。
ザ・コーヴという映画にまつわる問題には、いくつか異なる次元の要素が含まれている。ひとつめは、何故に「イルカ」が特別扱いされるのかという点、次にイルカを食することが食文化か否かという点、三つ目にそれを流通させ金儲けをしているのはけしからんという点、最後にこの映画の撮影が無許可に近いものであり(盗み撮り)卑怯な手段のうえにたつプロパガンダであるという点。もっと他にもあるだろうが、とにかく複数の異なる話題が一緒くたに論じられている。実はそこが日本人という括りにおいては、最も問題なのではないかとも考える。これはまた別の話になるので触れない。
一つ目のイルカ特別扱いについては、イルカが非常に高度な知能を持つ生き物だというイメージから生じている感情的なものだと認識している。確かにイルカには、遭難した人間を救った話であるとか、船を導いて難所から救い出したとかという話しもある。シャチが調教師を誤って殺してしまったニュースを耳にしたばかりだが、イルカにおいてはそのような事もないようだ。また、腕白フリッパー世代の私にとっても、心情的には憎むことも無視することも他の知能にいて劣等な動物と同様にみなすことも難しい。つまり、どこまでそうかは別にしてイルカとは気持ちが通わせられそうだというイメージが、イルカに対する一種異様な情を生んでいるのであろうと考える。
しかし、一方イルカ程の知能を有するかどうかは分からないが、かなりの高等生物であることが知られているシャチについては、イルカのような同情が集まらない。どうしてか。シャチの大量虐殺が記録されていないため偶々そうなのかもしれないが、これまでシャチ寄りの世論というものを私は耳にしたことがない。ひょっとしたらシャチだって充分に人間と心を通わせるだけの能力は有しているのかもしれないし、むしろその気高さのために敢えて人間との距離を置いているのかもしれない。それならそれで見上げたものだし、本来的にはより尊敬に値するのではないか。しかし、シャチに対する情けはあまり一般的ではない。
また、高等な知能を有する動物という範疇に犬は入らないのか?犬はあらゆる動物の中で歴史的にも最も人間に近しい生き物であるはずだし、膨大な数になった犬の種類の多くは人間が改造して作り上げたものだ。酷いことをしてきたという事ならば、犬は最も人間に虐待されてきた生き物だ。そしてその種類の多くは、欧米で作り上げられた。鼻をそぎ落とされ、尻尾をちょん切られ、やせっぽちにされたり不細工にされたり、大凡人間に置き換えれば直視できないような仕打ちを受けてきた。彼の国では食するという事実もある。ところが、犬は未だに我々人間の最大の理解者のようだ。そんな非道さを盗み撮りして事実を映画化した人間はいない。私が知らないだけかもしれない。
犬を食したり改造したりするのは非常に小さな集団のことであるからという理由は、和歌山県太地町という(大変申し訳ないが)多くの日本人がその所在地さえ認識できない小さな地域での出来事が取りざたされた今回は通らない。つまりは、イルカという特定の動物に対する感情論が大きな部分を占めている。何を占めているのかといえば、実は映画作りにも実際のイルカ漁にも殆ど関わりのない私を含めた傍観者の苦悶の殆どを占めているのだ。イルカが特別かどうか。おそらく特別だ。肩入れするべきか。おそらくそうした方がよい。何故だ。そう洗脳されているからだ。我々は、イルカについて多くを知っているわけではない。他の動物についてだって、そうだ。毎年米国で3500万頭が殺される食肉用の牛たちが、殺されることについて何も感じていないわけではないのだ。単に、こちら側が割り切っているだけのことだ。イルカは特別だと我々が思っている。根拠となるのは、実はそのイメージだけなのだ。
二つ目の、イルカを食する事が我々日本人の食文化の一つであると言い切れるかとい点については、YES and Noだ。逆説的だが、文化とはいつか消滅する可能性を持っている。文化だから法律で維持させようというのは既に文化ではない。文化は長い年月の間に継承している人間達の中で意味合いが変化していくもの。だからこそ、文化は熟成も衰退もする。それが本来の姿だ。かつて私が幼少期に鯨の肉は一般的な食物だった。婆ちゃんが煮てくれた甘辛い鯨の肉は、弁当のおかずの人気ランキングに入っていた。当たり前に食べていた。何時の頃からか、捕鯨規制が叫ばれるようになって鯨肉は食卓から消えていった。文化がたどる道を辿ったのだ。しかし現在、「この漁は和歌山県漁協から許可を得て行っている合法的なもので」などとコメントされるようならば、既に文化的な意味合いを大きく失っていると考える。
(※鯨とイルカには明確な区別が無く、一定の大きさ以下のものをイルカと呼ぶそうだ。だからイルカは鯨なのである。よって、鯨肉には当然イルカの肉も含まれる。誤表記ではない)
改めて、今日鯨肉を食することが日本人の食文化であるか。私はNOと答える。廃れてしまった文化を懐かしむことはある。しかし、今その存在にアプリシエイトできるかと問われれば、NOなのだ。多くの人々が日常的に鯨肉を食しなくなってから既に世代が代わる程の年月が経った今日、それを日本人の文化であると声を大にしていうことは難しい。誰も目にしないような伝統行事を継承してる場合もあるではないか。それは日本の文化とは呼ばないのかという声があるかもしれない。しかし、食文化というのは日常に根付いたものでなければ意味が通らない。食は毎日のことなのだ。米飯は週に何度も食べるし、味噌汁もそうであろう。食文化とはそういうことを差すと私は考える。その意味では、マグロは日本の代表的食文化の一つと言えると思う。
もっと言えば、欧州で規制の声が高まるマグロは、それよりずっと以前に資源確保の意味合いから養殖技術の開発が続けられている。欠かすものができない食材であると多くの日本人が考えるからこそこのような動きが起きる。国や役所も動く。鯨やイルカを養殖で、という話は終ぞ耳にしたことがない。技術の問題というのであれば、マグロも非常に高度な技術と知識が必要だ。やってみればイルカや鯨の養殖も可能なのかもしれない。養殖鯨や養殖イルカなら、たとえ太地町と同様の漁を行っても、「どうせそのために養殖しているのだから、牛と同じだよ」ということで、アカデミー賞どころかドキュメンタリー映画にさえならなかったかもしれない。
三つ目の点に差し掛かったが、仮に養殖イルカでもって現在の漁を行っていれば、ひょっとしたらスペインの闘牛のように見せ物として成立したかもしれない。「殺し方が残酷だ」という理由で闘牛を非難する人間がいるが、闘牛こそは、文化を営利化した象徴的な行為だと思っている。見せ物として金儲けを成立させた上で、殺された牛の肉は当然食卓に上るのだ。動物が生きるためには他の生き物を殺さなければならないと、分厚いステーキを前に子供達は教育されるという。それが、命の尊さを伝えることになるのだという。食にはこのような重要な役割があるなどと、今この国の親たちはどれ程認識しているだろうか。闘牛によって生産され続ける牛肉は、正に食文化の代表だ。これほど見事に、お金と食と教育の三位一体を果たした行事を文化と呼ばずしてなんと呼ぼう。だから、闘牛は連綿と継承されていくのだ。文化として。
話を戻せば、仮に養殖であっても、そうまでして日本人が鯨肉を食べ続けていれば、殺し方がどうであろうと、胸を張って「鯨は日本の食文化を代表するものである」と言えたことだろう。是非は論じていないので、念のために。
最後の盗み撮りという卑怯な方法で作られた映画云々については、正直言って話にならない。物事をフィルムであれビデオであれ文字であれメディアに収めるという行為は、事実を歪曲することとほとんど同意義だ。殊更ドキュメンタリー映画には、そのような側面がある。物事は立つ側により見えてくるものが異なるものだから、ドキュメントとはいえ、制作者は起承転結に関するアイディアをもって臨む。つまり、立ち位置を決めてからカメラを回す。だから、そのアイディアが今回のように被写体とされる側にとっては都合の悪いものであることはしばしば生じる。被写体が協力的でない場合でも、ドキュメンタリー映画などを制作しようとする者は諦めたりせず、盗み撮りだろうがなんだろうが目論みに合うように撮影を続ける。制作者としては当然のことなのだ。娯楽映画だって、トム・ハンクスの「天国と地獄」はバチカンとローマから許可を得ることができないまま撮影されたというはなしだ。盗み撮りだ。これも、是非は論じていない。
誰かのブログに、「太地町の人々は、どうせなら、撮影拒否などせずに手厚くもてなして、むしろ自分達にとって誇れる事柄なのだと主張すれば良かった」というような事が書かれてあったが、同感だ。後の祭りではあるが、よい考えだ。ドキュメンタリーの場合、撮影者と被写体の間には常に駆け引きがある。その駆け引きに負けてしまったのが今回の太地町だ。アカデミー賞までとられてしまったのだから完敗だ。こんなとき欧米には危機回避の発想があるから、これがアメリカや欧州の一部の国の町での話しなら、きっと町長さんは予算を遣ってコンサルタントを雇ったはずだ。違法行為もしくは事前協議違反が生じた場合、上映禁止措置やフィルムの差し押さえといった手を打てるように法律家も雇うかもしれない。本気で自分達の文化だと主張し守ろうとするならば、それぐらい必死でなければ世の中にはその何倍も狡賢い輩がいるのだ。決して太地町の人々を責めるつもりはない。ただ、残念なだけだ。世界に出て行くと日本のスポーツ団体は駆け引き下手でで損なクジを引かされる。そんなこととダブってしまった。
最後の最後に、知人が綴っていた「almost disgust me to think some japanese people feel proud of massacring dolphins cos it's our traditional culture.」というコメントに対して言及するならば、多くの日本人は、勿論太地の人々だって、たとえ伝統行事であろうとも動物の大量殺戮を快く思っている人はいないであろうと思う。我々はスクリーンの上に映し出された映像を見ているだけだ。実際に生き物を殺し血の中に浸かっているのは彼らなのだ。良い気分なわけがない。彼らはただ黙々と仕事をしている。是非ではない。連綿と続けられている彼らの仕事を今年もまたしている。自分の仕事に誇りを持つのは当然のことだ。そしてまた、眼前で死んでいく生き物たちへの惻隠の情もちゃんと持っている。哀れみ感謝している。だからこそその仕事に誇りを持ち続ける事ができるのだ。400年も続いているのだ。伝統というものは清濁を併せ持つ。
そして、あの映画によって日本人を惨く残酷な人間であると信じる世界中の人々は多くない。あの映画を利用してそのような気分を誘導しようとする輩はあるだろう。しかし、そういう連中は、この映画に限らず利用できるものを探しているし、方法を考え出すものだ。どこの国にだって、他の人間から見れば理不尽な行いの一つや二つはあるものだ。そう理解するはずだ。政府から「自分達の生活に必要な数だけ」とアザラシの猟を許可されているエスキモーは、アザラシの全てを活用する。肉は食べ、毛皮は物々交換する。彼らは、貨幣を持たない。貨幣など役に立たないからだ。エスキモーはアザラシを殺すことで生きている。生活している。そして、アザラシから全てを教わる。
彼らが、この映画を見たらなんとコメントするのだろうかと頭を巡らせた。きっと、何も言わないだろうと結論づけた。仮に、発したとしたら、「別に」だな。
2010-01-29
開高
長い時を経て開高と再会した。呆と彷徨っていた私の目に、古本屋のワゴンに山積みされた薄黄色くなったカバーの中から開高の人懐こい目が笑いかけていた。1990年に出版された、週刊プレイボーイ「男になるための教養講座」の特別編集版だ。
開高健は、格好の良いオヤジだった。もう随分昔の人だから比べるのもなんだが、今時のチョイワル著名人など足下にも及ばない男っぽさがあった。小説家だが小説なんか書かないでアマゾンでピラクルなんかを釣っていた。ベトナム戦争へ出かけて行ってるのに、酒と食い物の話しかしない。パリを歩けば雲古と万古にしか目がいかない。
村上龍が就任する前に偉い文学賞の審査員を長いことやっていた。そういえば、村上の週刊プレイボーイの連載は開高の後を継いだものだ(と思う)。偉い小説家なのに、のっけから下ネタ全開の「男講座」だった。だから、幼さが抜けきらない高校生や大学生、勿論とうに抜けきった連中も喫茶店でニヤニヤしながら夢中で読んだ。
説教臭い話しはあまりない。ニヤニヤしながらスッゲーと思っていた。しかし、その頃の若いモン達は若いモンで、「そんなのどうってこうとないさ」っていう素振りを装った。ニヤニヤで誤魔化していた。中には凄さが分からずに本当にニヤニヤしていたたけの馬鹿も当然いた。当然、馬鹿は馬鹿で何かは感じていたと思う。でも、それが何なのかを確かめるためには、時代が拙すぎた。術がなかった。だから、馬鹿なヤツは鵜呑みにして国を飛び出した。
一方で、植草甚一がいた。今にしてみればサブカルの元祖のような人で、彼も面白かった。単行で出版されたソフトカバーの植草シリーズには、馬鹿な若いモン達が嵌らずにいられないキラキラした話題が満載された。「カトマンズでLSDを一服」なんて来られたらもう堪らなかった。植草の文章は最も新しい情報だった。どんどん出てきた。しかし、情報でしかなかったのも事実だ。「スッゲー」そのものの情報だった。インターネットだった。
開高は、ニヤニヤの中にそれを籠めた。ほんのり漂うスッゲーの素を練り込んだ。だから覚えている。覚えているから考える。考えるから、悶々とする。悶々とするから動き出す。術なんて分からないからとにかく動いてみる。そうしてみんな殻を破っていった。お利口さんは無駄なことはしないから、きちんと別の殻の中に自分を嵌め込んだ。馬鹿はそんな器用な真似ができずにはみ出した。
バブルが過ぎて、開高は死んで、村上は二人とも教祖になって、老けただけの馬鹿は未だに馬鹿のままだ。「男になるための教養講座」に収録された「小さな死」というエッセイの最後の一行を引用して、この駄文を終えよう。
「といいながら小生は立ちもせず、死にもせず、ただ座っている」
開高健は、格好の良いオヤジだった。もう随分昔の人だから比べるのもなんだが、今時のチョイワル著名人など足下にも及ばない男っぽさがあった。小説家だが小説なんか書かないでアマゾンでピラクルなんかを釣っていた。ベトナム戦争へ出かけて行ってるのに、酒と食い物の話しかしない。パリを歩けば雲古と万古にしか目がいかない。
村上龍が就任する前に偉い文学賞の審査員を長いことやっていた。そういえば、村上の週刊プレイボーイの連載は開高の後を継いだものだ(と思う)。偉い小説家なのに、のっけから下ネタ全開の「男講座」だった。だから、幼さが抜けきらない高校生や大学生、勿論とうに抜けきった連中も喫茶店でニヤニヤしながら夢中で読んだ。
説教臭い話しはあまりない。ニヤニヤしながらスッゲーと思っていた。しかし、その頃の若いモン達は若いモンで、「そんなのどうってこうとないさ」っていう素振りを装った。ニヤニヤで誤魔化していた。中には凄さが分からずに本当にニヤニヤしていたたけの馬鹿も当然いた。当然、馬鹿は馬鹿で何かは感じていたと思う。でも、それが何なのかを確かめるためには、時代が拙すぎた。術がなかった。だから、馬鹿なヤツは鵜呑みにして国を飛び出した。
一方で、植草甚一がいた。今にしてみればサブカルの元祖のような人で、彼も面白かった。単行で出版されたソフトカバーの植草シリーズには、馬鹿な若いモン達が嵌らずにいられないキラキラした話題が満載された。「カトマンズでLSDを一服」なんて来られたらもう堪らなかった。植草の文章は最も新しい情報だった。どんどん出てきた。しかし、情報でしかなかったのも事実だ。「スッゲー」そのものの情報だった。インターネットだった。
開高は、ニヤニヤの中にそれを籠めた。ほんのり漂うスッゲーの素を練り込んだ。だから覚えている。覚えているから考える。考えるから、悶々とする。悶々とするから動き出す。術なんて分からないからとにかく動いてみる。そうしてみんな殻を破っていった。お利口さんは無駄なことはしないから、きちんと別の殻の中に自分を嵌め込んだ。馬鹿はそんな器用な真似ができずにはみ出した。
バブルが過ぎて、開高は死んで、村上は二人とも教祖になって、老けただけの馬鹿は未だに馬鹿のままだ。「男になるための教養講座」に収録された「小さな死」というエッセイの最後の一行を引用して、この駄文を終えよう。
「といいながら小生は立ちもせず、死にもせず、ただ座っている」
2009-12-04
植柳
東西の本願寺に挟まれた植柳(しょくりゅう)という地域がある。少し西寄りに古びた小学校がある。交通指導の老人に尋ねると、植柳という地名そのものが、小学校から生じたものらしい。明治以来この地に立ち続けるという由緒あるこの植柳小学校も、在校生が80名足らずとなり、来年か再来年には廃校となる予定だ。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。
「有名な人もぎょうさん出ております」と誇らしげな表情を作った老人の口から漸く出てきた数人の著名人に聞き覚えはなかった。
信号が変わるまでのつもりが、暫く立話になった。と言おうか、老人がなかなか放してはくれなかったのだ。小学校とともに消え去る運命にある自らの記憶を蘇生させたい。老人は通りすがりのストレンジャーの目をきっと見つめて話し続けた。
師走
12月1日。師走に入った。初日から高速列車で西へ移動した。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
ネットで見つけた和風の旅館を予約してあった。開店一年に満たないそうだ。以前は何かのお店だったものを改築したのだと、従業員が話していた。表の佇まいは実に古風ではあるが、四十年も遡れば母の実家もこのような建屋の商家だった。寄る年波には勝てず改築した。今ではそこいら中に転がるただの家だ。京都にはこうした建物が、少なくなったとはいえ現存している。しかも、それをあえて旅館に仕立て直してしまう。京都だから、といえばそれまでだが、悪くはないと思った。
京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
ぬけるような青空を眺めながら初期のビートルズを聴いた。バタバタと泥臭い所謂ロックンロールのカバー曲が多いことにあらためて驚いた。もう随分長いこと、きちんとアルバムを通して聴いてなどいなかった。二百数十曲のなかから好き勝手にプレイリストなどを作成し、上澄みだけを摘んで食べていただけだった。道理で上手く歌えるはずなどなかった。
昨日は何の気無しに飛び込んだ本屋で珍しく芥川などを手に取った。いや、正直に言えば学生時代にほんの一二冊を図書館で捲って以来初めてだ。書店で彼の作品を購入したことなどなかった。恥じるわけではないし正直に読みたいと思ったこともなかった。ところが昨日はどうだ。扉を潜るなり、視線が真っ直ぐに彼のコーナーへ向けられると一瞬も動くことはなく、まさに吸い寄せられるように足が向かい、たった二冊残った文庫本を鷲掴んでいた。長い旅路の暇を弄ばぬためだったはずが、事もあろうに芥川だ。
いま車中で、it's only loveなど耳にしながらページを捲っている。蜘蛛の糸をはじめ短編が収録されている。「蜜柑」では思わず目頭を熱くした。「トロッコ」では、遠い記憶が蘇り故郷をに想いを馳せた。「杜子春」はいま正にこの時代であり、「仙人」は再び己を見つめてみたりした。文章とは実に不思議なものだ。文章とは実に力強いものだ。生きる在りようが滲み出るからだ。道理で未だ感動を与えるに至らないはずだ。
御堂筋の銀杏が美しかった。心斎橋筋では人の距離が心地よかった。空は一日中晴れていた。
通勤時間帯より少し早めの電車で京都へ向かった。運良く座れた。窓側に美人が座った。向かいの女性もそれなりに容姿が整っている。芥川でもあるまいとiPhoneを弄んでいると、二人ともほぼ同時に寝入ってしまった。美しさは一種の緊張感を持つ。与える側の緊張感と受け取る側の緊張感の塩梅がぴったり一致した時に、胸の鼓動の高鳴りや頬の火照りを覚えるのだ。しかし目の前の二人の美しさは彼女たち自らが解き放った緊張感と共に消え去った。窓側の女性は口を半開きにし寝息を立てている。もはや唯の肉の塊だ。淫靡ですらある。それはそれでよいのだけれど、何故に日本人には公然といういう概念を拭い去ることがこれほどまでに容易なのか。半月程前に仕事をともにした欧米人達も驚いていた。
京都で困るのは食事だ。散々迷った挙げ句、駅前へ戻り百貨店の「レストラン街」で洋食屋へ入った。「おタバコは・・・」と問いが終わる前に頷くと、仕切りの向こう側へ通された。二人掛けの小さなテーブルに着いた。お肉とエビフライをセットにして赤ワインを注文した。
通路を挟んだ四人掛けのテーブルに中年女性のグループが着いた。その隣のテーブルにはカップル。仕切りの向こう側の禁煙スペースには、ご老人と呼んで差し支えのない年代の女性が二人、その向こうには若い女性のグループ、さらにその先には彼女たちの母親と呼べる世代のグループ。みな楽しそうに話し、食べるためにも同様に口を動かしている。ひたすら動かし続けている。私は唯々そのエネルギーに圧倒され、薄くスライスされたフィレステーキが冷めぬうちにと口を動かしている。勿論寡黙にである。
たった一杯のワインの酔いが、そろそろ今日も店終いであることを告げてきた。思えば師走である。今年も随分と遠くまで歩いてきたものだ。
2009-11-18
だいちょう V
目が覚めても床から出たくなかった。空腹も感じなかった。多少の緊張があったのかもしれない。
指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。
折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。
普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。
ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。
ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。
「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。
覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。
※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。
指示通り下着の予備を鞄に詰め家を出た。外は雨だ。手を延ばしたがいつもの場所に傘はなかった。きっと先週のドタバタの中で紛失してしまったに違いない。今のいままで気がつきもしなかった。色の異なるエネルギーが弾丸のように目の前を飛び交うなかで、あっという間に過ぎ去った一週間だった。あがってしまった雨さえ気づかなかったのだろう。遠い昔のことのようだ。
折りたたみ傘を引っ張り出し、自動開閉ボタンを押したが、以前のようにパンとは開かない。布地の張りが失われたのか、骨組みが弛んでしまったのか。おそらくその両方だろう。
普段乗り慣れない通勤時間帯の地下鉄に詰め込まれた。何故だか周りはオジサンとオバサンばかり。痴漢の疑いを負うこともないだろうからむしろ気が楽だ、と考えるのはこちらも年老いたせいだろうか。そういえば、さきほどからツンと鼻をつく匂いが漂う。自分の匂いではないぞと真っ先に考える。しかし、その自信もない。もしもこの匂いが自分の発するものだと考えると、膝から力が抜けていく。
ジジババから顔を背けると目の前には青い長髪がいた。ほとんど直毛に近い髪の毛が先の方に向かって青くグラデーションに染め上げられている。両耳に嵌められたイアフォンからはメタルだかパンクだかそんな類の曲が溢れてきている。妙な感じを覚えた。見た目は確かに突っ張った若者だ。着古した革のジャンパーも決まっている。しかし、そんな彼が周囲に放つオーラは、どこか温もり感じさせる土の匂いに近い。寒風の中に一人立ちつくし遠い空の果てを見つめるような。こちらに背を向けた彼の顔は伺えない。おそらく彼も、こんなことを感じてしまった私と目を合わせたくはないだろう。
ゲロのようだと改めて思った。新宿のような大きな駅では勿論、四ッ谷は三路線が乗り入れているせいだろうか、予想以上に乗降客が多い。停車直後に一旦静まりをみせる乗客は、ドアが開かれると同時、一機に車外に吐き出される。いや、自ら飛び出していく。「俺はゲロなんかじゃないぞ」と自らの意志で勢いよく飛び出していく。しかし、そうすればするほどゲロの一滴にしか感じることができない。皮肉なものだ。ホームには、めかし込んだゲロ予備軍が列をなして待機しているのだ。
「○○さぁ~ん」
看護婦さんが元気なのは、元気な人だけを採用せよという決まりがあるためなのか、それとも看護婦さんという職業が彼女たちを元気者に変えていくからなのだろうか。
ホッペをパンパンにしたナースの一人が忙しなく本日の段取りを説明している。時々、「ああ、そうか」などと何事かを思い出しながら、一日がかりになるであろう大腸カメラによる内視鏡検診の手順を説明する。説明書の裏表を一通り終えると、ナースは徐に医療用の薄いゴム手袋をはめてこう言った。
「では、座薬を入れます」
「エッ!? 自分で入れちゃダメなんですか?」
「そういうわけにはいかないんですよ」
頬をパンパンに膨らませたナースは、うっすら笑みを浮かべている。左手にはワセリン、右手に座薬をつまみ、準備は整っていますというように頷いた。
覚悟を決めてベルトを外し、ジーンズを下ろす。フウとひとつ息を吐いて、下着を下ろす。膝の辺りで、「その辺でいいいです」とナースが制する。上体を倒しベッドに両手で支える。背後にナースの視線を感じる。ナースの手が、正確に言えば彼女がはめたゴム手袋の感触が、私を後ろから静かに開いていく。ワセリンの冷たさを僅かに感じたかと思うと、小さいながら硬質な塊がズンと突き進んできた。声にならない呻きを一つ飲み込んで、大丈夫ですかというナースの問いに小さく「ハイ」と返した。
※以降は鎮静剤のため夕方まで意識がもうろうとしていたので、ここでおわり。
2009-10-29
長い長い、カツ丼の話し
たいした距離でもないのに序ででもなければ立ち寄らない場所というのはあるものだ。そのひとつが日本橋人形町界隈。十五年ほど前までは数年間毎日通った場所でもある。今日はその序でがあった。今は消滅してしまった小さな事務所に毎日朝から晩まで居ったのだから、当然昼飯はその界隈で済ませた。人形町には名だたる食い物屋が軒を並べているんだ。
交差点の主ともいえる洋食のキラク、ビーフステーキ2700円は立派なお値段。見かけはほんの数坪の、通り過ぎそうなお店だが歴史は古いんだ。一時は行列が途切れることのなかった親子丼の玉姫。俺は正直、一度も喰ったことがないのだけれどね。すき焼きの今半だって筋ひとつ入った場所に構えている。ランチのお値段は、ほんの少しだがキラクよりお安いんだ。キラクより気楽よ、なんて。しかし、夜は恐ろしい値段に化けるのさ。甘酒横町まで足を延ばせば、よく行ったもんだよ、やきとり久助。見渡せば、どうやらその頃より気の利いたラーメン屋が増えたし、たこ焼きやなんかも進出している。とにかく、食べ物の豊富さでは負けていないんだ、この界隈。
しかし、今日のお目当てはそんな有名でもメジャーでも今風でも何でもない、ただの中華屋。その名も、玉龍亭。名前だけはご立派だが、掘留公園で遊ぶ園児達の声にかき消されてしまうほどの、小さな、それこそ何処にでもある中華屋さんだ。昼時にはダッサイネクタイしめたサラリーマンが雪崩れ込み、半チャーハンとラーメンなんかをかき込むような、そんな昼飯屋だ。黄色の庇に赤い明朝体で「玉龍亭」。どうしても、そこへ行きたくなった。
なにせ十五年も前、当時既に充分にお年を召された父ちゃん母ちゃんがやっていた店。ひょっとしたら、危なっかしい連中に追い立てられて店をたたんでしまっただろうか。それとも、お父ちゃんのほうは逝っちまったんじゃないだろうかと、胸をドキドキさせながら辿り着いた。辿り着いたら、昔のまんまにそこにあった。昔の通りダッサイネクタイが暖簾をくぐり抜けていく。ちょっとしたタイムスリップだ。こっちも今よりずっと若くてダッサイネクタイを気取って締めていたりしたっけ。
前置きが長くなったが、何を隠そうこの玉龍はカツ丼の名店なんだ。って、俺が勝手に決めつけているだけなんだけど。いや、当時同じ事務所に通ったヤツも未だに「玉龍のカツ丼が無性に食いたくなる」と言っていたことがあるから、まんざらでもないんだ、玉龍のカツ丼。トンと置かれた丼の中で、少し残った半熟がプルるんと揺れるあの感じ、たった今揚げたての湯気を立ててるカツそのものだって、端っこにカリッとした衣の歯ごたえが残る職人技で、たいした肉でもないのに若さが求める「肉」の食感をきちんと満たしてくれる歯ごたえもほどよかった。隠れファンは確かに存在するんだ。今日は、その「無性に」が俺に訪れたわけだ。いやいや嘘はいけませんぜ、旦那さん。実は何日も前から楽しみにしていたくせに。そ、そうなんだ。iPhoneのスケジューラーに、わざわざ「カツ丼」なんて入力までして、打合せの相手に昼を誘われた時の用心に、「いや、今日は予定が立て込んでましてね」なんて白々しい台詞まで用意して、おまけに練習までして、向かったわけなのさ。
「へい、いらっしゃい」
昔のまんまだ。六人掛けが一つと、四人がけテーブルが二つ。時間が早いからテーブルは全部空いているのに、カウンターは満席。何故だかみんなカウンターから着くのがこの店の特徴だ。奧の14インチテレビでは、野茂のメジャーでの活躍もセナの事故死も知ったけ。年老いたはずの父ちゃん母ちゃんは、あれから一日も月日が過ぎていないかのように同じ姿形と元気でいっぱいだ。父ちゃんは、注文を復唱する時も挨拶をする時も、背中を丸めた格好で始終身体を揺らしながら中華鍋を振っていた。まるでカンフーサッカーのやけに頭突きの凄いオッさんみたいな風貌だ。額から汗が噴き出ている。カウンターの席に着くと、その元気と一緒に昼飯が腹を満たしてくれたんだ。
俺は正直十五年ぶりの、今となっては一見さんだから、大人しくテーブルに着いたよ。一人ぽつんとね。それで、これも昔と変わらぬプラスチックのメニュー立てを摘み上げた。やけに、スカスカなんだ、そのメニュー。老眼の次は、かすみ目か? いや、当時は裏も表も、麺類から飯類から、もやし炒めだ、ニラレバだ、酢豚だってあるんだぜと、ビッシリと両面を埋めていたメニューは、今や本当にスカスカなんだ。これでもかって程のボリュームが堪らなかったカツカレーも見あたらない。そんな物はどうだっていいんだ、今日はカツ丼よ。って、そのカツ丼の「カ」の字が見つからない。
そんなはずは無いんだよ。玉龍はカツ丼なんだ。カツ丼のない玉龍なんか、荒野のないアメリカ大陸みたいなもんだ。
「あのぉ、カツ丼は?」
「何年も前に止めちゃったのよ」と、元気いっぱいの母ちゃんは、そう言いながら何だか嬉しそうにしている。そんな顔で見つめないでおくれよ。俺はその時、一昼夜かけたグレイハウンドのバス旅の果てにフラれた少年のような情けない表情で母ちゃんを見返していた(に違いない)。
十五年の歳月を経て漸く辿り着いた日本橋堀留町の隠れカツ丼名店玉龍亭で、俺はカツ丼にフラれた。「こんなに長いこと放ったらかしで、どうしてもっと早く迎えに来てくれなかったのよ」という声が何処かでこだまする。どうすればよかったって言うんだ!
カウンターに並んだ背中は、忙しなく右手を動かしエクスタシーに身悶えしながらワンタン麺やら湯麺やらチャーハンをかき込んでいる。そうだよ。フラれた時だって空は青かったさ。その空に向かって「あばよ」と言って、俺はまた旅を続けたんだ。
「広東麺ください」
「はーい、広東麺。広東麺入ったよ」と父ちゃんは悪びれもせず母ちゃんに注文を伝えている。父ちゃんは自分で請けていながら、必ずそうやって母ちゃんに伝える。何年も何年も、仲良くやり続けている。二人でこの小さな店を元気いっぱい生きている。母ちゃん似の、容姿より心よってタイプの娘さんも、今では立派なお母さんになっているに違いない。俺だって立派かどうかは別にして親にもなった。思えば、随分と月日は経ったのだ。
バブルが弾けてもなお、横文字のタイトルや人より少しだけ高額なギャラに踊らされてチャラチャラ途を驀進していた俺たちに関係なく、ずっとずっとこうして地道にこの店を続けてきた父ちゃんと母ちゃんは、今でもこうして二人仲良くダッサイネクタイ達に熱々の昼飯と元気を分け与えている。俺も広東麺で汗だくになった。次の目的地へのエネルギー補給が完了した。
勘定に立つと母ちゃんは、「カツ丼ごめんね。昔のお客さんだね」とニコニコの目つきで言ってきた。「十五年ぶりです」
「あら、このお客さん、十五年ぶりだって。ちょっと、ねえ」と小さな店いっぱいに響き渡る元気な声で父ちゃんに叫んだ。店の客が何事だとばかりに振り返る。俺は恥ずかしくなって、小さな声で「元気でね」と言って背中を向けた。あやうく声が詰まりそうだったよ。
交差点の主ともいえる洋食のキラク、ビーフステーキ2700円は立派なお値段。見かけはほんの数坪の、通り過ぎそうなお店だが歴史は古いんだ。一時は行列が途切れることのなかった親子丼の玉姫。俺は正直、一度も喰ったことがないのだけれどね。すき焼きの今半だって筋ひとつ入った場所に構えている。ランチのお値段は、ほんの少しだがキラクよりお安いんだ。キラクより気楽よ、なんて。しかし、夜は恐ろしい値段に化けるのさ。甘酒横町まで足を延ばせば、よく行ったもんだよ、やきとり久助。見渡せば、どうやらその頃より気の利いたラーメン屋が増えたし、たこ焼きやなんかも進出している。とにかく、食べ物の豊富さでは負けていないんだ、この界隈。
しかし、今日のお目当てはそんな有名でもメジャーでも今風でも何でもない、ただの中華屋。その名も、玉龍亭。名前だけはご立派だが、掘留公園で遊ぶ園児達の声にかき消されてしまうほどの、小さな、それこそ何処にでもある中華屋さんだ。昼時にはダッサイネクタイしめたサラリーマンが雪崩れ込み、半チャーハンとラーメンなんかをかき込むような、そんな昼飯屋だ。黄色の庇に赤い明朝体で「玉龍亭」。どうしても、そこへ行きたくなった。
なにせ十五年も前、当時既に充分にお年を召された父ちゃん母ちゃんがやっていた店。ひょっとしたら、危なっかしい連中に追い立てられて店をたたんでしまっただろうか。それとも、お父ちゃんのほうは逝っちまったんじゃないだろうかと、胸をドキドキさせながら辿り着いた。辿り着いたら、昔のまんまにそこにあった。昔の通りダッサイネクタイが暖簾をくぐり抜けていく。ちょっとしたタイムスリップだ。こっちも今よりずっと若くてダッサイネクタイを気取って締めていたりしたっけ。
前置きが長くなったが、何を隠そうこの玉龍はカツ丼の名店なんだ。って、俺が勝手に決めつけているだけなんだけど。いや、当時同じ事務所に通ったヤツも未だに「玉龍のカツ丼が無性に食いたくなる」と言っていたことがあるから、まんざらでもないんだ、玉龍のカツ丼。トンと置かれた丼の中で、少し残った半熟がプルるんと揺れるあの感じ、たった今揚げたての湯気を立ててるカツそのものだって、端っこにカリッとした衣の歯ごたえが残る職人技で、たいした肉でもないのに若さが求める「肉」の食感をきちんと満たしてくれる歯ごたえもほどよかった。隠れファンは確かに存在するんだ。今日は、その「無性に」が俺に訪れたわけだ。いやいや嘘はいけませんぜ、旦那さん。実は何日も前から楽しみにしていたくせに。そ、そうなんだ。iPhoneのスケジューラーに、わざわざ「カツ丼」なんて入力までして、打合せの相手に昼を誘われた時の用心に、「いや、今日は予定が立て込んでましてね」なんて白々しい台詞まで用意して、おまけに練習までして、向かったわけなのさ。
「へい、いらっしゃい」
昔のまんまだ。六人掛けが一つと、四人がけテーブルが二つ。時間が早いからテーブルは全部空いているのに、カウンターは満席。何故だかみんなカウンターから着くのがこの店の特徴だ。奧の14インチテレビでは、野茂のメジャーでの活躍もセナの事故死も知ったけ。年老いたはずの父ちゃん母ちゃんは、あれから一日も月日が過ぎていないかのように同じ姿形と元気でいっぱいだ。父ちゃんは、注文を復唱する時も挨拶をする時も、背中を丸めた格好で始終身体を揺らしながら中華鍋を振っていた。まるでカンフーサッカーのやけに頭突きの凄いオッさんみたいな風貌だ。額から汗が噴き出ている。カウンターの席に着くと、その元気と一緒に昼飯が腹を満たしてくれたんだ。
俺は正直十五年ぶりの、今となっては一見さんだから、大人しくテーブルに着いたよ。一人ぽつんとね。それで、これも昔と変わらぬプラスチックのメニュー立てを摘み上げた。やけに、スカスカなんだ、そのメニュー。老眼の次は、かすみ目か? いや、当時は裏も表も、麺類から飯類から、もやし炒めだ、ニラレバだ、酢豚だってあるんだぜと、ビッシリと両面を埋めていたメニューは、今や本当にスカスカなんだ。これでもかって程のボリュームが堪らなかったカツカレーも見あたらない。そんな物はどうだっていいんだ、今日はカツ丼よ。って、そのカツ丼の「カ」の字が見つからない。
そんなはずは無いんだよ。玉龍はカツ丼なんだ。カツ丼のない玉龍なんか、荒野のないアメリカ大陸みたいなもんだ。
「あのぉ、カツ丼は?」
「何年も前に止めちゃったのよ」と、元気いっぱいの母ちゃんは、そう言いながら何だか嬉しそうにしている。そんな顔で見つめないでおくれよ。俺はその時、一昼夜かけたグレイハウンドのバス旅の果てにフラれた少年のような情けない表情で母ちゃんを見返していた(に違いない)。
十五年の歳月を経て漸く辿り着いた日本橋堀留町の隠れカツ丼名店玉龍亭で、俺はカツ丼にフラれた。「こんなに長いこと放ったらかしで、どうしてもっと早く迎えに来てくれなかったのよ」という声が何処かでこだまする。どうすればよかったって言うんだ!
カウンターに並んだ背中は、忙しなく右手を動かしエクスタシーに身悶えしながらワンタン麺やら湯麺やらチャーハンをかき込んでいる。そうだよ。フラれた時だって空は青かったさ。その空に向かって「あばよ」と言って、俺はまた旅を続けたんだ。
「広東麺ください」
「はーい、広東麺。広東麺入ったよ」と父ちゃんは悪びれもせず母ちゃんに注文を伝えている。父ちゃんは自分で請けていながら、必ずそうやって母ちゃんに伝える。何年も何年も、仲良くやり続けている。二人でこの小さな店を元気いっぱい生きている。母ちゃん似の、容姿より心よってタイプの娘さんも、今では立派なお母さんになっているに違いない。俺だって立派かどうかは別にして親にもなった。思えば、随分と月日は経ったのだ。
バブルが弾けてもなお、横文字のタイトルや人より少しだけ高額なギャラに踊らされてチャラチャラ途を驀進していた俺たちに関係なく、ずっとずっとこうして地道にこの店を続けてきた父ちゃんと母ちゃんは、今でもこうして二人仲良くダッサイネクタイ達に熱々の昼飯と元気を分け与えている。俺も広東麺で汗だくになった。次の目的地へのエネルギー補給が完了した。
勘定に立つと母ちゃんは、「カツ丼ごめんね。昔のお客さんだね」とニコニコの目つきで言ってきた。「十五年ぶりです」
「あら、このお客さん、十五年ぶりだって。ちょっと、ねえ」と小さな店いっぱいに響き渡る元気な声で父ちゃんに叫んだ。店の客が何事だとばかりに振り返る。俺は恥ずかしくなって、小さな声で「元気でね」と言って背中を向けた。あやうく声が詰まりそうだったよ。
2009-10-20
神戸 夕闇に
19日夕暮れどき。仕事を片付け三ノ宮へ戻ると、明石焼のたちばなへ向かった。これも恒例となった。これまでは、賑やかな街並みとどこか余裕のある人々に触れたくて、散歩がてら元町の店まで足を伸ばしていた。疲れが癒される。今日は五時間に及ぶ移動のため、流石にその気力さえ失せてしまった。駅の目の前、阪神ビルの地下一階にある支店にやってきた。
神戸在住の知人に教えてもらってからだから、はや五年になる。年に一度か二度の客でしかないのだが、こちらはすっかり常連の気でいる。焼きのオバチャンから掛かる「一枚ですか?」の声に、ひょいと人差し指をたてただけで返したりする。その気になっている。
この店を紹介してくれた知人がいうには、「明石焼はオヤツ。ご飯はまたべつです」 大振りのフワフワの明石焼きが10個。しかも、この時刻(五時過ぎ)のものとしては、少々多すぎはしはいか。隣のテーブルに着いた女性二人はペチャクチャと四方山話に花を咲かせながら、ひとつまたひとつと口に放り込んでいる。所謂別腹なのだ。
ところで中年オヤジがこんな場所に一人というのも、と思う間もなくもう一人更なるオヤジが目の前のテーブルについた。ガタイもよろしく、私などよりよほどこの場に似つかわしくない。焼きのオバチャンの声に、やはり頷くだけで答えた。彼も常連なのだ。
オヤジ二人のテーブルを挟むように先ほどの女性達と奥のカップルの話が盛り上がり、負けじと焼きのオバチャンは板さん風の男性相手に携帯電話の話が止まらない。
「184(いやよ)て、頭に付ければ相手に番号はみえへんから」
「いやよってか」
「そう、いやよ」
「なんか、怖いわ」
オヤジ二人は黙黙と明石焼を口にはこぶ。ハフハフしながら、黙って食べる。我々べつに怖い人ではないのだけれど、何故か眉間に皺を寄せ、伏せ目がちの姿勢を保って浮気調査の探偵よろしく食べ続ける。彼の関心事は何だろう。こっちは夕飯の事が頭を過ぎり出した。神戸の街がとっぷりと闇に包まれた。
神戸在住の知人に教えてもらってからだから、はや五年になる。年に一度か二度の客でしかないのだが、こちらはすっかり常連の気でいる。焼きのオバチャンから掛かる「一枚ですか?」の声に、ひょいと人差し指をたてただけで返したりする。その気になっている。
この店を紹介してくれた知人がいうには、「明石焼はオヤツ。ご飯はまたべつです」 大振りのフワフワの明石焼きが10個。しかも、この時刻(五時過ぎ)のものとしては、少々多すぎはしはいか。隣のテーブルに着いた女性二人はペチャクチャと四方山話に花を咲かせながら、ひとつまたひとつと口に放り込んでいる。所謂別腹なのだ。
ところで中年オヤジがこんな場所に一人というのも、と思う間もなくもう一人更なるオヤジが目の前のテーブルについた。ガタイもよろしく、私などよりよほどこの場に似つかわしくない。焼きのオバチャンの声に、やはり頷くだけで答えた。彼も常連なのだ。
オヤジ二人のテーブルを挟むように先ほどの女性達と奥のカップルの話が盛り上がり、負けじと焼きのオバチャンは板さん風の男性相手に携帯電話の話が止まらない。
「184(いやよ)て、頭に付ければ相手に番号はみえへんから」
「いやよってか」
「そう、いやよ」
「なんか、怖いわ」
オヤジ二人は黙黙と明石焼を口にはこぶ。ハフハフしながら、黙って食べる。我々べつに怖い人ではないのだけれど、何故か眉間に皺を寄せ、伏せ目がちの姿勢を保って浮気調査の探偵よろしく食べ続ける。彼の関心事は何だろう。こっちは夕飯の事が頭を過ぎり出した。神戸の街がとっぷりと闇に包まれた。
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