2008-05-09
”告発のとき”
彼は殺され、父親はその理由を解明した。
いい映画だ。みんなこういう映画を見るべきだ。
なお、前段は私が勝手に読んだ行間であり、具体的な描写があるわけではないので悪しからず。
それからもうひとつ、助演のシャーリーズ・セロンはいい女だぞ。
2008-05-08
ではある
二人とも両手でつり革にぶら下がるほど酔ってはいるのだが、男の言葉ははっきりしており、いや語尾に力をという意志が感じられ、一方女はと言えば脱いだ靴を踏み潰して頑張った右足で体重を支え、踵が外れかかった左足の踝は異常なほどに折れ曲がり、しかも電車の揺れに合わせてクネクネ踊り続けている。
左隣の女は俯いたまま何かに怯えるように体をビクつかせ、正面に深く座り込んだ女に至っては、もう膝を閉じる事さえできない。
丸ノ内線、終電一本前のありふれた風景ではある。
2008-04-10
無題
先に訪れていた老人が、洗濯し終わった衣類を乾燥機に放り込んでいる。仏頂面ではある。が、言うことを聴かなくなった体への苛立ちや、ついて行くことが難しくなった時勢への憤懣を露にするだけのよくいるタイプの年配者というわけでもない。来るべき時のために今の有り様を反芻するかのような眉間の皺。バタリと乾燥機を閉め、彼は一度その場を立ち去った。
長椅子に腰を下ろしてタバコに火を点け、途中まで読み進んだ池波正太郎を捲る。浅野内匠頭と吉良上野介。どちらかの過失というより、時を含めた巡り合わせであったのだ、と。
一〇分程して先の老人が戻る。前と同様仏頂面で乾燥機から衣類を取り出し、備え付けの衣類台の上で手早くたたむとまた無言で場を立ち去った。先は短い。ぐずぐずしている暇はないのだ。老体とはいえ、体の動きに切れはまだ残り、一陣の風のような印象。
気がつくと彼の持ち物らしい袋がテーブルに置き去りにされている。彼が去ったドアの方角に視線を送るが、その姿はすでに消えている。乳白色の薄いビニルに中身が透けて見える。処方薬のようだ。氏名に目を凝らすとそこには「大石力」とある。驚きを隠せずやおら開いたままの文庫に目を戻せば、まさに主税(ちから)の父、大石内蔵助の冒頭だった。
2008-03-21
新東京タワー
「東京EDOタワー」「東京スカイツリー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」「ライジングタワー」
「新東京タワー」という名称は、登録商標の問題で使用できないとあった。
しかし、新東京タワーの名称は、どう考えても「新東京タワー」しかないだろう。買えばいいのに。東京人は、そのあたりに意地を張るべきだ。そういうところにはお金を使うべきだ。エッフェル塔を眺めれば、パリはエッフェルさんに負けてしまったのだなあと、ため息がでる。東京はよかったなあと、またため息が出る。
その登録商標とやらが、実際にどの程度の問題なのかは知らないが、いまさら「EDO」なんて意味が分からないし、「スカイ」だとか「ツリー」だとか「みらい」や「ゆめ」なんて、それこそ先の時代の人たちから「頭が悪かったんじゃないの」と酷評されるのがオチだろう。妙な横文字にせず、「東京」と名付けたから皆がこれほど愛せたのに。安直なアイディアに落ち着かせたりしたら、新名所どころか平成の恥だぞ。
絶対「新東京タワー」だ。そう思うだろう。
ちなみに、1945年の今日3月21日には、大本営が硫黄島玉砕を発表した。
2008-03-04
ワーカーズハイ
年明け直ぐに最初の仕事にとりかかり、首都圏のあちらこちらを回る。実労時間は短いものだが、終止気を張りつめている必要がある。一語も聞き漏らすわけにはいかない。相手が無責任に吐き出す言葉の中から意味のある言葉だけを抽出し、ちょっとしたニュアンスの変化に裏を読む。笑顔を絶やさず相槌を打ちながら、手元では異常な速さでペンが走る。予定の時間が経過し、「では私はそろそろ別の会議がまっておりますので」と相手が席を立つ。どっと力が抜ける。緊張と解放を繰り返すとエンドルフィンが体中に分泌されているのがわかる。ランナーズハイなどと同様、一種のトランス状態に襲われる。しかし連日では流石に疲れる。よかった連休だ。
連休を明けて直ぐ、約10日間別の案件で缶詰にされる。文字通り缶詰で、小さな部屋で対象者と二人きり。まるで刑事と被疑者のようだ。刑事は終止笑みを浮かべていなければならない。ただでさえ緊張状態にある被疑者が、供述を拒まないようにするためだ。「さあ、怖くはないよ。正直にいってごらん」休みなく吐き出される質問に対象者はへとへとだ。しかし、確たる証拠を掴むまで彼を解放するわけにはいかない。ビデオを通して模様の監視を続けるデカ長や他の刑事達も苛立ちを隠せない。しかし、相手はもう限界だ。「しようがない、最後の質問に答えたら、今日のところは解放してやろう」相手の目に安堵の色が浮かぶ。そこを空かさず「言っておくがな、適当な答えに騙されるような俺じゃないからな」相手が頷く。5分後彼はカツドン代を手にし、背中を丸めて立ち去る。こちらを振り返る者は誰一人いない。
2月に入ると、また別の案件でIT企業への潜入を試みる。手強い相手にはこちらも徒党を組んで相対する。しかし、敵も然る者なかなか尻尾を出さない。手を換え品を換え、何とか急所を突こうとするが上手く行かない。結局、目的を達することなく退散することになった。「現地へ乗り込もう」寄せ集めではあってもプロの集団。リーダーの一声で、半数の人間が成田へ向かう。準備期間は殆ど無いに等しい。暗号のような難解な文章に機内で目を通しながらこの先一週間のミッションを把握する。
最初の渡航地では観光客になりすまし、人の流れに身を隠して目的の地へ辿り着く。一転ビジネスマンモードに切り替えると、手振り身振りを大袈裟に、リアクションも出来るだけ派手に振る舞いながら胸を張って人を掻き分ける。最初のアポイント先。単独で先行した斥候が既に10件に及ぶ予定を組んでいる。我々後発の部隊が定められた時刻と場所に現れ、見下した態度で情報を収集する。未だ日本市場の幻想係数は高く、偽造した名刺とそれなりの基礎情報を与えれば、相手は這いつくばるように希少な情報を差し出す。「何卒おねげえしますだ、お代官様」予想以上の収穫に部隊一同にうっすら笑みさえ浮かんでいる。しかし、次なる地で待ち受ける相手はレベルが異なる。心しなければならない。
日本からと同様に、各々が別々の便で次の目的地に飛ぶ。集合時刻、全員が旅行者になりすました身なりでおち合う。人通りを避け路地を分け入る。一軒の鄙びたビストロを発見しドアをくぐる。客は我々だけのようだ。主人は年老いたフランス人。他に従業員の姿も見あたらない。隅のテーブルに着き早速翌日の行動について打合せを始めた。安全が確保されている状態といえども細心の注意は怠らない。一つの文章を単一の言語で完了してはならない。英語、日本語、イタリア語やその他の言語を織り交ぜて話す。
料理が運ばれるたびに会話が途切れる。訝しげな主人に愛想笑いを返し、一口頬張る。悪くない。次には仕事を抜きに訪れてもよいだろう。料理を平らげると同時に打合せを終了する。時刻は深夜を回っていた。立ち去る間際に店のサインに視線を送ると、タイユバンとあった。
翌日、我々は古式豊かなスパイ小道具を身に着け相手先を訪れた。最新の電子機器は携帯電話を含め全て没収される。万年筆に仕込んだフィルム式の超小型カメラ、メガネのフレームに組み込んだ超小型のテープレコーダーなどなどを分担して持ち込む。全ての言葉に大袈裟に相槌を打つ。相手は、未開の土着人を見るような目つきで我々を眺め、なんでも来いと大風呂敷を広げる。思わず口からこぼれる機密情報。全ての会話が記録されている。目的は達した。
その翌日、既に全員が機内に居る。仮眠をとる者は誰もいない。帰国後この部隊の一部は、別の目的地へ向けタッチアンドゴーだ。私にも次なる使命が待っている。
数日後、新幹線の車中にいる。都内で別件の尋問を済ませ、場所を大阪に移して同様の取り調べに入る。少しばかり疲労を覚える。他人のことなどお構いなしの同行者は、一つ覚えのように「お好み焼き」を繰り返し口にしている。海外の仕事と異なり、国内では食事に不都合がない。しかし反面、組む者の質にばらつきが生じ本来無用な神経を遣う。だが俺はプロとして仕事を請け負う。泣き言はない。ただ、与えられた役割をこなす。
ようやく2月が終わった。じきに半世紀を迎える肉体は少々辛さを感じ始めているが、おそらくこの仕事から当分は足が洗えない。
2008-01-02
新年にイチロー、の目に涙
今年イチローは、プレッシャーから逃れることをせずそれに立ち向かって自らを超える、と覚悟を決めたという。200本を目前にすると毎年のように襲いかかる重圧に精神が変調をきたし、体調まで狂わすことさえあると本人が認める。これまではその重圧から逃げてきた。なんとか重圧から逃げおうせて、これまで200本を達成してきたというのだ。あのイチローがだ。どれほどの重圧だというのだ。凡庸な男に想像は不可能だ。
加えて今年はもうひとつ、メジャー通算3度目の首位打獲得のためのそれが加わった。相手のMagglio Ordonezにしてみれば、イチロー相手の競争に勝ったとなれば単に首位打者という以外にもうひとつの勲章が加わるほどの意味がある。勝ちたい。一方イチローは、昨年メジャーで3度目の最多安打を記録していながら首位打者のタイトルを逃している(http://mlb.yahoo.co.jp/japanese/profile/?id=1861840)。こちらも此処まで来たからには是非ものにしたい。
シーズン終盤に差し掛かり益々記録を伸ばしたオルドネスに対し、イチローは差を縮めることができず、戦いは最終戦までもつれ込んだ。結果、イチローは争いに敗れ、試合中にもかかわらずフィールド上で何度も涙を拭うシーンがテレビスクリーンに映されていた。
「今年は野球を心から楽しむことが出来ましたか?」というインタビュアーの質問に、「それが見え始めた」とイチローは答えている。また、「目に見えないものが重要、目に見えないものだから超えるのがたいへん」とも口にした。目に見えないものを超えようと必死の努力をした先に、首位打者獲得という目にも鮮やかな目標が見えていた。競争に敗れたイチローは涙を流すほどに感極まり、その結果、大好きな野球を子供の頃と同様に楽しむことのできる感覚を取り戻しつつある。
7年の間毎朝同じメニューを作り続ける妻の努力も含め、自分で定めたプログラムを一日も欠かすことなく正確に努力し続けているイチローは、生活のほとんど全てを野球のために捧げているように見える。先には光があるだろうと思うが、未だ目の前には真っ暗な闇があるばかりだと言う。だからこそ挑み続けられるのだ、と努力を怠らない。事実毎年のようにバッティングフォームの改造に取り組んでいるという。あのイチローでさえ、である。
数年前同様のテレビ番組の中で、どうしてそんなに努力できるのかという問いに対し「当たり前です。僕がいくら貰っていると思っているんですか」と答えたイチローは、以前にも増してファンへのサービスと野球界に対する誠意を自らの存在意義と掲げながらも、今年新たに野球を楽しむための覚悟を決めたと語ったのだ。
これを、名誉も金も充分に手にした成功者が残り少なくなってきた野球人生をいよいよ自分自身のために費やそうと考え始めたと見るか、天才と呼ばれる男が道を究めるために更なる高みへ上ろうとしていると捉えるかは各々が感じるままでよい。しかし、我々凡庸な人間のいったいどれ程が、人前で涙堪えることができぬほどの感情の高まりを覚える戦いを挑んでいるのかと自問すれば、思わず腹の奥で低い唸り声を発するのは私だけではないだろう。イチローは確かに34歳の青年であるが、この道16年のベテランでもあるのだ。
2007-12-30
今年に限った事ではないのだが、つい年末に思ってみたりすること
記憶のメカニズムは解明されているというのに、忘却のそれは未だであると聞く。何を基準に、どういう仕組みで忘れるべき記憶を、脳が選択しているのかが分からないのだという。つまりはさっぱり分かっていない。記憶の仕組みを脳のそれに習ったコンピュータは、だから「消去」を自らが選択しなければならない。そのうち所有者の忘却パターン(そんなものがあればの話しだが)に合わせて、不要なファイルをパソコンが勝手に選別してドンドン消し去ってくれるようになるかもしれない。「ちょっと、待ってよ!それは消さなくていいのよ」という嘆きが職場に満ちる日が来るかもしれない。
話しを戻せば、どうしても思い出すことが出来ない事柄があるように、全く忘れる事の出来ない記憶がある。初恋への告白を前にした鼓動の大きさや、初めて立った異国で嗅いだ空気の臭い、家族が増えたときの胸のたかなりと減ったときの痛み。大凡誰でもが個々の人生の重要事件として認める出来事は、強い記憶として保持している。
しかし、たったひとつ、おそらくは地球上の人々ほぼ全員にとって最も重要なはずのある日のことを、ほぼ全員が覚えていない。それは自分が生まれた日のことだ。
説に拠れば、幼児期の一定期間は、母親の胎内での記憶から出産時のことまでを、誰でもがきちんと保持しているという。しかし、それらは他の手によって記録に残されることでもない限り、当の本人のなかからは消え去ってしまうのが普通だ。
反対に、この瞬間を一生涯忘れずに持ち続けている人々もまた存在する。当然のこと、母親だ。九ヶ月に及ぶ妊娠期間は、男には理解し得ない強固さで母親と子の一体感を育むに違いない。男親とて、直接肉体的な経験はできないにしろ、我が子の誕生の瞬間は深く刻まれている。往々にして男親にとって子の誕生の瞬間には時間差を伴う。ましてや一度助産婦さんの手を経ての接触であったりするから尚更だ。しかし、この僅かな時間差でさえ、強く深く刻まれる瞬間であったりする。「いいから、早くだかせろ!」みたいな。
自分がこの世に生まれ出るという最重要事件は、本人が保持することができず、別の者の記憶の中に生きている。皮肉なことだ。どんなにお誕生日会を重ねたところで、誰も「ところで、生まれた時ってどんな感じだった?」とか「生まれて直ぐ何がしたかった?」なんて訊かれることはないし、そんなこと考えてみることもない。そころが、「あなたの時は、陣痛が来なくって」とか「出張先から5分おきに電話したよ」とか、親は全くよく覚えている。
更に皮肉なことに、大概唯一の記憶保持者である親は、大事な記憶のバックアップもとることなくその大事な記憶を一緒に抱えたまま先に逝く。親のおかげでこの世の中に存在していた自分自身の最も大事な記憶は、親の死とともに失われてしまう。
人生の折り返し地点は過ぎた。記憶容量の多少に関わらず、記憶すべき事象との遭遇は減ってくる。寂しいが現実だ。そのせいか、何時のことからか記憶の優先順位が変化した。記憶に留めようとする事柄のなかから、自身に纏わることが減り、代わって家族の出来事についてが圧倒的な勢いで増えてきた。父親としてしくじることが許されないはずのシャッターチャンスを忘れて家族の表情を凝視していたりする。まるで、その瞬間を自分のものだけに閉じこめておこうとでもするように、衰えかかった目力を最大限に活用して見つめている。
年末の白昼夢から覚めて、今年一年をかけて作ってきた記憶の整理に取りかかる。そしてふと気がつく。優先順位が高いはずの記憶を、一瞬でしかない貴重な想い出を、自らが作り出そうと奔走したことがどれだけ僅かであったかを。来年に持ち越す課題が去年のものと同じであることを。来年はもう今年と同じ記憶が作れるはずもないことを。